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アルファ ロメオ ジュリエッタ SZ イタリア 1960年
アルファ ロメオ ジュリエッタ SZはジュリエッタのレース仕様車で、1957年に登場しました。SZとはスプリント ザガート(SPRINT ZAGATO)の略で、カロッツェリア ザガートのデザインによるスプリント(スポーツ)仕様という意味です。アルミ製のボディやプラスチック製のドアウインドーなどで車重785kgまで軽量化され、1.3Lながら100HPにチューンしたエンジンで最高速195km/hと極めて高性能でした。SZはスプリントの約1.5倍と高価なモデルで、たったの200台ほどしか生産されていません。1961年タルガ フロリオでのクラス優勝など、ラリーやレースなどで活躍しました。
この車のテールはコーダ トンダ(CODA TONDA 伊語で「丸い尻尾」の意)とよばれています。SZの後期型であるSZ2は空気抵抗を下げるためノーズとテールが延ばされました。その際にテールは途中で切り落としたような処理がされ、これはコーダ トロンカ(CODA TRONCA 伊語で「尻尾を切る」の意)又はカムテールと呼ばれています。 (実車画像→ ジュリエッタ SZ2) 長く伸ばして絞り込んだテールが最も空気抵抗が少ないという従来の理論に対して、テールを途中でカットしてもその空力的効果は変わらないというカム理論を応用したものでした。SZ2は120HPまでパワーアップし最高速は220km/hまで向上しました。1963年にSZ2はTZに発展しました。
ミニカーはバン製で2000年に発売されました。前述したバン製のスプリントと同様に、これもプロポーションがよく丸みのあるボディがうまく再現されていました。フロントグリル、ホイール、室内など細部もよく再現されていて、2000年代に作られたミニカーながらとても良い出来ばえでした。ジュリエッタ SZの当時物のミニカーはなく、現時点でもSZの量産品ミニカーはこのバン製しかありません。(レジン製の少量生産品ではスパークの1/43やテクノモデルの1/18がありますが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア フラビア イタリア 1960年
ランチア フラミニアとランチア アッピアの間を埋める中型車として1960年にフラビアが登場しました。イタリア車初の量産車への前輪駆動方式の採用、新設計のアルミ製水平対向4気筒1.5L(78HP)エンジン、全輪ディスクブレーキなどランチアらしい先進的な設計でした。またオーソドックスなセダンボディはセンタートンネルのない前輪駆動方式の為、室内やトランクが広く実用的な車でもありました。また実用車だけではなくピニンファリーナ製のクーペやザガート製のクーペ スポーツ ザガート、ヴィニアーレ製のコンバーチブルもありました。(実車画像→ランチア フラビア コンバーチブル)
1963年にエンジンが1.8L(92-105HP)に拡大されました。1967年にフロントグリルを大幅に変更した後期型に変わりました。1969年にランチアはフィアットに売却されてフィアット傘下となりました。フラビアは1969年に排気量が2L(115HP)に拡大され、セダンとピニンファリーナ製クーペ以外は生産中止となりました。1971年からはフラビアの名前が外れて2000に名前が変わり、1974年まで生産されました。総生産台数は約105万台でした。後継車は1976年に登場したガンマでした。(実車画像→ランチア ガンマ)
ミニカーは1966年に発売されたメーベトイ製の当時物です。メーベトイの作風は当時としてはスケールモデル的な造形でしたが、このフラビアもランチアらしい顔つきと四角い箱といったオーソドックスなボディをうまく再現していました。ヘッドライト周りが汚れていてやや見苦しいですが、この汚れははヘッドライトのラインストーンを接着した時にはみ出した接着剤が変色したもので、メーベトイのミニカーによくみられる経年変化です。ドアが開閉するギミック付きです。フルビアの当時物ミニカーはマーキュリーのセダンとクーペ、ポリトーイのセダン(初期のプラスチック製)とスポーツ ザガート、ノレブ初期のプラスチック製などがありました。当時物以外ではノレブの後期型セダン、EDISON GIOCATTOLIのクーペ、NEO(レジン製)のスポーツ ザガートなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 250 GTE 2+2 イタリア 1960年
フェラーリ 250シリーズのレーシングカーには250 テスタロッサ、250 GTO、250LMなどがあり、いずれも成功していました。250シリーズのGTカー(市販車)には、ホイールベースの異なるショートホイールベース(SWB 2400㎜)とロングホイールベース(LWB 2600㎜)がありました。最初のGTカーは1954年に登場した250 ヨーロッパ GTでした。LWB仕様でV型12気筒3L(220HP)エンジンを搭載し、4段変速、最高速218㎞/hの性能でした。受注生産で16台だけ生産されたとのことです。1956年からレースを主目的とする250 GTの生産が始まり、250 GT TDF、250 GT SWBなどが登場しました。(実車画像→ フェラーリ 250 ヨーロッパ GT)
1960年に登場した250 GTEは市販スポーツカーとして企画された車で、エンジン搭載位置を前進させてリアに2座のシートを設けたフェラーリ初の4シーター車(実際には2+2レベル)でした。GTEのEは1954年に発表された最初のヨーロッパ(EUROPE) GTの名前に因んだものでした。ボディはピニンファリーナがデザインした美しいクーペで、エンジンは250 GTOと同じでしたが、圧縮比を落として235馬力にデチューンしてありました。それでも最高速は230km/hと、当時最速の4シーター車でした。250 GTEは3年間で約1000台が生産され、商業的には大成功でした。250 GTEは1964年に330 GTにモデルチェンジしました。
250 GTE以外の市販スポーツカーとしては、1960年に250 GT SWBをベースにした250 GT スパイダー カリフォルニアが登場し、1962年に高級車として企画された250 GT ルッソ(GTL)が250シリーズ最後のモデルとして登場しました。(実車画像→ フェラーリ 250 GT ルッソ) 250 GT スパイダーは1964年に275 GTSに、250 GT ルッソは1966年に330 GTCにモデルチェンジしました。
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(仏)製の当時物で、60年ほど昔のビンテージミニカーです。ディンキー(仏)はプロポーションのとらえ方が巧みで、この250もピニンファリーナによる優雅なボディをうまく再現しています。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きで、大雑把な造形ですがエンジンも再現されています。これ以外の250 GTEの当時物ミニカーとしては、ソリド(ベレムも同じ)とポリトーイのプラスチック製がありました。最近のものでは、バン、イクソなどがあります。 以下はフロントを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ ティーポ 61 ’バードゲージ’ イタリア 1960年
1957年にマセラティは250FでF1 ワールドチャンピオンシップを獲得し、その後F1から撤退しましたが、レーシングカーの開発は続けていました。A6GCSの後継車として150S(DOHC 4気筒1.5L)/200S(DOHC 4気筒2L)が1955年に登場し、同じ頃に300S(6気筒3L)、350S(6気筒3.5L/V型12気筒4.5L)、450S(V型8気筒4.5L)と排気量の異なるレーシングカーが開発されていて、各種レースで活躍していました。
1959年に4気筒2.9L(250HP)エンジンをフロントに搭載するレースカー ティーポ 61が登場しました。ティーポ 61は鋼管スペースフレーム構造で軽量化と高剛性を両立させた独特のボディ構造で有名で、この構造は鳥籠に似ていることからバードゲージと呼ばれました。ティーポ 61はデビューレースで優勝し、1960-1961年のニュルブルクリングで優勝し、1960年ルマンに出場(結果はリタイア)するなど活躍しました。ティーポ 61にはティーポ 60/63/64/65の派生車があり、60は4気筒2Lエンジンを搭載、63から65は4気筒やV型8/12気筒エンジンをミドシップ搭載していました。
ミニカーは2008年に発売されたミニチャンプス製です。バハマのナッソーにあるサーキットで行われた1960年のナッソー トロフィの優勝車(ドライバー J.ホール)をモデル化しています。ミニチャンプスの絶頂期に作られたモデルなので、最大の特徴であるバードゲージ構造がかなりリアルに再現されていました。軽減孔の開いた構造材で組まれたコクピット、精緻なワイヤースポークホイールなど凝った仕上げで素晴らしい出来ばえでした。ただしその凝った仕上げの為、当時のミニチャンプスの平均的な価格の1.5倍(定価約6000円)と高価でした。ミニチャンプスは1/18も含めて数種類のバリエーションを出しています。これ以外のティーポ 61のミニカーはプロゲットKの1/43や鋼管スペースフレーム構造を完全に再現したCMCの1/18超精密モデルなどがあります。またマセラティ 150Sから450Sのミニカーはバン(BANG)やジョリー(JOLLY MODEL)などがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ハインケル トロージャン 200 バブルカー イギリス 1960年
1920年代にオートバイ用の単気筒や2気筒エンジン、タイヤ、ホイールを流用した簡素な4輪車/3輪車が作られました。(代表的な車種はモーガンなど) これらはサイクルカーと呼ばれ、そのほとんどは第2次大戦後には消滅しました。ただイギリスにおいては大戦後も3輪車に対する免許制度や税制上の優遇が残されていたので、3輪車に対する需要が残りました。
ドイツの航空機メーカーであったハインケル(HEINKEL)社は、戦後民生用のスクータを生産するようになり、その発展型としてBMWのイセッタを真似たカビーネを1956年に発売しました。カビーネはイセッタと良く似ていましたが、ヘッドライトの取付やリアのエンジンカバー部分の形状が違っていました。またカビーネはイセッタのように前面ドアとステアリングホイールが連動する構造ではなく、これはイセッタのパテントを避けたものでした。スクーター用の4サイクル空冷単気筒174cc(3輪仕様)/198cc(4輪仕様)エンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hの性能でした。1958年まで製造されました。 イギリスのトロージャン社がハインケル カビーネの製造ライセンスを供与されて1960年から製造したのが、トロージャン 200 バブルカーでした。(バブルカーとはキャビンがバブル(泡)のような形状の超小型車の意) ほとんどが4サイクル空冷単気筒198cc(10HP)エンジンを搭載する3輪仕様で右ハンドル仕様もあったようです。1966年まで製造され、総生産台数は約6千台でした。
ミニカーは1962年に発売されたコーギー製の当時物ですた。1960年代のビンテージ物ミニカーなので素朴な作りですが、バブルカーと称された個性的なボディをうまく再現していました。ステアリングホイールと室内を再現してあるのは当時のミニカーとしては進んだ仕上げで、小さいながらも良い出来ばえでした。当時物ミニカーになっているので、実車にはある程度の人気があったのでしょう。なおミニカーの底板にはトロージャン(TROJAN)ではなくHEINKELと書かれています。トロージャンの当時物ミニカーはこれしかありませんが、当時物以外ではヘルパの1/87、オックスフォードの1/76と1/18があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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