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メルセデス ベンツ 170V (W136) ドイツ 1936年
サラブレッド期のメルセデス ベンツは前述したような高級車ばかり作っていた訳ではありませんでした。1931年に発表されたメルセデス ベンツ 170(W15)はメルセデス ベンツとしては大衆向けの小型車で、6気筒1.7L(32HP)の小さなエンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hの性能でした。小型車にも6気筒エンジンと全輪独立懸架サスペンションを採用したあたりがメルセデス ベンツらしいところでした。1936年にエンジンが4気筒1.7L(38HP)に変わり丸みを帯びた近代的なデザインの170V(W136)に変わりました。170VのVはドイツ語 VIER(4の意)だと思っていましたが、正しくはVORN(フロントの意)でフロントエンジンを意味し、同時期のリアエンジンの170H(HはHECK リアの意)と区別する為に付けたそうです。(実車画像→ メルセデス ベンツ 170 1931)
当時のメルセデス ベンツのラインアップとしては、170の上に1936年発表の中級車230(6気筒エンジン搭載)、その上に1937年発表の320(6気筒エンジン搭載)がありました。また170より小さい130Hというベンツとしては風変わりな車(リアエンジンで後のフォルクスワーゲン ビートルに似ている)もありました。170Vにはカブリオレ、2座のロードスター、商用車(バン 、トラック)などもあったようです。170Vは息の長いモデルで戦時中には軍用車として使われ、戦後もディーゼルエンジン搭載の170Dや上級仕様の170Sが追加され、1955年まで生産されました。総生産台数は約15万台でした。
ミニカーは2005年頃に発売されたサンスター傘下のビテス製です。170Vの4ドアセダンをモデル化しています。このセダンは前後ドアのヒンジがセンターにある逆観音開きの4ドアです。プロポーションが良くフロントグリルやエッチング材のワイパーなど細部もリアルで良く出来ています。ビテスはサンスター傘下となる前に170Vをモデル化していましたので、これはそれの細部をリファインしたものです。サンスター傘下となる前のビテスの170Vにはカブリオレや商用バンなど十数種類ほどのバリエーションがありました。ビテス以外の170Vのミニカーはシュコーの1/18と1/43と1/90、ブッシュの1/87、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウトウニオン タイプ C ドイツ 1936年
1936年にアウトウニオン タイプ Bは排気量を6Lに拡大し過給圧を上げてエンジンを520HPまで大幅にパワーアップし、さらにホイールベースを伸ばしトレッドを広げて操縦性を向上させたタイプ Cに発展しました。外観的にはコクピット左右のえぐりが均等になり(レースによって多少異なるが)、フロントノーズの形状が少し変わりました。さらに1937年には排気量が6.3Lに拡大され、545HPにパワーアップされました。
1936年は圧倒的に強かったメルセデス ベンツ W25の戦力が落ちたので、アウトウニオンが勝つレースが増えました。メインのGPレースでは、ドイツ、スイス、イタリアで優勝し(ドライバー B.ローゼマイヤー)、それ以外でもトリポリやフェルトベルク(ドイツ ヒルクライム)などで優勝しました。 1937年シーズンには、強力なメルセデス ベンツ W125が登場したので、タイプ Cはベルギー GPでの優勝(ドライバー R.ハッセ)以外ではW125の後塵を拝していました。タイプ Cは1938年にタイプ Dに変わりました。
ミニカーはブルム製でブルム初期の1981年に発売されました。1936年のドイツ GPまたはスイス GPの優勝車(ドライバー B.ローゼマイヤー)をモデル化しています。ノーズが短いアウトウニオン GPカーの独特なスタイルがうまく再現されていて、ボディ細部やコクピット内の仕上げもそこそこリアルで、1980年代当時のミニカーとしては良く出来ていました。なおリアエンドの小さな丸い突起はエンジンを始動するスターターを接続する部分です。ブルムはバリエーションでリアにダブルタイヤを履いたタイプもモデル化しています。これ以外のタイプ Cのミニカーはメルクリンの戦前の当時物(超レア物)、シュコーのブリキ製 1/24?、ミニチャンプスのアウディ特注品/ドイツ GP仕様、CMCの1/18 超精密モデル、ブッシュの1/87などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。なおこの上に載せたタイプ Cの画像は2006年に撮影したもので、以下の拡大画像は2021年に撮影したものです。以下の画像ではゼッケン #4のデカールが変形して別物のように見えますが、これは経年変化でデカールが膨潤したものです。今回この記事を更新したことで、デカールがこんな具合に経年劣化するものだということが良くわかりました。原因はデカールの質が良くないということですが、箱から出してガラスケース内で保管していたことも劣化を促進した要因でしょう。(どんなものにも寿命がありますので仕方ないことですが) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ G4 (W31) フランシスコ フランコ 総統車 ドイツ 1937年
1926年にドイツ陸軍の要請でメルセデス ベンツが6輪のオフロード用車両を試作しました。この車は6気筒3Lエンジンを搭載した8人乗りの大型車で、G1と呼ばれ生産化はされませんでした。1934年にG1の後継車としてG4が登場しました。(G2/G3も試作されたのかどうかは不明) G4は前述した最高級車メルセデス ベンツ 770をベースにしており、後輪を2軸(4輪)化して駆動していましたが、前輪は駆動していません。
車重が3.7tと重いことと全輪駆動ではないことから、オフロード性能はあまり優れていませんでした。また不整地用タイヤを使用することから最高速は67 km/hに制限されていました。生産台数は57台で、主にヒトラーや上級将校がパレードする際に使用されたようです。実車の画像をみると、このようなパレード用のカブリオレがほとんどでしたが、セダンタイプもあったようです。
ミニカーは2009年に発売されたミニチャンプス製です。ドイツのヒトラーが当時のスペインの独裁者フランシスコ フランコ総統にプレゼントしたメルセデス ベンツ G4をモデル化しています。ドイツのミニカーメーカーがナチスが使用した車をモデル化するのはタブーなので、ナチスが使用したG4ではなくスペインの独裁者が使用したG4としてモデル化しています。(ドイツではナチス関連の物を製品化するのは全てタブーです) ミニチャンプスらしいそつのない造形で、細部までリアルなフロントグリルやそこそこ良く再現された室内など、とても良く出来ています。また床下部分もサスペンションやドライブシャフトなどの構造が良く再現されています。 これ以外のG4のミニカーはイクソ(ホワイトボックス)とヤトミン(シグネチャー)の1/18などがあります。 以下はフロント(フロントグリル拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ W125 ドイツ 1937年
1934年に総重量が750kg以下ボディ全幅850mm以下でエンジン排気量無制限という750㎏フォーミュラ規格が決まり、ダイムラー メルセデスはメルセデス ベンツ W25(DOHC 8気筒3.4Lエンジン搭載)で参戦し圧倒的な強さを誇りました。その後W25のエンジンは徐々に拡大されて、1936年には4.7L(473HP)になりました。総重量を750㎏以内に収める為、エンジンと燃料タンクの重量増加分はシャーシ軽量化(ホイールベース短縮)でカバーされました。この変更はW25の直線性や操縦性を悪化させ、1935年に9勝していたW25が1936年には2勝しか出来ませんでした。
そこで1937年に登場したのが後継車のW125でした。一新されたシャーシはホイールベースが初期のW25より長く、エンジンは5.6L(592HP)にパワーアップしていました。W125もW25同様に圧倒的な強さを発揮し、ほとんどのレースの勝利を同じドイツ勢のアウトウニオンと分け合いました。無制限のエンジン規定で開発されたW125は史上最強最速のグランプリカーと呼ばれました。1938年にエンジン排気量を過給式3Lに制限した新しい3Lフォーミュラが施行され、それに対応したW154が開発されました。
ミニカーはブルム製で、ブルム初期の1982年頃に発売されました。1937年のイタリアGPで2位となったW125(ドライバー H.ラング)をモデル化しています。このGPで優勝したのはR.カラッチオラのW125、3位はアウトウニオン タイプCでした。このW125はブレーキドラムやリアサスペンションアームなどが再現され、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。(サイズが1/43より小さめですが) 戦前のメルクリン製当時物(超レア物)を除けば、2000年以前はこれがW125の唯一の量産ミニカーでした。2000年以降にミニチャンプス、シュコー、スパーク(レジン製)などでもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アウトウニオン タイプ C 流線形 速度記録車 ドイツ 1937年
ドイツ ナチス政権はグランプリレースだけではなく、レースカーをベースにした車による速度記録達成でも国威掲揚を図っていました。この時期のドイツ車の速度記録は国内の公道やアウトバーンで達成されていました。当時のほとんどの速度記録はアメリカのソルトレークで達成されていたのですが、ナチスは国内にこだわったのです。
メルセデス ベンツの主な速度記録(フライング キロメートル 国際B級 5L-8Lエンジン)としては、1936年の364.4km/h (V型12気筒4.8L 540HPエンジン)、1938年の432.7km/h (V型12気筒5.67L 736HPエンジン)がありました。なおフライング キロメートルとは助走をつけた状態から計測をスタートし、1000メートルのコースを往復してその平均速度を計測するものです。
アウトウニオンの主な速度記録としては、1935年のタイプ B LUCCAによる320.267km/h (V型16気筒5L 375HPエンジン)、1937年のタイプ Cによる406.3㎞/h(V型16気筒6.3L 545HPエンジン)がありました。なお1938年にメルセデス ベンツが432.7kmを記録した時に、同じ場所でアウトウニオンも速度記録に挑戦していました。アウトウニオンはテスト走行で同等以上の速度を達成していましたが、その後の正式アタックで時速450㎞/h走行中に横風にあおられてクラッシュし、ドライバーのB.ローゼマイヤーが即死するといった悲劇が起きました。
ミニカーは2003年に発売されたブルム製です。1937年に史上初の400km/h超えの406.3㎞/hを記録した速度記録車をモデル化しています。流線形の滑らかなボディがうまく再現されていてとても良く出来ています。ブルムは同じ車のアヴァス サーキット仕様など数種類のバリエーションをモデル化しています。ブルム以外のミニカーではメルクリンの戦前の当時物(超レア物)、ミニチャンプス、レベルの1/18などがあります。なおメルセデス ベンツの速度記録車(1938年)もメルクリンの戦前の当時物(超レア物)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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