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BMC ミニ クーパー S 1275GT マニフィーク イギリス 1967年
レーシングカーを開発していたクーパー社のジョン クーパーがチューンした4気筒997cc(55HP)エンジンを搭載し、ディスクブレーキを備えたBMC ミニ クーパーが1961年に登場しました。1963年にはさらに高性能な1071cc(70HP)エンジンとブレーキを強化したミニ クーパー Sが追加されました。ミニ クーパーは1967年まで生産され総生産台数は約12000台、ミニ クーパー S(1071cc)は1964年のモデルチェンジまでに約4000台が生産されました。 1964年にミニ クーパー Sは量産型にモデルチェンジして、970㏄(65HP)と1275cc(76HP)エンジンの2タイプとなりました。970ccモデルは1965年に生産中止となり生産台数は約1000台、1275㏄モデルは1971年まで生産され生産台数は約40000台でした。ミニ クーパー Sなどの高性能ミニはモンテ カルロ ラリーで3度総合優勝するなどラリーで大活躍しました。
標準仕様のミニは1967年にMK IIに発展し、標準エンジンは998ccと1275ccの2種類となりました。外観上の変更はフロントグリルが6角形に、テールランプが大きな角型となり、リアウィンドーが左右に拡大されました。1969年にMK IIIに発展し、むき出しだったドアのヒンジが内蔵され、サイドウィンドーがスライド式から巻き上げ式に変わりました。MK IIIと同時にフロントのデザインを大幅に変更したクラブマンも追加されました。クラブマンはデザインなどが不評で1980年には生産中止となりました。ミニは1976年にMK IV、1984年にMK V、1990年にMK VI、1996年にMK VIIに発展し外観やメカに大きな変更がないままで、2000年まで生産され総生産台数は530万台でした。
ミニのミニカーは当時物がたくさんありましたが、これは1968年に発売されたコーギー製のミニ クーパー S (MK II 1275GT)です。コーギーはミニの当時物ミニカーを20種類ほどモデル化していましたが、これはその中でもボンネット/ドア/トランク/スラインディングルーフが可動するギミック満載の一番凝ったミニカーでした。車名のマニフィーク(MAGNIFIQUE)とはフランス語で「素晴しい」という意味ですが、最上級仕様ということではないか?と思います。リアにはエンジン排気量を示す1275のロゴが表示されています。縮尺は1/41で標準的な1/43より少し大きめのサイズとなっていました。ミニ独特の雰囲気を大きめのヘッドライトなどコーギー流のデフォルメでうまく強調していて、「コーギーのミニ」といわれる独特の魅力があります。なおこのミニカーのギミック動作は別のページにまとめてありますので、是非ご覧ください。(参照ページ→コーギーのミニ クーパーのギミック) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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BMC ミニ クーパー S モンテ カルロ イギリス 1967年
レーシングカーを開発していたクーパー社のジョン クーパーがミニの優れた操縦性に目をつけ、BMCにスポーツ仕様の販売を提案し1961年に登場したのがミニ クーパーでした。オリジナルの848cc(34HP)をチューンした997cc(55HP)エンジンを搭載し、ディスクブレーキを備えていました。ラリーに参戦するため、当時のグループ2規格の認証に必要な台数(500台)がまず生産されました。1963年にはさらに高性能な1071cc(70HP)エンジンを搭載しブレーキを強化したミニ クーパー Sが追加され、さらに1964年には1275cc(76HP)エンジンも追加されました。
ミニ クーパーは様々なレースやラリーで大活躍していますが、ミニ クーパーの名前を最も有名にしたのはモンテ カルロ ラリーでの活躍でした。1961年に初参戦し、1963年には3位(#288号車)入賞しています。1964年に初優勝(#37号車)し、1965年も優勝(#52号車)して2連覇しました。1966年も#2号車が勝利をほぼ手中にしていたのですが、ヘッドライトのレギュレーション違反で失格となり3連覇を逃しました。翌1967年は前年の失格に対する抗議でBMCはワークスチームを出しませんでしたが、プライベートチームをサポートして3度目の優勝(#177号車)を果たしました。1968年も3位(#18号車)入賞しています。
ミニカーは1997年に発売されたコーギー製の当時物です。ミニのミニカーは非常にたくさんあります。当時物としては老舗コーギーがリアルタイムに発売していた物がありました。最初は型番317の1964年仕様、次に型番321の1965年仕様、3台目が同じ型番321の1966年仕様、4台目が型番339の1967年仕様となります。特にこの1967年仕様(型番339)はエンジンのアンダーガード、フロントバンバーガード、屋根上のスペアタイヤなど(実車と全く同じではないですが)ラリー仕様らしい外観となっていました。実車に比べるとライト(ラインストーン:カットされたガラス球)がやや小さいように感じますが、後にラインストーンを大きくしたバリエーションが発売されました。同じ型でホイールをフリーホイールに変えたものが型番308で1972年に発売されました。型番339は約70万台も生産されているので現在でもたまにオークションなどで見かけますが、型番339以外のコーギーのモンテ カルロ ラリー仕様はいずれもかなりのレア物です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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バンデン プラ プリンセス 1300 イギリス 1967年
バンデン プラ社は1898年創業のベルギーの馬車車体製造会社(コーチビルダー)でした。同社のイギリス支社はロールス ロイスやベントレー等の車体製造を行っていましたが、第2次世界大戦後はオースチン社に吸収されオースチン A135 プリンセスなど高級車のボディ製造を担当していました。
ADO16シリーズの4番手としてバンデン プラ プリンセス 1100が1963年に登場しました。さらに1965年にウーズレー 1100とライレー ケストレル 1100が登場し、全部で6ブランドのADO16が設定されました。バンデン プラ プリンセスはウォールナットや本革の内装を持つ高級車で、ミニ ロールス ロイスと呼ばれていました。ウーズレーはバンデン プラ プリンセスに次ぐ高級車で、ライレー ケストレルはMG 1100と同じエンジンを搭載するウーズレーのスポーティ仕様でした。ADO16は1968年にMK IIに、1972年にMK IIIに発展し、バンデン プラ プリンセスは1974年まで生産され、1975年にオースチン プリンセスにモデルチェンジしました。
ミニカーは2000年に発売されたビテス製です。ADO16シリーズのバンデン プラ プリンセス 1300(1967年に追加された1.3Lエンジン搭載)をモデル化しています。ビテスのADO16シリーズは何れも良い出来ですが、このバンデン プラ プリンセスもリアルなフロントグリルやホイールキャップだけではなく、ウォールナットの木目を使った室内や後席のワイングラスを載せたキャビネット テーブルまでもが再現されているなど、ずいぶん凝っていました。(ミニ ロールス ロイスと呼ばれた豪華な内装を再現しているのです) ビテスはウーズレー 1100とライレー ケストレル 1100もモデル化していましたので、ADO16シリーズの6ブランドを全てモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロールス ロイス シルバー シャドウ 2ドア サルーン イギリス 1967年
ロールス ロイス シルバー シャドウには1967年にセミカスタム仕様で2ドアサルーン(クーペ)と、まだ残っていたコーチビルダーが架装するコンバーチブルが追加されました。またホイールベースを100mm程長くしたロングホイールベース版も追加されました。1970年にはエンジン排気量が6.8Lに拡大され、自動変速機がGM製のターボ ハイドラマティック3段式に切り替わりました。(GMの自動変速機は当時世界で最高の品質だったのです) シルバー シャドウは年間約2000台(ベントレー T含む)が生産され、ロールス ロイスとしては最も多く製造されました。
1977年にはサスペンションの改良、室内のデザイン変更、バンパーの大型化、オートエアコン標準装備などの改良が行われ、シルバー シャドウ IIとベントレー T2に発展しました。またロングホイールベース版はシルバー レイスの名前が復活しシルバー レイス IIとなりました。シルバー シャドウ IIは1980年まで生産され、シルバー スピリット(SPIRIT)にモデルチェンジしました。シルバー シャドウの総生産台数は約3万台(ロングホイールベース版 約5千台)でした。(実車画像→ ロールス ロイス シルバー スピリット)
ミニカーは1970年に発売されたコーギー製の当時物です。前述したディンキーが先にシルバー シャドウ 4ドアサルーンを作っていたので、コーギーは2ドアサルーンをモデル化したようです。コーギーの最盛期に作られたこのミニカーは実車の雰囲気をうまく再現していて非常に出来が良かったです。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンや室内などの細部も良く再現されています。(ステアリングホイールが金メッキされているのは、当時のコーギーのミニカーの特徴でした) さらに初期物にはタイヤ交換ギミックが付いていました。なお後期型はこのタイヤ交換ギミックが外され、ホイールが安っぽいフリーホイールに変更されたので、いまいちの出来ばえになりました。なおロールス ロイスのミニカーはどのメーカーも力の入れ方が違うようで、あまり出来の悪い物はありませんでした。これ以外のシルバー シャドウ クーペ/カブリオレのミニカーはマッチボックスのコンバーチブル、メーベトイのクーペ、パラゴンのクーペ 1/18などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ TR5 イギリス 1967年
1961年にトライアンフ TR3はミケロッティのデザインによる新しいボディのTR4にモデルチェンジしました。ラダーフレームによる旧式なシャーシはTR3と同じながら、トレッドが拡大されラック&ピニオン式ステアリングが採用されました。エンジンは2.1L(100HP)に拡大され、最高速176km/hの性能でした。巻き上げ式のサイドウインドウなど居住性は向上したものの、TR4はライバルのMGBなどに比べると操縦性や乗り心地が見劣りするようになっていました。
1965年にリアを独立懸架に変更し乗り心地を改善したTR4Aに発展しました。1967年にはエンジンを燃料噴射式の6気筒2.5L(150HP)に強化して性能を向上したTR5となりました。1969年にはボディを一新してこのシリーズ最終型のTR6にモデルチェンジしました。TR4/5は約8万台が生産され、アメリカを中心とする世界各国に輸出されました。 トライアンフは1960年にレイランド グループの傘下となり、1963年にはスタンダード ブランドが消滅し、1967年にはブリティッシュ レイランドに統合されました。
ミニカーは1985年に発売されたエリゴール製です。TR5の独特のデザインがうまく再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ドア/ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンは簡素なモールドで再現され、室内はそこそこ良く再現されていました。なお初期のエリゴールのミニカーはノレブのプラスチック製ミニカーの型を流用したものが多いのですが、これもノレブの型番144を流用したものでした。(ただしエリゴールはプラスチック製ではなくダイキャスト製です) TR4/5の当時物ミニカーはそのノレブのプラスチック製だけしかないようで、当時物以外ではバンガーズ、オックスフォード、スパーク(レジン製)などがあります。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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