Sorry Japanese Only
オペル ディプロマット B ドイツ 1969年
オペルの上級車カピタン(カピテーン)/アドミラル/ディプロマットは1969年に2代目タイプ Bにモデルチェンジしました。先代より少し小さくなりカピタン/アドミラルは先代のスタイルを継承していましたが、最上級車のディプロマットは当時のアメリカ車(GM キャディラック 1967など)で流行した縦長のヘッドライトを採用していました。後輪サスペンションにド ディオン アクスルを採用し、操縦性や乗り心地を改善していました。エンジンは6気筒2.6L/2.8LとV型8気筒4.6L/5.4Lなどでした。(参照画像→ オペル アドミラル B )
カピタンは販売不振で1970年に生産中止となりました。V型8気筒搭載のディプロマットはメルセデス ベンツ(W116)に匹敵する性能があり、ロングホイールベース版も設定されていました。ただやはりオペルがこのクラスでメルセデス ベンツに対抗するのは難しく、アドミラル/ディプロマットは、1978年に後継車セネターに変わりました。この時点でカピタン/アドミラル/ディプロマットの名前が消えました。タイプ Bの総生産台数は約6.1万台でした。なおディプロマットをベースとした2ドアクーペ ビッター CDが1973年にドイツのビッター(BITTER)社から少数販売されました。(実車画像→ ビッター CD)
ミニカーは2002年に発売されたミニチャンプス製です。フロントグリル/灯火類と室内などはミニチャンプスらしい細部にこだわった良い出来ばえですが、サイドビューではキャビン部分が大き目でややアンバランスに見えます。ミニチャンプスが作るドイツ車のミニカーの出来ばえはほとんどが良好であまり外れがないのですが、これはデフォルメに失敗した外れの類だと思います。ミニチャンプスはカピタン B/アドミラル B/ビッター CDもモデル化しています。これ以外のタイプ Bのミニカーはブレキナのカピタン B/アドミラル B/ディプロマット B(最後の4気筒エンジン搭載のディプロマットでアドミラルと同じ外観)、シュコーのアドミラル B、ネオのビッター CDなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1192
メルクス RS1000 東ドイツ 1969年
メルクスはレーシングカー ドライバーのハインツ メルクス(Heinz Melkus)が1959年に設立した東ドイツの自動車会社でした。同社は主にレーシングカーを製作し、そのほとんどの部品は東ドイツのワルトブルグとトラバントから供給されました。同社のレーシングカーは東ドイツ フォーミュラー3、フォーミュラー ジュニアなどに参戦し、ドライバーのハインツ メルクスは1960年代に何度かチャンピオンとなっていました。同社は1986年に自動車製造を止めて自動車ディーラーとなりました。
1969年に登場したメルクス RS1000はメルクスが生産した唯一のロードカーでした。RS1000はワルトブルグ製の2ストローク3気筒992㏄(68HP)エンジンをミドシップ搭載したスポーツカーでした。ラダーフレームにFRP製ボディを被せる構造で、ガルウィング式ドアを採用していました。1979年まで生産され総生産台数は101台でした。メルクス社はRS1000の後継車として2009年に新型のRS2000を開発し少量生産しましたが、2012年に破産しました。(実車画像→ メルクス RS2000)
ミニカーは2003年に発売されたミニチャンプス製です。実車の写真(上記実車諸元の画像参照)と見比べれてみると、ミニチャンプスらしいそつのない正確な造形で、実車がリアルに再現されていることが分かります。ミニチャンプスはRS1000のレース仕様車と後継車だったRS2000もモデル化しています。メルクスは日本ではほとんど知られていない車ですが、RS1000のミニカーはブレキナ(1/87)とIST MODELS(1/43)が発売しています。ミニカーとしてモデル化されていたので、欧州ではメルクス(RS1000)が東ドイツの車として結構知られていたようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1925
メルセデス ベンツ C111 2代目 ドイツ 1970年
NSU社がロータリーエンジン開発に成功し、1964年に世界初のロータリーエンジン搭載車NSU スパイダーが登場しました。その後多くの自動車メーカーがロータリーエンジン開発に取り組みました。メルセデス ベンツもロータリーエンジンの開発を行っており、1969年のフランクフルト モーターショーで公開されたC111 初代はその実験車でした。 ガルウイング式のドアを持つFRP製のボディに、燃料噴射式3ローター ロータリーエンジン(3X600cc 280HP)をミッドシップ搭載し、最高速は260km/hでした。(実車画像→ メルセデス ベンツ C111 1969) 数ヵ月後の1970年のジュネーブ モーターショーでC111 2代目が公開されました。初代とはフロントのボンネット部分の黒いグリル形状が異なりますが、ほぼ同じデザインのボディに4ローター ロータリーエンジン(350HP)が搭載され、最高速300km/hの性能でした。
C111は実験車ながら、レザートリムの内装、エアコン付きなど豪華な装備となっていて当初は市販が予定されていました。しかし1973年の中東戦争でオイルショックが起こり、燃費の悪いロータリーエンジンの開発は中止となり、この車が市販されることはありませんでした。その後エンジンを5気筒3Lターボディーゼル(190HP)に変更したC111 3代目が1976年に公表され、さらに1979年に登場したC111 4代目はボディを変更しV型8気筒4.8Lツインターボエンジン(500HP)を搭載して最高速400㎞/hの速度記録車に発展しました。(実車画像→ メルセデス ベンツ C111 4代目)
ミニカーは1970年に発売されたソリド製の当時物で、C111 2代目をモデル化しています。ソリドらしいシャープな造形で、リアルな太いタイヤ/ダイキャスト製ホイールなど良くできています。(ただフロントノーズ周りの造形がいまひとつですが) リアカウルを開くと、コンパクトなロータリーエンジンが再現されています。世間の注目を集めたC111は当時物ミニカーが非常にたくさんありました。ディンキー、コーギー、ノレブ(JET CAR)、メルクリン、ガマ、マーキュリー、マテルメーベ、ポリトーイなど当時の主なミニカーメーカーがモデル化していました。その中でディンキーとマーキュリーとポリトーイがC111 初代で、あとはすべてC111 2代目をモデル化していました。最近ではミニチャンプス、ノレブがC111 2代目をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアカウルを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1863
フォルクスワーゲン ビートル 1302 ドイツ 1970年
フォルクスワーゲン ビートルは基本設計を変更しないまま改良および変更が加えられました。1960年代後半のラインナップは1200(1192㏄ 34HP)と1300(1285㏄ 40HP)の2モデルでした。1970年には上級グレードの1302と1.6L(1584㏄ 50HP)エンジン搭載の高性能版1302Sが登場しました。1973年には1302Sの発展型1303が登場しました。1974年には1200もテールライトが1303と同じ大型のものとなり、フロントフェンダー上にあったウィンカーがバンバーに移されました。1974年には生産台数が1800万台に達しました。1970年代に日本国内ではビートルの人気が高まり1200系に1.6Lエンジンを搭載した1200LS、その電子式燃料噴射仕様の1200LSE/LEなどが輸入されました。
ビートルの後継車として1961年には1500が、1968年には411が登場しましたが、その両車とも真の後継車にはなれませんでした。その後1973年にパサートが登場し、シロッコ、ゴルフ、ポロといった新世代の前輪駆動車が揃ったところで、ビートルは役目を終え1978年にドイツ本国での生産が終了しました。しかしその生産設備はブラジルやメキシコ工場に移管され、メキシコでは2003年まで生産が続けられました。さらにビートルのオマージュとして1998年にニュー ビートルが登場しました。
フォルクスワーゲン ビートルのミニカーはたくさんあります。当サイトのデーターベースには約1500件がリストアップされています。(ビートルのミニカーは年式が明確にわからない物が多いので4割ぐらいは年式未記載です) 私はビートルのミニカーを約50台保有していますので、それらを年代別に分けて紹介します。ここでは1970年代以降のビートルを紹介します。
最初のミニカーは2004年に発売されたミニチャンプス製です。 1970年式の1302をモデルしています。前述したミニチャンプス製の1951年式初期型と見比べると前後のバンパー、ボンネット形状、フェンダー形状、灯火類、室内のインパネ、ステアリング形状などの変更が正確に反映されています。 ここまで徹底して年式別にモデル化されるのもビートルなればこそですし、またそれを実現しているミニチャンプスも自国の名車ですから精力的にモデル化しているのだと思います。同じドイツのシュコーもビートルを精力的にモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=512
フォルクスワーゲン K70 ドイツ 1970年
フォルクスワーゲン K70は元々はNSUが開発したロータリーエンジンを搭載したNSU Ro80のレシプロ エンジン版として開発された車でした。しかし1969年にNSUがアウトウニオンと合併したことで、フォルクスワーゲンの傘下となった為、1970年にK70という名前でフォルクスワーゲンから登場しました。従来のフォルクスワーゲン車とまったく違った感じがするのはその為です。 4気筒1.6L(75/90HP)エンジンはNSU式に縦置き搭載されて前輪を駆動し4輪独立懸架サスペンションを採用して、4段変速で最高速158km/hの性能でした。
1972年に角型2灯式ヘッドライトが丸型4灯式ヘッドライトに変更されました。1973年には1.8L(100HP)エンジンを搭載する高性能版K70Sが追加されました。最新のデザインを採用した前輪駆動車K70で、同じ4ドアセダンでデザインが不評であった411の不振を挽回するはずでしたが、何故かこの車も人気が出ませんでした。1975年に生産中止となり、総生産台数は約21万台でした。この当時のフォルクスワーゲンは、前輪駆動車への移行期で色々と試行錯誤していました。
ミニカーは1971年に発売されたメルクリン製の当時物です。メルクリンは鉄道模型の老舗ブランドですが、当時はミニカーも手掛けていました。鉄道模型の老舗ブランドらしい巧みな造形でシンプルで直線的なデザインの実車の雰囲気がうまく再現され、当時物ミニカーとして良く出来ていました。個性的なフロントグリルは、ブラックアウトしたグリルと大きな角形のラインストーンを使ってそれらしく仕上げてあります。ボンネット/4ドア/トランクが開閉するギミック付で、開閉ヒンジ部に板バネを使っているので開閉動作に節度感があります。(4ドア開閉は当時としては凝ったギミックでした) これ以外のK70の当時物ミニカーはシュコーの1/66、ポリトーイの1/55があり、当時物以外ではノレブ、ヴィーキングの1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=520
サラブレッド期 ← ページ « 前へ 1...13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 ...56 次へ »
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2024 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.