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レオン ボレー タイプ G ダブル ベルリーヌ フランス 1911年
フランスのレオン ボレー自動車会社はレオン ボレー(Leon Bollee)が1895年に設立しました。レオン ボレーは1878年にアメ デ ボレー蒸気車を開発したアメデ ボレー(Amedee Bollee)の息子でした。1895年にレオン ボレーが最初に製造した自動車は単気筒エンジンを搭載した3輪の小型車で、この車は数百台が売れたそうです。その後1899年に単気筒エンジン搭載の4輪車、1903年には4気筒4.6L/8Lエンジンを搭載した大型車、1907年に6気筒エンジンを搭載した大型車が登場し、1910年頃には9種類のモデルがあり年間600台の車を製造していました。
レオン ボレーは1913年に亡くなりましたが、彼の未亡人が会社運営を続けました。1914年に勃発した第1次大戦中は機関銃などの武器を製造しました。第1次大戦後も自動車生産を行いましたが、1924年にイギリスのモーリス社に買収され、名前がモーリス レオン ボレー社に変更されました。その後同社はモーリス カウリー/オックスフォードのフランス版を生産するようになりました。フランス市場でのモーリス車の販売が芳しくなくフランス工場は閉鎖されることになり、1931年にレオン ボレー社の歴史は終わりました。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたラミー(RAMI)製です。1911年に登場したタイプ Gと呼ばれる車をモデル化しています。馬車を2台分連結したようなボディなのでダブル ベルリーヌと呼ばれています。実車はフランスのリヨンにある自動車美術館に保存されているようで、ラミーはその実車をモデル化しているようです。(この車をWEBで検索するとこのボディの実車画像が見つかりますので良く知られた車なのでしょう) 50年以上も昔に作られたビンテージミニカーですが、特徴的なボディが良く再現されていて当時の技術で実車を忠実にモデル化しています。フロントグリルのLEON BOLLEEのロゴとボディー側面の木目パネルを再現した部分はデカールを貼ってあり、当時のミニカーとしては凝った仕上げでした。なおカラーリングが実車に比べて派手なのは、カラフルな外観のほうが売れるからでしょう。レオン ボレーの量産ミニカーはこれしかありません。このような珍しい初期の自動車をモデル化しているラミーは、クラシックカーのミニカーが好きな方(あまり日本にはいませんが)には人気があったブランドです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ド ディオン ブートン (タイプ DN) フランス 1912年
前述したようにド ディオン ブートン社は自社の高性能単気筒ガソリンエンジンを搭載した3輪車と4輪車を発売しました。さらにこのエンジンを他社にも供給していたので、1900年頃には当時最大の自動車メーカーになっていました。その後エンジンは2気筒、4気筒と大型化し、1910年にはV型8気筒まで開発していました。ただその後はエンジンの優位性がなくなりこれといった新規性のない車となり、だんだん人気がなくなっていきました。ただ堅実な設計で丁寧な仕上げがされていたので、1920年代の初めまではよく売れていたようです。
1912年に登場したド ディオン ブートン タイプ DNは世界初のV型8気筒7.8L(74HP)エンジンを搭載した大型高級車でした。4段ギアボックスからプロペラシャフトを介して後輪を駆動し最高速85km/hの性能でした。リアアクスルは同社お得意のド ディオン アクスルでした。主にツーリングカーやセダンボディが架装されたようです。ド ディオン ブートン社は1932年に乗用車生産を止めてトラックや鉄道車両の生産に主力を移して1953年まで存続しました。
ミニカーはクラシックカーを多く手がけていたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製で1960-1970年代に発売されました。1912年式のタイプ DNをモデル化しているようです。MINIALUXEのミニカーはプラスチック製でクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。このタイプ DNはモデルとなった実車(リムジン仕様)の画像が見当たらないのですが、フロントグリルの形状は当時のド ディオン ブートン車らしい形状となっています。また大きなサイズの黒いリムジンボディは当時の高級車の雰囲気をうまく再現していると思います。なおMINIALUXEのミニカーはプラスチック製ですので、経年変化でボディが変形するものが多く、これもボディが少し弓なりに変形しています。1910年以降のド ディオン ブートン乗用車のミニカーは2023年現在でもこれしかないようです。(デルプラド製で1923年式の消防車がありますが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベデリア スポーツ フランス 1913年
1910-1920年代に2輪車の部品を使って小型軽量で安価な自動車が製作されていました。単気筒/2気筒エンジンを搭載した3輪/4輪車で2輪車の延長のような車でしたのでサイクルカーと呼ばれています。サイクルカーは安価だったので簡便な自動車としてブームになり、ヨーロッパやアメリカに製作メーカーが非常にたくさんありましたが、ほとんどが弱小メーカーでした。それらの中でもフランスのベデリアやアミルカー、イギリスのモーガンやGNが良く知られたブランドでした。 しかし1920年代後半になると、イギリスのオースチン セブンやフランスのシトロエン 5CVなどの本格的な自動車が安価で登場したことで、サイクルカーは瞬く間に淘汰されました。
ベデリアはフランス初のサイクルカーで、1910年から1925年まで製造されました。バイクのような2人乗りで、後席にステアリングホイールがありますので後席が運転席です。(前輪の操作はケーブルを介して行う) 車体前部にV型2気筒1056cc(9HP)エンジンを搭載し、後輪をベルト駆動しています。2段変速なのですが、変速はサイズの異なる2つのプーリーのベルト架替えで行うので、変速するにはまずベルト張りを緩める操作(クラッチがないのでベルト張りを緩めてクラッチ代わりとしていたのです)をしてからベルトを架替えるというやり方だったそうです。走行中でもやれたそうですが、ベルト架替えは前席の同乗者が操作したそうです。先端に付いている金色の円筒は燃料タンクです。なお1922年頃の改良型はボディが変更されて前席2座の2人乗りになり、通常の3段変速機が付くなどかなり一般的な仕様になっていました。
ミニカーは1977年に発売されたイタリアのブルム製です。ブルム初期に作られた数種類のサイクルカーの1つです。ベデリアには様々なバリエーションがあったのですが、これは1913年にフランスで開催されたサイクルカーグランプリで優勝したレースカーにサイクルフェンダーと幌を追加した公道仕様をモデル化しているようです。(実車画像→ ベデリア 1913) レースカーなので変速プーリーなしでエンジン出力軸から直接後輪をベルト駆動しているようです。V型エンジン、ベルト駆動部などがそこそこリアルに再現され、前輪が操舵できるなど当時のミニカーとしてはなかなか良い出来ばえでした。ベデリアの量産ミニカーはこれしかないようなので車種的に貴重な面白いミニカーです。 以下はフロント(前輪操舵)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ アルフォンソ XIII スペイン/フランス 1913年
スペインの自動車会社がスイス人の技術者マルク ビルキヒト(Marc Birkigt)をチーフエンジニアに採用し、1904年にスペインのバルセロナに設立したのがイスパノ スイザ社でした。「イスパノ スイザ(Hispano-Suiza)」とは「スペインとスイス」という意味で、設立した経営者がスペイン人、チーフエンジニアがスイス人という意味で命名されました。(フランス語ではHを発音しないのでイスパノ スイザと発音します)イスパノ スイザ社は一般乗用車/トラックに加えて高級車やレーシングカーも生産しました。
イスパノ スイザ社はスペイン王室の援助を受けて王室御料車になったことで、高級車メーカーとして知られることになりました。初期の名車としては、スペイン国王のアルフォンソ 13世の名前を冠したアルフォンゾ XIIIがありました。この車はスペイン国王が開催した1911年のレースに優勝したレーシングカーをベースにしたスポーツカーでした。トランスミッションと一体化した高性能な4気筒3620cc(64HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速120km/hの性能で、当時としては高性能で軽快なスポーツカーでした。約500台が1914年までに生産されました。
ミニカーは1960年代に発売されたスペインのエコー(EKO)製です。エコーのミニカーはプラスチック製で、1/87サイズの乗用車/商用車や1/43サイズのクラシックカーをモデル化していました。このイスパノ スイザ アルフォンソ XIIIは自国の名車であることからモデル化に気合が入っているようで、車名ロゴの付いたフロントグリル、軽快なサイクルフェンダーなど実車がうまく再現されています。それ以外の細部もリアルで、1960年代のクラシックカーのミニカーとしてはレベルの高い出来ばえとなっていました。これ以外のアルフォンソ XIIIのミニカーはミニチャンプスのレジン製があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ルヴァッソール スキッフ フランス 1914年
この車はパナール ルヴァッソールのシャーシに架装されたカスタムデザイン車で、今日で言うところのショーカーのようなものでした。スキッフとは細長い小船のことでボディの形が似ているだけではなく木骨に板張りという構造も同じになっていました。この個性的なボディを架装したのは、フランスのコーチビルダー HENRI-LABOURDETTE(アンリ ラブールデット)社で、同社は1910-1920年代にスキッフという名前で同じようなデザインのボディをロールス ロイスやイスパノ スイザなどに架装していましたが、その名前をつけた最初のモデルは1912年に登場しました。
最初のスキッフは4気筒2.6L(22HP)エンジンを搭載したパナール ルヴァッソール タイプ X19に架装されました。この車は「軽くて快適な小船のようなデザイン」というパナール ルヴァッソール社の重役の要望に沿って製作されました。小船をイメージしたこの車にはドアがなく、木製フレームにマホガニーの板をリベット留めした構造で非常に軽量でした。フランスのコーチビルダーが架装するカスタムデザイン車は船をモチーフにした耽美なものが多いですが、この車はその先駆けとなったもので、他のコーチビルダーがこのデザインを模倣しました。
ミニカーは1960年代に発売されたフランスのMINIALUXE製です。(MINIALUXEは正しい読み方ではないかもしれませんが、ミニオールと呼んでいます) MINIALUXEは1964年から「Tacots」シリーズとして1/43サイズのプラスチック製で出来の良いクラシックカーを約30種類ほど発売していました。このスキッフも実車の魅力的なデザインをうまく再現していて良く出来ています。フロントのパネルに1914と表示しているのと実用的な幌が付いていますので、1912年のスキッフの市販仕様かもしれません。プラスチック製で色を変えるのが簡単なので様々な色を組み合わせた色違いがありましたが、この実車に即した茶色のボディが一番リアルです。パナール ルヴァッソール スキッフのミニカーは現時点(2023年)でもこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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