ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

PEUGEOT 402 ECLIPSE 1935 FRANCE

PEUGEOT 402 ECLIPSE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PEUGEOT 402 ECLIPSE


NOREV 474201 1/43 全長120mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.1m 全幅約1.6m エンジン 変速機: 4気筒 2L 55HP 3/4段変速
性能: 最高速120km/h  データーベースでプジョー 402のミニカー検索

プジョー 402 エクリプス フランス 1935年

 

 1935年のパリ サロンで発表されたプジョー 402 エクリプス(eclipse:仏語で日食(陰り)の意)はハードトップを電動で出し入れする機能で話題を呼びました。大きなハードトップをトランクに格納する為に、ボディ後半がかなり長くなっています。(この電動式ハードトップの構造はフランス人のカーデザイナーが1931年に特許を取得しています) 402の解説で前述したようにプジョーは世界初のハードトップを考案しただけではなく、それを電動で出し入れする機能までも実現していました。この手の派手な仕掛けはアメリカ車が最初のように思いがちですが、当時の自動車技術はフランス車が一番進んでいたのです。 (実車YouTube動画→ プジョー 402 エクリプス)

 

 ミニカーは2005年に発売されたノレブ製です。このミニカーも前述したノレブ製の402 セダンと同様に良く出来ています。(フロントグリル内のヘッドライトが見難いのは同じですが) このミニカーはエクリプスが実現した世界初のハードトップ格納機能をギミックとして忠実に再現しています。このギミックはうまく出来ていてスムーズに動作します。この手のギミックは繊細で壊れやすい物が多いのですが、これはかなりしっかりした作りです。トランク内にスペアタイヤがあるなど室内の造形も良く再現してあります。ノレブは1/18でも402 エクリプスをモデル化しています。なおこれ以外の402 エクリプスのミニカーはフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.11があります。

 

 

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

PEUGEOT 402 ECLIPSE 1
PEUGEOT 402 ECLIPSE 2

 以下はハードトップ収納ギミック動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PEUGEOT 402 ECLIPSE 3

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=265

DELAHAYE 135M 1935 FRANCE

DELAHAYE 135M
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 135M


RIO 63 1/43 全長128mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.5m エンジン 変速機: 6気筒 3.6L 90HP 4段変速
性能: 最高速158km/h  データーベースでドライエのミニカー検索

ドライエ 135M フランス 1935年

 

 ベテラン期に初期のドライエに付いて記載しましたが、1933年には6気筒3.2L(76HP)エンジンを搭載した高性能車スーパーリュクス(SUPERLUXE)が登場しました。(実車画像→ ドライエ 138 スーパーリュクス 1934) スーパーリュクスは横置きリーフスプリング式前輪独立懸架サスペンションを採用していて、4気筒2.2Lエンジン仕様(134)や、スポーツ仕様の18 スポーツがありました。その18 スポーツはスピード記録を数多く達成しドライエは注目を浴びるようになりました。

 

 1935年のアルペン ラリーでの勝利を記念して135 クーペ デ アルペスが登場し、1936年にはドライエとして最も有名な6気筒3.6L(160HP)エンジンを搭載した高性能版の135Mが登場しました。135のレース仕様は1937年モンテ カルロ ラリー優勝、1938年ルマン優勝などレースで大活躍しました。絶頂期のドライエは1935年に経営不振であったドラージュを吸収合併しました。1937年には135の後継車として145が登場しました。当時のドライエとドラージュは贅を尽くした魅力的なデザインの特注ボディを架装した高性能高級車でした。

 

 

 ミニカーは1970年代に発売されたリオ製です。コーチビルダーのアンリ シャプロン製だと思われる135M クーペをモデル化しています。全長5mを超える大きなボディなので、ミニカーは全長128㎜と大きめのサイズです。プロポーションが良くフロントグリルや室内などの細部も良くできていてリオの傑作ミニカーの一つです。リオのミニカーはシャーシやエンジンなどのメカ部分も再現しているのが特徴ですが、この135Mもボンネットを外すとエンジンが再現され、底板部分にはシャーシやサスペンションも再現されています。これ以外のドライエ 135のミニカーはソリド(べレム)のカブリオレ、ミニチャンプスのカブリオレ 1/43と1/18、イクソのルマン レース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DELAHAYE 135M 1
DELAHAYE 135M 2

 以下はボンネットを取り外したエンジンルームと底板部分のシャーシ/サスペンションの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 135M 3
DELAHAYE 135M 4

 以下は1977年に発売されたソリド製のドライエ 135M フィゴーニ 1939 (型番78)の画像です。コーチビルダーのフィゴーニ & ファラスキーによる特注ボディのカブリオレをモデル化していますが、特別に華麗なデザインというほどでもありません。上記のリオ製ほど凝った作りではありませんが、1970年代のミニカーとしては良く出来ていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 135M 5
DELAHAYE 135M 6

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 135M 7
DELAHAYE 135M 8

 以下は1977年に発売されたソリド製のドライエ 135M フィゴーニ 1939 (型番48)の画像です。上記の幌を立てたバリエーションで、幌以外の違いは特にありません。ソリドのクラシックカーのカブリオレ仕様にはこのような幌を閉じたバリエーションがありました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
DELAHAYE 135M 9
DELAHAYE 135M 10

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=281

PANHARD LEVASSOR 6CS FAUT-CABRIOLET 1935 FRANCE

PANHARD LEVASSOR 6CS FAUT-CABRIOLET
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PANHARD LEVASSOR 6CS FAUT-CABRIOLET


IXO MUS035 1/43 全長117mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.72m 全幅約1.68m エンジン 変速機: 6気筒 2.9L 82HP 4段変速
性能: 最高速120km/h  データーベースでパナールのミニカー検索

パナール ルヴァッソール 6CS フォ カブリオレ フランス 1935年

 

 パナール ルヴァッソールは旧式なスリーブバルブ方式ながら6気筒エンジンを新規開発し、1930年代にはパナールのエンジンはこの6気筒に統一されていきました。1929年に登場したDSシリーズは6気筒3.5Lエンジンを搭載し、4ドアセダン、クーペ、カブリオレなどがあり、当時のルノーの高級車よりも高価な車だったようです。DSシリーズの小型版がCSシリーズで、6気筒2.3Lエンジンを搭載していました。

 

 そのCSシリーズの最終仕様が6CSでした。6気筒2.9L(82HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hの性能でした。この時代にはコーチビルダーが製作する華麗なボディを架装したモデルがありましたが、この6CSは鋼鉄製のメーカー標準ボディを架装したモデルのようです。フロントピラーを2本にして間に曲面ガラスを組み込んだ「パノラミク」と呼ばれるフロントウィンドーが特徴です。このウィンドーは1936年に登場したディナミクにも継承されていました。なお名前のフォ カブリオレとは「偽物のカブリオレ」と言う意味で、見た目がカブリオレ風のハードトップという意味です。

 

 

 ミニカーは2011年に発売されたイクソ製です。このミニカーは元々はフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.40として作られたもので、これはそれの仕上げレベルを変えてイクソのMUSEUMシリーズとして発売されたものです。フロントグリルのパナール ルバッソールとSIX(6気筒の意)の赤色のロゴ、グリル上のマスコット、ボンネット側面のスリット部分、スペアタイヤ上に付いたバックミラー、室内インパネなど細かいところがリアルに再現されています。カラーリングも綺麗で見栄えのするクラシックカーに仕上がっています。この時代のパナールは量産ミニカーとしてほとんどモデル化されていないので、貴重な存在のミニカーです。 以下はフロント(グリル拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

PANHARD 6CS FAUT-CABRIO 1
PANHARD 6CS FAUT-CABRIO 2

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1110

ALFA ROMEO 16C BIMOTORE 1935 ITALY

ALFA ROMEO 16C BIMOTORE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ALFA ROMEO 16C BIMOTORE


TOPMODEL 071 1/43 全長101㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.33m 全幅約1.65m エンジン 変速機: DOHC 16(8x2)気筒 5.8(2.9x2)L スーパーチャージャー 540HP 4段変速?
性能: 最高速320km/h  データーベースでアルファ ロメオ ビモトーレのミニカー検索

アルファ ロメオ 16C ビモトーレ イタリア 1935年

 

 GPレースで圧倒的に強かったアルファ ロメオ P3も、1934年から始まった新しい規定のフォーミュラ 750(重量750kg以下)ではナチス ドイツが国策で後押しするメルセデス ベンツ W25などのドイツ勢に圧倒されるようになりました。そこで当時アルファ ロメオのワークス チーム(スクーデリア フェラーリ)を監督していたエンツォ フェラーリが開発したのが、16C ビモトーレでした。ビモトーレという名前は2つのエンジンという意味で、コックピットの前後に8気筒エンジンを搭載し、2倍のパワーで後輪を駆動します。2つのエンジンは長いクランクシャフトで連結され、その中間からP3独特の2つのドライブシャフトを介して左右のタイヤを駆動しています。(複雑な構造です)

 

 1935年のテストでは最高速321.5Kmを記録しており、確かに早かったのですが、名ドライバー T.ヌヴォラーリをしても操縦が難しかったそうです。さらに当時の細いタイヤがハイパワーに耐えられず、その為タイヤ交換に時間を取られることも問題でレースでは活躍できませんでした。結局P3の後継は12気筒エンジンを搭載したティーポ C (12C)となりましたが、このマシンは活躍できませんでした。(実車画像→ アルファ ロメオ ティーポ C)

 

 

 ミニカーは1997年頃に発売されたトップモデル製で材質はレジンです。ボディ後端のリアのエンジン始動用のクランクハンドル、リアの右サイドから出る2本目の排気管が2つのエンジンを搭載していることを示しています。量産ミニカーはトップモデルしかなく、バリエーションが数種類あります。(戦前のメルクリンのミニカーもありましたが、それは別格のレア物です) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

ALFA ROMEO 16C BIMOTORE 1
ALFA ROMEO 16C BIMOTORE 2

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=1300

AUBURN 851 SPEEDSTER 1935 USA

AUBURN 851 SPEEDSTER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUBURN 851 SPEEDSTER


FRANKLIN MINT PT92M 1/24 全長218mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.9m 全幅約1.8m エンジン 変速機: 8気筒 4.5L 150HP スーパーチャージャー付 3段変速
性能: 最高速174km/h  データーベースでオーバン/コード/デューセンバーグのミニカー検索

オーバン 851 スピードスター アメリカ 1935年

 

 インディアナ州オーバンの馬車製造会社が1900年にオーバン自動車を設立し自動車製造を始めました。1920年頃まで平凡ながら信頼性の高い車を生産していましたが、第1次大戦の物資不足の影響で工場が閉鎖されました。自動車ディーラーの優秀な販売員だったエレット ローバン コード(Errett Lobban Cord)はこの会社を1926年に再建し、その後の3年間でオーバン、コードデューセンバーグの3つの自動車メーカーと航空機会社などを傘下に持つ一大企業連合体「コード帝国」を作り上げました。

 

 コード帝国でのオバーンの位置付けは大衆向けの高性能車で、その代表なモデルは8気筒エンジンを搭載したスポーティなスピードスターでした。最初のモデルは1928年に8-88という名前で登場しました。その後スピードスターでは一番有名なモデルである851が1935年に登場しました。スーパーチャージャー付きの8気筒4.5L(150HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速174km/hと高性能でした。1936年に851は中身はそのままで名前が852に変わりました。1937年にコード帝国が崩壊して生産中止となりました。851は時代を先取りしたデザインが評判となりましたが、一般受けせずあまり売れなかったようです。

 

 

 ミニカーは1991年頃に発売されたフランクリン ミント製です。フランクリン ミントの1/24シリーズは、発売された当時の量産ミニカーとしては最も精密なミニカーでした。この851もプロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現され、エンジン、シャーシ/サスペンション、内装などもリアルに再現されていて良く出来ていました。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、シャーシ/サスペンションなどのメカ部分には丈夫なダイキャスト製パーツが使われていたので、可動部を動かしても簡単に壊れたりはしません。(この丈夫な構造がフランクリン ミントの特長でした) ただしこの凝った作り故に当時の価格は約26000円とかなり高価で、気安く買えるものではありませんでした。これ以外の851のミニカーとしては、マッチボックス、ウエスタン モデルのホワイトメタル製、ヤトミン シグネチャーの1/32などがあります。 以下はフロント/マスコット(flying lady)の拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

AUBURN 851 SPEEDSTER 1
AUBURN 851 SPEEDSTER 2

 以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と俯瞰画像/床下部分の前輪操舵ギミックの画像です。エンジンの排気マニホールドがリアルに再現され、排気マニホールドは床下の排気管に接続されています。床下はトライブトレーンやサスペンションが再現されていて、前輪はステアリングホイールと連動して操舵できます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUBURN 851 SPEEDSTER 3
AUBURN 851 SPEEDSTER 4

 以下は1979年に発売されたマッチボックス製のYシリーズ オーバン 851 スピードスター (1/42 型番Y19)の画像です。マッチボックスのYシリーズは歴史的に有名なクラシックカーをモデル化していました。当時のリオなどのクラシックカーのミニカーは高価なものが多かったのですが、マッチボックスのYシリーズは細部の造形を簡略化することで安価に仕上げていました。この851も当時の値段が1200円と安価でしたので、室内などの細部の仕上げはいま一つでした。ただプロポーションなどの基本的なところはきちんと仕上げてあったので、実車の雰囲気がうまく再現されていて、1970年代のミニカーとしてはまずまずの良い出来ばえでした。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUBURN 851 SPEEDSTER 5
AUBURN 851 SPEEDSTER 6

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUBURN 851 SPEEDSTER 7
AUBURN 851 SPEEDSTER 8

このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります

http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=320

 

ビンテージ期 ← ページ  « 前へ 1...10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  ...31 次へ » → 戦後期

 

 

 

当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2025 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.