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STUTZ BLACK HAWK BOATTAIL SPEEDSTER 1928 USA |
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![]() FRANKLINMINT RJ58M 1/24 204mm
実車諸元 画像参照
スタッツ ブラックホーク ボートテール アメリカ 1928
前述したようにスタッツ ベアキャットはレースで活躍し名声を確立しました。1919年に創業者のC.スタッツが会社を去り経営陣が変わり、1921年にベアキャットがモデルチェンジされましたがあまり売れませんでした。1924年にベアキャットは生産中止となり、1925年に直列(垂直型 バーティカルとも呼ぶ)8気筒4.7L(90HP)高性能エンジンを搭載した高級車バーティカル エイトが登場しました。バーティカル エイトのレース仕様車ブラックホークは1927年に国内のAAAストックカーレースで優勝するなど活躍しました。(実車画像→ スタッツ バーティカル エイト 1927)
1928年にバーティカル エイトはエンジンを4.9L(115HP)にパワーアップしシャーシも改良されました。同年にホイールベースを短縮し軽量なボディを架装した高性能版のブラックホークが設定されました。ブラックホークは当時最速の高性能スポーツカーで、1928年のルマンで2位となっています。1931年には新開発したDOHC 8気筒5.3L(156HP)エンジンを搭載したDV32が登場しましたが、世界恐慌による不況で車両販売が回復せずスタッツは1937年に倒産しました。(実車画像→ スタッツ DV32 1932) その後スタッツの名前は1968年に復活し、1970年にGMのポンティアックをベースにしたブラックホークが登場しました。
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ミニカーは1989年に発売されたフランクリン ミント製です。軽快なボートテールボディを架装したブラックホークをモデル化しています。当時のフランクリン ミント製1/24ミニカーは現在のオートアートなどの大スケール精密ミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツ主体で再現されドアやボンネットが全て可動する当時としては最も精密なミニカーでした。当時の価格は18000円と高価でしたが、リアルに再現されたフロントグリル、ワイヤースポークホイール、室内など実車の雰囲気が見事に再現され価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。ボンネットを開くと8気筒エンジンが再現され、床下のサスペンションやドライブトレーンも再現され前輪はステアリングホイールと連動して操舵できます。これ以外のブラックホークのミニカーは同じボートテールボディのダンバリー ミントの1/24があります。 以下はフロント(前輪操舵動作)/リア(トランク開閉動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下はボンネットを開いたエンジンルームとドアを開いた室内/床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は1974年に発売されたマッチボックス製のスタッツ (DV32) ベアキャット 1931 (1/44 型番Y14)の画像です。DV32の売り上げを伸ばすためにベアキャットの名前を復活させたモデルのボートテールボディをモデル化しています。DOHC 8気筒4.9L(140HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速160km/hと高性能でした。マッチボックスのYシリーズは安価ゆえに、フロントグリル横からヘッドライトが生えているといったマッチボックス流の簡素化が行われていますが、ボートテールボディがうまく再現されていて1970年代当時のミニカーとしては結構良い出来ばえでした。ただ赤いフロントグリルやメタリックカラーのカラーリングは実車には即していませんが。。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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PACKARD SINGLE EIGHT ROADSTER 1930 USA |
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![]() SIGNATURE 32115 1/32 146mm
実車諸元 画像参照
パッカード シングル エイト ロードスター アメリカ 1930
前述したようにパッカードは量産車として初めてV型12気筒6.9L(88HP)エンジンを搭載した高級車ツイン シックスを1915年に発表しました。この車は世界初の12気筒エンジンなどの技術/品質の高さでライバル車を圧倒し、富豪や著名人に愛用され大成功をおさめました。顧客にはロシア皇帝のニコライ II世や有名なギャング王 アル カポネなどがいました。ツイン シックスは1922年まで生産され、総生産台数は約3万台でした。当時のパッカードはキャディラック、ロールス ロイス、デイムラー、メルセデス ベンツなどと並ぶ高級車メーカーで、「Ask the Man Who Owns One.(その価値は持ち主に訊け)」というキャッチコピーを広告に使い、自社の高品質をアピールしていました。
パッカードは航空用エンジンの生産でも有名で、第一次大戦中はV型12気筒航空機エンジンを量産しました。第一次大戦後の1924年に8気筒5.9L(84HP)エンジンを搭載するシングル エイトを発表し、この車はツイン シックスの後継車として成功し、生産台数でキャディラックを追い抜きアメリカの高級車No.1の地位をかためました。1930年代になると、世界大恐慌によって高級車が売れなくなりました。そこでパッカードは1935年に8気筒エンジン搭載の中級車120を発売、1937年には6気筒エンジン搭載の110/115を発売しました。それらの車は一時的にパッカードの業績を上げましたが、パッカードのブランドイメージを下げることになりました。
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ミニカーはシグネチュアー製(クラシックカーがメイン)で、2000年頃に発売されました。シングル エイト系のロードスターを少し大きめの1/32でモデル化しています。この1/32のシリーズは定価が約3500円ほどの比較的安価なミニカーでしたが、マニア向けの本格的な出来ばえに仕上げてありました。このシングル エイトもパッカード独特の上部の角に段の付いたフロントグリルとその上のマスコットがきちんと再現され、ボンネットが開閉できエンジンも再現されています。(ただホイールのスポークなどの細かいところはあまりリアルではありませんが) シングル エイト系のミニカーは、NEOなどのレジン製があります。 以下はフロント/リアの拡大画像とボンネットを開いたエンジン部/室内の画像です。パッカードのマスコットは、差し出した両手で車輪を掲げている女神の姿で「Goddess of Speed(スピードの女神)」と呼ばれていますが、このマスコットがかなりリアルにできています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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GM CADILLAC 452 V16 IMPERIAL LIMOUSINE 1930 USA |
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![]() ALTAYA VOITURES CLASSIQUES 12 1/43 122㎜
実車諸元 画像参照
GM キャディラック 452 V16 インペリアル セダン アメリカ 1930
1930年に登場したV型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 452は初年度に約3000台が生産されました。コーチビルダーのフリートウッドがリムジーンやコンバーチブルなどのボディを架装し、価格は最低でも5000ドル(現在の2000万円ぐらい)と非常に高価でした。1929年に世界大恐慌が起こりアメリカは不況の真っ只中でしたので、452のような高級車を購入できたのはごく限られた富裕層だけでした。その中には有名なシカゴのギャング 'アル カポネ'が特注した防弾仕様車もありました。この車はカポネが1931年に収監された後は、アメリカ政府に接収されたとのことです。
452 V16は初年度に購入できる人のほとんどが購入してしまったので、翌年はほんの300台ほどしか売れませんでした。また当時のライバルであったパッカード、ピアース アロー、フォード リンカーン コンチネンタルが次々とV型12気筒エンジン搭載車を登場させたことも影響して、452 V16の販売は低調になっていきました。452 V16は1940年まで生産されましたが、総生産台数は約43000台ほどでした。なおその後V型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 量産車はありません。
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ミニカーはミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNO.12で製造はALTAYA イクソです。フロントグリル中央のV16のエンブレムや女神のマスコットなどよく出来ていますが、1/43よりやや小ぶりに仕上がっています。イクソではほぼ同じものがMUS012として発売され、それはアル カポネの車とされています。ただ実車と見比べるとフロントの灯火類などが違っていますので、アル カポネの車と同じ車種といった程度のものです。 |
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DUESENBERG J DUAL COWL PHAETON Gary Cooper 1930 USA |
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![]() FRANKLIN MINT KD09 1/24 233mm
実車諸元 画像参照
デューセンバーグ J デュアル カウル フェートン ゲイリー クーパー アメリカ 1930
ドイツから移民してきたデューセンバーグ兄弟が、レーシングカーを作る目的で1914年に設立したのがデューセンバーグ社でした。当初は航空機用エンジンを製造し、ブガッティの航空機用エンジンの国産化を行いました。1920年に8気筒4.3Lエンジンを搭載し世界初の油圧ブレーキを備えた、自社初の市販車モデル Aを発売しました。デューセンバーグのレースカーは1923年のフランスGPでアメリカ車として初めてのGP優勝、1924年と1925年のインディで優勝などレースで大活躍しています。ただモデル Aは高価すぎて売れず、ビンテージ期で述べたエレット ローバン コードが経営する「コード帝国」に1926年に買収されました。
コード傘下で1928年に発表されたモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発され、値段も当時最高の超豪華車でした。サイズは全長約5.6m(リムジーン)、性能は当時レーシングカーしか採用していなかったDOHC方式8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し最高速180km/h、コーチビルダーが特注ボディを架装して販売され、その価格は大衆車T型フォードの約40倍でした。この車を買えたのは当時のハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。
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ボディは有名なコーチビルダーが担当し華麗なデザインのボディが架装されました。ボディ形式としては4ドアセダン、2ドアクーペ、スパイダー、フェートン(4座オープン)、デュアル カウル フェートン(前席/後席にスクリーンが付いた4座オープン)などがありました。最も高価なモデルは当時の価格が2万ドルであったことから「トゥエンティ グランド」と呼ばれていました。 |
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![]() ![]() 以下はキャビン部分/車体下のシャーシ部分の画像です。実車の後席用スクリーンはその下にある丸いハンドルで上下させることができました。シャーシ構造もそこそこリアルに再現しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はソリドのデュアル カウル フェートン(型番CS2)の画像です。前述したソリドのセダンのバリエーションで、ソリドのファンクラブ限定品として1988年に発売されました。キャビン部分がデュアル カウル フェートンに変更されリアに荷物棚が追加されています。ボンネットは取り外せないように変更されたので、エンジンは再現していません。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はフロント/リアの拡大画像とデュアル カウル フェートン部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は1979年に発売されたダイヤペットのデュアル カウル フェートン(型番G124)の画像です。ダイヤペットのクラシックカーのシリーズで1/27と中途半端なサイズですが、当時のダイヤペットとしては意欲的なミニカーでした。サイズが大きいので少し凝ったギミックが付いています。まずはドア開閉とリアカウルを上げる操作のギミックです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はボンネットを外した状態のエンジンとライト点灯ギミックの画像です。単3電池2本を内蔵し運転席のレバー操作でライトが点灯します。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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HUDSON GREAT EIGHT 1930 USA |
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![]() SIGNATURE 32307 1/32 148mm
実車諸元 画像参照
ハドソン グレート エイト アメリカ 1930
ハドソン モーター社はデトロイトの事業家が共同して1909年に設立しました。ハドソンというブランド名は出資者でデパートを経営していたジョセフ L ハドソンに因んだ名前でした。1909年に発売した一号車モデル 20(TWENTY)は4気筒3.3L(20HP)エンジンを搭載した小型のロードスター/ツーリングカーでした。この車は平均的な性能とスタイルながら低価格であったので、初年度に4000台以上が売れて大成功を収めました。この販売台数は当時の大ヒット車フォード T型と同じくらいの人気があったことを示しています。(実車画像→ ハドソン モデル 20 ロードスター 1909)
ハドソン社はその後も手堅い車作りで事業を拡大し、1912年には6気筒エンジン搭載車が登場しました。1916年に登場したスーパーシックスには静粛性に優れたバランスド クランクシャフトを採用した6気筒エンジンが搭載されていました。1919年に低価格な大衆車としてエセックスが別ブランドとして登場し、さらに1932年にテラプレーン ブランドも追加されました。エセックスの追加で1929年にはハドソンの生産台数がフォード、シボレーに次ぐ第3位となりました。しかし1930年代からBIG3(フォード、GM、クライスラー)に押され業績が悪化し、1930年代にエセックス、テラプレーンが消滅しました。戦後の1954年にナッシュと合併してAMC(アメリカン モータース)となりハドソンは消滅しました。
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ミニカーは2006年頃に発売されたシグネチャー製です。1930年に登場した8気筒車(3.5L)エンジンを搭載したグレート エイトの2ドアクーペをモデル化しています。シグネチャーの1/32は1920-1950年代の代表的なアメリカ車をモデル化していました。縮尺が1/32と中途半端なのですが、定価1800円ほどの安価ながら1/43より大き目のサイズを生かして結構細かいところまで仕上げてありました。このハドソン グレート エイトも実車を忠実にモデル化してあります。実車に即したカラーリングで、ボンネット/ドア/ランブルシート開閉と前輪操舵のギミックが付き、エンジンや室内などの細部も良く再現してあります。あまり際立った特長がなく端正な感じのするハドソン車の雰囲気もうまく再現されていると思います。 以下はフロント/前輪操舵の画像とリア/ランブルシート(補助席)開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像とドアを開いた室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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PIERCE ARROW MODEL B ROADSTER 1930 USA |
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![]() SIGNATURE 32329 1/32 155mm
実車諸元 画像参照
ピアス アロー モデル B ロードスター アメリカ 1930
ピアス アロー社の前身は家庭用品(鳥籠が有名)を製造する会社で、1890年代から自転車/バイクの製造を始め、1901年からは自動車製造にも進出しました。最初の自動車はド ディオン ブートン製の単気筒エンジンを搭載した2シーターの小型車でした。1903年に2気筒エンジン搭載のアローを発表し、1904年には自社開発した4気筒エンジンを搭載した高級車グレートアローを発表しました。グレートアローはアメリカで開催された耐久イベントに優勝し信頼性の高さが知られるようになり、同社は高級車製造に専念することになりました。
1908年にピアス アロー社と改名し、1910年以降は6気筒エンジン搭載車だけを製造するようになりました。ピアス アローは当時の最高級車としてウィリアム タフト第27代アメリカ大統領の公用車に使われるなど富裕層に愛用されました。しかし1920年代になるとモデルの旧態化で採算が悪化しました。そこで1924年に廉価版の80シリーズを発売して挽回を図りましたが、結局1928年にスチュードベーカー社に吸収合併されました。1929年にそれまでの6気筒エンジンを止めて8気筒3LエンジンとV型12気筒6.5L/7Lエンジンを搭載したモデルが登場し、スチュードベーカーのディーラー網が使えるようになったことで売上げは改善されました。その後世界恐慌の影響でスチュードベーカーの業績が悪化し、1933年にスチュードベーカーはピアス アローを売却しました。
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ミニカーはシグネチャー製で2006年に発売されました。シグネチュアーの1/32のクラシックカーのシリーズの1台で、当時の定価は約3500円ほどと比較的安価ながら、マニア向けの本格的な出来ばえに仕上げてありました。1930年に登場したタイプA/B/Cという3タイプのモデルのタイプ B ロードスターをモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。フロントグリル、灯火類、室内などの細部も結構リアルに再現されていて、特にフロントグリル上にあるマスコット(車名にちなんだ弓矢を構えた人物像)と、同社がその配置を特許化し外観上の最大の特徴としていたフロントフェンダー上に配置したヘッドライトもリアルです。またボンネットが開閉できエンジンや床下部分のドライブトレーンも再現され前輪は操舵可能になっています。ピアス アローは1930年代の有名な高級車メーカーでしたが、同社で一番よく知られているシルバー アロー以外でミニカーとしてモデル化されたのはこのシグネチャー製のタイプ Bとブルックリン(ホワイトメタル製)の1601 1936年ぐらいしかないようです。(なお最近の新興ブランドでESVAL MODELS(レジン製)が数種類をモデル化していますが) その為このミニカーはピアス アローのミニカーとして貴重な存在です。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リア(折畳み補助席の開閉動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と室内/床下部分(前輪操舵動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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GM CADILLAC 452A V16 1931 USA |
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![]() SOLIDO 85 1/43 128mm
実車諸元 画像参照
GM キャディラック 452A V16 アメリカ 1931
1902年に創業したキャディラック社は1909年にGMの傘下に入りましたが、技術的な先進性を重視する基本路線はその後も継承されました。1914年にV型8気筒エンジン搭載車を発表し、1928年には世界初のシンクロ機構付き変速機を採用するなど技術革新を進めました。1930年には世界初のV型16気筒エンジン7.4L(165HP)を搭載したモデル452(452は立法インチでの排気量表示)を発表し、1931年にV型12気筒6L(135HP)エンジン搭載のモデル370を発表しています。静かでスムーズに作動するV型16気筒/12気筒エンジンをラインナップに加えたキャディラックはライバル他社を圧倒し、アメリカの高級車No.1の地位を確立させました。
当時のキャディラックには標準ボディがありましたが、最上級車452のボディは全てオーダーメイドで、当時GM傘下となったコーチビルダーのフリートウッドが専門で架装していました。スポーティなコンバーチブルからフォーマルセダンまで30数種類のモデルがあったそうです。1938年にはサイドバルブ式を採用した新しいV型16気筒エンジンが開発されました。このエンジンはVバンク角を従来のOHV方式90°から135°に広げ、従来の半分の部品で構成されていました。排気量は7Lと少し小さくなりましたが、185HPに性能は向上していました。このエンジン搭載車は1940年まで生産されました。
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ミニカーはソリド製で、1979年に発売されました。初期型の452Aをモデル化しています。オーソドックスなセダンのスタイルですが、後席がオープンになっていてアメリカ車としてはちょっとしゃれたデザインです。フロントグリル上に付いている女神像のマスコットなどフロント周りがリアルに再現されていて、とてもよく出来ています。ソリドはバリエーションでキャディラック V16の商用車やポリスカーなどもモデル化していますが、V16がそのような用途に使われたとはとても考えられないので、V16ではなくV8のはずです。(細かいことを言わないおおらかな時代のミニカーですから、実車がなくても派手なV16でモデル化していたわけです) 以下はフロント/リアの拡大画像とフロントグリル/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は1986年頃に発売されたソリドのV16 救急車(1/43 型番4042)の画像です。V16のステーションワゴンを救急車仕様に仕立てています。側面には「Denver First Aid & Resque Squad」(デンバー応急処置&救助隊)と表示されています。このステーションワゴンのバリエーションで商用バンやポリス/消防車仕様もありました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は2006年に発売されたシグネチャー製のGM キャディラック V16 1932 (1/32 型番32345)の画像です。シグネチャーはアメリカ車のクラシックカーを1/32サイズでモデル化していました。この1/32サイズは中途半端なスケールですが、そのサイズを生かしてボンネットやドア開閉のギミック付きで室内やエンジンもそこそこ再現してありました。ただし1/18ほど精密ではないので、その分値段は安価(約3500円)でした。このキャディラック V16もプロポーションが良く、リアルな出来ばえのフロントグリルなど実車の雰囲気が良く再現されています。ボンネット/ドアの開閉ギミック付きで、エンジンや室内も再現されています。さらに前輪の操舵ギミック(ステアリングホイールと連動しない)も付いています。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。フロントグリル上のマスコット(コウノトリ?)はなかなかよく出来ています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と俯瞰/床下部分(前輪操舵動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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GM CADILLAC 452 V16 CABRIOLET 1931 USA |
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![]() FRANKLINI MINT RI34 1/43 135mm
実車諸元 画像参照
GM キャディラック 452 V16 カブリオレ アメリカ 1931
1930年に登場したV型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 452は初年度に約3000台が生産されました。コーチビルダーのフリートウッドがリムジーンやコンバーチブルなどのボディを架装し、価格は最低でも5000ドル(現在の2000万円ぐらい)と非常に高価でした。1929年に世界大恐慌が起こりアメリカは不況の真っ只中でしたので、452のような高級車を購入できたのはごく限られた富裕層だけでした。
452 V16は初年度に購入できる人のほとんどが購入してしまったので、翌年はほんの300台ほどしか売れませんでした。キャディラックといえども452 V16は特別な車で、1932年以降は年間百台ほどが生産された程度で、キャディラックの販売の中心は8気筒エンジン搭載車でした。同時期のライバルであったリンカーンやパッカードも8気筒エンジン搭載車で、これらの車は年間数万台生産されていました。452 V16は1940年まで生産されましたが、総生産台数は約4500台ほどでした。なおその後V型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 量産車はありません。現在16気筒エンジンを搭載している市販車はブガッティ ヴェイロン(とその後継車シロン)(価格約1.6億円)ぐらいしかありません。
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ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製の1/43で、「The World`s Great Classic Cars」というシリーズの1つです。このシリーズは戦前の高級車を12種類モデル化していますが、いずれも良い出来ばえです。そのなかでも特にこのキャディラック V16は、カラーリングや全体的な雰囲気が実車を良く再現していて非常に素晴らしい出来ばえです。エンジンや室内などの細部もリアルにできています。 以下はフロント(鳥のマスコット)/リアの拡大画像と室内/ボンネットを外したエンジン部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は1983年に発売されたリオのV16 カブリオレ(型番77)の画像です。フランクリン ミントと全く同じカブリオレをモデル化しています。同じ車のミニカーですからかなり似ていますが、リオはフロントグリル上のマスコットを省略しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は上記のリオのV16 カブリオレの幌を立てたバリエーション(型番76)の画像です。リオのクラシックカーのほとんどには色違いで幌の状態が異なるバリエーションがあります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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DUESENBERG J SEDAN 1931 USA |
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![]() SOLIDO 156 1/43 130mm
実車諸元 画像参照
デューセンバーグ J セダン アメリカ 1931
ドイツから移民してきたデューセンバーグ兄弟が、レーシングカーを作る目的で1914年に設立したのがデューセンバーグ社でした。当初は航空機用エンジンを製造し、ブガッティの航空機用エンジンの国産化を行いました。1920年に8気筒4.3Lエンジンを搭載し世界初の油圧ブレーキを備えた、自社初の市販車モデル Aを発売しました。デューセンバーグのレースカーは1923年のフランスGPでアメリカ車として初めてのGP優勝、1924年と1925年のインディで優勝などレースで大活躍しています。ただモデル Aは高価すぎて売れず、ビンテージ期で述べたエレット ローバン コードが経営する「コード帝国」に1926年に買収されました。
コード傘下で1928年に発表されたモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発され、値段も当時最高の超豪華車でした。サイズは全長約5.6m(リムジーン)、性能は当時レーシングカーしか採用していなかったDOHC方式8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し最高速180km/h、コーチビルダーが特注ボディを架装して販売され、その価格は大衆車T型フォードの約40倍でした。この車を買えたのは当時のハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。
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ミニカーはソリド製で、1960-1970年代に作られたクラシックカーシリーズ(AGE D'EOR シリーズ)の一つで1972年に購入しました。デューセンバーグとしてはおとなしいオーソドックスなリムジーンをモデル化しています。このクラシックカーシリーズは大人のマニア向けでしたので、スケールモデル的でリアルな造形がされ、非常に素晴らしい出来ばえです。「デューセンバード」と呼ばれる鳥のマスコットの付いたフロントグリル、ボンネット内に再現されたリアルなエンジン、ドアが開閉するキャビンなど細かいところもよく再現されています。ソリドはバリエーションでスパイダーもモデル化しています。これ以外のモデル Jのミニカーとしては、ビンテージものではドゥグー、リオ、マッチボックスなど、フランクリンミントの1/43と1/24、シグネチャーの1/32、最近の物ではミニチャンプスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とエンジン/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は1967年に発売されたイタリアのドゥグー製のSJ タウンカー(型番13)の画像です。タウンカーとはこの車のように客席部分にだけ屋根があるフォーマル用途のボディ形式です。SJはエンジンにスーパーチャージャーを追加して320HPにパワーアップしたモデルで、ボンネット左側面から排気管が出ています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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DUESENBERG J SPIDER 1931 USA |
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![]() SOLIDO 35 1/43 130mm
実車諸元 画像参照
デューセンバーグ J スパイダー アメリカ 1931
コード傘下となったデューセンバーグが1928年に発表したモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発され、値段も当時最高の超豪華車でした。サイズは全長約5.6m(リムジーン)、性能は当時レーシングカーしか採用していなかったDOHC方式8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し最高速180km/h、コーチビルダーが特注ボディを架装して販売され、その価格は大衆車T型フォードの約40倍でした。この車を買えたのは当時のハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。
ボディは有名なコーチビルダーが担当し華麗なデザインのボディが架装されました。ボディ形式としては4ドアセダン、2ドアクーペ、スパイダー、フェートン(4座オープン)、ダブル カウル フェートン(前席/後席にスクリーンが付いた4座オープン)などがありました。最も高価なモデルは当時の価格が2万ドルであったことから「トゥエンティ グランド」と呼ばれていました。
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ミニカーは1976年に発売された、前述したソリドのセダンのバリエーションです。ボディ後半を変更して、2シーター スパイダーをモデル化しています。巨大なボディに小さな2シーターのキャビンという贅沢なスペース配置は、いかにもアメリカ的なスタイルです。セダンと同様にボンネットを取り外すことができ、エンジンが再現されています。これ以外のデューセンバーグ J スパイダー(クーペ)のミニカーは、リオ、シグネチャーの1/32、デルプラドのSSJ、ミニチャンプスのコンバーチブル クーペ、イクソのSSJなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とエンジン/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は1990年代に発売されたバリエーションで、幌を収納した状態のスパイダー(型番4164)の画像です。コストダウンでボンネットが固定され、室内の造形も少し簡素化されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は2002年に発売されたデルプラド カーコレクション(ミニカー付雑誌)のSSJ スパイダー(No.66)の画像です。ミニカーの箱にはSSJではなくJと書かれてしいますが、スーパーチャージャーを追加してパワーアップしたSJのショートホイールベース版であるSSJをモデル化しているようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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