Sorry Japanese Only
シムカ 5 フランス 1936年
イタリア生まれのフランス人 アンリ テオドル ピゴッツィ(Henri Th?odore Pigozzi)はフランスでイタリアのフィアットの販売権を得ましたが、当時のフランスは輸入車に高額な関税を課していたので大衆車は価格が高くなり売れませんでした。そこでほとんど完成車状態の車をパーツとして輸入し簡単な製造ラインで完成させて、関税を逃れて販売するという抜け道で製造/販売を始めました。最初に販売したのはフィアット 508 バリッラで、フランス国内に1Lクラスの車がなかったので大成功しました。この成功で1934年にはフィアットの資金援助を受けて小型車製造工場を買収し、シムカ社(SIMCA:Societe Industrielle de Mechanique et de Carrosserie Automobile:自動車車両車体工業会社)を設立しました。
当初はフィアット フランスの名前で主に508 バリッラを製造しました。その後シムカの名前を付けた最初の車シムカ 5が1936年に登場しました。シムカ 5はフィアット 500 トポリーノのライセンス生産で、フロントグリルの細部やロゴ以外はトポリーノとおなじでした。全長約3.2mの2座小型車で水冷4気筒569cc(13HP)エンジンをフロントに搭載し最高速度85km/hの性能でした。低価格で燃費が良いこの車はイタリア同様に大成功をおさめ、1939年までに約6.5万台が生産され、シムカはフランス第4位の自動車メーカーとなりました。1938年にはフィアット 508Cのライセンス生産であるシムカ 8も登場しました。1939年に第2次大戦が勃発しシムカの乗用車は生産中止となりました。
ミニカーは1995年頃に発売されたブルム製です。ブルムはフィアット トポリーノをモデル化していますので、実車同様にホイールキャップのロゴをSIMCAに変更してシムカ 5に仕立てています。外観はトポリーノと全く同じですので、このシムカ 5もかわいらしい雰囲気がうまく再現されていて良い出来ばえです。バリーエーションで幌を閉じたものや軍用車仕様、商用車仕様のフルゴンチーノがあります。これ以外のシムカ 5のミニカーはノレブ初期のプラスチック製とノレブの最近の物などがあります。 以下はフロント/リア(ホイールキャップ拡大)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1989
イスパノ スイザ K6 カブリオレ スペイン/フランス 1936年
1930年代前半の世界大恐慌による不況の進展で、イスパノ スイザ J12のような大排気量高級車の需要は減少しました。そこでイスパノ スイザはJ12のV型12気筒エンジンの片バンクを流用した直列6気筒(120HP)エンジンを開発し、そのエンジンを搭載したK6を1934年に登場させました。K6はJ12をベースにしていましたので高品質な高級車で安くはなかったのですが、J12より売れ行きは良かったようです。4段変速で最高速145km/hの性能でした。
スペイン内乱などで社会情勢が悪化し、戦争が近づいたことからイスパノ スイザ社の車両生産は低迷し、1938年には航空機エンジン製造に専念するために自動車生産が中止されました。そのためK6の生産は1937年に終了し総生産台数は約200台でした。この時点でイスパノ スイザ車はその歴史を終えました。なおイスパノ スイザ社の航空機事業は1968年にフランスの航空機製造会社に買収されてイスパノ スイザの社名は消滅しました。なお2019年にイスパノ スイザの名前が復活してEVのスポーツカー カルメンを発表しています。
ミニカーは1975年に発売されたマッチボックス製のYシリーズです。カロッツェリア プルトゥー(Pourtout)が架装したと思われるスポーティな2ドアカブリオレをモデル化しています。マッチボックス製のYシリーズは歴史的に有名なクラシックカーを揃えていましたが、細部の造形を簡略化することで安価に仕上げていました。 安価ながらプロポーションはしっかりしていたので、実車の雰囲気はうまく再現されていました。(ただし縮尺を統一していなかったことが、マニア向けとしては今一つでした) このイスパノ スイザ K6も縮尺が1/48と中途半端で、マッチボックス流の簡素化でヘッドライトとバンバーが一体成型されています。ただそれ以外はきれいなカラーリングで実車がうまく再現されていましたので、1970年代に作られたミニカーとしては悪くない出来ばえでした。またイスパノ スイザ K6のミニカーはこれとMATRIX(レジン製)ぐらいしかないので車種的には貴重でした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=290
タルボ (ラーゴ) T23 フランス 1936年
タルボ パシフィックの解説に記載したように、タルボの親会社STD(SUNBEAM TALBOT DARRACQ)モーター社は財政難から1935年にイギリスのルーツグループに吸収されました。1938年に「サンビーム-タルボ」ブランドができましたが第2次大戦後に消滅しました。タルボのフランス工場は起業家のアンソニー ラーゴ(Anthony Lago)が買い取り、後に「タルボ-ラーゴ」ブランドの車を製造しました。
1930年代のタルボの代表的なモデルであったT23が1936年に登場しました 当時のフランスの高級車らしい優雅なデザインの高級車でした。クーペ、カブリオレ、セダン、リムジンがあり、コーチビルダーのフィゴーニ-ファラスキーやソーチックがボディを架装していました。当初のエンジンは6気筒3L(90HP)で、後に6気筒4L(115HP)が搭載され、4段変速で最高速150km/h(4L)の性能でした。なおT23は前述したタルボ パシフィックの発展型らしいので、タルボ ラーゴではなくタルボとしました。1937年に新設計のモデルが登場しそのモデル(タルボ-ラーゴ T120/150など)からはタルボ ラーゴと呼ぶようです。
ミニカーは1981年に発売されたソリド製です。フィゴーニ-ファラスキーが架装した?と思われる2?ドアカブリオレをモデル化しています。ソリドの型番4000番台は1980年代に作られたクラシックカーのシリーズで、比較的安価で良く出来ていました。このタルボ T23も当時の定価が2000円ほどと安価でしたのであまり凝ったところはありませんが、実車の雰囲気がうまく再現されていて値段相応の良い出来ばえでした。後ろヒンジでドアが開閉するギミック付きです。ソリドは別ブランドのべレムで、2ドアセダンもモデル化していました。これ以外のタルボ T23の量産ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=358
ブガッティ T57G ルマン 優勝車 フランス 1937年
1923年のフランス GPに参戦するために開発されたレースーカー ブガッティ T32は、その独特のボディ形状からタンク(水槽)という名前が付けられていました。その後の1937年のルマンで優勝したブガッティ T57Gも同じタンクという通称で呼ばれました。T32 タンクは正面から見ると正方形の角ばったボディでしたが、T57 タンクはボディ全体が流線型になっていていました。T57 タンクは前述したブガッティ T57のレーシングカー仕様でしたので、馬蹄形のフロントグリルとライトの位置にT57のイメージを残していました。T57のDOHC 8気筒3.3Lエンジンを200HPにパワーアップして搭載していました。
1939年にもスーパーチャージャー付きのT57Cをベースにした車がルマンで優勝しています。そのT57Cのテスト中に創業者エットーレ ブガッティの長男ジャンが事故死してしまいました。その為その後のブガッティ社内には過去の設計に拘るエットーレに進言できる人がいなくなりました。その直後に第2次世界大戦が勃発し、ブガッティのような高級車は生産できなくなり、軍用の航空機部品生産を行うようになりました。戦後の1947年にエットーレは病死しました。
ミニカーは2003年に発売されたイクソ製のルマン参戦車シリーズの1台です。1937年ルマンに出場してリタイアしたブガッティ T57G #1をモデル化しています。プロポーションが良く、フロントグリルの奥に配置された補助ライト、メッシュ金具で保護されたヘッドライト、右側側面の赤いランプ、細かい細工のワイヤーホイールなど細かい部分もよく作り込まれています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=252
プジョー 302 ダールマ ロードスター フランス 1937年
ダールマはパリの有力なプジョー販売店のオーナー エミール ダールマ (Emile Darl'mat)の発案で製作されたプジョーをベースにした少量生産のスポーツカーでした。当初はダールマの工場で製作されたようですが、1936年頃からはプジョーの工場で製作されました。代表的なモデルはプジョー 302のシャーシに70HPにチューンした402の4気筒2Lエンジンを搭載した302 ダールマで、コーチビルダーのプルート(POURTOUT)がクーペやカブリオレのボディを架装していました。1938年にはプジョー 402のシャーシを使った402 ダールマも登場しました。
プジョー 302 ダールマのレース仕様車は1937年ルマンに出場し総合7、8、10位でクラス準優勝し、1938年ルマンでは総合5位でクラス優勝しました。このレース仕様のダールマはそのボンネットサイドの見た目から「八目鰻」とあだ名されました。この連続する丸い穴は模様ではなくエンジンの熱気抜き用の通気穴でしたが、フランス流のセンスでうまいアクセントになっています。戦後の1947年にプジョー 202をベースにした202 ダールマが1.1Lクラスの速度記録を達成し、1953年にプジョー 203をベースにした203 ダールマが少量生産されました。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.8で、メーカーはノレブです。(国内販売されなかったのでオークションで入手しました) 1937年のルマンで8位となった車(#25)をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルや特徴的なボンネットサイドの通気孔など細部もそこそこリアルで、良く出来ています。ノレブはカタログモデルでは型番473201で10位となった車(#27)をモデル化していますが、それはこれより内装の仕上げが良く幌が付いています。ダールマのミニカーはノレブが1/18も含めて約10種類を発売していてほぼ独占しています。なおノレブがモデル化する以前は、エリゴール初期の402 ダールマが唯一のミニカーでした。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)