Sorry Japanese Only
AUTO AVIO COSTRUZIONI (FERRARI) 815 1940 ITALY |
|
![]() BRUMM R066 1/43 95mm
実車諸元 画像参照
アウト アビオ コストルツィオーネ (フェラーリ) 815 イタリア 1940
アルファ ロメオ社のレーシングドライバーであったエンツォ フェラーリがレース活動を行うために1929年に設立したのがスクーデリア フェラーリ社でした。エンツォはアルファ ロメオのワークスチームのマネージャーを務めていましたが、1939年にその職を退きました。エンツォはスクーデリア フェラーリ社をアウト アビオ コストルツィオーネ社(自動車と航空機の製造会社という意味)に改名し工作機械などの製造を始めました。
退社時のアルファ ロメオとの約束で、数年間は自身の名前を冠したレーシングカーを製造できないことになっていましたが、エンツォは密かにレーシングカー 815を開発しました。この車が事実上の最初のフェラーリでしたが、正式の車名は上記の約束からアウト アビオ コストルツィオーネということになっています。この車はフィアット 508C バリッラをベースにした車で、8気筒1.5L(72HP)エンジンを搭載していたので815という名前でした。最高速は170km/hと高性能で、2台製造されて1940年のミッレ ミリアに出場しましたが、リタイヤしています。エンツォは第2次大戦後の1947年にフェラーリ社を創立し、再びスクーデリア フェラーリの名前でレースに参戦しました。 なおこの車は戦前の車ですが、フェラーリ社の歴史を説明する都合上この戦後期に記載しています。
|
|
ミニカーは1982年に発売された初期のブルム製です。初期のブルムは1980年代のミニカーですので、今見るとあまり良い出来ではありませんが、実車の雰囲気はそこそこ再現されています。特徴的なヘッドライトのカバーの形状は、本来はもう少し六角形に近い形状をしています。アウト アビオの量産ミニカーは最近までこのブルム製しかなかったのですが、2008年にイクソから出来の良い物がモデル化されました。またそれをベースにしてミニカー付雑誌の「フェラーリ コレクション」でもモデル化されました。最近のレジン製ではルックスマートやトップモデルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() 以下は1982年に発売されたブルム製のバリエーションのアウト アビオ コストルツィオーネ 815 #66 ミッレ ミリア 1940 (1/43 型番R067)の画像です。1940年のミッレ ミレアに参戦した車をモデル化しています。レースの結果はBMW 328が優勝し、このアウト アビオ #66はリタイアしています。ゼッケンが付いている以外は上のノーマル仕様とほとんど同じです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=721 |
|
FERRARI 125S #10 MILLE MIGLIA 1947 ITALY |
|
![]() BRUMM R182 1/43 84㎜
実車諸元 画像参照
フェラーリ 125S #10 ミッレ ミリア イタリア 1947
前述したアウト アビオ コストルツィオーネ社は第2次大戦後にレーシングカーの開発を再開しました。エンツォ フェラーリはアルファ ロメオ在籍時の同僚であったジョアッキーノ コロンボの協力を得て、高性能なV型12気筒エンジンを開発しました。エンツォ フェラーリは1947年にフェラーリ社を創立し、同年にフェラーリの名前を冠した最初のモデルである125Sが登場しました。125Sは新開発したV型12気筒1.5L(100HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速は170km/hの性能でした。名前の125は1気筒あたりの排気量が125ccであることを表しています。フェラーリは第1号車から高性能な12気筒エンジンを使っていたのです。
125Sにはロードカー仕様の125GTも計画されましたが、実現しませんでした。エンジンをスーパーチャージャーで過給して230HPにチューンした、フェラーリ初のF1マシン 125F1も1948年に登場しました。(125F1と同時期に活躍したアルファ ロメオ 158はどちらもジョアッキーノ コロンボの設計なので、とても良く似ています) 125Sは3台生産され、パルマ サーキットなどイタリア国内のレースで活躍しました。125Sは3台生産されレースに使用された後、後継車の159S、166に再利用されました。
|
|
ミニカーは1989年に発売されたブルム製です。1947年のミッレ ミリアの出場車(レース結果はリタイア)をモデル化しています。独特のフロントの顔つきがうまく再現されているなど、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ブルムはバリエーションで125Sのデビュー戦のピアチェンツァ サーキット仕様など4種類をモデル化しています。これ以外の125Sのミニカーは、アートモデル、イクソ、マテルの1/18などがあります。125F1はイクソがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() 以下は1989年に発売されたブルム製のフェラーリ 125S #21 ペスカーラ サーキット 1947 (1/43 型番183)の画像です。1947年のペスカーラ サーキットに参戦した車をモデル化しています。レース結果は2位でした。なおこの車は正確にいうと125Sを改良して1.9L(125HP)エンジンを搭載した159Sになります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=722 |
|
|
|
FERRARI 166 MM 1948 ITALY |
|
![]() ARTMODEL ART007 1/43 84㎜
実車諸元 画像参照
フェラーリ 166 MM イタリア 1948
前述した125Sはレースの成績が振るわない為、排気量を1.9Lに拡大し125HPにパワーアップした159Sとなりました。さらに1948年には排気量を2Lに拡大し140HPにパワーアップした166Sに切り替わりました。166Sは1948年のミッレ ミリア、タルガ フロリオで総合優勝し、1949年のルマンで総合優勝するなどレースで大活躍して、フェラーリの名前を知らしめました。なお1948年のミッレ ミリアで優勝したことを記念して、166Sはミッレ ミリアのイニシャルを付与した166 MMに改名されました。
1947年にロードカー仕様の166 SC(スパイダー コルサ)が登場し、125F1に166 SCの2Lエンジンを搭載した125F1/166も設定されました。1948年にロードカー用のシャーシが初めて生産され、166 インテル(INTER)として設定されました。166 インテルはトゥーリング、ヴィニャーレなどのカロッツェリアがクーペやカブリオレなどの華麗なボディを架装しました。166 インテルは約40台ほどが生産されました。これらの富裕層向けの車もフェラーリの名声を高めました。
|
|
ミニカーはイタリアのM4社のブランドのアートモデル製で、1994年に購入しました。トゥーリング製のバルケッタ(オープンカー)をモデル化しています。微妙なボリュームがある曲面的なボディがうまく再現されていて実に良い出来ばえです。またワイヤスポークホイールの出来が良いのでモデルが引き締まって見えます。これ以外の166のミニカーは、アートモデル(約40種類)、イクソ、マテルの1/18と1/43、最近のレジン製ではトップモデル、ルックスマートなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=723 |
|
FERRARI 375 F1 1951 ITALY |
|
![]() BRUMM R191 1/43 99㎜
実車諸元 画像参照
フェラーリ 375 F1 イタリア 1951
前述したようにフェラーリ初のF1マシンは1.5L スーパーチャージャーエンジン搭載の125 F1でした。125 F1の過給エンジンはハイパワーながら燃費が悪いので燃料補給のピットインが多いというデメリットがありました。そこでアウレリア ランプレディが新しい自然吸気エンジンの開発を行い、まず1気筒の排気量が275ccであることから275エンジンと呼ばれるV型12気筒3.3L(300HP)エンジンが完成しました。このエンジンを125 F1のシャーシに搭載した275 F1が1950年に登場しました。
エンジン排気量はすぐに拡大され、シャーシを新しくした4.1Lの340 F1、4.5Lの375 F1が1950年に登場しました。1950年のF1 レースではアルファ ロメオ 159が圧倒的に強く、340/375 F1はほとんど活躍していません。1951年に375は380HPにパワーアップし、アルファ ロメオに迫りました。イギリス GPで375 F1(ドライバー F.ゴンザレス)はアルファ ロメオを制してフェラーリに初勝利をもたらしました。その後はフェラーリが勢いを増し、続くドイツGP、イタリアGPでも勝利しました。1952年にはチャンピオンシップがフォーミュラ2(F2)で行うことになった為、375 F1はインディ 500などのF2以外のレースで使われました。375エンジンは市販スポーツカーにも使われました。
|
|
ミニカーはブルム製で、1993年頃発売されました。1951年のイタリア GP 優勝車(ドライバー A.アスカリ)をモデル化しています。1980年代のブルム初期の物に比べるとタイヤのホワイトレター印刷やデカール処理など仕上げがレベルアップしています。(ただミニチャンプスほどリアルな仕上げではなく、ブルム流ではありますが) ブルムはイギリスのプライベーターが使ったシンウォール スペシャル仕様やインディ 500仕様もモデル化しています。これ以外の375 F1のミニカーではカルツォ、イクソ、マテルなどがあります。 以下はフロントの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() 以下は1993年に発売されたブルム製のフェラーリ 375 #9 GP エイントリー サーキット 1954 (1/43 型番192)の画像です。これはフェラーリのワークスではなくイギリスのレースマニアのバンダーベルが375 F1に「シンウォール スペシャル」という名前をつけてプライベーターとして使っていた物で、1954年のイギリス エイントリー(AINTREE) サーキットで行われたイギリス GPに参戦したマシンをモデル化しています。なおバンダーベルは後にバンウォールという名前のマシンでF1に参戦しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は1988年に発売されたブルム製のフェラーリ 375 #6 テストカー インディアナポリス 1952 (1/43 型番168)の画像です。アメリカのインディ 500 レースに使われた375 F1をモデル化しています。ドライバー後方の燃料タンクがあると思われる部分の形状が大きくなっています。1952年のインディ 500にはワークスとプライベーターが375 F1で参戦したようですが、どちらも完走していません。この#6というマシンはプライベーターのグラントチームが使って予選落ちしたテストカーをモデル化しているようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1724 |
|
FERRARI 500F2 1952 ITALY |
|
![]() BRUMM R044 1/43 90㎜
実車諸元 画像参照
フェラーリ 500F2 イタリア 1952
1952-1953年はGPレースのチャンピオンシップがフォーミュラ2(F2)規定で行われました。フェラーリにはV型12気筒2L/2.6Lエンジンを搭載するF2マシンとして166F2と212F2がありました。(実車画像→フェラーリ 166F2) しかしこのF2マシンは能力不足だったようで、アウレリア ランプレディが4気筒2L(185HP)エンジンを新開発し、このエンジンを搭載した500F2が登場しました。500F2はフェラーリとしては初の12気筒でないエンジンを搭載した車でした。
500F2はシンプルな構造のエンジンを使った軽量でバランスの良いマシンで、操縦性も優れていました。強力なライバルがいなかったこともあり、500F2は出場したほとんどのレースで勝利しています。1952年はチャンピオンシップの8戦でインディ以外の7勝すべてで優勝しました。1953年はチャンピオンシップの9戦で、インディとイタリア GP以外の7戦ですべて優勝しています。(イタリア GPではマセラティ A6GCM(F2)が勝利しました) ドライバーはほとんどがA.アスカリで2年間連続でドライバーズチャンピオンになりました。
|
|
ミニカーはブルム製で、1981年頃に発売されました。1953年のイギリス GP 優勝車(ドライバー A.アスカリ)をモデル化しています。当時のミニカーとしては良くできていましたが、初期のブルムは実車考証にアバウトなところがありました。例えば同じ1981年頃に発売された型番R035の500F2 1952年の#34はどのレース仕様なのか不明確でしたが、後に同じ型番R035のままで1952年のイギリス GPの#15に変更されました。(仕上げレベルが良くなっていましたが、似たような変更が他にもありました) ブルム以外の500F2のミニカーはディンキーのビンテージ当時物、カルツォ、CMCの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() 以下は1998年頃に発売されたブルム製のフェラーリ 500F2 #34 A.アスカリ ワールドチャンピオン モンザ (イタリア GP) 1952 (1/43 型番AS01)の画像です。これはブルムの「AUTOSTORY COLLECTION」というシリーズで、フィギュアやちょっとした小物を付けて簡単なジオラマ仕立てとしたものです。ドライバー(A.アスカリ)のフィギュア付で、ボディは汚し塗装がされ台座が道路になっています。ミニカーの箱にはモンザ 1952と書かれているのですが、その年のモンザ(イタリア GP)の出場車の#34はフェラーリではないので、前述したように実車考証に問題があります。(1952年のイタリア GPではA.アスカリのドライブで#12が優勝しています) これはイタリア GPではなくモンザ サーキットでの別のレースだったのかもしれませんが。。。まあ細かいことを言わなければ、良く出来た面白いミニカーです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1725 |
|
|
|
FERRARI 375 PLUS 1954 ITALY |
|
![]() TOPMODEL TMC001 1/43 98mm
実車諸元 画像参照
フェラーリ 375 プラス イタリア 1954
1950年代のフェラーリのV型12気筒エンジンには、前述した125Sに使われたジョアッキーノ コロンボが設計した小排気量タイプと、アウレリア ランプレディが設計した大排気量タイプがありました。125 F1に搭載されたスーパーチャージャー付V型12気筒エンジンは燃費が悪かったので、後継車用として燃費の良い自然吸気エンジンで大排気量タイプのV型12気筒エンジンが開発されました。最初に排気量3.3Lの275が開発され、その後4.1Lの340、4.5Lの375が開発されました。(数字は1気筒当たりの排気量を示しています) それぞれのエンジンは275 F1、340 F1、375 F1に搭載されました。
これらのV型12気筒エンジンはF1マシンだけではなく、レース用スポーツカーや市販GTカーにも搭載されました。4.1Lの340は340 MMや340 メキシコ、4.5Lの375(340HP)は375 MMや375 アメリカなどがありました。1953年に登場した375 MMはMMという名前が示すようにミッレ ミリア レースを目的としていました。ただ実際にはミッレ ミリアでは良い成績を残していなくて、カレラパナメリカーナなどで活躍していました。1954年には排気量を5L(345HP)に拡大し、サスペンションを改良した375 プラスが登場しました。375 プラスは1954年のルマンとカレラパナメリカーナで優勝するなど活躍しました。
|
|
ミニカーはトップモデル製で、1994年に発売されました。トップモデル(TOP MODEL COLLECTION)はイタリア製のブランドで、主にイタリアのレースカーをモデル化していました。(最近は製作していないようですが) これは375 プラスのピニンファリーナ製のスパイダーで、ルマンで優勝した車とほとんど同じ車をモデル化しています。フロント部分のダイナミックな造形がよく再現されていて、ワイヤスポークホイールなどの細部もリアルで良く出来ています。これ以外の340/375 スポーツカーのミニカーはアートモデル、イクソの375 アメリカ、ジョリー モデル(JOLLY MODEL)の340などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=724 |
|
FERRARI 375 MM 'INGRID BERGMAN' 1954 ITALY |
|
![]() IDEA3 113 1/43 110㎜
実車諸元 画像参照
フェラーリ 375 MM イングリッド バーグマン 仕様 イタリア 1954
フェラーリのスポーツカーにはアメリカやカリフォルニアという名前が付けられたモデルがあります。これはフェラーリが富裕層の多いアメリカ市場を重視して命名したものです。最初にアメリカという名前が付いたモデルは1950年の340 アメリカでした。(実車画像→フェラーリ 340 アメリカ) 340 アメリカはレース用のV型12気筒4.1Lエンジンを220HPにディチューンして搭載したGTカーで、5段変速で最高速240㎞/hの性能でした。ボディはツーリング、ギア、ヴィニャーレなどのコーチビルダーがオープンやクーペなどの特注ボディを架装していました。
1952年にはアメリカ市場の要求でホイールベースを伸ばして居住性を高め、より豪華な仕様とした342 アメリカが登場しました。340/342 アメリカは約30台ほど生産されました。1953年に375 アメリカが登場しました。(実車画像→フェラーリ 375 アメリカ) 375 アメリカはV型12気筒4.5L(300HP)エンジンを搭載したGTカーで、5段変速で最高速250㎞/hの性能でした。375 アメリカは約10台が生産されました。1955年にはさらに高価な410 スーパーアメリカが登場しました。
|
|
375 アメリカの派生モデルで良く知られている車として、映画監督のロベルト ロッセリーニが妻の女優イングリット バーグマンの為に特別に注文した375 MM イングリッド バーグマン仕様がありました。ピニンファリーナ製のクーペで、当時としては珍しい格納式のヘッドライトを採用したフロント、前輪部からドアまでのボディ側面のへこみ、リアフェンダー上の峰状の突起など独特のスタイルをしていました。ただしこの車にバーグマンはほとんど乗らなかったそうですから、彼女の好みでは無かったようです。 |
|
![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=725 |
|
FERRARI 750 MONZA 1954 ITALY |
|
![]() BEST MODEL 9044 1/43 96mm
実車諸元 画像参照
フェラーリ 750 モンザ イタリア 1954
アウレリア ランプレディが設計した4気筒エンジンを搭載した553 F1が成功したことで、フェラーリはスポーツカーレース用のエンジンをジョアッキーノ コロンボが設計した従来のV型12気筒から4気筒への移行を始めました。最初に登場したのは4気筒2.5L(220HP)エンジンを搭載した1953年の625 TFでした。その後、1954年に4気筒2L(160HP)エンジンを搭載した500 モンディアルと4気筒3L(240HP)エンジンを搭載した750 モンザ(モンツァ)が登場しました。これらの4気筒レースカーはモンザ シリーズと呼ばれ、1954年にワールド スポーツカー チャンピオンシップを獲得しました。1955年は300 SLRを有するメルセデス ベンツに次ぐ2位でした。
500 モンディアルは、改良されて500 TR(テスタロッサ)に変わりました。500 TRはサスペンションがコイル式になり、エンジンは180HPにパワーアップしていました。なおテスタロッサという名前を付けた車はこれが最初でした。1957年に500 TRは500 TRCに発展しました。1955年に750 モンザはメルセデス ベンツ 300SLRに対抗する為に排気量を3.4L(280HP)に拡大した857Sに変わり、1956年にはコイル式サスペンションを採用した860 モンザに発展しました。860 モンザの後継は1958年の250 テスタロッサとなります。
|
|
ミニカーはベスト モデル製で、1992年に購入しました。ワイヤースポークホイール、細かな金具類などがリアルで、かなり良い出来ばえです。ベスト モデルは750/860 モンザを約30車種ほどモデル化しています。ベスト モデル以外のモンザ シリーズのミニカーは、アートモデルが約80車種、トップモデルが約20車種などイタリアのメーカーが主にモデル化しています。なお当時物として750 モンザをテクノが、500 TRCをガマとソリドがモデル化していました。 以下はベスト モデルのフロント/リアの画像とコクピット周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() 以下は1992年頃に発売されたベスト モデルの860 モンザ(型番9051)の画像です。750 モンザよりフロントのオーバーハングが長くなっています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は1963年頃に発売されたガマの500 TRC(型番9610)と1992年に再生産されたソリドの500 TRC(型番7123)の画像です。どちらも1960年代にモデル化されたビンテージミニカーですので、素朴な出来ばえです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1947 |
|
|
|
FERRARI 553 F1 1954 ITALY |
|
![]() BRUMM R197 1/43 91㎜
実車諸元 画像参照
フェラーリ 553 F1 イタリア 1954
1953年のGPレース F2時代の最終戦には排気量を2Lに上げた553 F2(500 F2の1953年版の意)がテストされました。1954年からチャンピオンシップが再び2.5L F1に戻り、排気量を2.5Lに上げたエンジンを、500 F2のシャーシに載せた625 F1と新開発のシャーシに載せた553 F1が登場しました。(参考画像→フェラーリ 625 F1) 新設計されたシャーシは燃料タンクを両側面に配置しており、そのボディ形状から鮫(スクアーロ)と呼ばれました。1954年のの成績は、強力なメルセデス ベンツ W196の後塵を拝し、625 F1によるイギリスGP優勝と553 F1によるスペインGPの優勝のみと芳しくありませんでした。
1955年に操縦性を改善した555 F1(スーパー スクアーロ)が登場しましたが、やはりメルセデス ベンツ W196には勝つことができませんでした。1955年の成績は625 F1によるモナコGPの優勝だけでした。このシーズン中に財政上の問題でF1から撤退したランチアからランチア D50を譲り受けることになったので、フェラーリの4気筒エンジンはこの年限りとなりました。この件で4気筒エンジンを設計したアウレリア ランプレディはフェラーリを去り、フィアットに移籍しました。
|
|
ミニカーはブルム製で、1992年頃発売されました。1954年のスペイン GP で優勝した車(#38 ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。ブルムのビンテージ GPマシンの出来ばえは1980年代前半に作られた初期物と比べると、この553 F1はスポークホイールの出来ばえやタイヤへのホワイトレター表示など仕上げがレベルアップしています。555 F1はマテル、ブルムなどがモデル化しています。625 F1はマテル、カルツォなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
|
![]() ![]() 以下は1989年に発売されたブルム製のフェラーリ 555 F1 1955 (1/43 型番R196)の画像です。1955年のオランダ GPで7位となった車(#2 ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。553 F1と見た目はほとんど同じですが、張り出したボディ側面の前面に整流版が追加されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1726 |
|
LANCIA FERRARI D50 1955 ITALY |
|
![]() BRUMM R076 1/43 91㎜
実車諸元 画像参照
ランチア フェラーリ D50 イタリア 1955
ランチアはF1に進出することを計画し、1954年にD50が登場します。開発はアルファ ロメオでP2/P3を設計し、1937年にランチアに移籍したヴィットリオ ヤーノが担当、彼らしい先進的な設計を行っています。ドライブシャフトがドライバーの左側を通るように、エンジン(DOHC V型8気筒2.5L)を斜めに配置することで、ボディ全高を下げて空気抵抗を下げています。またエンジンをシャーシと一体化しボディ剛性を上げています。燃料タンクはボディ左右に張り出したポンツーン内に収め、このポンツーンは空力的な効果もありました。そんな訳でD50は当時のF1としてはユニークなスタイルをしています。
D50のデビュー戦は1954年スペインGPで、メルセデス ベンツ W196が勝利したレースでしたが、A.アスカリのドライブでポールポジションと最速ラップタイムを記録しD50は能力の高さを示しました。1955年モンツァ サーキットのテスト中にA.アスカリが事故死しました。エースドライバーを失ったことと資金難からランチアはF1を撤退することになりました。D50についてランチア、フィアット、フェラーリで交渉が行われ、D50がフェラーリに移譲され、フィアットがフェラーリに資金援助することとなりました。そんな訳でD50は フェラーリ (ランチア) D50となり、V.ヤーノら技術陣はフェラーリに移籍しました。
|
|
ミニカーはブルム製で、1982年頃発売されました。1956年のイギリスGP 優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。1956年式ですからフェラーリに移譲された後のランチア D50です。サイドポンツーンを持つユニークなスタイルが良く再現されています。ブルムのD50にはノーズの形状が異なる2タイプがあり、バリエーションが数種類あります。(画像はノーズコーン的なものが付いたノーズがやや長いタイプです) これ以外ではマーキュリーの当時物、マテル、イクソなどがあり、移譲される前の1955年式D50 モナコGP仕様をノレブがモデル化しています。 |
|
![]() ![]() |
|
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1737 |
|
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2022 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.