Sorry Japanese Only
フェラーリ 365 GT4 BB イタリア 1973年
フェラーリ初(ディノは除く)のミドシップ エンジン搭載市販車として1973年に登場したのがフェラーリ 365 GT4 BBでした。BBとはベルリネッタ ボクサーの略で、ベルリネッタはクーペの意でボクサーとは水平対向エンジン(左右のピストンの動きがボクシングのグローブの打合い動作に似ている)の意でした。ただし365 BBのエンジンはV型エンジンのVバンク角を180度まで倒したDOHC 180°V型12気筒4.4L(380HP)エンジンで、正確にいうと水平対向エンジンではありません。このエンジンの下に5段変速機を配置したミドシップ配置で、ライバルのランボルギーニ カウンタックをわずかに上回る最高速302km/hの性能でした。 独特の平べったいボディはピニンファリーナのデザインで、1968年の空力実験車P6がベースとなっていました。(実車画像→ フェラーリ P6 1968)
1975年に排ガス規制対応でエンジンを5L(360HP)に拡大した512 BBに改良されました。512 BBはフロントにチンスポイラー、リアフェンダーに冷却用のNASAダクトが追加され、テールライトが6連丸型から4連丸形に変更されました。1981年にボッシュの機械式燃料噴射システムを採用した 512 BBiに変更されました。512 BBiは1984年まで生産され、後継車はテスタロッサでした。365/512 BBシリーズの総生産台数は約2300台でした。512 BBをベースにしてピニンファリーナ社の風洞実験でボディの空力特性を最適化したレース仕様車512 BB LMは1979年からルマンに参戦しましたが、1981年に5位となった以外はあまり良い成績を残していません。
ミニカーは1976年に発売されたソリド製の当時物です。このミニカーは当時として最高レベルの出来ばえで、入手したときにはそのかっこよさに感激したものでした。今見てもプロポーションは素晴らしいのですが、昔のミニカーですからワイパーは少し目立ち過ぎでテールライトの表現はやや簡素です。リアカウルが開閉するギミック付きで12気筒エンジンが再現されています。ソリドはこれのテールライトなどを変更した512 BBや別ブランドのべレムでスパイダーなどもモデル化していました。当時の日本はいわゆるスーパーカーブームの最中で、365 BBのミニカーをダイヤペット、サクラ(ソリドのコピー)、バンダイなどが発売していました。一方海外ではまともなミニカーがあまり作られなかった時期でしたので、365 GT4 BBの当時物ミニカーはBブラーゴの1/43と1/24ぐらいしかありませんでした。当時物以外ではベスト モデルの512 BB、ブルムの 512 BB LM、京商の1/43、1/18、1/64、イクソ、アイドロン(レジン製)、トミカ リミッテドの365/512 1/64などがあります。 以下はフロントの拡大画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=740
フェラーリ (ディノ) 308 GT4 2+2 イタリア 1973年
ディノ 246 GTの後継車としてV型8気筒エンジンを搭載したディノ 308 GT4が1973年に登場しました。12気筒以外はフェラーリと呼ばないという方針から、当初はフェラーリの名前は付いていませんでした。しかし1976年からはフェラーリ 308 GT4と改名されました。ディノとほぼ同じシャーシに新設計したV型8気筒3L(250HP)DOHCエンジンをミッドシップ搭載し、最高速250km/hの性能でした。
2+2と4シーター化されているため、ホイールベースは246 GTより長くなっています。またフェラーリでは初めてベルトーネがデザインを担当したので、あまりフェラーリらしくない直線的なスタイルとなっています。(フェラーリというよりはランボルギーニ的なデザインです)1975年にはイタリア国内向けに2L(170HP)エンジンを搭載した208 GT4が追加されています。
名車ディノ の後継としてはベルトーネのボディ デザインや性能などが物足らず、この車はあまり人気がでませんでした。名前にフェラーリを追加したのも人気を挽回する為だったのかもしれませんが、結局人気のないまま1979年に生産中止となりました。総生産台数は約2800台でした。
ミニカーはポリスティル(ポリトーイ)の当時物で、1976年頃に発売されました。実車の不人気を反映して当時物のミニカーはこれぐらいしかありません。ELシリーズは廉価版ミニカーで、プロポーションは悪くないのですが、タイヤ/ホイールがどうしようもなくしょぼいです。最近の物では京商の1/64、マテルの1/18があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=741
フェラーリ 308 GTB イタリア 1975年
308 GT4のクーペ(ベルリネッタ)として308 GTBは1975年に登場しました。この車は308 GT4の不人気を挽回してディノの後継車として大成功し、その後の8気筒フェラーリの始祖となりました。ディノの基本設計を踏襲したシャーシにDOHC V型 8気筒3L(255HP)エンジンをミッドシップで横置き搭載し、最高速250km/hの性能でした。
ボディはディノのイメージを残しつつ、365 GT4 BBなどとよく似た新しいスタイルで、さすがはピニンファリーナといったところです。初期型は生産性の問題でボディはFRP製でしたが、1977年以降はスチール製となりました。1977年には、タルガトップのの308 GTSも追加されました。
1980年にはイタリア国内向けに2L(155HP)エンジンを搭載した208 GTBも追加され、1982年ににはターボ仕様の208 GTB ターボが追加されています。308 GTBは排ガス規制によるパワーダウンを補うため1982年に4バルブ化されたクワトロバルボーレが追加されるなどして1985年まで生産されました。後継車はほぼ同じ外観で排気量が3.2Lに拡大された328でした。
ミニカーはビテス製で1992年頃に発売されました。前述したディノ 246と同様に、プロポーションや細部の仕上げが良く、当時としてはかなり良い出来ばえでした。ビテスはラリー仕様のバリエーションを20種類以上作っています。当時物ミニカーはトミカ、ポリスティルの1/25、ブラーゴの1/43などがありました。 最近の物では、京商、ベスト モデル、マテルの1/18などがあります。以下はビテスの308 GTBのフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=742
フェラーリ 126CK ターボ イタリア 1982年
1975年にフェラーリ 312B F1の後継車として、312Tが登場しました。312Tは312Bをベースにして開発され、TはTrasversale(伊語で横の意)の略で横置きギアボックスを採用したことを意味していました。横置きギアボックスを採用したことでショートホイールベース化し、先代の弱点であった操縦性の問題を改善しました。312Tは1975/1976/1977年と1979年のコンストラクター チャンピオンを獲得するなど大成功しました。312Tは改良されて312T2、312T3、312T4と発展し、1980年に312T5となりました。(実車画像→ フェラーリ 312T 1975)
1981年にフェラーリ 312 T5の後継車としてフェラーリ 126CKが登場しました。126CKはフェラーリ初のターボエンジンを搭載し、車名の126はVバンク角120度のV型6気筒エンジン(550HP)、CKはKKK社製のターボチャージャーを意味していました。コンパクトなV6エンジンを搭載することで、当時主流となっていたグランドエフェクトカーとして設計されました。グランドエフェクトカーはサイドポンツーンが大型化するので、コクピットが極端に前進したデザインとなっていました。1981年はG.ビルヌーブがドライブして2勝しました。
1982年にシャーシをセミモノコックからフルモノコックに変更した126C2が登場しました。この年は事故でドライバー2名を失う不幸(G.ビルヌーブは車外に投げ出され死亡、D.ピローニは両足骨折で引退)がありましたが、これは極端に前進したコクピットが原因でもあったように思います。ただ残ったドライバーが健闘してコンストラクターズチャンピオンを獲得しました。1983年にはグランドエフェクトカーのダウンフォースが規制されたので、サイドポンツーンが小型化され前後のウィングを大型化した126C2Bが登場しました。シーズン後半からは従来のアルミハニカム製モノコックからカーボンファイバー製モノコックを採用した126C3が投入されました。この年は4勝してコンストラクターズチャンピオンを連覇しました。
1984年のレギュレーション変更でレース中の再給油が禁止され、燃費対策でウェーバーとマニエッティ マレリが共同開発した電子制御燃料噴射装置が採用され、660HPまでパワーアップしました。シーズン後半にはホイールベースを延長しリアサスペンションを変更した126C4Mに改良され、終盤にはアンダーパネル/ディフューザーで空力処理を改良した126C4Mとなりました。この年は優勝が出来ず1985年には後継車の156/85が登場しましたが、その後1990年代半ばまでフェラーリ F1は低迷することになりました。長い低迷後フェラーリは1999年から6年連続してコンストラクター チャンピオンとなりました。この時期の代表的なマシンはF2003/F2004、ドライバーはM.シューマッハでした。
ミニカーは2005年に発売されたブルム製です。1981年のイタリア GPでリタイアしたフェラーリ 126CK #27(ドライバー G.ビルヌーブ)をモデル化しています。大型サイドポンツーンと前進したコクピットのグランドエフェクトカー独特のボディがうまく再現されています。エンジン/リアサスペンションのメカ部分も結構良く再現されています。ただフロントスクリーンが青く着色されているのははやや玩具ぽいですが、それはブルムの独自性のアピールだということで許容しましょう。(スケールモデル的には×ですが、ミニカーですのでこんなお遊びも有りです) ブルムは126C2と126C4もモデル化しています。ブルム以外の126Cのミニカーはポリスティルの当時物の1/25、BBR(レジン製)の1/18、京商の1/64、イクソ、マテル、TOPMARQUES(レジン製)の1/12と1/18と1/43などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=2045
フェラーリ テスタロッサ イタリア 1984年
フェラーリ 512 BBの後継車として、1984年にテスタロッサが登場しました。フェラーリの旗艦として、1960年代の名車 250 テスタロッサの名前を復活させました。TESTAROSSA(赤い頭)の伝統に従ってエンジンのカムカバーは赤く塗られました。ピニンファリーナによるデザインは512 BBの流れに沿ったものでしたが、サイドのエアインテーク部の大型フィンが並の車ではない迫力を感じさせました。エンジンは512 BBと同じDOHC V型12気筒5Lですが、4バルブ化されて360HPから390HPにパワーアップしていました。初期のモデルは運転席側サイドミラーがAピラーの中ほどに取り付けられていましたが、1986年以降は通常のドア前端部分に変更されました。
1991年に512 TR(テスタロッサの略)にモデルチェンジしました。外観的にはほとんど同じで、エンジンが425HPにパワーアップされ操縦性などが改良されていました。さらに1994年には512Mにモデルチェンジされました。MはModifiedのMで、521 TRの改良型という意味でした。電子式故障診断装置の追加、軽量化、車両剛性の向上などの改良がおこなわれました。外観的にはリトラクタブル ヘッドライトが固定式に、テールランプが丸型4灯になるなど大きく変更されました。エンジンは440HPとなり、最高速は315km/hとなりました。後継車は1996年に登場したフェラーリ 550 マラネロでした。
ミニカーは1988年に購入したウエスタン モデル製(ホワイトメタル製)の当時物です。ウィンドー/ライト類以外のほとんどの部品が金属製(ホワイトメタル)なので、ずっしりと重く存在感があります。特徴的なサイドのフィンやリアライト部分のルーバーが薄い金属板で作られているので、実にリアルな質感があります。当時の値段で13000円と高価でしたが、当時はこれ以上リアルなモデルは無かったので思い切って買いました。初期のテスタロッサの特徴である左側のAピラーから生えているドアミラーが付属していて、これは自分で取付けました。これ以外のテスタロッサのミニカーはトミカ、ポリスティルの1/25、ブラーゴの1/18、マテルの1/18、ヘルパのプラスチック製の1/43、イクソ、ミニチャンプスの512TRと512Mなどたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)