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パナール ルヴァッソール タイプ A フランス 1891年
フランスのエミール ルヴァッソールとルネ パナールが共同で経営するパナール ルヴァッソール社はドイツのダイムラー社製 V型2気筒エンジンの製造権を得て1887年から製造を始めました。その後ガソリン自動車の開発に着手し、1890年に車体中央床下にエンジンを搭載した試作車を完成させました。1891年にはこの試作車を改良して、車体前部にエンジンを搭載し後輪を駆動することで操縦安定性を向上させたガソリン自動車(タイプ A)を完成させました。この車はエンジン、クラッチ、ギヤボックス、後輪ドライブを一列に並べる現在の自動車の基本構成を備えていました。この構成は「システム パナール」と呼ばれ自動車技術上の画期的な発明でした。
パナール ルヴァッソール社の初期の車は、車体前方にエンジンを収めた四角い箱(現在のボンネット相当)があり、そこに同社のロゴ(P/L)が表示されている独特のスタイルでした。パナール ルヴァッソールは1891年にこの車を6台製作していることから、世界最古の自動車メーカーと呼ばれることになりました。なおほぼ同時期に同じフランスのプジョーもパナール ルヴァッソールからエンジンを提供されて、運転席床下にエンジンを搭載したガソリン自動車を5台製作しています。両社は当時の良きライバルで、1894年に開催された自動車初期の都市間レース「パリ-ルーアン」ではプジョーが優勝し、1895年の「パリ-ボルドー」ではパナール ルヴァッソールが優勝しています。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたMINIALUXE(ミニオール)製で材質はプラスチックです。灯火類や操作レバーなどの細部もそこそこリアルに再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。運転席の後部に簡素な補助席があり、その下には開閉できる蓋つきのトランクらしきものが付いています。また屋根代わりにパラソルが付いていますが、実際にこのような形状のパラソルが付いている実車の写真を見たことがないのでこれは創作なのかもしれません。ただ違和感はなく、いかにもそれらしい感じになっています。50年も前に製作された物なので、タイヤのゴムが劣化して一部が切れてます。プラスチックの耐久性はあまり問題がないようで ボディはそれほど変形していません。 以下はフロント/リア(トランク開閉)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スコット 蒸気車 (バス) フランス 1892年
1890年代には蒸気機関の小型/軽量化が進展したことによって、蒸気自動車が実用化されていきました。フランス人のJ.スコットは1980年代から蒸気自動車を製作していました。1892年に彼は2種類の蒸気自動車を製作しました。1つは個人向けの蒸気自動車で、もう1つは6人乗りの蒸気バスでした。スコットはこの蒸気バスで1894年に開催された世界初の自動車レース「パリ-ルーアン」に参戦しています。(結果はリタイヤでしたが)
この蒸気バスは14人乗りに発展するなど様々な技術的改良がされたようです。1897年にスコットの蒸気バスは蒸気トラクターで客室トレーラーを牽引するトラクター/トレーラー式に変わりました。この蒸気トラクターはフランス軍の資材輸送用に使われたようです。その後スコットはこのトラクター/トレーラー式での救急車も製作しましたが、結局1914年に製作を止めました。
画像は1892年に製作された6人乗りの蒸気バスのミニカーです。車両の前部にボイラーと2ピストン式蒸気エンジンがあり、蒸気エンジンからチェーンでデファレンシャルギア付のドライブシャフトを駆動し、そのドライブシャフトから後輪をチェーン駆動する構造でした。後部の客室には向かい合わせで2列の横向きベンチシートがあり、客室後部にドアが付いています。煙突の付いたボイラーが前方にありますので蒸気機関車のような見た目になっています。
ミニカーは1960年代に発売されたクラシックカー専門のフランスのラミー(RAMI)製です。ラミーは当時のフランスの博物館に保存されていたクラシックカーをモデル化していましたが、これもリヨンの自動車美術館(Mus?e de l'Automobile Henri Malartre)に保存されていた実車をモデル化しています。(ヘッドライトが違っていますが) 50年以上も昔に作られたものですので、最近のミニカーのようにリアルではないですが、当時の手法で実車をモデル化していて当時物ミニカーとしては良く出来ていました。特に金属パーツ製のボイラーはいかにもそれらしいレトロな感じで、実車の雰囲気に合っています。客室後部のドアは開くことができますが、経年劣化でヒンジが破損しかけているので開閉するのはやめました。なお実車は地味なカラーリングですが、ミニカーは見た目重視なのでカラフルなカラーリングに変えてあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ド ディオン ブートン ビクトリア 蒸気車 フランス 1894年
蒸気機関に興味があったフランスの貴族ジュール-アルバート ド ディオン(Jules-Albert de Dion)伯は技術者のジョルジョ ブートン(Georges Bouton)とチャールズ トルパルドゥ(Charles Trepardoux)の協力を得てド ディオン ブートン社を1883年に設立しました。この会社は蒸気機関搭載の蒸気自動車を製造しました。同社は1894年に開催された世界初の自動車レース「パリ-ルーアン」に参戦しました。このレースでド ディオン ブートンの蒸気車は最初にゴールしたのですが、ドライバー以外に釜炊き要員が必要であった点などが審議された結果、2位になりました。全行程126㎞を平均速度19km/hで完走したそうです。このレースで優勝したのは少し遅れて2番目にゴールしたダイムラー製のガソリンエンジンを搭載したプジョーでした。
ド ディオン ブートン社はその後も1904年まで蒸気バス/トラックを製造していました。同社はガソリンエンジンの将来性に注目し、1895年には単気筒137ccの小型ガソリンエンジンを開発しそのエンジンを改良して搭載した3輪車(単気筒185㏄)を1897年に発売しました。(実車画像→ ド ディオン ブートン 3輪車 1899) さらに単気筒402㏄エンジンを搭載した4輪車も1899年に発売しました。このエンジンは当時として極めて高性能であった為、当時の自動車メーカーに広く使われることになり、ド ディオン ブートン社は1900年頃にはヨーロッパ最大の自動車メーカーになっていました。
ミニカーはクラシックカーのミニカーを主力にしていたイタリアのリオ(RIO)製で1972年に発売されました。パリ-ルーアン レースで2位となったビクトリア 蒸気車をモデル化しています。ボイラーと蒸気機関を搭載したトラクターが人力車のような客室部分を牽引する構造となっています。トラクターは蒸気機関で後輪をベルト駆動し前輪で操舵します。このミニカーは実車をかなり忠実に再現してありとても良く出来ています。また変わった構造をしていますので見ていてとても楽しく興味深いミニカーです。ミニカーに乗せているフィギュアは実によく似合っていますが、このフィギュアは別のミニカー(コーギー製のディムラー 38HP 1910)の物で、このミニカーの付属品ではありません。リオは2013年頃にこれとほぼ同じものを型番4374で発売しています。(たぶん国内では未発売) 以下はトラクターとトラクター床下の画像と客室部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー ビクトリア フランス 1894年
前述した1894年の「パリ-ルーアン」トライアルレースの翌年には、史上初の自動車レース(スピードを争う)「パリ-ボルドー」(全行程1180kmと長距離)が開催されました。このレースで優勝したのはプジョーで、平均時速20km/hで走破しています。このレースは蒸気車(ド ディオン ブートンなど)も出場したのですが、完走したのはガソリン車のみで、ガソリン車の優位性が明らかにされました。このレースで使われたプジョーのエンジンはパナール ルヴァッソール社から供給されたダイムラー製でしたが、1896年には並列2気筒1645cc(4HP)エンジンを自社開発してタイプ 14に搭載し、以後はプジョー内製のエンジンに切り替えました。
プジョー ビクトリア(タイプ 8)は前述した前後向い合せの座席を持つヴィザヴィ(タイプ 3)のシャーシ前端をのばして、ドライバーが前に座れるように改良したものでした。(ドライバーの前方視界が確保されました) この当時自動車を生産していたのは、プジョーと同じフランスのパナール ルヴァッソールだけでした。プジョーには排気量が異なる2気筒エンジンを搭載した数種類のモデルがあったそうで、1900年の生産台数は約500台でした。エンジンを開発した本家ドイツの(ダイムラー)では自動車生産が本格化していなかった時期に、フランスでは自動車生産の企業化が確立されつつありました。
ミニカーは1960年-1970年代に発売されたフランスのクラシックカー専門ブランドのサフィール(SAFIR)製です。サフィールのクラシックカーは当時のミニカーとしてはスケールモデル的なリアルな作風で、細かいところまで良く再現され、かなり良い出来ばえでした。このプジョー ビクトリアも灯火/操作レバーなどがメッキパーツで再現され、黒/赤/白のカラーリングが綺麗で見ばえのするミニカーに仕上がっています。これ以外のプジョー ビクトリアのミニカーは、同じフランスのMINIALUXEがモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロシェット シュナイダー ヴィザヴィ フランス 1895年
ロシェット シュナイダー社は1984年から1932年まで存続したフランスの自動車メーカーでした。同社は自動車製造前は自転車を製造していました。最初の自動車はドイツのベンツ ビクトリアの構造を真似た単気筒の小型車で、外観はプジョーに似ていました。この車は後席下に単気筒エンジンを搭載し、エンジンから2段変速のベルトを介し後輪をチェーン駆動していました。照明用の2つのキャンドルランタンを装備し、後席上には日除けの白いパラソルを備えていました。また前席の足元にはラゲッジサポート(荷物置き)またはフットレストとして使うフロントプレートを備えていました。この車は1901年までに約240台が製造されました。
ロシェット シュナイダー社は1901年のパリ サロンで2気筒および4気筒エンジンを搭載したパナールを真似た車を発表しました。この車は信頼性が高いことで評判が良く成功しました。その後同社はフランスで当時有数の自動車メーカーに成長し、高級車や商用車を製造していました。第1次大戦中は戦時用のトラックを生産し、戦後に4気筒/6気筒エンジンを搭載する高級車を発売しました。これらの車は売れず、1932年にロシェット シュナイダー社は消えました。
ミニカーは1960年代に発売されたラミー(R.A.M.i.)製です。1895年に登場したロシェット シュナイダー 最初の小型車をモデル化しています。名前のヴィザヴィ(VIS A VIS)とは本来は前席と後席が向かい合わせとなっている座席配置を意味しますが、これは前席も前向きとなっています。(名前通りの向かい合わせの仕様もありました) 1960年代の古いミニカーですから素朴な作りですが、実車の雰囲気がうまく再現されています。この車の特徴であるランタン、パラソル、前席前のフロントプレートがきちんと再現されています。(このフロントプレートは可動します) また車体前部にはラジエータが再現されています。ロシェット シュナイダー車のミニカーはこれしかありません。 以下はフロント(フロントプレート作動)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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