ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

AUBURN 12-160 SPEEDSTER ROADSTER 1933 USA

AUBURN 12-160 SPEEDSTER ROADSTER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUBURN 12-160 SPEEDSTER ROADSTER


IXO MUS037 1/43 全長120㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.2m 全幅約1.8m エンジン 変速機: V型12気筒 6.4L 160HP 3段変速
性能: 最高速160km/h  データーベースでオーバン/コード/デューセンバーグのミニカー検索

オーバン 12-160 スピードスター ロードスター アメリカ 1933年

 

 インディアナ州オーバンの馬車製造会社が1900年にオーバーン自動車を設立し自動車製造を始めました。1920年頃まで平凡ながら信頼性の高い車を生産していましたが、第一次大戦の物資不足の影響で工場が閉鎖されました。自動車ディーラーの優秀な販売員だったエレット ローバン コード(Errett Lobban Cord)はこの会社を1926年に再建し、その後の3年間でオーバン、コードデューセンバーグの3つの自動車メーカーと航空機会社などを傘下に持つ一大企業連合体「コード帝国」を作り上げました。コード帝国でオーバンは大衆向けの高性能車でした。

 

 1928年にライカミング製のV型8気筒4L(88HP)エンジンを搭載した8-88(8気筒88HPの意)が登場しました。この車は8気筒エンジン搭載車としては安い価格ながら、パッカードなどの高級車と同じ4輪油圧ブレーキとシャーシ潤滑システムを装備し美しいデザインもあいまって大いに注目されました。同年に8気筒4.9L(115HP)エンジンを搭載する8-115が追加されました。8-115は3段変速で最高速137km/hの性能でした。さらにボディ後部がボートの形状になっていることからボートテールと呼ばれる、スポーティなロードスター仕様のスピードスターも追加されました。このスピードスターはオーバンの代表的なモデルとして有名で、120HPエンジン搭載のスピードスター 120、125HPエンジン搭載のスピードスター 125に発展しました。1932年にはV型12気筒6.4L(160HP)エンジンを搭載した高性能版の12-160が登場しました。オーバンはストックカーレースで活躍しており、パイクス ピークでの優勝など多くの速度記録も達成していました。

 

 

 ミニカーは2012年に発売されたイクソ製のMUSシリーズです。オーバン スピードスターとしては後述する1935年に登場した851 スピードスターのほうが有名ですが、この12-160はその少し前のモデルとなります。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.20として作られた物でした。雑誌付きミニカーは白で緑色のラインが入っていますが、これは黒で銀色のラインに変えてありワイヤースポークホイールの造形やエッティングパーツのワイパーなど雑誌付きミニカーより仕上げレベルを上げてありました。黒/銀で塗り分けられたボディ後部の造形は実車に忠実なカラーリングで魅力的に仕上がっていました。またオープンカーですので、良く見える室内もそこそこリアルに再現されていました。(実車画像→ オーバン 12-160 のリアエンド) なおオーバン 12-160のミニカーはこれしか無いようです。(イクソの別ブランドのホワイトボックスでも同じものが発売されています) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

AUBURN 12-160 SPEEDSTER ROADSTER 1
AUBURN 12-160 SPEEDSTER ROADSTER 2

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DUESENBERG J CONVERTIBLE VICTORIA 1933 USA

DUESENBERG J CONVERTIBLE VICTORIA
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG J CONVERTIBLE VICTORIA


FRANKLIN MINT RU77 1/24 全長252㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約6m 全幅約1.85m エンジン 変速機: DOHC 8気筒 6.9L 265HP 3段変速
性能: 最高速186km/h  データーベースでデューセンバーグのミニカー検索

デューセンバーグ J コンバーチブル ビクトリア アメリカ 1933年

 

 デューセンバーグが1928年に発表したモデル Jはデューセンバーグを一躍有名にしました。モデル Jはアメリカ最大、最速、最高品質を目指して開発され、値段も当時最高の超豪華車でした。その価格は大衆車T型フォードの約40倍でしたので、この車を買えたのは当時のハリウッドの大スターや王侯貴族だけでした。サイズは全長約5.6m(リムジーン)、性能はDOHC方式8気筒6.9L(265HP)エンジンを搭載し最高速180km/hでした。ボディは有名なコーチビルダーが担当し華麗なデザインのボディが架装されました。ボディ形式としては4ドアセダン、2ドアクーペ、スパイダー、フェートン(4座オープンカー)、デュアル カウル フェートン (前席/後席にスクリーンが付いた4座オープンカーで、オープンカーとしては最も高級な形式)などがありました。最も高価なモデルは当時の価格が2万ドルであったことから「トゥエンティ グランド」と呼ばれていました。

 

 この車は往年のハリウッドの名女優グレタ ガルボ(Greta Garb もう知らない人が多いでしょうが)が所有していたとされる、デューセンバーグ J コンバーチブル ビクトリアです。全長が6mを越える長い車で少し奇抜なデザインですが、最も優美なデューセンバーグとも言われていました。極端に低いウインドシールドと大きな2ドアを持ち、リアには巨大なトランクと2本のスペアタイヤを背負っていました。幌を立てると後席に乗車しているオーナーの姿はほとんど見えないようになっていました。ボディを架装したのはフランスのコーチビルダー ダリンでした。

 

 

 ミニカーは1990年頃に発売されてフランクリン ミント製の1/24です。当時フランクリン ミントのミニカーは国内では同社の通信販売でしか購入できませんでした。フランクリン ミントの1/24は現在のオートアートなどの大スケールミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツ主体で再現されドアやボンネットが全て可動する、当時としては最も精密なミニカーでした。このデューセンバーグ Jもプロポーションが良く、実車の変わったデザインがうまく再現されていて、とても良い出来ばえでした。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、ステアリングホイールと連動した前輪操舵ギミックも付いていました。床下部分のドライブトレーン/サスペンションなどもリアルに再現されていました。当時の価格は29500円とかなり高価でしたが、その価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DUESENBERG J VICTORIA 1
DUESENBERG J VICTORIA 2

 以下はボンネットを開いたエンジン部分の画像と床下のシャーシ/サスペンションなどのメカ部分の画像です。エンジンはかなりリアルに再現されていて、手前右下にステアリングホイールに直結されたステアリングシャフトが見えますが、このシャフトは先端についたギヤで実際に前輪を操舵します。(実車と同じギア駆動ではないですが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG J VICTORIA 3
DUESENBERG J VICTORIA 4

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DUESENBERG SJ FISH TAIL 1933 USA

DUESENBERG SJ FISH TAIL
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DUESENBERG SJ FISH TAIL


RIO 86 1/43 全長142mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約6.1m エンジン 変速機: DOHC 8気筒 6.9L スーパーチャージャー 320HP 3段変速
性能: 最高速250km/h  データーベースでデューセンバーグのミニカー検索

デューセンバーグ SJ フィッシュ テール アメリカ 1933年

 

 前述したようにデューセンバーグ Jは1929年から始まった世界大恐慌の時代に成功しており、当時のユーザーはまだ不況とは無関係だったようです。このようなユーザーに向けてさらに高級な車が1932年に発表されました。スーパーチャージャーを追加して320HPにパワーアップし最高速250km/hに性能を向上させたモデル SJでした。スーパーチャージャーの追加で排気管がボンネット右側面から張り出すようになり迫力のある外観となっていました。

 ただデューセンバーグが輝いていたのはほんの数年でした。1932年にデューセンバーグ創始者のフレッドが、自分が開発したSJでの自動車事故で死亡しました。これと呼応するかのようにデューセンバーグを有するコード帝国もコード L29の販売不振から崩壊し始め、1937年にデューセンバーグ社は倒産しました。

 

 前述したデューセンバーグ J ビクトリアは全長の長い車でしたが、このミニカーがモデル化しているデューセンバーグ SJも同じくらい長い車でした。ボディはアメリカのコーチビルダー ウェイマン(WEYMANN)が架装していて、そのリアの形状からFISH TAIL(魚のしっぽ)と名付けられていました。2座のオープンボディでテール部分にはトランクらしきものがありますが、ほとんどがデッドスペース?で現在では考えられない贅沢なスペースの使い方でした。現在のような実用性重視で合理的に設計された車とは全くの別物で、このような無駄に思える虚飾を追及していることがこの類の車の魅力なのです。

 

 

 ミニカーは1993年に発売されたリオ製です。1970年代に発売されたリオ製のデューセンバーグ SJのバリエーションで、ボディ後半の型を大幅に変更してこの特徴的なボディを再現していました。ボディ全体を上から見ると、車というよりもボートのような形状をしています。ボンネットの上部を取り外すことができ、ボンネット右側面から出る排気管を持つスーパーチャージャー付エンジンもそこそこリアルに再現されていました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DUESENBERG SJ FISHTAIL 1
DUESENBERG SJ FISHTAIL 2

 以下はボンネットを外したエンジン部分と俯瞰/下回りシャーシの画像です。(なお実車のボンネットがこんな具合に開いたのではありませんが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG SJ FISHTAIL 3
DUESENBERG SJ FISHTAIL 4

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DUESENBERG SJ TORPEDO SEDAN ’TWENTY GRAND’ 1933 USA

DUESENBERG SJ TORPEDO SEDAN ’TWENTY GRAND’
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DUESENBERG SJ TORPEDO SEDAN ’TWENTY GRAND’


FRANKLIN MINT PW73 1/24 全長237㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.7m エンジン 変速機: 8気筒DOHC 6.9L 320HP 3段変速
性能: 最高速208km/h  データーベースでデューセンバーグのミニカー検索

デューセンバーグ SJ トルペード セダン ’トゥエンティ グランド’ アメリカ 1933年

 

 前述したようにデューセンバーグが輝いていたのはほんの数年でした。1932年にデューセンバーグ創始者のフレッドが、自分が開発したSJの自動車事故で死亡しています。これと呼応するかのようにデューセンバーグを有するコード帝国もL29の販売不振から崩壊し始め、1937年にデューセンバーグ社は倒産しました。

 

 この車は1933年のシカゴ万国博覧会に出品された、デューセンバーグとして一番豪華であった特別な車でした。当時の価格が2万ドル(現在に換算するとたぶん4000万円ぐらい)であったことからこの車は「トゥエンティ グランド」という名前で呼ばれました。またトルペード セダンとは、革張り風のファブリックで覆った屋根でフェートン(4座オープンカー)のように見せかけていることを意味します。室内には4つの肘掛け付シートがあり、ウォールナットのパネルを使った豪華な内装となっていました。モデル Jは約480台が製造されその中でSJは約40台、そのほとんどはロードスターやデュアルカウルフェートンで、この車のようなセダンはたったの数台だけでした。

 

 

 ミニカーはフランクリン ミント製の1/24で、1991年頃に通信販売で購入しました。(当時フランクリン ミントのミニカーは同社の通信販売のみで販売されていました) フランクリン ミントの1/24は現在のオートアートなどの大スケールミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツ主体で再現されドアやボンネットが全て可動する、当時としては最も精密なミニカーでした。このSJ トルペードは実車に即したカラーリングでプロポーションが良く、ボンネット/4ドア/トランクが開閉し、さらに前輪を操舵できるギミックが付いていました。室内も良く再現されていて、特に室内の木目パネルはデカールを張ったプラスチックではなく本物の木目パネルが使われていて、フランクリン ミントならではのリアリティの追求がされていました。(ここまで凝った仕上げのミニカーはこれぐらいしか知りません)

 細部のディテール再現が優れているだけではなく、実車が持つ周囲を圧倒する重厚な雰囲気も見事に再現していました。当時の価格は25000円とかなり高価でしたが、その価格に見合った素晴らしい出来ばえでした。これ以外のSJ セダン (デューセンバーグ トゥエンティ グランド)のミニカーは、GREAT LIGHTNING(レジン製)があります。以下はフロント(マスコット拡大)/前輪操舵動作の画像とリア/荷物ラック/トランク開閉の画像です。荷物ラックはトランクに収納できなかった荷物を載せたのでしょう。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DUESENBERG SJ TWENTY GRAND 1
DUESENBERG SJ TWENTY GRAND 2

 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と床下部分の画像です。エンジンルーム左側手前右下にステアリングホイールに直結されたステアリングシャフトが見えますが、前述したフランクリン ミント製のデューセンバーグ コンバーチブル ビクトリアと同じくこのトゥエンティ グランドもこのステアリングシャフトを介して前輪の操舵を行います。このような可動部の作りが頑丈で、簡単には壊れないのもフランクリン ミントの良いところ(基本設計)でした。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DUESENBERG SJ TWENTY GRAND 3
DUESENBERG SJ TWENTY GRAND 4

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CHRYSLER IMPERIAL LE BARON DUAL COWL PHAETON 1933 USA

CHRYSLER IMPERIAL LE BARON DUAL COWL PHAETON
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CHRYSLER IMPERIAL LE BARON DUAL COWL PHAETON


VOITURES CLASSIQUES (IXO ALTAYA) 34 1/43 全長128mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.5m 全幅約1.8m エンジン 変速機: 8気筒 6.3L 135HP 4段変速
性能: 最高速160km/h  データーベースでクライスラー インペリアルのミニカー検索

クライスラー インペリアル ルバロン デュアル カウル フェートン アメリカ 1933年

 

 GMのビュイック部門の責任者であったウオルター P クライスラーは上層部とそりが合わず、1920年にGMを退社しました。彼は経営危機にあった小型車メーカーのマックスウェル社の再建に着手し、彼の発案で6気筒3.3Lエンジンを搭載したクライスラー シックスを開発し1924年に発売しました。この車が大ヒットしたことで経営は安定し、マックスウェル社は1925年にクライスラー社に改名しました。クライスラー社は従来のマックスウェルをプリムス ブランドに変更し、1928年にダッジを買収して傘下に収めるなどしてフォード、GMに次ぐ自動車メーカーに成長していきました。(実車画像→ クライスラー シックス 1924)

 

 クライスラー インペリアルはフォード リンカーンGM キャディラックに対抗するクライスラーの最上級ブランドとして1926年に登場しました。当初は6気筒4.7L(92HP)、1930年に6気筒5.1L(110HP)エンジンを搭載した豪華な高級大型車でした。インペリアル 2代目は8気筒6.3L(135HP)エンジンを搭載して1931年に登場しました。サブネームのルバロンは元々はコーチビルダーの名前でしたが、後にクライスラーの高級車ブランド名となりました。フェートンとは4ドア(又は2ドア)の幌付オープンカーの意で、デュアル カウル フェートンとは後席の前にもウインドー付のカウルを設けたもので、オープンカーとしては最も高級な形式です。

 

 

 1934年に登場したインペリアル 3代目は有名な流線形ボディのエアー フローと同じデザインでした。インペリアルは1955年にはクライスラーから独立した別ブランドとなりました。1970年代になると販売台数の少ないインペリアル ブランドを維持することが出来なくなり、1975年にブランドは消滅しました。その後今度はインペリアルをリンカーン コンチネンタルのようなスペシャルティーカーとして復活させるべく、1981年にブランドが復活しました。(実車画像→ インペリアル 1981) 結局この試みも失敗し1983年にブランドは消えました。ただ1990年にクライスラー インペリアルとして1993年まで名前が一時的に復活しました。(実車画像→ クライスラー インペリアル 1990) ちなみに1960年代の日本のTV番組 ウルトラセブンのポインター号やアメリカのTV番組 グリーンホーネットのブラックビューティはインペリアルをベースにした改造車でした。

 ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.34で製造はイクソです。この雑誌のミニカーはフロントグリル、灯火類、マスコットなどクラシックカーのキーとなる部分がきちんと作ってありいずれも良く出来ていました。これはインペリアル 2代目をモデル化していますが、灯火類、フロントグリルとその上のマスコット(疾走するガゼル(鹿)の像)などがリアルな造形で良く出来ていました。(ただ個人的にはカラーリングが今ひとつな感じがします) 色違いでほぼ同じものがイクソの廉価版ブランドのWHITE BOXでも型番WB114で2015年に発売されました。最近までインペリアルのミニカーは少なかったのですが、最近になってNEO(レジン製)などの新製品が発売されました。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

CHRYSLER IMPERIAL LE BARON DUAL COWL PHAETON 1
CHRYSLER IMPERIAL LE BARON DUAL COWL PHAETON 2

 以下は2006年頃に発売されたシグネチャー製のクライスラー インペリアル ルバロン 1932 (1/32 型番32116)の画像です。シグネチャーの1/32は1920-1950年代の代表的なアメリカ車をモデル化していました。縮尺が1/32と中途半端なのですが、1/43より大き目のサイズを生かして細かいところまで再現されていました。これも上記と同じインペリアル 2代目のモデル化で実車の雰囲気がうまく再現されていてかなり良く出来ていました。またサイズが大きいことを生かしてボンネット/ドアの開閉ギミック付で、エンジンも再現されていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
CHRYSLER IMPERIAL LE BARON PHAETON 1
CHRYSLER IMPERIAL LE BARON PHAETON 2

 以下はフロント(マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。こちらもフロントグリル上のマスコット(疾走するガゼル(鹿))がリアルで、エンジンもそこそこリアルに出来ていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
CHRYSLER IMPERIAL LE BARON PHAETON 3
CHRYSLER IMPERIAL LE BARON PHAETON 4

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