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フェラーリ ディノ ベルリネッタ ピニンファリーナ イタリア 1965年
1965年のパリ サロンで公開されたフェラーリ ディノ (ディーノ) ベルリネッタは、2年後の1967年に登場したディノ 206 GTのプロトタイプでした。デザインはピニンファリーナによるもので、ミドシップエンジン故に実現できた極めて低いノーズとその先端に配置したプレクシグラスカバー付のヘッドライトが特徴でした。キャビン後方からリアエンドまで伸びたラインはピニンファリーナならではの優雅なデザインでした。またリアウインドーを垂直にしたことは、エンジン音が室内にこもることを防ぐとともに排熱にも有利になっていました。1966年に一般的なヘッドライトが付いた量産型のプロトタイプが公開され、ほぼそのままのデザインでディノ 206 GTとなりました。
ディノをベースにしたプロトタイプとしては1967年のトリノ ショーで公開されたディノ コンペティツィオーネも有名でした。それはレーシングカーをイメージしたショーカーで、抑揚の強いダイナミックなボディ、ガルウイング式ドア、車体前後に装備したスポイラーが特徴でした。漫画「サーキットの狼」に登場するディノ RSはこの車をオマージュした架空の車です。(実車画像→ フェラーリ ディノ コンペティツィオーネ 1967)
ミニカーはポリトーイ製Mシリーズの当時物で1967年に発売されました。ポリトーイ流のデフォルメで実車のイメージをかっこよく再現したポリトーイの傑作ミニカーの一つです。最大の特徴であるヘッドライト(ラインストーン製)/カバーの造形が巧みで、リアパネルを開くと6気筒エンジンとスペアタイヤがリアルに再現されています。ドア/リアパネルの開閉ギミック付きで、初期物には前輪操舵ギミックが付いた物もあったようです。これ以外のディノ ベルリネッタの当時物ミニカーとしては同じポリトーイのペニー(1/66)、ポリトーイをコピーしたナコラル、マーキュリー、ディンキー(英)があります。当時物以外ではイタリアのABC-BRIANZAのレジン製があるようです。ディノ コンペティツィオーのミニカーはポリトーイ Eシリーズとペニー(1/66)、ダイヤペット、マルシン、京商(1/64)などがあり、「サーキットの狼」のディノ RSもエイダイ グリップや京商がモデル化しています。 以下はフロントの拡大画像とリア/リアパネルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 124 イタリア 1966年
1966年にフィアット 1300の後継車としてフィアット 124が登場しました。従来の排気量を表す名前の付け方を変えたのは、新世代の車であることを示していました。見た目はシンプルな箱型デザインの後輪駆動車ながら、新設計の高性能エンジンや4輪ディスクブレーキの採用など居住性、操縦性、経済性がバランスした優れた設計でした。フィアットとして初めてEU カー オブ ザ イヤー(1967年)を獲得しています。4気筒1.2L(65HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速145km/hの性能でした。
当初はセダンとファミリアーレ(5ドアワゴン)の構成でした。1967年にホイールベースを短縮してDOHC 4気筒1.4L(90HP)エンジンを搭載したピニンファリーナ デザインの2+2シーターのスポルト スパイダーが追加されました。5段変速機で最高速174km/hと高性能でした。同年にスパイダーと同じエンジンを搭載した2ドアのスポルト クーペも追加されました。セダンには1968年に1.4L(70HP)エンジンを搭載し4灯式ヘッドライトを採用したスペシャルが追加されました。1970年のマイナーチェンジでフロントグリルが意匠変更され、スペシャルはDOHC 1.4L(80HP)エンジン搭載のスペシャルTになりました。1972年にはスペシャルTのエンジンが1.6L(95HP)に変更されました。1974年まで生産され後継車は131でした。124はロシア(ラーダ)、スペイン(セアト)、インドなどでライセンス生産され、それらも含めると総生産台数は約1500万台にもなりました。
ミニカーは1967年に発売されたメーベトイ製の当時物です。発売当初の124をモデル化しています。メーベトイ流の柔らかい感じの造形で実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミック付です。これ以外の124 セダンの当時物ミニカーはマーキュリー、エディルトイ、ポリトーイの初期物のプラスチック製、ノレブ初期のプラスチック製などがあります。当時物以外ではブレキナの1/87、EDISON GIOCATTOLIなどがあります。124のクーペやスパイダーの当時物ミニカーはポリトーイのスパイダー、マーキュリーのクーペなどがあり、当時物以外ではビテスのスパイダー、スターラインのクーペ、イクソのクーペ、オートアートのスパイダー 1/18などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット ディノ スパイダー イタリア 1966年
フェラーリはフォーミュラ 2 レースのホモロゲーションを取得する為にV型6気筒エンジンを量産する必要に迫られ、提携関係であったフィアットにそのエンジンを搭載した車を提案して生まれたのがフィアット ディノでした。(ディーノと表記されることが多いようですが、当サイトではディノと表記します) このディノとはエンツォ フェラーリの息子のアルフレード フェラーリの愛称で、彼の24歳での早すぎる死を悼んで、彼がアイデアを出したといわれるV型6気筒エンジンにディノの通称が与えられていました。
フィアット ディノは最初にスパイダーが1966年のトリノショーで登場しました。ピニンファリーナが設計/製造するダイナミックなスタイルのスパイダーにはDOHC V型6気筒2L(160HP)エンジンが搭載され、5段変速で最高速は210km/hと高性能でした。翌年の1967年にベルトーネが設計/製造する2+2シーターのクーペが追加されました。クーペはスパイダーより大きく重い為、動力性能(最高速200km/h)はやや劣りましたが、4人乗れる居住性が売りでした。1969年にはエンジンがフェラーリ ディノ 246と同じ2.4L(180HP)に変更されました。価格は同じエンジンを搭載するフェラーリ ディノ 246の2/3ぐらいでした。1973年まで生産され、総生産台数は約7800台でクーペが多くスパイダーは1/4ほどでした。(実車画像→ フィアット ディノ クーペ)
ミニカーは1996年に発売されたプロゲットK製です。プロゲットKは1970年代から最近まで存続していたイタリアのミニカーブランドで、1950-1980年代のイタリア車を主にモデル化していました。ミニカーの出来ばえは当時の平均的なレベルをやや下回るレベルでした。このフィアット ディノは全体的な雰囲気はまずまずの出来ばえなのですが、フロントグリル周りの造形が今ひとつなので実車の美しいスタイルがうまく伝わりません。これ以外のフィアット ディノ スパイダーのミニカーはシュコー(ジュニアライン)、ミニチャンプス、京商(1/64)などがあります。フィアット ディノ クーペのミニカーはマーキュリー、メーベトイ、ダイヤペットの1/50、ノレブの初期のプラスチック製などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ OSI スカラベオ イタリア 1966年
OSI(Officine Stampaggi Industri)は、カロッツェリア ギアの社長であったルイジ セグレ(Luigi Segre)が1960年にトリノに設立したカロッツェリア(コーチビルダー)でした。主にフィアットから委託された量産車のボディを製造していました。OSIが製造していた車としては、フィアット 2300S クーペ、フィアット 1300/1500 ファミリアーレ、フィアット OSI 1200、フォード タウヌス 20M TSなどがありました。後にギヤから独立して独自デザインの車も製造しましたが、1967年に自動車生産から撤退しました。
量産車以外でOSIがデザインしたプロトタイプとしては、フォード マスタング、アルファ ロメオ OSI スカラベオ、DAF シティカーなどがありました。特に1966年に発表されたスカラベオはその独創的なデザインで有名でした。ジュリア GTAのエンジンを使ったスポーツカーのプロトタイプで、ドライバーの着座位置を車体中央に置き、操作性/操縦性に優れたコクピットを提案したものでした。このデザインを実現するためにエンジンを横置きミドシップ搭載していましたが、これは当時としては珍しいエンジン搭載方式でした。(現在のミドシップカーのデザインの先取りといえます) スカラベオはこのクーペ以外に、通常の横開きドアを持つ一般的なデザインのクーペとオープンのスパイダーがありました。(実車画像→ アルファ ロメオ OSI スカラベオ クーペ)
ミニカーは1969年に発売されたポリトーイ製の当時物です。私の知る限りでは、1/25サイズの量産ミニカーはこれが最初の物でした。エンジン等のメカを再現したことで人気のあったポリトーイの1/43のMシリーズを発展させ、サイズを大きくしてよりリアルにメカを再現したポリトーイの意欲作でした。独創的なボディがうまく再現され、大きく開くキャノピーとリアルに再現されたコクピット、リアルに再現された横置き4気筒エンジン/変速機/サスペンション、ステアリングホイールと連動した前輪操舵など素晴らしい出来ばえでした。コクピット内はペダルやレバーが再現され、インパネのメーターはカバーガラスが透明プラ材で再現されていました。このミニカーを入手した当時(50年以上も昔です)はそのリアルな出来ばえに驚きました。ただこのポリトーイの1/25シリーズは最初の数車種はレベルの高い出来ばえでしたが、その後は単に1/43を大きくしただけの並みの出来ばえになってしまいました。これ以外のOSI スカラベオのミニカーはディンキー(英)の当時物がありました。最近の物ではフランスのALEZANのレジン製組立キット完成品があるようです。以下はフロント/フロントトランクを開いた画像とリア/リアフードを開いたエンジンルームの画像です。エンジンルームには横置きされた4気筒エンジンがリアルに再現され、実車に即した構造のコイルスプリング式サスペンションは実際に可動します。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 1600 スパイダー (デュエット) イタリア 1966年
アルファ ロメオ 1600 スパイダー (デュエット)にはジュリアという名前が付いていませんが、ジュリアの派生モデルで、1966年に発表されました。デュエットというサブネームは一般公募で決められた愛称で、正式の名前ではありませんでした。ピニンファリーナ製の個性的なスタイルの2シータースパイダーボディにスプリント GTV(ヴェローチェ)用の109HPエンジンを搭載し、最高速は187km/hと高性能でした。
前述したスプリント GTより高価でしたが、ピニンファリーナ製ボディの魅力でこの車も人気がありました。エンジンは1967年に1.8L(118HP)、1971年に2L(133HP)と大きくなっていきました。1969年にリアオーバーハングを切り落として少しモダンなスタイルとなりました。(実車画像 → アルファ ロメオ 2000 スパイダーのリア このようなテール処理をコーダ トロンカ(CODATRONCA)と呼びます) 1983年には前後のバンパーが安全規制対応で大型化され、テールライトも大型化されました。1990年の最終型ではノーズとテールのデザインが変更されエンジンが燃料噴射式となりました。スパイダーは北米市場で根強い人気があり、1993年まで生産され、27年間の総生産台数は約12万台でした。
ミニカーは1960年代に発売されたメーベトイ製の当時物です。1600 スパイダーの初期型をモデル化しています。初期のメーベトイ流の柔らかな感じのデフォルメがされていていますが、実車の雰囲気は良く再現されていました。(テールがやや下がりすぎていますが) ボンネット/ドア/トランクの開閉ギミック付で、脱着出来るハードトップも付属していました。 アルファ ロメオ スパイダーの当時物ミニカーはこれしかないようです。当時物以外ではビテス、オートアートの1/18、ミニチャンプス、ブレキナの1/87、ARS モデル、ジョエフの1/18などたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とトランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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