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デューセンバーグ J コンバーチブル ビクトリア アメリカ 1933年
コード傘下となったデューセンバーグが1928年に発表したモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発され、値段も当時最高の超豪華車でした。サイズは全長約5.6m(リムジーン)、性能は当時レーシングカーしか採用していなかったDOHC方式8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し最高速180km/h、コーチビルダーが特注ボディを架装して販売され、その価格は大衆車T型フォードの約40倍でした。この車を買えたのは当時のハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。
ボディは有名なコーチビルダーが担当し華麗なデザインのボディが架装されました。ボディ形式としては4ドアセダン、2ドアクーペ、スパイダー、フェートン(4座オープン)、ダブル カウル フェートン(前席/後席にスクリーンが付いた4座オープン)などがありました。最も高価なモデルは当時の価格が2万ドルであったことから「トゥエンティ グランド」と呼ばれていました。
この車は往年のハリウッドの名女優グレタ ガルボ(Greta Garb もう知らない人が多いでしょうが)が所有していたとされる、デューセンバーグ J コンバーチブル ビクトリアです。全長が6mを越える長い車で少し奇抜なデザインですが、最も優美なデューセンバーグとも言われています。極端に低いウインドシールドと大きなドアを持ち、リアには巨大なトランクと2本のスペアタイヤを背負っています。幌を立てると後席に乗車しているオーナーの姿はほとんど見えないようになっています。ボディを架装したのはフランスのコーチビルダー ダリンでした。
ミニカーはフランクリン ミント製の1/24で、1990年頃に購入しました。当時フランクリン ミントのミニカーは国内では同社の通信販売でしか購入できませんでした。フランクリン ミントは現在のオートアートなどの大スケールミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツ主体で再現されドアやボンネットが全て可動する、当時としては最も精密なミニカーでした。このデューセンバーグ Jもプロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現され、とても良い出来ばえでした。ボンネット/ドアの開閉ギミック付きで、ステアリングホイールと連動した前輪操舵ギミックも付いています。床下部分のドライブトレーン/サスペンションなどもリアルに再現されています。当時の価格は29500円とかなり高価でしたが、その価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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デューセンバーグ SJ フィッシュ テール アメリカ 1933年
前述したようにデューセンバーグ Jは1929年から始まった世界大恐慌の時代に成功しており、当時のユーザーはまだ不況とは無関係だったようです。このようなユーザーに向けてさらに高級な車が1932年に発表されました。スーパーチャージャーを追加して320HPにパワーアップし最高速250km/hに性能を向上させたモデル SJでした。スーパーチャージャーの追加で排気管がボンネット右側面から取り出されるようになり迫力のある外観となっていました。
ただデューセンバーグが輝いていたのはほんの数年でした。1932年にデューセンバーグ創始者のフレッドが、自分が開発したSJでの自動車事故で死亡しました。これと呼応するかのようにデューセンバーグを有するコード帝国もコード L29の販売不振から崩壊し始め、1937年にデューセンバーグ社は倒産しました。
前述したデューセンバーグ J ビクトリアは全長の長い車でしたが、このミニカーがモデル化しているデューセンバーグ SJも同じくらい長い車でした。ボディはアメリカのコーチビルダー ウェイマン(WEYMANN)が架装していて、そのリアの形状からFISH TAIL(魚のしっぽ)と名付けられていました。2座のオープンボディでテール部分にはトランクらしきものがありますが、ほとんどがデッドスペース?で現在では考えられない贅沢なスペースの使い方です。現在のような実用性重視で合理的に設計された車とは全くの別物で、このような無駄に思える虚飾を追及していることがこの種の車の魅力なのです。
ミニカーは1993年に発売されたリオ製です。1970年代に発売されたリオ製のデューセンバーグ SJのバリエーションで、ボディ後半の型を大幅に変更してこの特徴的なボディを再現しています。ボディ全体を上から見ると、車というよりもボートのような形状をしています。ボンネットの上部を取り外すことができ、ボンネット右側面から出る排気管を持つスーパーチャージャー付エンジンもそこそこリアルに再現されています。(なお実車のボンネットはこんな具合に開いたのではありませんが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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デューセンバーグ SJ トルペード セダン ’トゥエンティ グランド’ アメリカ 1933年
前述したようにデューセンバーグ Jは1929年から始まった世界大恐慌の時代に成功しており、当時のユーザーはまだ不況とは無関係だったようです。このようなユーザーに向けてさらに高級な車が1932年に発表されました。スーパーチャージャーを追加して320HP 250km/hに性能を向上させたモデル SJです。スーパーチャージャーの追加で排気管がボンネット右側面から取り出されるようになり迫力のある外観となっています。
ただデューセンバーグが輝いていたのはほんの数年でした。1932年にデューセンバーグ創始者のフレッドが、自分が開発したSJの自動車事故で死亡しています。これと呼応するかのようにデューセンバーグを有するコード帝国もL29の販売不振から崩壊し始め、1937年にデューセンバーグ社は倒産しました。
この車は1933年のシカゴ万国博覧会に出品された、デューセンバーグとして一番豪華であった特別な車でした。当時の価格が2万ドル(現在に換算するとたぶん4000万円ぐらい)であったことからこの車は「トゥエンティ グランド」という名前で呼ばれました。またトルペード セダンとは、革張り風のファブリックで覆った屋根でフェートン(4座オープンカー)のように見せかけていることを意味します。室内には4つの肘掛け付シートがあり、ウォールナットのパネルを使った豪華な内装となっていました。モデル Jは約480台が製造されその中でSJは約40台、そのほとんどはロードスターやデュアルカウルフェートンで、この車のようなセダンはたったの数台だけでした。
ミニカーはフランクリン ミント製の1/24で、1991年頃に通信販売で購入しました。フランクリン ミントは現在のオートアートなどの大スケールミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツ主体で再現されドアやボンネットが全て可動する、当時としては最も精密なミニカーでした。実車に即したカラーリングで、4ドアが開閉し室内も良く再現されています。特に室内の木目パネルはデカールを張ったプラスチックではなく本物の木目パネルが使われていて、フランクリン ミントならではのリアリティの追求がされていました。細部のディテール再現が優れているだけではなく、実車が持つ周囲を圧倒する重厚な雰囲気も見事に再現しています。当時の価格は25000円とかなり高価でしたが、その価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。これ以外のデューセンバーグ トゥエンティ グランドのミニカーは、GREAT LIGHTNING(レジン製)があります。以下はフロント(マスコット拡大)/前輪操舵動作の拡大画像とリア/荷物ラック/トランク開閉の画像です。荷物ラックはトランクに収納できなかった荷物を載せたのでしょう。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クライスラー インペリアル ルバロン デュアル カウル フェートン アメリカ 1933年
GMのビュイック部門の責任者であったウオルター P クライスラーは上層部とそりが合わず、1920年にGMを退社しました。彼は経営危機にあった小型車メーカーのマックスウェル社の再建に着手し、彼の発案で6気筒3.3Lエンジンを搭載したクライスラー シックスを開発し1924年に発売しました。この車が大ヒットしたことで経営は安定し、マックスウェル社は1925年にクライスラー社に改名しました。クライスラー社は従来のマックスウェルをプリムス ブランドに変更し、1928年にダッジを買収して傘下に収めるなどしてフォード、GMに次ぐ自動車メーカーに成長していきました。(実車画像→ クライスラー シックス 1924)
クライスラー インペリアルはフォード リンカーンやGM キャディラックに対抗するクライスラーの最上級ブランドとして1926年に登場しました。当初は6気筒4.7L(92HP)、1930年に6気筒5.1L(110HP)エンジンを搭載した豪華な高級大型車でした。インペリアル 2代目は8気筒6.3L(135HP)エンジンを搭載して1931年に登場しました。ルバロンとは元々はコーチビルダーの名前でしたが、後にクライスラーの高級車ブランド名となりました。フェートンとは4ドア(又は2ドア)の幌付オープンカーの意で、デュアル カウル フェートンとは後席の前にもウインドー付のカウルを設けたもので、オープンカーとしては最も高級な形式です。
1934年に登場したインペリアル 3代目は有名な流線形ボディのエアー フローと同じデザインでした。インペリアルは1955年にはクライスラーから独立した別ブランドとなりました。1970年代になると販売台数の少ないインペリアル ブランドを維持することが出来なくなり、1975年にブランドは消滅しました。その後今度はインペリアルをリンカーン コンチネンタルのようなスペシャルティーカーとして復活させるべく、1981年にブランドが復活しました。(実車画像→ インペリアル 1981) 結局この試みも失敗し1983年にブランドは消えました。ただ1990年にクライスラー インペリアルとして1993年まで名前が一時的に復活しました。(実車画像→ クライスラー インペリアル 1990) ちなみに1960年代の日本のTV番組 ウルトラセブンのポインター号やアメリカのTV番組 グリーンホーネットのブラックビューティはインペリアルをベースにした改造車でした。
ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.34で製造はイクソです。この雑誌のミニカーはフロントグリル、灯火類、マスコットなどクラシックカーのキーとなる部分がきちんと作ってありいずれも良く出来ていました。インペリアル 2代目をモデル化していますが、灯火類、フロントグリルとその上のマスコット(疾走するガゼル(鹿)の像)などがリアルな造形で良く出来ています。(ただ個人的にはカラーリングが今ひとつな感じがします) 色違いでほぼ同じものがイクソの廉価版ブランドのWHITE BOXでも2015年に発売されています。最近までインペリアルのミニカーは少なかったのですが、最近になってNEO(レジン製)などの新製品が発売されました。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ピアス アロー シルバー アロー アメリカ 1933年
前述したようにピアス アロー社は1928年にスチュードベーカー社の傘下となりましたが、スチュードベーカー社の経営不振で1933年に売却されて独立しました。独立したピアス アロー社が1933年のニューヨーク オートショーで発表したシルバー アローは同社の歴史上最も有名な車でした。この車は時代を超越した極めて進歩的なデザインで大評判となりました。フロントフェンダーがボディと一体化したデザインの先進性についてはこのページの同時代の車と見比べてもらえばそれがよくわかると思います。
デザインだけではなくV型12気筒7.6L(175HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速185km/hと性能も優れていました。しかしこの車は価格が1万ドル(当時の大衆車の約20倍)とべらぼうに高かったので、たった5台しか売れませんでした。(世界恐慌の不況のせいでもありましたが) 1935年には8気筒エンジン搭載の1601とV型12気筒エンジン搭載の1602/1603を安全ガラスなどの新機構を採用した「世界で一番安全な車」として発売しましたが、当時安全性の高さは売り物にならずこれも売れませんでした。そんなわけで業績は挽回せずピアス アロー社は1938年に倒産しました。(実車画像→ ピアス アロー 1602 1936 )
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。同社の1/43サイズの1920-1930年代のクラシックカーは約十数種類あり、キャディラックやパッカードなどの高級車がモデル化されていました。いずれもドアが開閉しボンネットを外すとエンジンが再現され、シャーシなどの下回りもそこそこ再現されていました。このシルバー アローもそのシリーズの1台で、先進的なデザインがうまく再現され、ややレトロな作風ながらよく出来ていました。4ドアが開閉し室内もよく再現され、ボンネットを外すとエンジンもリアルに再現されています。フロントグリル上の車名にちなんだ弓を引く人物像のマスコットもうまくできています。この車のリアウィンドーは極端に小さいですが、それも良く再現されています。これ以外のシルバー アローのミニカーはダンバリー ミントの1/24、ヤトミンのシグネチャーシリーズの1/18、イクソのMUSシリーズなどがあります。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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