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TALBOT LAGO T150 SS COUPE BY FIGONI & FALASCHI 1938 FRANCE |
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![]() VOITURES CLASSIQUES (IXO ALTAYA) 6 1/43 108㎜
実車諸元 画像参照
タルボ ラーゴ T150 SS クーペ フィゴーニ ファラスキー フランス 1938
前述したようにタルボは元々イギリスとフランスに工場があった大衆車メーカーでした。1919年にタルボはサンビーム、ダラックと合併しSTD(サンビーム-タルボ-ダラック)グループを形成し自動車生産を行いました。STDグループは財政難から1935年にイギリスのルーツグループに吸収されて消滅しました。STDグループのフランス工場はアンソニー ラーゴが買い取りタルボ車の販売を続け、第2次大戦後はタルボ ラーゴという名前になり高級スポーツカーを1960年まで生産していました。
タルボは1937年に新設計のツーリングカー タルボ T4 マイナー(4気筒2.3Lエンジン搭載)を発表しました。この車には6気筒2.7/3/4Lエンジンが追加され、ホイールベースの長い6気筒3/4Lエンジン搭載車とさらにホイールベースの長い(7人乗り)6気筒3/4Lエンジン搭載車が追加されました。そのなかでT150は6気筒3Lエンジン搭載のホイールベースの短いスポーツカーで、T150 SSはさらにホイールベースを短くして6気筒4Lエンジンを搭載した高性能版でした。(なお150CとCが付くのはレース仕様で基本はロードスターでした) 個性的で美しい流線形ボディのT150 SS クーペは当時最速のスーパーカーでタルボ ラーゴのなかでも一番有名な車でした。コーチビルダーは前述したドライエ 165と同じフィゴーニ ファラスキーで、わずか十数台しか製作されていないようです。
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ミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.6として作られた物でイクソ製です。これはオークションで入手したものですが、2007年にイクソの型番MUS007でも発売されました。ミニカーの出来ばえはミニカー付雑誌の標準的なレベルですが、美しい流線形ボディの雰囲気はうまく再現され2トンカラーも綺麗です。(フロントグリルが少し右に傾いているのは見なかったことにしてください) T150 SS クーペのミニカーはこれ以前に少量生産のWESTERN MODELS製がありましたが、量産ミニカーとしてはこれが最初のモデル化でした。最近になってミニチャンプスやスパークやCMCの1/18などでモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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BUGATTI T57S ATALANTE 1939 FRANCE |
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![]() SOLIDO 88 1/43 107mm
実車諸元 画像参照
ブガッティ T57S アタラント フランス 1939
ブガッティ T57は1934年に発表された3Lクラスのツーリングカーで1940年までに約700台が生産され、ブガッティとして最もたくさん生産されたモデルでした。主に4ドアセダンや2ドアクーペのボディが架装されました。エンジンはレーシングカーT59で使われたDOHC 直列8気筒3.3L(135HP)を搭載していました。ホイールベースを短縮したスポーツ仕様で、エンジンを170HPにパワーアップしたT57S、さらにスーパーチャージャーを追加して195HPにパワーアップしたT57SCがありました。
T57のボディはソーチック、ガングロフ、フィゴーニ&ファラスキーなどの著名なコーチビルダーが架装していました。それぞれ以下のようなヨーロッパの地名などにちなんだ名前が付けられていました。
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ミニカーは1979年頃に発売されたソリド製です。同じものが1980年に型番4088でも発売されました。型番40**はクラシックカーのシリーズで、クラシックカーののミニカーとしては比較的安価ながらも出来の良い物が揃っていました。このT57S アタラントは細部の仕上げは値段相応ですが、独特のスタイルがうまく再現されていて良く出来ています。型番4109でオープントップ仕様のバリエーションがあります。最近までアタラントの量産ミニカーはこれとフランクリン ミントの1/24とエリゴールのホワイトメタル製少量生産品ぐらいしかありませんでしたが、最近になってミニチャンプスやスパークなどからも発売されました。以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は上記と同じソリド製のバリエーションでブガッティ T57S アタラント デクヴェラブル(1/43 型番4109)の画像です。デクヴェラブルとはこのミニカーのようにルーフ部分だけがオープンとなっているオープンカーのボディ形式を意味します。ブガッティらしい黄/黒の塗り分けが綺麗です。オープン仕様なので紙シールで再現されたメータパネルが見えますが、貼り方がやや雑です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は1979年に発売されたエリゴール製のブガッティ T57 アタラント カブリオレ(1/43 型番1026)の画像です。エリゴール初期のミニカーで、ホワイトメタル製で少量生産されたものです。1/43サイズより少し小さめ(全長102㎜)にできています。ハンドメイドのホワイトメタル製ながら何故かダイキャスト製並みの値段(当時の定価2400円)が付けられていました。当時のホワイトメタル製ミニカーとしては並みの出来ばえでそれほど良い出来ばえではありませんが、アタラントのミニカーはあまりなかったのでその点では貴重なミニカーでした。幌を閉じたバリエーションもありました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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RENAULT SUPRASTELLA CABRIOLET 1939 FRANCE |
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![]() IXO 1/43 118mm
実車諸元 画像参照
ルノー スープラステラ カブリオレ フランス 1939
前述したルノー ネルヴァステラの後継として、戦前のルノー最後の旗艦となったのがスープラステラで1938年に登場しました。スープラステラは8気筒5.4L(110HP)エンジンを搭載した全長5mを超える大型車でロングホイールベース版で全長6.5mのリムジーンもありました。ボディは4ドアセダンがメインでしたが、洒落た2ドアクーペ/カブリオレもありました。フロントグリルは同時期のアメリカ車を真似たあまり品の良くないデザインで、高い位置にあるボンネットと広い車幅が相まって押し出しの強い迫力のあるスタイルとなっていました。ちなみにスープラステラとは英語に直すと「SUPER STAR」ということになります。
コーチビルダー フラナイ(FRANAY)の架装でリムジンボディをカブリオレ仕様にしたスープラステラが戦前のペタン首相の公用車として使われ、戦後もしばらくの間オリオール 第16代フランス大統領の大統領車として使われました。(実車画像→スープラステラ 大統領車) コーチビルダーがボディを架装する高級車としては、フランスではスープラステラが最後の車でした。なおイギリスのロールス ロイスは1950年代まではまだコーチビルダーがボディを架装していました。
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以下は2007年頃に発売されたイクソ製です。スープラステラの2ドアカブリオレをモデル化しています。このミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.19として作られたもので、私はオークションで入手しました。同じものの色違いがイクソのカタログモデルとして型番MUS022で発売されています。この車は2ドアカブリオレとしては大きなボディで、戦前のルノーの豪華な高級車の雰囲気がうまく再現されています。フロントグリル/灯火類/室内などの細部もそこそこ再現されています。これ以外のスープラステラのミニカーは少量生産のレジン製でクーペや大型リムジンがありますが、現時点(2019年)で量産ミニカーは無いようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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HOTCHKISS 686 COUPE 1939 FRANCE |
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![]() ELIGOR 1015 1/43 105mm
実車諸元 画像参照
オチキス 686 クーペ フランス 1939
機関銃製作で有名であった兵器会社オチキス社は1903年に自動車製造に乗りだし、初期のレースで活躍してロールス ロイスに匹敵するとの評価を受けていました。第一次大戦後の6気筒車タイプAMは1932年から3年連続してモンテカルロ ラリーで優勝しており性能は素晴らしかったようですが、その割にあまり知られていないメーカーです。(ミニカーも少ないです) 戦後も高級車メーカーとして生産を続け1949、50年にもモンテカルロ ラリーで優勝しています。
ミニカーはエリゴール製でホワイトメタルで少量生産されたものです。高性能であったタイプ686クーペ(6気筒3L)という車をモデル化しているようです。
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以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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HOTCHKISS BIARRITZ 1939 FRANCE |
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![]() NOREV 590006 1/43 116㎜
オチキス ビアリッツ フランス 1939
オチキスは1952年に前輪駆動のグレゴワール(4気筒2L)を発表していますが、結局1954年に乗用車生産から撤退してジープ製造(ウイルスのライセンス)に転向しました。
ミニカーは2006年発売のノレブ製 オチキスの特徴である楕円形のグリルなど良く出来ています。上記と同じ年式ですがこちらはタイプ486という4気筒車をモデルしているようです。 実車諸元 画像参照 外形寸法: 全長約5m エンジン 変速機: 4気筒 2.3L 58HP 4段変速 性能: 最高速123km/h データーベースでオチキスのミニカー検索 |
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DELAGE D8 120 1939 FRANCE |
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![]() SOLIDO 31 1/43 123mm
実車諸元 画像参照
ドラージュ D8 120 フランス 1939
世界大恐慌による1930年代の不況で高級車が売れなくなったことでドラージュは経営破たんし、1935年に同業のドライエに吸収合併されました。合併後もドラージュはドライエの最上級車として存続し、D8シリーズは1935年のD8 85(3.6L 85HP)、1936年のD8 100(4.3L 90HP)、1937年の最後のモデルD8 120(4.8L 115HP)とエンジン排気量が拡大されていきました。D8の最初の8気筒4.1Lエンジンはドラージュの設計でしたが、D8 120の8気筒4.8Lエンジンはドライエ 135の6気筒エンジンに2気筒を追加したものに変わりました。
ドラージュとドライエは名前が似ていてさらにドライエがドラージュを吸収合併しているので両車を混同しやすいですが、どちらもフランス車が最もフランス的であった1930年代を代表する車でした。両車とも当時のフランスのコーチビルダーが贅を尽くした魅力的なデザインのボディを架装していました。それらのなかには退廃的で奇抜なデザインのものもありましたが、それもこの時代のフランス車の魅力でした。戦後の1954年にドライエはオチキスに吸収されドライエ/ドラージュの両ブランドは消滅しました。
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ミニカーは1975年に発売されたソリド製です。D8 120のカブリオレをモデル化しています。実車は全長5mを超える大型車ながら2ドアのカブリオレという1930年代流の贅沢な車です。コーチビルダーはアンリ シャプロン(Henri Chapron)です。ソリドのクラシックカーのミニカーは当時一級品の出来ばえでした。ただ1970年代のミニカーですので現在のようには細部をリアルに再現していませんが、実車の全体的なイメージは良く再現されています。赤/黒のカラーリングが綺麗で、私は後方に飛び出した丸いテールライトの付いたリアエンドの造形を気に入っています。これ以外のドラージュ D8 120のミニカーはイクソのエアロクーペ、ミニチャンプスのカブリオレ、スパーク(レジン製)のクーペ/カブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は1977年に発売された上記のソリドのバリエーションでドラージュ D8 120 クーペ デビル 1939 (1/43 型番51)の画像です。こちらは御者が操る昔の馬車スタイルに似せたフォーマルなクーペ デビル形式(運転席のみオープンとなっているセダン形式)の高級車です。ドアとキャビン部分以外は上記カブリオレと同じです。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は2014年に発売されたイクソ製のドラージュ D8 120-S プルートー エアロ クーペ 1937 (1/43 型番MUS054)の画像です。この「エアロ クーペ」と称される流線形デザインの車は、コーチビルダー プルートー(POURTOUT)によるものです。以下に1939年式のエアロ クーペも紹介していますが、どちらもセンターピラーのないサイドウインドーや後方に伸びたリアフェンダーなどの基本は同じです。これは以下の1939年式より2年年式が古いのでフロントウインドーがまだ2分割で流線形ボディはシンプルな造形ですが、1939年式ではリアのテールフィンやフロントグリル横のでっぱりなど装飾的な付加物が増えています。(コーチビルダーが違っていることもありますが) ミニカーはプロポーションが良く、フロントグリルや室内などの細部も良く再現されています。この車はスパークでもモデル化されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は2007年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.10 ドラージュ D8/120 ルトゥルヌール & マルシャン エアロ クーペ 1939 (1/43)の画像です。(オークションで入手しました) メーカーはイクソで、イクソのカタログモデルでは型番MUS010で発売されています。名前のルトゥルヌール & マルシャン(LETOURNEUR & MARCHAND)とは、当時のドラージュの代表的なコーチビルダーで1930年代に空力的なボディを手掛けるようになり、この車はその代表的なデザインで「エアロ クーペ」と称されました。センターピラーのないサイドウインドーや後ろに伸びたリアフェンダーなどが特徴です。見た目重視で装飾が多い華美なデザインがこの時代のフランス車の魅力ですが、この車はその点で格別に魅力的です。ミニカーは実車どおりの金色のカラーリングで、上記のエアロ クーペ同様に良く出来ています。(実車画像 → ドラージュ D8/120 ルトゥルヌール & マルシャン エアロ クーペ 1939) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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BERLIET 11CV DAUPHINE 1939 FRANCE |
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![]() IXO MUS055 1/43 114mm
実車諸元 画像参照
ベルリエ 11CV ドーフィン フランス 1939
ベルリエは自動車創世期に設立されたメーカーです。第一次世界大戦中は、軍用トラックを生産していました。大戦後に乗用車生産を再開し、1920年代には4気筒の小型車から6気筒の大型車まで数モデルを販売していました。1929年のアメリカ株価大暴落による金融危機で景気が悪くなり、自動車の販売は低迷します。その影響で1930年代になると、ベルリエの乗用車は1934年に発売した11CVドーフィンだけになりました。
画像はその11CVドーフィンの1939年式でボディを大幅に変えています。この時期になるとボディの内製化もできず、ライバルのプジョー 402のボディを流用してフロントを当時のアメ車に似せたデザインに変えた物になっています。ただこの車もすぐに生産中止となり、ベルリエはトラック(後にバス追加)だけを生産するようになりました。ベルリエは1967年にはシトロエン傘下となり1974年にはルノーに売却されて同じトラック製造ののサビエムと合併しルノー トラックスとなりました。
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ミニカーはイクソ製で元々はフランスのミニカー付き雑誌「Voitures francaises d'autrefois」シリーズ用に作られた物で、仕上げをリファインしてカタログモデルとして2015年に発売されました。プジョー 402がベースになっていることが分かり、変更されたフロントグリルなどがうまく再現されています。ベルリエのミニカーはほとんどがトラックです。トラック以外のベルリエのミニカーは、これとRAMI(ラミー)製の1910年式ぐらいしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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TALBOT T120 COACH 1939 FRANCE |
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![]() VEREM 1005 1/43 112㎜
タルボ T120 コーチ フランス 1939
タルボはその後1959年にシムカに買収され名前が消えます。そのシムカは1963年にクライスラーに買収され、さらにそのクライスラー ヨーロッパは1978年にプジョーに買収されます。プジョーはクライスラー ヨーロッパの名前を由緒あるタルボに変更し名前が一時的に復活しますが、結局その数年後には消えてしまいました。このようにタルボという車の歴史は始まりから終わりまで非常にややこしいです。
ミニカーはソリドの別ブランドであるベレム製です。古いソリドの型を流用または改造したモデルを作っています。これは上記のオープンボディをセダンに変更しています。 実車諸元 画像参照 外形寸法: 全長約4.8m エンジン 変速機: 6気筒 3L 90HP 4段変速 性能: |
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PEUGEOT 202 1946 FRANCE |
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![]() IXO JUNIOR CIXJ000012 1/43 99mm
実車諸元 画像参照
プジョー 202 フランス 1946
1938年にプジョー 201の後継車として202が登場しました。402から始まった02シリーズの基本設計を踏襲し、フロントグリルに内蔵したヘッドライトなど同じコンセプトの流線型ボディにアルミ合金製ヘッドのOHV 4気筒1.1L(30HP)エンジンを搭載していました。エンジンは30HPと非力でしたが、軽い車重と空力に優れたボディの為、最高速は100㎞/hが可能でした。4ドアセダン、2/4ドアカブリオレ、2ドアピックアップと幅広いボディタイプが揃っていました。
202は先代を上回る大ヒットとなり当時のライバルであったルノー ジュヴァカトルを販売台数で上回りました。この成功でプジョーはシトロエンに次ぐフランス第2のメーカーとなりました。202は第2次大戦の為1942年に生産中止となりましたが、戦後に再生産されました。1948年まで作り続けられ1949年に戦後型として新設計された203にモデルチェンジしました。
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ミニカーはイクソ ジュニア製で、戦後型の202をモデル化しています。元々は2007年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.43でモデル化された物をイクソのカタログモデルとしたものです。当方はオークションで入手したのでいつ頃発売されたのか分かりませんが、たぶん2008年頃でしょう。この小粋な小型車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。特に02シリーズに共通のフロントグリルに内蔵されたヘッドライトの再現方法は秀逸です。空気を取り入れるフロントグリルなので実際はこのような透明なカバーではなく枠組みされたグリルなのですが、うまく表現しています。これ以外の202のミニカーはノレブのセダンとピックアップがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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DELAHAYE 145 CHAPRON 1946 FRANCE |
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![]() DINKY DY14 1/43 126mm
実車諸元 画像参照
ドライエ 145 シャプロン フランス 1946
1930年代後半のGPレース(現在のF1に相当)ではドイツのナチス政権が国策でバックアップするメルセデス ベンツ/アウト ウニオンのドイツ勢が圧倒的に強く、ブガッティ、ドライエ、ドラージュのフランス勢がこれに対抗していました。1937年にドライエ 135の後継車として145が登場しました。145は主にGPレース用に開発された高性能車で3本のカムシャフト、2つの点火装置、3つのキャブレターを備えたV型12気筒4.5L(240HP)エンジンを搭載していました。145のレース仕様は1938年のベルギー ポー(PAU)GPでは、メルセデス ベンツ W154を下して優勝しています。(実車画像→ ドライエ 145 GPレース仕様 1937)
1939年に第2次世界大戦が勃発し、ドライエ社は軍用車(トラック)の生産に集中しました。戦後の1946年には乗用車生産を再開し、戦前の135Mを後継する高級車235が1951年に登場しました。戦後のフランスでは高級車に高い税金が課されたことによりドライエのような高級車は売れなくなり、販売不振となたドライエは1954年にオチキス社に吸収されて消滅しました。
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ミニカーは1990年に発売されたマッチボックス ディンキー製です。1946年式となっているので戦後にコーチビルダー アンリ シャプロンが架装したクーペをモデル化しているようです。ドライエのフロントグリルは剣道の面に似ているといわれますが、この車のグリルはまさにその典型的なものです。このミニカーはマッチボックス傘下で一時的に復活したディンキーのブランド名を冠したDINKY COLLECTION シリーズの1台でした。このシリーズはマニア向けに作られたもので、これ以外にキャディラック 62 クーペ デビルやベントレー R コンチネンタルなどがあり、いずれもレトロな作風ながら良く出来ていました。このドライエもレトロな作風で実車の雰囲気をうまく再現していて、当時のミニカーとして良く出来ていました。これ以外のドライエ 145のミニカーはミニチャンプスのクーペとレース仕様、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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