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デ トマソ マングスタ イタリア 1966年
デ トマソ アウトモビリ社はレーシングドライバーであったアルゼンチン出身のアレハンドロ デ トマソ(Alejandro de Tomaso)が1959年にイタリアのモデナで設立しました。当初はF1マシンのシャーシ製作を行っていましたが、1963年に2座の市販スポーツカー ヴァレルンガ 1500を発表しました。鋼管バックボーンフレームにチューンしたフォードの4気筒1.5L(102HP)エンジンをミドシップ搭載し、FRP製ボディを載せるといったレーシングカー技術を盛り込んだ車で、最高速208km/hの性能でした。この車は50台ほど製作されました。(実車画像→ デ トマソ ヴァレルンガ 1500)
1967年にフォードと共同開発した2台目の市販車マングスタが登場しました。シャーシはヴァレルンガをベースにして強化した物で、フォー ド製V型8気筒4.7L(305HP)エンジンを搭載し、全輪独立懸架、5段変速で最高速は250km/hでした。(構造的にテールヘビーで操縦性には難があったようです) ボディはG.ジウジアーロのデザインによる低い車高の迫力あるスタイルで、カロッツェリア ギアが製作しました。ランボルギーニやフェラーリなどより安価なスーパーカーとして人気を博し、1971年までに約400台が生産されました。後継車はマングスタをベースにしてフォードのスポーツカープロジェクトで開発されたパンテーラでした。
ミニカーは1969年に発売されたソリド製の当時物です。ヘッドライトやリアフードの形状(後部にスリットが付いていない)などから量産型ではなく、1966年にモーターショーで公開されたプロトタイプをモデル化しています。(実車画像→ デ トマソ マングスタ プロトタイプ 1966) 当時のソリドの特徴であったシャープな造形で、迫力のあるスタイルが見事に再現されていてかなり良い出来ばえでした。ドアが開閉するギミック付で、さらに最大の特徴であるリアパネルがガルウイング式で開閉するギミックを緻密な鋳造技術でリアルに実現していました。これ以外のマングスタの当時物ミニカーはこのソリド製をお手本にしたオートピレン、ポリトーイの1/25、ディンキー、コーギー、ナコラル(コーギーのコピー?)などがありました。当時物以外ではミニチャンプス、TECNO MODEL(レジン製)の1/18などがあります。これらのミニカーのなかでも実車の雰囲気を再現するという観点からは、現在でもこのソリド製当時物がベストだと思います。以下はフロント/リアの拡大画像とリアパネルの開閉ギミックの画像です。リアパネルはボディとの段差がほとんどなくソリドの鋳造技術が優れていたことが分かります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 124 スポルト スパイダー イタリア 1967年
1967年にフィアット 124にピニンファリーナのデザインによる2+2シーターのオープンカーのスポルト スパイダーが追加されました。124のホイールベースを短縮して、フェラーリ並みのかっこいいデザインのボディが架装されていました。高性能なDOHC 4気筒1.4L(90HP)エンジンが搭載され5段変速で最高速174km/hと高性能で、4輪ディスクブレーキが採用されていました。スポルト スパイダーはライバルのアルファ ロメオのデュエット スパイダーを意識した設計でしたが、スポルト スパイダーは+2の後部座席があるなどより実用的でした。
1970年のマイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更され、エンジンが1.6L(110HP)に拡大されました。1974年には1.85L(118HP)エンジンが追加されました。1979年のマイナーチェンジでは北米の安全基準対応で大型の衝撃吸収バンパーを装着しました。また排ガス規制対応でエンジン出力が低下したので、燃料噴射を採用した2L(100HP)エンジンに変更されました。北米で人気が高く1982年以降はボディを製造していたピニンファリーナのブランドに変わって1985年まで生産されました。総生産台数は約15万台でした。
ミニカーは1996年に発売されたビテス製です。当時のビテスは倒産する少し前の絶頂期で当時としては一級品のミニカーを製作していました。(あまりに多くのバリエーションを出したことで在庫過多で倒産したらしいです) この124 スパイダーもプロポーションが良くピニンファリーナ製の美しい実車がよく再現されていました。灯火類や室内などの細部も結構リアルに仕上げられていました。ビテスには幌を閉じた仕様やアバルト ラリー仕様などのバリエーションが30種類ほどありました。これ以外の124 スパイダーのミニカーはポリトーイの当時物、サンスターの1/18、オートアートの1/18、スターラインなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 125 イタリア 1967年
1967年にフィアット 1300/1500の後継車としてフィアット 125が登場しました。125は124の上級車として登場したのですが、シャーシは先代の1500を改良したもので、そこに124のホイールベースを延長したボディを載せ、124のスポーツ仕様のDOHC 4気筒1.6L(90HP)エンジンを搭載していました。外観では角形4灯式ヘッドライトを採用したスタイルで124との差別化を図っていました。4段変速で最高速は160km/h、4輪ディスクブレーキを標準装備し優れたハンドリングのスポーティな中級車でした。
1968年にはエンジンを100HPにパワーアップし5段変速で最高速170km/hに向上した高性能な125スぺシャルとなりました。1970年のマイナーチェンジでフロントグリルとリアライトなどが意匠変更され、内外装に豪華な設定がされた125スぺシャル シリーズIIとなりました。1972年まで生産され、総生産台数は約60万台でした。後継車はフィアット 132でした。
ミニカーは1969年に発売されたマーキュリー製の当時物です。1960年代のマーキュリーのミニカーは実車の雰囲気をうまく再現した物が多く、この125もボクシーなスタイルがよく再現されています。ただしヘッドライトに丸型のライン ストーンを使っているので、丸形4灯式ヘッドライトに見えてしまうのがやや惜しいところです。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミック付です。これ以外の125の当時物ミニカーはポリトーイの廉価版EXPORTシリーズがありました。当時物以外ではスターラインの125 スペシャルがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ ティーポ 33 スパイダー プロトタイプ イタリア 1967年
アルファ ロメオは資金難から1951年を最後にしてF1 GPから撤退しました。その後1960年代になって、プロトタイプクラスのスポーツカーの開発を始めました。最初はTZ2の4気筒1.6Lエンジンを使っていましたが、すぐにV型8気筒2L(270HP)エンジンに変わり、そのエンジンをミドシップ搭載したティーポ 33が、1967年に登場しました。ティーポ 33は1967年のスポーツカー選手権に出場しましたが、信頼性や競争力が低く、めぼしい結果を出していません。1968年にティーポ 33は改良されてティーポ 33/2となりました。(実車画像→ アルファ ロメオ ティーポ 33/2)
ティーポ 33の公道仕様が33 ストラダーレで、DOHC V型8気筒2L(230HP)エンジンを搭載し、レース仕様ほぼそのままの高性能車で、ごく少数が1967年から生産されました。ティーポ 33のシャーシはコンセプトカーにも多く使われました。 有名なところでは1968年のカラボ ベルトーネ、1969年のイグアナ イタルデザイン、1976年のナバホ ベルトーネ などがありました。(実車画像→ アルファ ロメオ 33 ストラダーレ、アルファ ロメオ イグアナ、アルファ ロメオ ナバホ)
ミニカーは1969年に発売されたマーキュリー製の当時物で、ティーポ 33の初期型(プロトタイプ)をモデル化しています。スケールモデル的な観点ではいまひとつの点もありましたが、センスの良いデフォルメで実車の迫力のあるボディをうまく再現したマーキュリーの傑作でした。前後カウル/ドアが開閉するギミックが付き、エンジンが再現されていました。ティーポ 33 初期型のミニカーはポリトーイの当時物もありました。ティーポ 33のレース仕様はベストモデルがたくさんモデル化しています。また見た目がかっこいいティーポ 33 ストラダーレは最近になってミニチャンプスやオートアートがモデル化しています。 以下はフロント/フロントカウルを開いた画像とリア/リアカウルを開いたエンジンルームの画像です。リアカウルは黒い固定バンド(プラスチック製)を外してから開くといった凝った仕掛けとなっていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 312 F1 イタリア 1967年
1966年からF1の排気量が3L(過給1.5L)に変わりました。それに対応したフェラーリ 312 F1が1966年に登場しました。エンジンはプロトタイプスポーツー カー 275P2用のV型12気筒3.3Lを3Lに変更したもので、シャーシはエンジンを構造部材としないセミモノコックを採用していました。1966年シーズンはベルギー GPとイタリア GPで優勝し、コンストラクタータイトルは2位(1位はブラバム)でした。
1967年シーズンは後半にエンジンを3バルブ化して390HPにパワーアップしましたが、ドライバーの事故が相継いだこともあり、1勝もできませんでした。 1968年シーズンにはリアウィングを装着したロータス 49Bが登場し、312 F1もエンジンの上にウィングを装着するようになりました。(実車画像→ロータス 49B) その後ウィングは角度可変/サスペンション連動など複雑化していきました。この年もフェラーリはフランスGPで1勝しただけで、成績はふるいませんでした。
1969年シーズンでフェラーリはエンジンをさらにパワーアップしましたが、エンジンの信頼性が低くトラブルが多発しました。この年はフェラーリはリタイヤが多くオランダ GPの3位が最高の成績でした。ウィングについては大型化し高い位置に設定するハイマウント式となりました。しかし第2戦のスペイン GPでロータス 49Bがウィングの支柱が壊れたことでコントロールを失う事故を起こし、安全性の問題から次のモナコ GPからは高さの低い固定式に規制されました。
1967年にロータスが初採用した小型軽量で信頼性の高いフォード コスワース DFVエンジン(V型8気筒3L)はF1用エンジンとして多くのコンストラクターに採用されました。このエンジンに対抗してフェラーリはVバンク角を180度にした新開発のV型12気筒エンジン(450HP)を開発し、それを搭載した312B F1が1970年に登場しました。Vバンク角を広げたことで重心が下がりマシンの操縦性が向上した312B F1はシーズン後半で4勝し、コンストラクタータイトルでロータスに次ぐ2位となりフェラーリは復活を遂げました。その後312B F1は312B2、312B3と改良され、1975年に312T F1に発展しました。(実車画像→フェラーリ 312T F1 1975)
ミニカーは1996年に発売されたブルム製です。1967年のイタリア GPに出場して7位となった2号車(ドライバー C.エイモン)をモデル化しています。ホイールやエンジンなどがそこそこリアルで、当時のミニカーとしては標準的な良い出来ばえでした。ブルムは312 F1関係のミニカーとして最初のウィング付、ハイマウント式ウィング付、前後にウィングを付けたテスト車、高さ規制後の低いウィング付の312に加えて、312Bから312 T5まで約50種類をモデル化しています。(バリエーション展開が多いのはブルムの特徴です) 当時物ミニカーとしてはソリド、ポリトーイ、ディンキーなどがありました。当時物以外では、カルツォ、ミニチャンプス、マテル、イクソなどたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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