Sorry Japanese Only
GM シボレー マスター デラックス クーペ アメリカ 1937年
馬車製造会社を経営していたウイリアム C デュラントは1908年にGM(ジェネラル モータース)社を設立しました。GM社はキャディラック、オールズモービルなどを買収して拡大していきました。財務の悪化で経営権を剥奪されたデュラントは1911年にシボレー社を設立し低価格の大衆車を開発しました。最初のシボレーは6気筒4.8Lエンジンを搭載したクラシック シックスで、安価ながら高性能だったので成功しました。シボレーの成功でデュラントはGMの経営者として復帰し、1916年にシボレーはGMの大衆車ブランドとなりました。
1915年にシボレーはフォード T型に対向してモデル 490(4気筒2.8Lエンジン搭載)を発表し、名前どおりの490ドル(フォード T型と同じ値段)で販売しフォード Tのシェアを奪い始めました。1923年にフォード T型より少し良い品質のシューペリア(SUPERIOR 4気筒2.8Lエンジン搭載)を発売してヒットさせ、さらに4気筒エンジン搭載のフォード A型に対して6気筒エンジンを搭載したACシリーズを1929年に発売しました。1931年にはフォード A型を抜いてシボレーはベストセラーカーとなりました。(実車画像→ GM シボレー AC シリーズ)
ミニカーはこの時代のアメリカ車をモデル化しているイギリスのブルックリン製です。ブルックリンのミニカーはホワイトメタル製でハンドメイドの少量生産品です。少量生産なのでほとんどのパーツが金属製で、手に持つとずっしりと重く存在感があります。これは1937年に登場したシボレーの上級グレードのマスター デラックス クーペをモデル化しているようです。縦長のフロントグリルや当時の流行りであった流線型ボディをうまく再現していますが、横から見ると窓が少し小さく感じます。プロポーション的には実車のイメージを強調するデフォルメがされているようです。この時代のシボレー乗用車のミニカーはフランクリン ミントやダンバリー ミントの1/24がありますが、それ以外はあまりミニカーになっていませんので、その点で貴重なミニカーだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=319
日産 (ダットサン) 70型 日本 1937年
1923年(大正12年)9月に関東大震災が発生し、当時の主要な輸送手段であった鉄道が壊滅的な被害を受けました。その為震災の復興では自動車(主にトラック)が活躍しました。この自動車需要の急増に対応したのはアメリカの自動車メーカーでした。その状況で今後も日本での需要が伸びることを予想したアメリカの自動車メーカーは、1925年にフォード日本、1927年に日本GMを設立し日本でライセンス生産を開始しました。(フォードは横浜、GMは大阪に組立工場がありました) 日本の自動車製造はまだ緒に就いたばかりでしたので、自動車の国内市場(トラック/大型車)はこの2社で独占されることになりました。
この状況に対応して、外資系のメーカーを排除して国産自動車を育成する為に1936年に「自動車製造事業法」が制定されました。この法律に後押しされて、日産がアメリカのグラハム ペイジ(Graham-Paige)社と提携し同社の生産設備を導入して製造したのが日産 70型でした。日産 70型は6気筒3.7Lエンジンを搭載する大型車でした。グラハム ペイジの図面で製造したので、外観はグラハム ペイジそのままでした。セダン以外にフェートン(幌付きのオープンカー 主に軍用)があり、約5500台が生産され国産初の量産大型車となりました。(実車画像→ グラハム ペイジ 1936)
ミニカーは1976年に発売されたリーンレプリカ製です。リーンレプリカは個人コレクターが起ち上げたブランドで、ホワイトメタル製の1/43で初期の国産車を6車種ほどモデル化していました。個人が製作していたのでコストがかけられず、ウィンドーや室内の造形が省略された簡素な作りになっています。素朴な作りですが、プロポーションが良く実車の雰囲気をうまく再現していました。カラーリングも当時の車らしい感じになっていました。日産 70型はこれしかミニカーがないので、初期の日本車のミニカーとして非常に貴重な存在です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=364
メルセデス ベンツ 770K シリーズ II (W150) ドイツ 1938年
メルセデス ベンツの最上級車メルセデス ベンツ 770K (W07)は1938年にシリーズ II(W150)にモデルチェンジしました。シャーシが全面的に新設計され、コイルスプリングによる全輪独立懸架が採用されました。V型8気筒エンジンは同じでしたが全モデルが過給機付となり230HPにパワーアップされ、5段変速で最高速は170km/hになりました。リムジンとカブリオレF(オープンツアラーとも呼ぶようです)/カブリオレDがあり、どちらにも特注の装甲仕様がありました。装甲仕様は車重が3.6tから4.8tに増加したことで、最高速は80km/hだったそうです。
770K (W150)は1943年まで生産され総生産台数は88台でした。そのほとんどはナチス政権の公用車/軍用車で個人が購入したのは数台でした。ナチス政権の上級士官がパレードに使ったのは装甲仕様がされていたと思われるカブリオレFでした。カブリオレFとは運転席と後席との間に仕切りがあるリムジーン形式の7人乗りカブリオレで、2列目シートが補助席となっていてパレードなどに使いやすいタイプを示すようです。カブリオレDも同じ形式ですが2列目シートがない5人乗りです。派生車として後輪を2軸にしたオフロード仕様のG4 (W31)がありました。
ミニカーは1960年代に発売されたリオ製です。770K(W150)のカブリオレFをモデル化しています。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていて、初期のリオ製ミニカーを代表的する傑作です。ボディ後方の畳んだ幌が目立ちますが、ドイツは寒いお国柄故に幌が分厚いので畳んでもこのように大きくかさばるのです。ボンネットを外すと8気筒エンジンが再現されていて、床下部分のシャーシも実際にコイルで吊った独立懸架サスペンションを再現しているなどかなり凝ったつくりとなっています。これ以外にもリオはフィギュアを付けたナチス政権時代の公用車など約20種類の770Kのバリエーションをモデル化しています。(参照ページ→ VIPCAR ドイツのVIPCAR) 770K(W150)のミニカーといえば以前は戦前のメルクリンの超レア物とこのリオ製とフランクリン ミントの1/43ぐらいしかありませんでしたが、最近になってヤトミンのシグネチャー シリーズの1/18でもモデル化されました。(770K W150はナチス政権の車というイメージがあるので、あまりモデル化されないのです) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=218
メルセデス ベンツ W154 ドイツ 1938年
1938年に新しい3Lフォーミュラ(過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したメルセデス ベンツ W154が開発されました。W125をベースにしてサスペンションを改良し、エンジンが小さくなった分ボディが低くなり空力的に改善されました。W125同様にW154も圧倒的に強く1938年の主要な6レースで勝利しています。1939年は戦前最後のグランプリシーズンとなり、W154はスーパーチャージャーを2ステージ化してパワーアップし、フロントグリルの形状などを変更したボディが載せられました。この1939年式のW154をW163と呼ぶこともあるようですが、これは厳密には正しくないようです。W154は1939年に5勝しています。
ドイツと同じようにムッソリーニ政権下のイタリアでもグランプリレースを国威発揚に利用していました。ドイツ勢に対抗すべくイタリアは1939年5月のトリポリ GPを自国に有利な1.5Lフォーミュラで行うことを1938年8月に決定します。これに対してメルセデス ベンツは8ヶ月ほどでW165を開発しました。W165はW154のミニチュア版で、ホイールベースが短く、V型8気筒1.5Lエンジン(278HP)を搭載していました。W165はトリポリ GPで1-2フィニッシュし、イタリアの思い通りにはなりませんでした。
ミニカーは2009年に発売されたスパーク製です。画像はスパークのWEBサイトから借用しました。1938年のトリポリ GPで優勝したW154(ドライバー H.ラング)をモデル化しています。スパークはメルセデス ベンツの特注品としてW25、W125、W154、W154(1939)、W165をモデル化していて、このW154はそれを一般市販したものです。これ以外のW154のミニカーは、かなり昔のビンテージ物のメルクリンとマーキュリー、最近のブルムなどがあります。
以下は1981年に発売されたブルム製のメルセデス ベンツ W154 1939 (1/43 型番R037)の画像です。1939年のドイツ GPで優勝したW154 #12 (ドライバー R.カラツィオラ)をモデル化しているようです。ただしミニカーの全長が88㎜程なので1/43換算で計算すると全長が3.7mとなり、W154の寸法と合いません。このサイズはW154の小型版W165の全長3.7mと一致します。ブルムは型番R037と同じ型を使った型番R037Bで1939年のトリポリ GPで優勝したW165をモデル化していますので、この型番R037はW154ではなく正しくはW165をモデル化したようです。ブルム初期のミニカーにはこんな具合に実車考証が適当なものがありました。(ただしこれが分かったのも最近のことで、それまでは全然気がつきませんでしたが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1712
アウトウニオン タイプ D ドイツ 1938年
1938年にGPカー(F1)の新しい3Lフォーミュラ(排気量上限 過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したアウトウニオン タイプ Dが開発されました。タイプ Cをベースにしていましたが、エンジンがV型16気筒6LからV型12気筒3L(420HP)に変更されてサイズが小さくなったのでコクピットが後ろに移動して一般的なGPカーのスタイルに近くなりました。1939年にはスーパーチャージャーが2ステージ化され、485HPにパワーアップされました。
タイプ Dの主な戦歴としては1937年にチームに加入したイタリア人ドライバーのT.ヌヴォラーリがドライブしてイタリア GPとイギリス(ドニントン) GPなどで優勝しましたが、あまり芳しい成績は残せませんでした。1939年のフランス GPではドライバー H.ミュラーで優勝しました。アウトウニオンのミッドシップレイアウトは操縦性に問題が多い(運転が難しい)レイアウトでしたが、第2次世界大戦後のレーシングカー設計に多大な影響を与えました。大戦後の1947年にクーパーがF3でミッドシップレイアウトを採用し、その後1960年代になるとミッドシップがF1の標準レイアウトになりました。
ミニカーはブルム製で1984年頃に発売されました。1938年のイギリス GPの優勝車をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、1980年代のミニカーとしては良く出来ていました。ただこれも前述した同じブルム製のタイプ Cと同様にデカールが経年劣化しています。ブルムは ドライバー T.ヌヴォラーリのフィギュア付でイタリア GP 優勝車もモデル化しています。これ以外のタイプ Dのミニカーは戦前のメルクリンの超レアな当時物、マーキュリーの古い当時物、ミニチャンプスのイギリス GPとイタリア GP仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1719
ビンテージ期 ← ページ « 前へ 1...18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 ...31 次へ » → 戦後期
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2025 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.