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オースチン FX3 タクシー イギリス 1948年
タクシーのような旅客輸送サービスは馬車時代から存在し、非常に長い歴史があります。タクシーには料金を計算するメーターが付いていますが、車軸の回転を検出する方式の原始的な物が古代ローマ時代には既に存在していたようです。この機械はTaxameter(Taxaはラテン語で税/料金を徴収する意)と呼ばれ、このTaxameterがTaximeterとなりそれを装備した車をTaxi(タクシー)と呼ぶようになった訳です。
ガソリンエンジン式自動車で最初のタクシーは1896年のダイムラーで、この車には近代的なタクシーメーターが備えられていました。その後多くの自動車メーカーがタクシー用車両を生産するようになりました。(昔は王侯富豪クラスしか車を所有していなかったので、一般人が乗るのはタクシーでした) 第2次大戦以前はまだ馬車タクシーが健在でした。その時代の自動車のタクシーとしてはフランスではルノーやユニックのタクシー、イギリスではオースチン 12/4をベースとしたローローダー(1934年)が知られています。(実車画像→ オースチン 12/4 ローローダータクシー)
イギリスでは旅客運送を管轄するPCO(Public Carriage Office)がタクシー業務の許認可を行っており、厳しいテストに合格しないとタクシーの営業ができません。第2次大戦後ロンドンでは馬車タクシーが廃止され、PCOの審査に合格した自動車だけがタクシーとして認可され、1947年に独特の黒い箱型ボディで知られているロンドンタクシーが登場しました。
ミニカーがモデル化しているのは初代のロンドンタクシーとして知られるオースチン FX3で、FXとFX2という先行車両でのテスト後に完成されたタクシーでした。運転席の左側はドアが無く大型荷物を搭載するスペースとなっていました。またそのスペースの上にある銀色の箱がタクシーメーターです。車体は4.4mX1.71mと大型で、山高帽をかぶったままでの乗降と着座が可能というPCOの基準を満たす為、全高は1.8mもあり室内はかなり広いです。4気筒2.2L(52HP)エンジンを搭載し最高速88km/hの性能でした。ディーゼルエンジンやオートマティック ミッションが追加され、1958年までに約7000台が生産されました。(以外と少ないのは、タクシー認可が厳しいからでしょうか?)
ミニカーはミニカー付雑誌の草分けだったデルプラド製 カーコレクション シリーズの物で2002年に発売されました。メーカーはアメリカのERTL(アーテル)です。特に凝ったところはありませんが、プロポーションが良く実車がうまく再現されていて、このシリーズのなかでは良く出来ていました。これ以外のFX3のミニカーはディンキーやマッチボックスのビンテージ物しかないので、車種的には貴重です。FX3以前のオースチン 12/4 ローローダーはオックスフォードがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン A135 プリンセス イギリス 1952年
小型車オースチン セブンで成功したオースチン社は、戦前のイギリスでは最大の自動車メーカーでした。戦後の1952年にライバルのモーリス社と合併してBMC(British Motor Corporation)社が誕生しました。オースチンが高級車シアライン(SHEERLINE)をベースにして開発した最上級車がプリンセスで、1947年に最初のオースチン プリンセス A120が登場しました。プリンセスは子会社であったコーチビルダー バンデン プラが重厚なセダン/リムジーンボディを架装しており、主に冠婚葬祭などに使われ、バンデン プラのブランド名でも販売されました。(リムジンはDM、サルーンはDSと呼ぶようです) 1952年にはより長いボディと 7座席を備えた全長5.4mのロング ホイールベース版が追加されました。
プリンセスは6気筒3.5L/4L(130HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速140km/hの性能でした。MK I(A120)、MK II(A135)、MK IIIとバージョンアップして1956年まで生産されました。1956年にはMK IVが登場し、エンジンが150HPにパワーアップしGM製の自動変速機が装備されました。外観もフロントグリルやヘッドライトのデザインが変更されていました。MK IVは1959年に生産中止となり、後継車として大幅に小型化されたバンデン プラ プリンセスが登場しました。(実車画像→ オースチン プリンセス MK IV)
ミニカーは2010年に発売されたオックスフォード製です。オースチン A135 プリンセスのロングホイールベース版のリムジンをモデル化しています。実車がでかいので、このミニカーも全長126mmの大きなサイズで迫力があります。ロールスロイスなどイギリスの古い高級車に見られる、トランクが張り出した独特のリムジーン スタイルが良く再現されています。フロント グリル周りはA135型の雰囲気がよく再現されていると思います。特に先端についているマスコットは多少ずんぐりしていますが、ベントレーのマスコットに似た形状までよく再現されています。室内はリムジーンの3列シートで、メーターパネルは茶色ですが、黒一色の内装の仕上げはやや芸がないです。ボディカラーはこの黒以外に赤もありましたが、やはりこの車は黒がおすすめです。この車が量産品ミニカーとしてモデル化されたのは、これが最初だと思いますので、イギリスのビンテージカーのファンにはたまらないミニカーだと思います。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン A35 イギリス 1956年
戦前の名車オースチン セブンで有名なオースチン グループは第2次世界大戦中は自動車と軍用機の生産に従事していました。戦争が終わると1945年には4気筒2.2L(67HP)OHVエンジンを搭載するオースチン 16を発表し生産を再開しました。1947年には6気筒3.5(110HP)/4L(127HP)エンジンを搭載する大型車のオースチン A110/125が登場しました。16もA110/125も戦前型の古いデザインの車でした。(実車画像→ オースチン 16)
(実車画像→ オースチン A110/125)
1950年に小型車オースチン A30が登場しました。モノコック構造のボディに前輪独立懸架、新開発の4気筒803cc(28HP)エンジン、最高速100km/hとライバルのモーリス マイナー同様に革新的な設計の車でした。当初は4ドアセダンだけでしたが、2ドアセダンやワゴン/商用バンが追加され、1956年には排気量が948cc(34HP)に拡大されA35となりました。 1958年にA40 ファリーナにモデルチェンジしましたが、商用バンは1968年まで生産されました。総生産台数は約28万台でした。
1952年にオースチン グループはモーリスと合併しBMC(ブリティッシュ モーター コーポレーション)となりました。当時のオースチンにはA40 サマーセット(4気筒1.2L)、A70 ヘレフォード(4気筒2.2L)、プリンセス リムジーン(6気筒4L)などがありました。なおこのA40は当時の日産自動車がライセンス契約で日産 オースチンとしてノックダウン生産していました。(実車画像→ オースチン A40 サマーセット)
ミニカーは2002年頃に発売されたコーギー製です。マニア向けの「MOTORING MEMORIES」というシリーズの1台でした。前述したモーリス マイナーと同じような1960年代のコーギー製を思わせるようなレトロな造形で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。実車のユーモラスな感じの顔付が少し誇張されていますが、この辺の味付けはコーギーならではのもので、私はこのような少しレトロなミニカーが好きです。A30/35の当時物ミニカーはディンキーのビンテージ物がありました。最近の物ではバンガーズ、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー 100 BN2 イギリス 1956年
自動車エンジニアのドナルド ヒーレーがオースチンのエンジンを用いてスポーツカーのプロトタイプを製作し、それをBMCのオースチン部門が引き継いで量産化したのがオースチン ヒーレーの始まりでした。最初のモデル 100(BN1)は1953年に登場しました。オースチン A90の4気筒2.7L(90HP)エンジンを搭載した2座のオープンカーで、3段変速で最高速172km/hの性能でした。100という名前は最高速100マイル/h(160km/h)が可能であることを意味していました。
1955年のマイナーチェンジで100 BN2となり、4段変速機が採用されフロントのホイールアーチが少し大きくなりました。1956年にエンジンを6気筒2.6L(102HP)に切り換え、ホイールベースを延長し2+2座とした100/6(BN4)に発展しました。可倒式であったフロントスクリーンが固定され、ボンネットにはエアダクトが追加されました。1958年には2座の100/6(BN6)が追加されました。ヒーレー 100はMGと同じくアメリカ市場で人気を博し、1959年までに約3万台が生産されました。限定生産の高性能版として110HPエンジンを搭載した100M、アルミ製ボディで軽量化し132HPエンジンを搭載した100Sがありました。1953年ルマンに参戦するなどレースでも活躍しました。 1959年にヒーレー 3000にモデルチェンジしました。
ミニカーはマッチボックス傘下でマニア向けとして復活させたディンキー製で1992年頃に発売されました。マイナーチェンジしたオースチン ヒーレー 100 BN2をモデル化しています。フロントフェンダーの雰囲気が少し違うような感じもしますが、豪快なイメージのこの車をそこそこうまく再現していました。当時のミニカーとしては、まずまずの良い出来ばえでした。ヒーレー 100の当時物ミニカーとしては、コーギー、ディンキー、テクノなどがありました。当時物以外では、ビテス、京商の1/18、ホンウェル、オックスフォード、スパーク(レジン製)の100Sなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オースチン ヒーレー スプライト MK I イギリス 1958年
前述したオースチン ヒーレー(ビッグヒーレーと呼ぶ)に対してスモールヒーレーと呼ばれたヒーレー スプライトは、MGのような小型スポーツカーで安価な車を目指して開発され、1958年に登場しました。コストを下げるために、BMCで最も安価なオースチン A35からエンジンやサスペンションなどの基本パーツを流用していました。4気筒948cc(43HP)エンジンは非力ながらも、640kgの軽量モノコックボディ故に最高速は130km/hとそこそこ高性能でした。また小型スポーツカーに造形が深いイギリス流の優れた設計で、小さいながらも優れた操縦性のスポーツカーに仕上がっていました。1961年までに約5万台が生産されました。
特徴的なヘッドライトの形状から日本ではカニ目、アメリカではバグアイ(虫の目)、イギリスではフロッグアイ(カエルの目)とあだ名されていました。スプライトは1961年にMK IIにモデルチェンジして一般的なヘッドライトに変わりました。このMK IIは同じBMCグループのMG ミジェットの姉妹車でもありましたので、両車はまとめてスプリジェットと呼ばれることがあります。 (実車画像→ オースチン ヒーレー スプライト MK II 1962)
ミニカーは1999年頃に発売されたディテールカー製です。プロポーションが良く特徴的なカニ目がうまく再現され、実に愛嬌のあるミニカーに仕上がっていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部もそこそこ良く再現されています。バリエーションでオープントップ仕様のスパイダーもありました。これ以外のスプライト MK Iのミニカーは、このディテールカーのOEMであると思われるソリド、イクソ、エブロ、スパーク、国産名車コレクションなどがあります。なお実車が登場した時期が古いので、スプライト MK Iの当時物ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)