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サルムソン S4E フランス 1938年
1890年に創業されたエミール サルムソン社は蒸気機関やポンプの製造会社でした。第1次世界大戦中に航空機エンジンのメーカーとして発展し、その後イギリスのサイクルカー GNのライセンス生産で自動車製造に進出しました。(実車画像→ サイクルカー GN) 1921年に自社製の小型車(4気筒 1L)を発売し、この車のエンジンを1.25Lに拡大しDOHC化したレースカーが活躍し、初のDOHCエンジン搭載量産車 AL グラン スポールとして市販化されました。(実車画像→ サルムソン AL グラン スポール 1927)
1929年にDOHC 4気筒1.3Lエンジン搭載のS4が登場し、この車は前輪独立懸架サスペンションを備えたS4D(1.6L)に発展しました。1937年には高級仕様のS4E(2.3L)が登場しました。第2次大戦後サルムソン社はS4シリーズの生産を再開し、1953年に新型の2300 スポール(DOHC4気筒2.3Lエンジン搭載)が登場し、この車は1957年のルマンに出場してGTクラスで優勝しました。その後サルムソンは経営不振で1957年に自動車製造から撤退しました。(2022年現在もポンプメーカーとして存続しています)
ミニカーは2012年に発売されたイクソ製のMUSシリーズ(クラシックカーのシリーズ)です。サルムソン S4Eのカブリオレをモデル化しています。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.21として作られた物でした。これはそれをイクソのカタログモデルとして発売したものです。フランスの高級スポーツカーらしい優雅なデザインで、鮮やかなカラーリングや寝かせたフロントウインドーなどでお洒落なパーソナルカーに仕上がっています。イクソのMUSシリーズとして標準的な良い出来ばえですが、ボディのほとんどの部分がプラスチック製で軽い点が個人的には安っぽい感じがしていまひとつです。なおサルムソンの量産ミニカーは2023年現在でもこれしかありません。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タルボ ラーゴ T150 SS クーペ フィゴーニ ファラスキー フランス 1938年
前述したようにタルボはイギリスとフランスに工場があった大衆車メーカーでした。1919年にタルボはサンビーム、ダラックと合併しSTD(サンビーム-タルボ-ダラック)グループを形成し自動車生産を行いました。STDグループは財政難から1935年にイギリスのルーツグループに吸収されて消滅しました。その後STDグループのフランス工場はエンジニア/起業家のアンソニー ラーゴ(Antonio Lago)が買い取りタルボ車の販売を続け、第2次大戦後はタルボ ラーゴという名前になり高級スポーツカーを1960年まで生産していました。
タルボは1937年に新設計のツーリングカー タルボ T4 マイナー(4気筒2.3Lエンジン搭載)を発表しました。この車には6気筒2.7L/3L/4Lエンジンが追加され、ホイールベースの長い6気筒3L/4Lエンジン搭載車とさらにホイールベースの長い(7人乗り)6気筒3L/4Lエンジン搭載車が追加されました。そのなかでT150は6気筒3Lエンジン搭載のホイールベースの短いスポーツカーで、T150 SSはさらにホイールベースを短くして6気筒4Lエンジンを搭載した高性能版でした。(なお150CとCが付くのはレース仕様で基本はロードスターでした) 個性的で美しい流線形ボディのT150 SS クーペは当時最速のスーパーカーでタルボ ラーゴのなかでも一番有名な車でした。コーチビルダーは前述したドライエ 165と同じフィゴーニ ファラスキーで、フロント回りは似たようなデザインとなっています。わずか十数台しか製作されなかったようです。
ミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.6として作られた物でイクソ製です。これはオークションで入手したものですが、2007年にイクソの型番MUS007でも発売されました。ミニカーの出来ばえは雑誌付きミニカーの標準的なレベルですが、美しい流線形ボディの雰囲気がうまく再現されツートンカラーも綺麗です。室内もそこそこ良く再現されています。(フロントグリルが少し右に傾いているのは見なかったことにしてください) T150 SS クーペのミニカーはこれ以前に少量生産のWESTERN MODELS製がありましたが、量産ミニカーとしてはこれが最初のモデル化でした。最近になってミニチャンプスやスパークやCMCの1/18などでもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T57S アタランテ フランス 1939年
ブガッティ T57は1934年に発表された3Lクラスのツーリングカーで1940年までに約700台が生産され、ブガッティとして最もたくさん生産されたモデルでした。主に4ドアセダンや2ドアクーペのボディが架装されました。エンジンはレーシングカー T59で使われたDOHC 直列8気筒3.3L(135HP)を搭載していました。エンジンを170HPにパワーアップしホイールベースを短縮したスポーツ仕様のT57S、さらにスーパーチャージャーを追加して195HPにパワーアップしたT57SCがありました。
ブガッティ T57のボディはソーチック、ガングロフ、フィゴーニ&ファラスキーなどの著名なコーチビルダーが架装していました。それぞれ以下のようなヨーロッパの地名などにちなんだ名前が付けられていました。
ミニカーは1979年頃に発売されたソリド製です。同じものが1980年に型番4088でも発売されました。ソリドの型番40**はクラシックカーのシリーズで、クラシックカーのミニカーとしては比較的安価(当時の定価約2000円)ながらも出来の良い物が揃っていました。このT57S アタランテも細部の仕上げは値段相応ですが、独特のスタイルがうまく再現されていて良く出来ていました。型番4109でオープントップ仕様のバリエーションがありました。これ以外のアタランテの量産ミニカーは2000年以前にはフランクリン ミントの1/24ぐらいしかありませんでしたが、最近になってミニチャンプスやスパーク(レジン製)などからも発売されました。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ルノー スープラステラ カブリオレ フランス 1939年
前述したルノー ネルヴァステラの後継車として、戦前のルノー最後の旗艦となったのがスープラステラで1938年に登場しました。スープラステラは8気筒5.4L(110HP)エンジンを搭載した全長5mを超える大型車で、ロングホイールベース版で全長6.5mのリムジーンもありました。ボディは4ドアセダンがメインでしたが、洒落た2ドアクーペ/カブリオレもありました。フロントグリルは同時期のアメリカ車を真似たあまり品の良くないデザインで、高い位置にあるボンネットと広い車幅が相まって押し出しの強い迫力のあるスタイルとなっていました。ちなみにスープラステラとは英語に直すと「SUPER STAR」ということになります。
コーチビルダー フラナイ(FRANAY)の架装でリムジンボディをカブリオレ仕様にしたスープラステラが戦前のフランス ペタン首相の公用車として使われ、戦後もしばらくの間オリオール 第16代フランス大統領の大統領車として使われました。(実車画像→スープラステラ 大統領車) コーチビルダーがボディを架装する高級車としては、フランスではスープラステラが最後の車でした。なおイギリスのロールス ロイスは1950年代まではまだコーチビルダーがボディを架装していました。
以下は2007年頃に発売されたイクソ製です。スープラステラの2ドアカブリオレをモデル化しています。このミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.19として作られたもので、私はオークションで入手しました。同じものの色違いがイクソのカタログモデルとして型番MUS022で発売されています。この車は2ドアカブリオレとしては大きなボディで、戦前のルノーの豪華な高級車の雰囲気がうまく再現されています。フロントグリル/灯火類/室内などの細部もそこそこ良く再現されています。これ以外のスープラステラのミニカーは少量生産のレジン製でクーペや大型リムジンがありますが、2023年時点で量産ミニカーは無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドラージュ D8 120 フランス 1939年
世界大恐慌による1930年代の不況で高級車が売れなくなったことでドラージュは経営破たんし、1935年に同業のドライエに吸収合併されました。合併後もドラージュはドライエの最上級車として存続し、D8シリーズは1935年のD8 85(3.6L 85HP)、1936年のD8 100(4.3L 90HP)、1937年の最後のモデルD8 120(4.8L 115HP)とエンジン排気量が拡大されていきました。D8の最初の8気筒4.1Lエンジンはドラージュの設計でしたが、D8 120の8気筒4.8Lエンジンはドライエ 135の6気筒エンジンに2気筒を追加したものに変わりました。
ドラージュとドライエは名前が似ていてさらにドライエがドラージュを吸収合併しているので両車を混同しやすいですが、どちらもフランス車が最もフランス的であった1930年代を代表する車でした。両車とも当時のフランスのコーチビルダーが贅を尽くした魅力的なデザインのボディを架装していました。それらのなかには退廃的で奇抜なデザインの物もありましたが、それもこの時代のフランス車の魅力でした。戦後の1954年にドライエはオチキスに吸収されドライエ/ドラージュの両ブランドは消滅しました。
ミニカーは1975年に発売されたソリド製です。ドラージュ D8 120のカブリオレをモデル化しています。実車は全長5mを超える大型車ながら2ドアのカブリオレという1930年代流の贅沢な車です。コーチビルダーはアンリ シャプロン(Henri Chapron)でした。ソリドのクラシックカーのミニカーは当時は一級品の出来ばえでした。ただ1970年代のミニカーですので現在のようには細部をリアルに再現していませんが、実車の全体的なイメージは良く再現されていました。赤/黒のカラーリングが綺麗で、後方に飛び出した丸いテールライトの付いたリアエンドの造形は個人的に気に入っています。これ以外のドラージュ D8 120のミニカーはイクソのエアロクーペ、ミニチャンプスのカブリオレ、スパーク(レジン製)のクーペ/カブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)