Sorry Japanese Only
オースチン ヒーレー スプライト MK I イギリス 1958年
前述したオースチン ヒーレー(ビッグヒーレーと呼ぶ)に対してスモールヒーレーと呼ばれたヒーレー スプライトは、MGのような小型スポーツカーで安価な車を目指して開発され、1958年に登場しました。コストを下げるために、BMCで最も安価なオースチン A35からエンジンやサスペンションなどの基本パーツを流用していました。4気筒948cc(43HP)エンジンは非力ながらも、640kgの軽量モノコックボディ故に最高速は130km/hとそこそこ高性能でした。また小型スポーツカーに造形が深いイギリス流の優れた設計で、小さいながらも優れた操縦性のスポーツカーに仕上がっていました。1961年までに約5万台が生産されました。
特徴的なヘッドライトの形状から日本ではカニ目、アメリカではバグアイ(虫の目)、イギリスではフロッグアイ(カエルの目)とあだ名されていました。スプライトは1961年にMK IIにモデルチェンジして一般的なヘッドライトに変わりました。このMK IIは同じBMCグループのMG ミジェットの姉妹車でもありましたので、両車はまとめてスプリジェットと呼ばれることがあります。 (実車画像→ オースチン ヒーレー スプライト MK II 1962)
ミニカーは1999年頃に発売されたディテールカー製です。プロポーションが良く特徴的なカニ目がうまく再現され、実に愛嬌のあるミニカーに仕上がっていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部もそこそこ良く再現されています。バリエーションでオープントップ仕様のスパイダーもありました。これ以外のスプライト MK Iのミニカーは、このディテールカーのOEMであると思われるソリド、イクソ、エブロ、スパーク、国産名車コレクションなどがあります。なお実車が登場した時期が古いので、スプライト MK Iの当時物ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=876
オースチン A40 ファリーナ カントリーマン イギリス 1959年
1958年にオースチン A35の後継車としてA40 ファリーナが登場しました。A35のシャーシにピニンファリーナがデザインしたボディを載せていました。エンジンはA35と同じ948cc(34HP)で、4段変速で最高速113km/hの性能でした。当初は2ドアセダンだけでしたが、1959年には上下2分割式テールゲートを持つカントリーマンが追加され、その機能的なデザインはハッチバック車の元祖とされています。
1961年にフロントグリルを変更してMK IIに発展し、1967年まで生産されました。MK IとMK IIの総生産台数は約34万台でした。テールフィン的なリアエンドを持つこのピニンファリー デザインは好評だったそうで、ADO16シリーズなどその後のBMC車にも使われました。
なおA40という名前の車は、それ以前にも1947年登場のA40 デヴォン、1952年登場のA40 サマーセット、1954年登場のA40 ケンブリッジなどがありました。この40というのはエンジンの馬力がおよそ40HPという意味で、それらは同じエンジンを搭載していました。
ミニカーは2010年に発売されたのバンガーズ製です。バンガーズは老舗コーギーのブランドで、昔のコーギーを感じさせる少しレトロな作風になっています。このA40もプロポーションが良く、実車の雰囲気をうまく再現したシンプルで良質なミニカーに仕上がっていました。安価ながらもエッティング材のワイパーを使い、そのワイパーがほとんど目立たないのもこのブランドの良いところです。A40の当時物ミニカーはコーギー、スポットオンなどがありました。当時物以外ではオックスフォードのMK IIがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=765
モーリス ミニ マイナー イギリス 1959年
1956年に第2次中東戦争(スエズ動乱)が勃発し石油価格が高騰しました。この状況に対応した経済的な新しいコンセプトの小型車として、BMCの開発コードでADO15(ADO :Austin Design Officeの略)と呼ばれたミニが開発されました。ミニは1959年にオースチン セブンとモーリス ミニ マイナーの名前で登場しました。1962年にオースチン セブンは オースチン ミニに、1967年にモーリス ミニ マイナーはモーリス ミニに名称変更されました。また1968年にBMCとレイランドの合併でBMCがBLMCになると、モーリスとオースチンの区別が無くなりました。
ミニはそれまでになかった2ボックス スタイルの斬新な小型車で、それを実現したのは横置きエンジンによる前輪駆動方式とゴムを用いたラバーコーン サスペンションでした。BMCの主任技術者アレック イシゴニスはエンジンの下にギヤボックスを配置するというイシゴニス方式を考案し、この方式で実用車に4気筒エンジンを横置き搭載した前輪駆動車はミニが世界初でした。オースチン製の4気筒848cc(34HP)エンジンを搭載し、約650kgの小型軽量ボディで4段変速、最高速125km/hの性能でした。1961年にジョン クーパーがチューンした4気筒997cc(55HP)エンジンを搭載し、ディスクブレーキを備えたBMC ミニ クーパーが登場しました。1963年にはさらに高性能な1071cc(70HP)エンジンとブレーキを強化したミニ クーパー Sが追加されました。
ミニカーはディンキー(英)の当時物で、1966年に発売されました。1/43より少し大きめの1/40でプロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現されていました。金属製パーツのフロントグリルなど少しごついですが、その辺がディンキー(英)らしいところでした。ディンキー(英)は同じ型を流用したポリス仕様やワゴンのトラベラー/商用バンもモデル化していました。これ以外の当時物ミニカーはコーギー、スポットオン、ポリトーイなどがありました。当時物以外ではビテス、ブレキナ、コーギー、エリゴール、エブロ、イクソ、京商、ノレブ、オックスフォード、シュコーなど様々なサイズで非常にたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=767
オースチン セブン (ミニ) イギリス 1959年
1956年に第2次中東戦争(スエズ動乱)が勃発し石油価格が高騰しました。この状況に対応した経済的な新しいコンセプトの小型車として、BMCの開発コードでADO15(ADO :Austin Design Officeの略)と呼ばれたミニが開発されました。ミニは1959年にオースチン セブンとモーリス ミニ マイナーの名前で登場しました。ミニという名前は先に成功していたモーリス マイナーのMINOR(ラテン語でより小さいの意)に対して、さらに小さいという意味を込めてラテン語で最小を意味するMINIMUSから付けたそうです。
またオースチン版のオースチン セブンという名前(SE7ENと表記されることがある)は戦前の傑作小型車セブンにちなんだものでした。1962年にオースチン セブンは オースチン ミニに、1967年にモーリス ミニ マイナーはモーリス ミニに名称変更されました。また1968年にBMCがBLMCになると、モーリスとオースチンの区別が無くなりました。
モーリスとオースチンはフロントグリルの形状とボンネット/トランクのエンブレムが違っていました。フロントグリルの違いはオースチンが9本の波形横バーで構成されるのに対して、モーリスは7本の縦バーと10本の横バーの格子で構成されていました。簡単にいうとフロントグリルの縦バーが明確に目立つのがモーリスです。(実車画像→ モーリス ミニ マイナー)
ミニカーはビテス製で1992年頃に発売されました。ウインドスクリーンにワイパーやバックミラーを一体化表現したややレトロな作風ですが、プロポーションが良く実車のシンプルな雰囲気がうまく再現されていました。これはオースチン セブンですがビテスはモーリス ミニ マイナーも発売していて、グリルとエンブレムがちゃんと作り分けてありました。ビテスは他にも左ハンドル仕様やラリー仕様などのバリエーションをたくさん出していました。オースチン セブンの当時物ミニカーはコーギー、スポットオンなどがありました。当時物以外ではマッチボックス、コーギー、バンガーズ、エブロ、サンスターの1/12などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=768
AEC ルートマスター ロンドン 2階建てバス イギリス 1959年
前述したタクシーと並んでロンドンの風物詩として有名なのが2階建てバスです。ルートマスターはAEC(Associated Equipment Company)社が製造していた2階建てバスのブランドです。2階建てバスはロンドン市内の路面電車やトロリーバスの代替として開発され、1939年にAEC リージェント III RT 2階建てバスが登場しました。このAEC ルートマスター 2階建てバスはリージェント III RTの後継車で1958年に登場しました。大きさは標準のRM型で全長8.4mX全幅2.4mX全高4.4mと日本の中型バス程度ですが、高さはかなり高く日本では公道を走れません。(長距離バスのRML型は全長が9.1mでした)
定員は1階28人2階38人の計64人です。6気筒9.6L(115HP)ディーゼルエンジンを搭載し、最高速50km/h程の性能でした。約2800台がロンドン市内で使われたそうです。運転席の左横にエンジンが配置されており、後部にオープンデッキ方式の出入り口があり、昔懐かしい車掌さんが乗車していました。このバスは構造的に運転手が料金精算を行うワンマンバス化が難しいので、車掌さんがずっと乗っていたそうです。
車体の老朽化、排出ガス規制の強化、オープンデッキ方式の安全性の問題などで2005年頃に退役し、現在は一部が記念品として運行されているそうです。2005年頃まで運行していたとは驚きましたが、古い物を大事にするお国柄なんですね。 2011年にライトバス(WRIGHTBUS)社が製造するニュー ルートマスター バスが新型のロンドン バスとして登場しました。ディーゼルエンジンと電気モーターのハイブリッドバスで基本的なデザインはAEC ルートマスターを継承していました。(実車画像→ ニュー ルートマスター バス)
ミニカーは1964年に発売されたコーギー製の当時物です。良く知られているロンドンバスの雰囲気がうまく再現されていて、とても良く出来ていました。室内もそこそこ良く再現されていて、運転手さんと車掌さんのフィギュアが付いています。発売後11年間も作られていたロングセラーのミニカーで、多くのバリエーションがありました。このミニカーの縮尺ははっきりしなくて1/65としているWEBサイトもありますが、全長8.4mで計算してみると1/72ぐらいになり、全幅のサイズもそれぐらいとなっていますので、1/72とするのが正しいと思われます。(ただしビンテージミニカーは縮尺通りに厳密に作ってある訳ではないので、おおよその目安です) これ以外のロンドンバスのミニカーはディンキーの当時物、トミカの1/86、イクソの1/43、オックスフォードの1/148、タイニー(TINY)の1/110などたくさんあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)