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メルセデス ベンツ 770K シリーズ II (W150) ドイツ 1938年
メルセデス ベンツの最上級車メルセデス ベンツ 770K (W07)は1938年にシリーズ II(W150)にモデルチェンジしました。シャーシが全面的に新設計され、コイルスプリングによる全輪独立懸架が採用されました。V型8気筒エンジンは同じでしたが全モデルが過給機付となり230HPにパワーアップされ、5段変速で最高速は170km/hになりました。リムジンとカブリオレF(オープンツアラーとも呼ぶようです)/カブリオレDがあり、どちらにも特注の装甲仕様がありました。装甲仕様は車重が3.6tから4.8tに増加したことで、最高速は80km/hだったそうです。
770K (W150)は1943年まで生産され総生産台数は88台でした。そのほとんどはナチス政権の公用車/軍用車で個人が購入したのは数台でした。ナチス政権の上級士官がパレードに使ったのは装甲仕様がされていたと思われるカブリオレFでした。カブリオレFとは運転席と後席との間に仕切りがあるリムジーン形式の7人乗りカブリオレで、2列目シートが補助席となっていてパレードなどに使いやすいタイプを示すようです。カブリオレDも同じ形式ですが2列目シートがない5人乗りです。派生車として後輪を2軸にしたオフロード仕様のG4 (W31)がありました。
ミニカーは1960年代に発売されたリオ製です。770K(W07)のカブリオレFをモデル化しています。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていて、初期のリオ製ミニカーを代表的する傑作です。ボディ後方の畳んだ幌が目立ちますが、ドイツは寒いお国柄故に幌が分厚いので畳んでもこのように大きくかさばるのです。ボンネットを外すと8気筒エンジンが再現されていて、床下部分のシャーシも実際にコイルで吊った独立懸架サスペンションを再現しているなどかなり凝ったつくりとなっています。これ以外にもリオはフィギュアを付けたナチス政権時代の公用車など約20種類の770Kのバリエーションをモデル化しています。(参照ページ→ VIPCAR ドイツのVIPCAR) 770K(W07)のミニカーといえば以前は戦前のメルクリンの超レア物とこのリオ製とフランクリン ミントの1/43ぐらいしかありませんでしたが、最近になってヤトミンのSIGNATURシリーズの1/18でモデル化されました。(770Kはナチス政権の車というイメージがあるので、あまりモデル化されないのです) 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ G4 (W31) ドイツ 1938年
1926年にドイツ陸軍の要請でメルセデス ベンツが6輪のオフロード用車両を試作しました。この車は6気筒3Lエンジンを搭載した8人乗りの大型車で、G1と呼ばれ生産化はされませんでした。1934年にG1の後継車としてG4が登場します。(G2/G3も試作されたのでしょうか?) G4は前述した最高級車770をベースにしており、後輪を2軸(4輪)化して駆動していますが、前輪は駆動していません。
車重が3.7tと重いことでオフロード性能はあまり高くなく、不整地用タイヤを使用することから最高速は67 km/hに制限されていました。生産台数は57台で、主にヒトラーや上級将校がパレードする際に使用されたようです。実車の画像をみると、このようなパレード用のカブリオレがほとんどですが、セダンタイプもあったようです。
ミニカーはイクソ製で、2009年に発売されました。良くできたフロントグリルやそこそこ再現された室内など、出来ばえはイクソのMUSシリーズの標準的なものです。(ボディがプラスチック製で軽いのがいまいち) これ以外ではヤトミン(1/18)とミニチャンプスがモデル化しています。ミニチャンプスの物はヒトラーが当時のスペインの独裁者フランコ総統にプレゼントしたG4(ボディ後部の形状がイクソの物と異なる)をモデル化しています。ドイツのミニカーメーカーがナチスが使用した車をモデル化するのはタブーなので、G4をあえてスペインの独裁者の車としてモデル化しています。
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メルセデス ベンツ W154 ドイツ 1938年
1938年に新しい3Lフォーミュラ(過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したメルセデス ベンツ W154が開発されました。W125をベースにしてサスペンションを改良し、エンジンが小さくなった分ボディが低くなり空力的に改善されました。W125同様にW154も圧倒的に強く1938年の主要な6レースで勝利しています。1939年は戦前最後のグランプリシーズンとなり、W154はスーパーチャージャーを2ステージ化してパワーアップし、フロントグリルの形状などを変更したボディが載せられました。この1939年式のW154をW163と呼ぶこともあるようですが、これは厳密には正しくないようです。W154は1939年に5勝しています。
ドイツと同じようにムッソリーニ政権下のイタリアでもグランプリレースを国威発揚に利用していました。ドイツ勢に対抗すべくイタリアは1939年5月のトリポリ GPを自国に有利な1.5Lフォーミュラで行うことを1938年8月に決定します。これに対してメルセデス ベンツは8ヶ月ほどでW165を開発しました。W165はW154のミニチュア版で、ホイールベースが短く、V型8気筒1.5Lエンジン(278HP)を搭載していました。W165はトリポリ GPで1-2フィニッシュし、イタリアの思い通りにはなりませんでした。
ミニカーは2009年に発売されたスパーク製です。画像はスパークのWEBサイトから借用しました。1938年のトリポリ GPで優勝した車(ドライバー H.ラング)をモデル化しています。スパークはメルセデス ベンツの特注品としてW25、W125、W154、W154(1939)、W165をモデル化していて、このW154はそれを一般市販したものです。これ以外のW154のミニカーは、かなり昔のビンテージ物のメルクリンとマーキュリー、最近のブルムなどがあります。以下は1981年に発売されたブルム製のメルセデス ベンツ W154 1939 (1/43 型番R037)の画像です。1939年のドイツ GPで優勝したW154 #12 (ドライバー R.カラツィオラ)をモデル化しているようです。ただしミニカーの全長が88㎜程なので1/43換算で計算すると全長が3.7mとなり、W154の寸法と合いません。このサイズはW154の小型版W165の全長3.7mと一致します。ブルムは型番037と同じ型を使った型番037Bで1939年のトリポリ GPで優勝したW165をモデル化していますので、この型番R037はW154ではなく正しくはW165をモデル化したようです。ブルム初期のミニカーにはこんな具合に実車考証が適当なものがありました。(ただしこれが分かったのも最近のことで、それまでは全然気がつきませんでしたが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウトウニオン タイプ D ドイツ 1938年
1938年にGPカー(F1)の新しい3Lフォーミュラ(排気量上限 過給3L 無過給4.5L 排気量に応じて最低重量400-850㎏)が施行され、それに対応したアウトウニオン タイプ Dが開発されました。タイプ Cをベースにしていましたが、エンジンがV型16気筒6LからV型12気筒3L(420HP)に変更されてサイズが小さくなったのでコクピットが後ろに移動して一般的なGPカーのスタイルに近くなりました。1939年にはスーパーチャージャーが2ステージ化され、485HPにパワーアップされました。
タイプ Dの主な戦歴としては1937年にチームに加入したイタリア人ドライバーのT.ヌヴォラーリがドライブしてイタリア GPとイギリス(ドニントン) GPなどで優勝しましたが、あまり芳しい成績は残せませんでした。1939年のフランス GPではドライバー H.ミュラーで優勝しました。アウトウニオンのミッドシップレイアウトは操縦性に問題が多い(運転が難しい)レイアウトでしたが、第2次世界大戦後のレーシングカー設計に多大な影響を与えました。大戦後の1947年にクーパーがF3でミッドシップレイアウトを採用し、その後1960年代になるとミッドシップがF1の標準レイアウトになりました。
ミニカーはブルム製で1984年頃に発売されました。1938年のイギリス GPの優勝車をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて、1980年代のミニカーとしては良く出来ていました。ただこれも前述した同じブルム製のタイプ Cと同様にデカールが経年劣化しています。ブルムは ドライバー T.ヌヴォラーリのフィギュア付でイタリア GP 優勝車もモデル化しています。これ以外のタイプ Dのミニカーは戦前のメルクリンの超レアな当時物、マーキュリーの古い当時物、ミニチャンプスのイギリス GPとイタリア GP仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホルヒ 853A スポーツ カブリオレ ドイツ 1938年
ベテラン期にベンツ社の工場長を務めていた技術者アウグスト ホルヒ(August Horch)は、1899年に独立してホルヒ社を設立し1901年から自動車製造を始めました。ホルヒ社は先進的で高品質な小型/中型車を生産していました。1909年にアウグスト ホルヒは技術/品質にこだわって出資者の経営陣と対立して自分が設立した会社を去りました。彼はホルヒという名前の別会社を設立しましたが、元のホルヒ社からクレームが付き、1910年に名前をアウディ社に変更しました。なおホルヒとはドイツ語の「聞く」という意味の「horchen」に由来し、アウディ「audi」もラテン語の「聞く」という意味だそうです。
創業者が去った当時のホルヒは4気筒2.6Lエンジンを搭載した中型車10/30などを製造していましたが、次第に高級な大型車を製造するようになりました。1926年に直列8気筒3.1Lエンジンを搭載した303が登場し、1930年には直列8気筒4L/5Lエンジンを搭載した400/500が登場しました。ホルヒは同じジャンルの高級車メルセデス ベンツより安かったことで好評だったようです。なおアウグスト ホルヒが設立したアウディ社も高性能な高級車を製造していて、モータースポーツで活躍していました。
1932年にホルヒ社はアウディ社、DKW社、ヴァンダラー社の民族系3社と協同でアウトウニオン社を結成しました。ホルヒはアウトウニオン社の最上級モデルを担当し、ポルシェ博士が設計したアウトウニオンのGPカー Pヴァーゲン(タイプA B C)もホルヒが製作しました。ホルヒは第2次大戦中は軍用車の生産に専念し、戦後はアウトウニオン社が解体されてホルヒの名前は消えました。
ミニカーは2003年頃に発売されたミニチャンプス製でアウディ特注品です。1937年に登場した8気筒5Lエンジンを搭載した853Aのカブリオレをモデル化しています。同じ型の一般市販品(型番436012030 赤茶色の内装)とは内装の色を変えて特注品としています。アウディ社が特注しているということはホルヒ車はアウディ社の歴史の一部といった扱いなのでしょう。ミニカーはミニチャンプスらしいそつのないとても良い出来ばえです。特に豪華な室内はかなりリアルに再現されています。またフロントグリルのアウトウニオンの4輪ロゴ、グリル上のマスコット(翼の付いた矢)、灯火類などの細部も良く再現してあります。ミニチャンプスは853Aのカラーバリエーション数種類と855 ロードスター数種類もモデル化しています。これ以外のホルヒのミニカーはメルクリンの戦前の当時物(とんでもないレア物です)、RICKOの851と930V 1/87、ブッシュの853 カブリオレ 1/87、イクソ(ホワイトボックス)の 853A カブリオレ、サンスターの855 ロードスター 1/18などがあります。 以下はフロント(フロントグリル拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)