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マツダ RX-500 日本 1970年
RX-500は1970年の東京モーターショーに出品されたロータリーエンジンをミッドシップ搭載したコンセプトカーでした。RX-500の500はマツダ創立50周年を意味し、当初はコスモ スポーツの次期型プロトタイプとして作られたそうです。デザインは前年に発表されたベンツ C111の影響がフロントの造形などに感じられ、ドアはランボルギーニ カウンタックのようなガルウイング式、デ トマソ マングスタのようなガルウイング式に開くリアカウルなど当時の流行が取り入れていました。リアエンドのウインドーとそれを囲むリアライトの配置はユニークで先進性が感じられます。エンジンはファミリア ロータリー クーペのレーシングカー仕様の10A(247HP)で、ルーチェ ロータリークーペの前輪駆動車用変速機を流用してミドシップ配置していました。
製作されたのは1台で最初は緑色に塗装され、東京モーターショー用に黄色に塗り替えられ、1978年にRX-7 初代のプロモーション用に銀色に塗り替えられたそうです。またヘッドライトは当初は付いていなくて、銀色に塗り替えられた時に埋め込み式のライトが取り付けられたそうです。この車は結局は量産化に至らず、そのまま保存されていました。その後2008年に実車がレストアされ、広島市交通科学館で公開されました。
ミニカーはスパーク製(レジン製)で、2009年に発売されました。型番のKBはスパークと国際貿易のコラボで企画されたミニカーであることを示し、2008年にRX-500がレストアされたのがきっかけになってモデル化されたようです。特徴的なリアの造形やエンジン/スペアタイヤが見えるリアのエンジンカバーなどの細部がリアルに再現されていて、スパークらしい良い出来ばえです。スパークは東京モーターショーの緑色とプロモーション用の銀色、さらに黄色でヘッドライトの付いた1971年ニューイヤーモデルの4種類をモデル化しています。スパーク以外ではトミカ(No.34)とマッチボックス(SF66とJ19)の当時物、京商 サークルKサンクスの1/64があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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三菱 ギャラン GTO MR 日本 1970年
三菱 ギャランは前述したハードトップに続いてスペシャリティカーのGTOを1970年に追加しました。ロングノーズ/ウエッジシェイプ、ファーストバックにダックテールとアメリカ車的で派手なスタイルは、大変な人気となりました。ギャランをベースとした設計でエンジンは4気筒1.6L(110HP)G型とそのDOHC版(125HP)で、DOHCエンジンを積んだMRは5段変速で最高速200km/hと高性能でした。当時は特徴的だったリアのダックテールは、今見ると、それほど目立たない程度だったことがわかります。
1972年に1.7Lエンジンが追加され、1973年のマイナーチェンジでは2Lエンジンが追加され、DOHCエンジンは排ガス規制対応で廃止されました。その後は2Lエンジンがメインとなり、1977年まで生産されました。後継車は1976年に登場したギャラン Λ(ラムダ)でした。日本初のスペシャリティカーとして登場したトヨタ セリカより2か月ほど早く登場したギャラン GTOは、三菱車にスポーティなイメージを与えました。
ミニカーは2001年に発売されたMテック製です。DOHCエンジン搭載のMRをモデル化していますので、ボンネットにエアインテークが付いています。プロポーションが良く、フロントグリル、ホイールなどがリアルに再現されています。実車に即したカラーリングで、室内もリアルに再現されていますので、1/43の量産ミニカー(少量生産の高価なレジン製は除く)では現時点(2023年)でも一番出来が良いと思います。GTOは人気車だったので、たくさんモデル化されています。当時物としてはダイヤペットのチェリカ80とABS樹脂製、モデルペット、トミカ、トミカ ダンディと当時の主要メーカー全てがモデル化していました。当時物以外ではノレブ、国産名車コレクション(ノレブ製)、コナミ、トミカ リミッテド、アオシマ DISM、レジン製ではENIFやイグニッションモデルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ バモス 4 日本 1970年
前述したホンダ TN360のパワートレーンを使った、オープンカーの軽トラック バモス ホンダが1970年に登場しました。ちなみに正式名称はバモス ホンダで、ホンダ バモスではありません。(当サイトでは車名のデータベース検索の都合で、ホンダ バモスと表記しています) 外観は外国のリゾートで使用されるビーチバギーのようなデザインで、フロントに取り付けたスペアタイヤが特徴でした。座席部分を覆う幌付で2人乗りのバモス 2と4人乗りのバモス 4、荷室を含めて全体を幌で覆うバモス フルホロがありました。ドアはなく転落防止バーが付き、シートは全てベンチシートで、計器類やスイッチは防水防塵仕様でした。
TN360がベースでしたので、空冷2気筒360cc(30HP)エンジンを座席下にミドシップ搭載した後輪駆動車で、4WDではないので悪路走破性は軽トラック並みでした。当時のレジャーブームに乗じて作られたようですが、幌とベンチシートによる居住性は良くなかったでしょうし、ジープのような走行性能もなかったのでほとんど人気がなかったようです。1973年まで生産されましたが、総生産台数は約2500台でした。1999年にバモスの名前を復活させたバモス 2代目が登場しました。こちらは軽の1ボックス車で、エンジンをミドシップ搭載した4WD仕様でした。2018年まで長期にわたって生産されました。(実車画像→ ホンダ バモス 2007)
ミニカーは2006年に発売されたエブロ製です。この当時のエブロは国産の旧車/現行車を意欲的にモデル化していて、いずれも当時の最高級レベルの出来ばえでした。(最近はレーシングカーがほとんどなので、出来は良いのですがあまり買わなくなりましたが) このバモスホンダも実車の雰囲気が良く再現され、室内などの細部もリアルに仕上げられていて良く出来ています。脱着可能な幌が付属しているのもエブロらしい楽しいギミックです。エブロはバモス2とバモスフルホロもモデル化しています。エブロ以外ではトミカとトミカ リミッテド、国産名車コレクションがあります。バモス 2代目は童友社が1/64でモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ Z 日本 1970年
1970年にホンダ N360をベースにして軽初のスペシャリティカーとしてZが登場しました。傾斜したウインドシールドを持つクーペスタイルはホンダ内製のデザインだったそうですが、実にかっこいいグッドデザインでした。樹脂枠の付いた特徴的なテールゲートの形状から「水中めがね」と呼ばれました。N360と同じ空冷2気筒354cc(31-36HP)エンジンで、4/5段変速で最高速120km/hと高性能でした。最上級仕様のGSには軽初の5段変速機、前輪ディスクブレーキ、ラジアルタイヤが標準装備されるなど、それまでの軽とは一線を画する車でした。
1971年にN360後継のライフがベースとなりホイールベースが延長され、エンジンが水冷に変更されました。1972年にはBピラーのないハードトップになりました。1973年のオイルショックによる不況と排ガス規制の為、1974年に後継車なきまま生産中止となりました。N360同様に空冷600ccエンジンを搭載した輸出仕様の600 クーペ(Z600)が、欧州や北米に輸出されました。1998年にはエンジンをミドシップ搭載した4WD仕様の軽SUVにZの名前が復活しました。(実車画像→ ホンダ Z 1998)
ミニカーはトミカ ダンディの当時物で、1972年に発売されました。1/38と中途半端なスケールですが、当時のミニカーとしてかなり良い出来に仕上がっていました。ボンネットとドアの開閉ギミック付です。当時の軽自動車は人気があった車でもあまりミニカー化されていないので、これ以外の国産の当時物ミニカーはありませんでした。なお出来はあまり良くないですが、イタリアのポリトーイが輸出仕様の600 クーペを1/43と1/25でモデル化していました。イタリアのミニカーメーカーがモデル化したということは、イタリアでもホンダ Zが注目されていたということの証しでした。当時物以外では京商のポリストーン製、エブロ、コナミの小スケール、国産名車コレクションなどがあります。トミカ リミッテドあたりでも是非モデル化してもらいたいです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スズキ ジムニー LJ10型 日本 1970年
軽自動車ながら本格派4輪駆動車のスズキ ジムニー 初代は1970年に登場しました。ジムニーが開発されたいきさつは、かつて軽オート3輪車を製造していたホープ自動車(後継社のホープ社は2016年に倒産)が開発した軽四輪駆動車「ホープスター ON型4WD」の製造権を、当時のスズキの常務(後に社長)であった鈴木修氏が買い取ったことから始まりました。鈴木氏はホープスターの優れた悪路走破性能に着目し、実用車としての将来性を見抜いていたのです。(実車画像→ホープスター ON型4WD)
ホープスターをベースにして、自社部品を流用したコストダウンなどスズキ流の変更が行なわれてジムニーは商品化されました。ボディは頑丈なラダーフレーム構造で、サスペンションは全輪リジッドアクスル(固定車軸式)を採用した本格派4WDでした。(最新のジムニーも同じ構造です) エンジンは空冷2サイクル2気筒359cc(25HP)を搭載し、4段変速で駆動方式はパートタイム式4WDでした。タイヤは16インチの大径の物で、作業車として使えるように変速機にPTO(動力取出し機構)が組込まれていてウィンチが使えました。 ボディのデザインは当時の4WD車の定番であったジープを模していますが、軽自動車サイズにうまくまとめていました。本格派4四輪駆動車並みの機動性を備えた維持費が安い軽自動車 ジムニーは市場で高い評価を受けて商業的に大成功しました。
初代 ジムニーは軽自動車規格変更への対応など改良が施され1982年まで生産されました。以下はその改良の簡単な概要です。
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