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クライスラー プリムス アメリカ 1941年
クライスラーのダッジ ブランドの起源はダッジ兄弟がデトロイトで1900年に設立した自動車部品会社「ダッジブラザース バイシクル」でした。同社は起業当時のフォード社と業務提携して部品の供給を行い、やがて車体の製造も始めてフォード社とともに発展しました。1914年にフォード社から独立して「ダッジブラザース モーター」社を創立し自社製自動車の生産を始めました。同社の自動車はフォード T型より少し高級な仕様で、1916年にはフォードに次ぐ売り上げがありました。またダッジはアメリカの自動車会社として初めて陸軍に輸送用トラックを納入しそれらは第1次大戦で高い評価をされました。
しかし1920年にダッジ兄弟が相次いで亡くなった頃から同社は業績が悪化し、1928年にクライスラーに買収されました。買収後のダッジはクライスラーの中級車として扱われ、1930年には8気筒エンジン搭載車が追加されました。1930年当時のクライスラー社のブランドにはクライスラー、ダッジ、デソート、プリムスがありました。デソートは1929年に登場した中級車で最上級車クライスラーの廉価版、プリムスは1928年に登場したクライスラー初の大衆車でした。1930年代中頃にはダッジはデソートに次ぐ扱いに変わりました。また1934年以降クライスラーとデソートには時代を先取りしたエアフローデザインが採用されたことが販売不振の原因となりましたが、ダッジではこのデザインは採用されませんでした。
ミニカーは2006年頃に発売されたシグネチュア製です。1939年にデザインが一新されたプリムス ラグジュアリー ライナー 1941年式をモデル化ししています。高いノーズが突き出たフロントの造形は当時流行りのデザインで、同時期のフォードやシボレーも同じような感じのデザインでした。シグネチャーは縮尺1/32で1920-1950年代の代表的なアメリカ車をモデル化していて、1/43よりはサイズが大きいので結構細かいところまで再現されていました。このプリムスも実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルのロゴ、ナンバープレート、室内などの細部もリアルに再現されています。ボンネット/ドア/トランクの開閉ギミック付で全輪の操舵もできます。戦前のプリムス セダンのミニカーはこれぐらいしかないようです。このような平凡な大衆車はあまり量産ミニカーとしてモデル化されないので、その点で貴重なミニカーです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。エンジンもそこそこリアルに再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン タイプ 82E コマンダー ドイツ 1943年
ドイツ語の「VOLKSWAGEN」とは直訳すると「国民車」で、この名前は戦前のナチス政党が掲げた「国民車構想」に由来していました。「国民車構想」とは国民の誰もが買える安価な実用車を開発するというもので、同じような構想を抱いていたフェルディナント ポルシェ博士がその開発にあたりました。1938年に完成したプロトタイプにはKdF(Kraft durch Freude:喜びを通じての力)という政治スローガン的な名前が付けられました。
「国民車構想」で開発されたフォルクスワーゲン KdFを買う為の積立て貯金システムが開始され、20万人以上がこのシステムに加入しました。1938年にはKdF専用の生産工場も完成しましたが、1939年にドイツが第2次世界大戦を始めた為、KdF専用生産工場はKdFをベースとした軍用車の生産に転じることになり、結局KdFは一般国民にはほとんど渡らずじまいで敗戦となってしまいました。戦後このKdFをベースにしてビートルが登場しました。
ミニカーは1997年頃に発売されたリオ製です。軍用車に転用されたKdF タイプ 82E コマンダー(指揮官車)をモデル化しています。艶消し塗装されて無線アンテナが付き、ヘッドライトが灯火管制の為ひさしの付いたブラックアウトタイプに変更され、ジープのようなアウトドア用のタイヤを履いてます。軍用車として変更された点が実車に忠実に再現され良く出来ています。リオはこのほかにも迷彩を施したKdF軍用車を数種類モデル化しています。リオ以外のKdF軍用車のミニカーは軍用車をモデル化しているホビーマスターの1/48、ビテスのタイプ 83 荷台付トラックなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン タイプ 166 シュビムワーゲン ドイツ 1944年
シュビムワーゲンはフォルクスワーゲン KdFをベースにした水陸両用軍用車で、前述したのキューベルワーゲンの発展型でした。独語のシュビメン(SCHWIMMEN)は英語のSWIMで泳ぐという意味なので、シュビムワーゲンは泳ぐ車という意味です。車台がバスタブのような構造になっているので、船のように水に浮きます。車体後部にはエンジンによって駆動される3枚羽のスクリュウ式推進装置を持ち、それを使って水上では10km/hで走行できました。スクリュウ式推進装置は使わないときは駆動軸とのカップリングを外して、上に跳ね上げておくことができました。
空冷4気筒エンジンは985㏄から1131cc(24.5HP)に強化され、水上から陸に上がる際などの悪路走破性を高める為に4輪駆動方式(パートタイム式)が採用されました。1941年にタイプ 128 シュビムワーゲンが完成し、1942年からはホイールベースを短縮して悪路走破性を向上させた改良型のタイプ 166に変わりました。構造が複雑なのでキューベルワーゲンほど多くは生産されておらず、高い機動性が必要な部隊に配備されました。1944年まで生産され総生産台数は約15000台でした。
ミニカーはビテス グループのブランドで軍用車をモデル化していたビクトリア(VICTORIA)製で1998年に発売されました。プロポーションが良く、水上で使われる手漕ぎ用オールやスコップなどの細かな備品がプラスチック製パーツで再現されていてとても良く出来ています。水上走行で使われるスクリュウ式推進装置の跳ね上げもできます。同じ仕様で幌付のバリエーションもありました。見た目が面白いユニークな車ですので、軍用車マニアでなくても一台欲しくなるミニカーです。これ以外のシュビムワーゲンのミニカーはミリタリー物をモデル化しているホビー マスターの1/48、童友社の1/43、シュコーの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とスクリュウ式推進装置を下す動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 202 フランス 1946年
1938年にプジョー 201の後継車として202が登場しました。プジョー 402から始まった02シリーズの基本設計を踏襲し、フロントグリルに内蔵したヘッドライトなど同じコンセプトの流線型ボディにアルミ合金製ヘッドのOHV 4気筒1.1L(30HP)エンジンを搭載していました。エンジンは30HPと非力でしたが、軽い車重と空力に優れたボディの為、最高速は100㎞/hが可能でした。4ドアセダン、2/4ドアカブリオレ、2ドアピックアップと幅広いボディタイプが揃っていました。
202は先代を上回る大ヒットとなり当時のライバルであったルノー ジュヴァカトルを販売台数で上回りました。この成功でプジョーはシトロエンに次ぐフランス第2のメーカーとなりました。202は第2次大戦の為1942年に生産中止となりましたが、戦後に再生産されました。1948年まで作り続けられ1949年に戦後型として新設計された203にモデルチェンジしました。
ミニカーは2005年に発売されたイクソ ジュニア製です。戦後に再生産された戦後型のプジョー 202をモデル化しています。このミニカーは2007年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.43でモデル化された物とほとんど同じ物のようです。この小粋な小型車の雰囲気がうまく再現されていて、とても良く出来ています。特に02シリーズに共通のフロントグリルに内蔵されたヘッドライトの再現方法は秀逸です。空気を取り入れるフロントグリルなので実際はこのような透明なカバーではなく縦枠で組まれたグリルなのですが、それを透明プラスチックでうまく表現しています。フロントグリルの奥に黄色いヘッドライトを内蔵していることが良くわかるので実にうまいやり方です。このように多少実車と異なる構造でも、実車の特徴を強調してモデル化するのはスケールモデルではないミニカーならではのやり方です。これ以外のプジョー 202のミニカーはノレブのセダンとピックアップがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 145 シャプロン フランス 1946年
1930年代後半のGPレース(現在のF1に相当)ではドイツのナチス政権が国策でバックアップするメルセデス ベンツ/アウト ウニオンのドイツ勢が圧倒的に強く、ブガッティ、ドライエ、ドラージュのフランス勢がこれに対抗していました。1937年にドライエ 135の後継車として145が登場しました。145は主にGPレース用に開発された高性能車で3本のカムシャフト、2つの点火装置、3つのキャブレターを備えたV型12気筒4.5L(240HP)エンジンを搭載していました。145のレース仕様は1938年のベルギー ポー(PAU)GPでは、メルセデス ベンツ W154を下して優勝しています。(実車画像→ ドライエ 145 GPレース仕様 1937)
1939年に第2次世界大戦が勃発し、ドライエ社は軍用車(トラック)の生産に集中しました。戦後の1946年には乗用車生産を再開し、戦前の135Mを後継する高級車235が1951年に登場しました。戦後のフランスでは高級車に高い税金が課されたことによりドライエのような高級車は売れなくなり、販売不振となたドライエは1954年にオチキス社に吸収されて消滅しました。
ミニカーはマッチボックス傘下で一時的に復活したディンキー製で1990年頃に発売されました。このマッチボックス傘下のディンキーのミニカーは、往年のディンキーのファンだったマニア向けとして作られたようで、これ以外にキャディラック 62 クーペ デビルやベントレー R コンチネンタルなど約40車種ほどがありました。昔のマニア向けでしたので、1990年代のミニカーとしてはややレトロな作風でした。このドライエ 145は1946年式となっているので戦後にコーチビルダー アンリ シャプロンが架装したクーペをモデル化しているようです。レトロな作風で実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良く出来ていました。ドライエのフロントグリルは剣道の面に似ているといわれますが、この車のグリルはまさにその典型的なものです。これ以外のドライエ 145のミニカーはミニチャンプスのクーペとレース仕様、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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