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ウィリス MB ジープ アメリカ 1942年
第2次世界大戦中のドイツ軍のキューベルワーゲンの活躍に注目したアメリカ陸軍は小型4輪駆動車の開発を自動車メーカーに依頼しました。小型車開発経験がないGMやフォードは対応出来ず、小型車メーカーのバンタム社が設計した試作車が採用されることになりました。バンタム社の生産能力を危惧した陸軍は、2次試作車をバンタム社、ウィリス社、フォード社に設計させ、最終的に採用されたのがウィリス社のMA型でした。フロントグリルにフォード社のデザインを採用したMB型が量産仕様で、フォード社も生産能力を評価されてGPW型として生産を行いました。この車はジープと呼ばれ1942年から実戦配備されました。
はしご型フレームに前後ともリーフスプリングで吊ったリジットアクスルという頑丈な構造に、簡易なオープンボディを載せたジープのスタイルはその後のこの種の軍用車のお手本となりました。なおジープの4輪駆動は滑りやすい路面でのみ4輪駆動に切り替えるパートタイム方式でした。第2世界大戦中にウィリス MB型とフォード GPW型のジープは約60万台生産されました。戦後もアメリカでは後継のCJ型が生産され、フランスのオチキスや日本の三菱自工などでもライセンス生産されました。当初のジープという名前は俗称でしたが、後にウィリス社が商標登録し、現在はクライスラー社のブランドです。
ミニカーは2015年に発売されたアシェット製の国産名車コレクションでメーカーはイクソです。イクソは系列にビクトリア(VICTORIA)という軍用車専門のブランドがあり、1998年にそのブランドの型番R001でもほぼ同じものが発売されています。特徴的なフロントグリル、簡素な室内など実車がリアルに再現されていて安価な雑誌付きミニカーながら良く出来ていました。ジープのミニカーは多くのミニカーメーカーが手掛けていて、様々なバリエーションがあります。三菱のジープはトミカ、ダイヤペット、エーダイ、国産名車コレクションなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル アメリカ 1946年
1940年に登場した初代 リンカーン コンチネンタルは、1942年のマイナーチェンジでエンジンが5L(130HP)にパワーアップされ、ボディが大型化され、フロントグリルとフェンダーが変更されました。太平洋戦争の勃発で生産台数は数百台と僅かでした。1946年から戦後型の製造が再開されました。フロントグリルなどが当時のアメリカ車に共通する派手な大型のものに変更され、初代の上品な雰囲気はなくなりましたが、基本的なスタイルはそのままでした。(初代を発案したエドセル フォードは1943年に若くして亡くなったので、この戦後型のデザインを見ることはなかったと思いますが)
戦後型は1948年までに約2800台が生産されて生産中止となり、初代リンカーン コンチネンタルの総生産台数は約5000台でした。V型12気筒エンジンを搭載したアメリカの量産車としてはこの車が最後となりました。(最近の車ではトヨタ センチュリー GZG50型やメルセデス ベンツ Sクラス W221型などが搭載しています) 1956年に後継車のリンカーン コンチネンタル MK IIが登場しました。
ミニカーはアルゼンチンのブービー(BUBY)製で、2009年頃に入手しました。ブービーは1950年代から1/43や1/64のダイキャスト製ミニカーを製造していた老舗メーカーで、日本国内では流通しなかったのであまり知られていません。1990年頃に1950-60年代のアメリカ車を「COLLECTORS CLASSICS」と「BUBY'S CLASSICS」シリーズとして数十種類モデル化しています。このコンチネンタルもその「COLLECTORS CLASSICS」シリーズの1台で、フロントグリルやバンパーなどに金属製パーツを使っているのが特徴です。昔のアメリカ車のイメージを再現するのに金属製パーツは効果的で、重厚な雰囲気のミニカーに仕上がっています。スケールモデル的な観点で評価すると最近のミニカーは優れていますが、昔のミニカーも雰囲気や質感ではまだまだ捨てたものではありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー ウィンザー アメリカ 1946年
クライスラー ウィンザー初代は1939年に高級車ニューヨーカーの下位モデルとして登場しました。直列6気筒4L(108HP)エンジンを搭載するフルサイズカーで、4ドアセダン/2ドアクーペ/コンバーチブル/ステーションワゴンがありました。1940年にフロントグリルが横に大きく広がったデザインに変わりました。 (実車画像→ クライスラー ウィンザー 1940) ウィンザーの戦後型は1946年に登場しましたが、フロントグリルが多少異なるだけで戦前型とほとんど変っていませんでした。
1940年代後半のクライスラー ブランドのラインアップは下位からローヤル、ウィンザー、サラトガ、ニューヨーカー、インペリアルの4つでいずれも同じようなデザインでした。ウィンザーは下から2番目のブランドですが、同社の売り上げの7割を占めていたそうで売れ筋のモデルでした。フルサイズのボディに6気筒4.1L(120HP)エンジンを搭載し、4ドアセダン/2ドアクーペ/コンバーチブルがありました。1949年に外観が変更され、1951年にはローヤルが廃止されたので、ウィンザーは最下位のモデルになりました。(実車画像→ クライスラー ウィンザー 1951)
ミニカーは1988年に発売されたソリド製です。1946年式のウィンザー 4ドア セダンをモデル化しています。ソリドの型番45**の4500シリーズは当時の定価が2200円ほどと安価でしたので、あまり細かいパーツなどは付いていませんが、プロポーションなどの基本的なところはきちんと押さえてありました。このウィンザーも大型の幅広フロントグリルでややユーモラスな感じがする顔つきや大きなキャビンなど実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。タクシー、ポリス仕様などのバリエーションがありました。これ以外の同時期のウィンザーのミニカーはビテス、ホワイトボックス(イクソ)、オックスフォードの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー タウン&カントリー アメリカ 1947年
ステーション ワゴンとは車体が2ボックスで室内には座席とそれに連続する荷室を備えている車体形式を示します。ワゴンの前にステーション(駅)が付いている理由は、当初この形式の車が列車で駅に到着した人と荷物を最終的な目的地まで運ぶ役割をしていたからだそうです。この形式の車両は商用車として扱われていましたが、それを乗用車的に使うことを最初に提唱し積極的に進めたのはアメリカのフォードでした。1910年代にフォードがT型に初めてステーションワゴン的なモデルを製作しましたが、当時の車体はまだ手作業による木製でしたのでこの車は「ウッディ(Woody)」と呼ばれていました。
キャビン部分に木材を使用したウッディ ワゴンで最初にスチール製の屋根(ハードトップ)を備えたのは、戦前の1941年に登場したクライスラー タウン&カントリー 初代でした。4ドア8人乗りのステーション ワゴンでハードトップは同時期のインペリアルの物を流用していました。(実車画像→ クライスラー タウン&カントリー 1941) タウン&カントリーの戦後型は1946年に登場しました。同時期のインペリアルがベースで8気筒5.3L(135HP)エンジンを搭載し、4ドアセダンと2ドアコンバーチブルがありました。この本物の木材を使ったウッディ ワゴンは1950年までしか作られず、現存するものが少ないことから現在でも人気があります。(実車画像→ クライスラー タウン&カントリー 1950)
ミニカーは1989年に発売されたビテス製です。前述したウィンザーのバリエーションで戦後型のタウン&カントリー 2ドアコンバーチブルをモデル化しています。1950-1960年代のアメリカ車を10数種類ほどモデル化したビテス初期のアメリカ車シリーズの1台でした。この車の最大の特徴である木材を使ったキャビンがプラスチック製パーツでそれらしく再現され、室内などの細部も良く再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。これ以外のタウン&カントリーのミニカーはダンバリー ミントの1/24、フランクリン ミントの1/24、マッチボックス、マトリックス(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タッカー 48 アメリカ 1948年
起業家で自動車デザイナーでもあったアメリカ人 プレストン タッカー(Preston Tucker)は自分が理想とする車を作るためにタッカー自動車を1946年に設立しました。彼が計画したタッカーは流線型ボディ、リアエンジン搭載の後輪駆動、自動変速機、全輪独立懸架サスペンション、ステアリングと連動するセンターヘッドライト、シートベルトなど先進的で安全性に配慮した乗用車でした。しかしあまりに先進的だったために、エンジンや変速機の開発が思うように進みませんでした。結局は資金難で計画が挫折し車は51台が製作されただけでした。
フランシス コッポラが監督した1988年の映画「タッカー(原題Tucker: The Man and His Dream)」は、プレストン タッカーとこの車を題材とした話で、この映画のヒットでタッカーが広く知られることになりました。この映画には当時残存していた実車が登場し、タッカーに脅威を感じた既存自動車メーカー(アメリカのBIG3)が政治的な妨害をしたという話もでてきます。(確たる証拠などはないようですが) この車が量産されていたとして本当に売れたかどうかは疑問ですが、技術的には非常におもしろい車でした。
ミニカーは1990年に発売されたソリド製です。1948年に少量生産されたタッカー 48をモデル化しています。ミニカーの発売時期から考えると、この車がミニカーとなったのは映画「タッカー」がヒットしたからでしょう。当時としては先進的な流線型ボディ、特徴的な3つ目ヘッドライト(センターが前輪と連動して左右に動く)のフロント周り、リアエンドの放熱用グリルなど実車の特徴がリアルに再現されていて良く出来ていました。室内のステアリングホイール部分の造形も結構リアルです。これ以外のタッカーのミニカーは京商の1/18、フランクリン ミントの1/24、マッチボックス ディンキー、ジョニーライトニングの1/64などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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