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フェラーリ 512S モデューロ ピニンファリーナ イタリア 1970年
フェラーリ 512S モデューロは1970年のジュネーブ ショーで公開されたコンセプトカーでした。前述したフェラーリ 512S ベルリネッタと同じピニンファリーナによるミドシップ スポーツカーで極めて未来的なデザインでした。ドアはなくキャビン上部がキャノピー式に前にスライドして開閉し、ヘッドライトはリトラクタブル式でした。MODULO(イタリア語でモジュールの意)という名前は、上下左右に分割したモジュールの組合せでボディを構成するといったこの車のコンセプトを意味していました。公開されたコンセプトカーは2シーター クーペでしたが、キャノピーを取り外せばオープンカーとなり、2シーターのモジュールを4シーターのモジュールに交換すれば4シーターのリムジンになるというものでした。
このコンセプトカーはタイヤの存在を意図的に隠していたので、自動車というよりも宇宙船のような感じがしました。前輪を操舵するスペースが十分に無いようにみえるので、まともにカーブを曲がれたのかどうか疑問です。このコンセプトカーは1970年の大阪万博のイタリア館に未来の車として展示され人気を博しました。1970年に登場したモデューロでしたが、この車以上に未来的なコンセプトカーは2024年現在でも出ていないように思います。なお名前が512Sとなっていますが、実際にはカンナム レース用に開発した612Pのシャーシを使っていたとのことです。
ミニカーは1972年に発売されたマーキュリー製の当時物で縮尺1/32と大きめのミニカーでした。車高がやや高めで実車の平べったいイメージが今一つでしたが、当時のミニカーとして全体的に良い出来ばえでした。実車同様にキャビン上部キャノピーがスライドして開閉しリアパネルも開閉できました。2シーターの内装やリアパネル下のV型12気筒エンジンも良く再現されていました。この黒のカラーリングは公開された時のカラーリングを再現したものでした。(大阪万博で展示されたモデューロは白でしたが) これ以外の当時物ミニカーはポリトーイとそれをコピーしたオートピレンがありました。当時物以外ではレッドラインやミニ ミニエラのレジン製などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 512M イタリア 1971年
1969年にグループ4スポーツカー(排気量5L)の最低生産台数が50台から25台に緩和され、排気量の大きいグループ4がプロトタイプより有利になりました。そこでフェラーリはグループ4の512Sを1970年に登場させました。512Sの構造は前述した312Pとほとんど同じで、DOHC V型12気筒5L(550HP)エンジンを搭載し、ボディはクーペ、高速レース用ロングテール クーペ、スパイダーがありました。512Sのデビュー戦は1970年デイトナで、ポルシェ 917に次ぐ3位となりました。ただ1970年はポルシェ勢に勝つことが出来ず、セブリングで1勝しただけでした。(実車画像→ フェラーリ 512S)
1970年後半にはボディを軽量化し、エンジンを610HPにパワーアップした512Mが登場しました。デザインも低いノーズと緩やかな傾斜のリアカウルに変わりました。512Mは1970年南アフリカのキャラミ 9hでポルシェ 917を制して初優勝しました。1971年になるとポルシェ 917Kが圧倒的に強くなりレースが成立しなくなった為、1972年からは耐久レースは排気量3Lまでのオープントップ プロトタイプカーで行われることになりました。これを受けてフェラーリ 512Mでのワークス活動は中止され、512Mはプライベーターに売却されました。1971年ルマンではプライベーターの512Mがポルシェ 917に次ぐ3-4位となりました。
1972年から始まった排気量3Lの耐久レース世界選手権に合わせてフェラーリは1972年に312 PBを開発しました。312 PBは512MのボディをCAN-AMマシン風に変更し、エンジンは312B F1用の180度V型12気筒3Lエンジンを耐久レース用にデチューンして搭載していました。312 PBは1972年のレースでは出場しなかったルマン以外で全勝し、マニファクチャラーズとドライバーズ タイトル(J.イクス)を獲得しました。1973年はモンザなどで2勝し善戦しましたが、マトラにマニファクチャラーズ タイトルを奪われました。250Pから312PBに至るフェラーリのスポーツカーレースのワークス活動はこの1973年で終了し、以後はF1に専念することになりました。この間に製作されたレースカーは約70台ほどということでした。有名な車が多い割には台数が少ないですが、当時のフェラーリは中小企業レベルで予算が限られていたので、同じ車を改造して何度も使っていたそうです。
ミニカーは1995年に販売されたブルム製です。1971年のルマン出場車(結果4位)をモデル化しています。この512Mは全体的に少しごつい感じですが、ホイールなどの細部はそこそこリアルで、当時のミニカーとしては結構良くできていました。ブルムは512Sと512Mを約10種類ほどモデル化しています。512の当時物ミニカーはソリドの512Sと512M、ポリトーイの512Sなどがあり、当時物以外ではイクソ、マテル、テクノモデル(レジン製)の1/18などがあります。レースカーではありませんが、512Sのシャーシを使ったピニンファリーナのスタイリング実験車のベルリネッタやモデューロをポリトーイ、メーベトイ、マーキュリーなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ ディノ 246 GTS イタリア 1971年
1968年に登場したディノ(ディーノ)はフェラーリの市販車としてエンジンを初めてミドシップ搭載した車でした。フェラーリは12気筒エンジンが基本であったので、V型6気筒エンジンを搭載したこの車にはディノという新しいブランド名(フェラーリ ディノでは無く単にディノ)を与えました。初期モデルのディノ 206 GTのボディは総アルミ製で車重900kgと軽く、排気量2Lながら185HPのハイパワー、5段変速で最高速235km/hと高性能でした。ミドシップ エンジン方式故に、その操縦性は市販車としては並外れたものだったそうです。
ディノ 206 GTは150台ほどで生産中止となり、1969年に2.4L(195HP)エンジンを搭載したディノ 246 GTに切り替わりました。246GTは206 GTに比べるとホイールベースが少し延長され全長が85㎜大きくなり、ボディは量産しやすいスチール製となりました。その為車重も重くなりましたが、エンジンのパワーアップで動力性能はほぼ同じでした。当初は固定ルーフのGTクーペのみで、1971年にオープンルーフの246 GTSが追加されました。1974年まで生産され総生産台数は約3600台(GTSが約1300台)でした。後継車は1973年に登場したディノ 308/208 GT4でした。
ミニカーは1996年頃に発売されたバン製です。これはオープンルーフの246 GTSをモデル化していますので、リアクオーターパネルの形状が前述した206 GT(クーペ)とは違っています。屋根が開いているので、リアルに再現されたインパネなどが良く見えます。バンはディノ 206と246をモデル化していましたが、同じ型を使っていました。ディノ 206と246の外観上の違いはリアクオーターパネルの燃料給油口形状、リアパネルの排熱用排出口の数、バックアップライトの位置などがあり、全長も少しだけ違います。全長の違いは1/43サイズのミニカーでは2㎜ほどですから、それを変えていないのは特に問題ないレベルです。寸法が測り易いホイールベースをノギスで正確に測ってみると54.5㎜で、246のホイールベース寸法(2340㎜)で出来ていました。206と246の燃料給油口形状とバックアップライト位置はそれらしく変えてありましたが、排熱用排出口の数は変えていないので、これは206としては正確ではないことになります。バンのディノ 206/246はとても良い出来ばえでしたので、この点だけはやや残念です。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 365 GTC/4 イタリア 1971年
2+2シーターのファラーリ 330 GT 2+2の後継車として、リトラクタブルヘッドライトを採用してデザインを一新した365 GTC/4が1971年に登場しました。前述した365 GTB4 デイトナに+2の後部座席を追加した豪華仕様のクーペといった位置づけでした。(ただし後席は狭く子供か荷物用でしたが) ピニンファリーナがデザインした外観はデイトナに比べると柔らかい曲線で構成され大人しいシックな感じになっていました。
デイトナと同じV型12気筒4.4L(340HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速260km/hとやや大人しいチューンで、その分だけスムーズで静粛性も高かったそうです。デイトナでは変速機が後輪デフと一体化したトランスアクスルを採用していましたが、365 GTCでは変速機はエンジンと一体化していました。 派手なデイトナの陰であまり目立たず、たった1年半の期間しか生産されなかった短命車でした。総生産台数は約500台でした。後継車は実用的な4シーターとして設計された365 GT/4でした。
ミニカーは1972年に発売されたメーベトイ(マテル グラントロス)製の当時物です。アメリカのマテル傘下で「マテル グラントロス」ブランドとなったメーベトイ後期の物で、シャープな造形で実車のデザインがうまく再現されていました。(ただキャビンから上が少し大きめですが) ボンネット/ドア開閉ギミック付で、室内も当時のミニカーとしては良く再現されていました。なおこのミニカーは発売当初あまり日本国内に出回らず、入手が難しかったレアなミニカーでした。(私も発売当初に入手できず、WEBオークションで2000年頃に入手しました) 実車が短命で人気が無かった為か、365 GTC/4のミニカーは2008年にイクソがモデル化するまでこのメーベトイ製しか量産ミニカーがありませんでした。イクソ以外ではレジン製でルックスマートとテクノモデルがモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 365 GT/4 2+2 イタリア 1972年
2+2座クーペとしては中途半端であった365 GTC/4に代わり、アメリカ市場向けの豪華GTとして1972年に登場したのが365 GT/4 2+2でした。ホイールベースの延長とセダン的なデザインで、実用的なリアシーターを持つキャビン部分を確保していました。あまりフェラーリらしくないデザインの車といえますが、ピニンファリーナ製のボディはシンプルで品のあるデザインでした。V型12気筒4.4L(340HP)エンジンを搭載し、最高速245km/hの性能でした。
1975年には排気量が4.8Lに拡大され400 GTとなりました。テールライトが6灯式から4灯式に変更され、GM製の自動変速機がフェラーリとして初めてオプション設定されました。(この自動変速機仕様が多数派となっていきました) 1979年にボッシュ製のKジェトロニック型電子燃料噴射方式が採用された400iとなり、排ガス対策で310HPにパワーが低下しました。1985年には排気量が5Lに拡大され412 GTとなり、ボッシュ製のABSが装備され、1989年まで長く生産されました。365 GTC/4からの総生産台数は約2800台でした。400/412をベースにして4ドアセダンやフルオープンのカブリオレなどの特注モデルも制作されたようです。後継車は1992年に登場した458 GTとなりました。
ミニカーは2007年に発売されたイクソ製です。イクソのフェラーリ シリーズ(型番がFER***)は何れも良い出来ばえでしたが、この365 GT/4 2+2も実車の雰囲気をうまく再現した造形で、とても良く出来ていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部も良く再現されていました。2+2座と称していましたが、大人が乗れる実用的な4シーターになっていたことが室内の画像を見るとわかります。これ以外の365/400/412のミニカーとしては、マテルの1/43、ブレキナの1/87、京商の1/64、トミカリミッテドの1/64、ルックスマート(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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