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ランチア フラミニア クーペ イタリア 1958年
アウレリアの後継車として1957年にフラミニアが登場しました。アウレリアと同じV型6気筒エンジンは排気量を2.5L(102HP)に拡大し、高度なトランスアクスル方式を踏襲していました。長く続けられたスライディングピラー式前輪サスペンションはダブルウイッシュボーン方式に変わりました。ボディは全長4.85mとかなり大きくなり、ピニンファリーナ デザインの美しいスタイルとなりました。
フラミニアにはピニンファリーナのデザインによる2+2シータークーペ、ツーリングのデザインによる4灯式ヘッドライトの2シーター クーペ/コンバーチブルのGT、ザガートのデザインによる2シータークーペ(アルミニウム製ボディ)のスポルトといったバリエーションがありました。フラミニアはベルリーナ(セダン)よりもクーペやGTが多く生産されており、パーソナルカーとしての使い方が多かったようです。(実車画像→ ランチア フラミニア GT ツーリング)
なかでも一番数が多かった2+2シータークーペはコンセプトカー ランチア フロリダ IIをベースとした車で、当時世界で最も美しい車とされていました。古典的なプロポーションの集大成的なスタイルでしたが、今でも通用する普遍的な美しさであると思います。(最近の車しか知らない方は、単に古臭いデザインだと思われるかもしれませんが) (実車画像→ ランチア フロリダ II 1957)
ミニカーは1961年に発売されたソリド製の当時物で、2+2シータークーペをモデル化しています。ソリドらしいシャープな造形で、実車の美しいプロポーションが忠実に再現されていました。当時のミニカーとしてはとても良い出来ばえでした。このミニカーは当時一般的であった車軸のスプリング サスペンション動作のギミックに加えて、ドアが開閉するギミックが初めて採用されました。ドアの開閉用ヒンジ部を板バネで抑えることによって開閉動作にメリハリを付ける方式(半開きでブラブラしない)は、ソリドの特許だったようです。この特許方式でソリドのミニカーのドア開閉ギミックは節度があり可動部の隙間が小さかったのでした。なおこれはヘッドライトにラインストーンが使われていますが、初期物は銀色塗装処理されていました。これ以外のフラミニア クーペのミニカーは、ポリトーイ初期(プラスチック製)の当時物、最近では結構良く出来たスターライン製などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア フラビア イタリア 1960年
ランチア フラミニアとランチア アッピアの間を埋める中型車として1960年にフラビアが登場しました。イタリア車初の量産車への前輪駆動方式の採用、新設計のアルミ製水平対向4気筒1.5L(78HP)エンジン、全輪ディスクブレーキなどランチアらしい先進的な設計でした。またオーソドックスなセダンボディはセンタートンネルのない前輪駆動方式の為、室内やトランクが広く実用的な車でもありました。また実用車だけではなくピニンファリーナ製のクーペやザガート製のクーペ スポーツ ザガート、ヴィニアーレ製のコンバーチブルもありました。(実車画像→ランチア フラビア コンバーチブル)
1963年にエンジンが1.8L(92-105HP)に拡大されました。1967年にフロントグリルを大幅に変更した後期型に変わりました。1969年にランチアはフィアットに売却されてフィアット傘下となりました。フラビアは1969年に排気量が2L(115HP)に拡大され、セダンとピニンファリーナ製クーペ以外は生産中止となりました。1971年からはフラビアの名前が外れて2000に名前が変わり、1974年まで生産されました。総生産台数は約105万台でした。後継車は1976年に登場したガンマでした。(実車画像→ランチア ガンマ)
ミニカーは1966年に発売されたメーベトイ製の当時物です。メーベトイの作風は当時としてはスケールモデル的な造形でしたが、このフラビアもランチアらしい顔つきと四角い箱といったオーソドックスなボディをうまく再現していました。ヘッドライト周りが汚れていてやや見苦しいですが、この汚れははヘッドライトのラインストーンを接着した時にはみ出した接着剤が変色したもので、メーベトイのミニカーによくみられる経年変化です。ドアが開閉するギミック付きです。フルビアの当時物ミニカーはマーキュリーのセダンとクーペ、ポリトーイのセダン(初期のプラスチック製)とスポーツ ザガート、ノレブ初期のプラスチック製などがありました。当時物以外ではノレブの後期型セダン、EDISON GIOCATTOLIのクーペ、NEO(レジン製)のスポーツ ザガートなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア フルビア イタリア 1963年
小型車ランチア アッピアの後継として、1963年に登場したのがフルビアでした。この時代のランチアは下位モデルからフルビア、フラビア、フラミニアがありました。フラビア同様の前輪駆動方式で、エンジンはランチア独自のV型4気筒エンジンをDOHC化した1.1L(58HP)、全輪ディスクブレーキの採用などこの車も進歩的な設計でした。ボディは上級車フラビアと同じような四角い箱型のセダンで、フロント周りもフラビアの後期型とほとんど同じでした。1965年にホイールベースを短縮したクーペが追加されました。エンジンは1.2L、1.3Lと排気量を拡大し、1972年まで生産されました。セダンの総生産台数は約19万台で、後継車はベータでした。
ザガートがデザインしたアルミニウム製の2シーターボディを載せたスポーツ(スポルト) ザガートが1967年に追加されました。角形ヘッドライトを組み込んだザガートらしいフロントグリルを持つ個性的なデザインの車でしたが、このクラスの車にもアルミニウム製ボディを採用したのは当時のランチアらしいところでした。V型4気筒1.2L(90HP)エンジンを搭載し最高速170km/hの性能でした。高価なアルミニウム製ボディは最初の700台だけで、すぐにスチール製に切り替わりました。セダン同様にエンジン排気量を1.3L、1.6Lと拡大し、1972年まで生産されました。総生産台数は約7000台でした。(実車画像→ ランチア フルビア スポーツ ザガート)
ミニカーは1964年に発売されたマーキュリー製の当時物です。マーキュリーは実車パーツ製作が本業でしたが、1960-1970年代にはミニカーも手掛けていて、当時としてはレベルの高いミニカーを作っていました。このフルビアもフロント周りの造形や角ばったボディがうまく再現されていて、当時のミニカーとして良く出来ていました。ドアが開閉するギミック付きです。これ以外のフルビア セダンの当時物ミニカーはポリトーイの初期物(プラスチック製)がありました。当時物以外ではスターラインがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア フルビア クーペ イタリア 1965年
前述した小型車ランチア フルビアのスポーティモデルとして、クーペが1965年に追加されました。短縮されたホイールベースにセダンとは打って変わった軽快なスタイルの2+2シーターのクーペボディを載せていました。V型4気筒1.2Lエンジンは90HPに強化され、5段変速で最高速166km/hの性能でした。(フルビア セダンは約140km/h) エンジンは1967年に1.3L(90-100HP)、1969年に1.6L(114-132HP)と強化されました。スポーティなデザインと高性能で人気がありました。1976年まで生産され、総生産台数は約14万台でした。後継車はベータ クーペでした。
フルビア クーペといえばラリーでの活躍が有名でした。1965年にラリー仕様のクーペ HFが登場しました。このHFとは「High Fidelity」の略で「高い忠誠心」を意味し、元々はランチア車でラリーを行っていたプライベーターチームの名前「HFスクアドラ コルセ(Squadra Corse)」が由来となっているそうです。このチームがワークスチームに昇格してランチアはクーペ HFでラリーに参戦しました。ラリー仕様車も1.3HF、1.6HF(115HP 最高速185km/h)とエンジンを拡大しました。1972年にはモンテ カルロとモロッコ ラリーなどで優勝しWRCチャンピオンとなり、フルビア クーペのラリー活動では最良の年でした。
ミニカーは1966年に発売されたポリトーイ製の当時物です。実車の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。ただフロントの造形でグリルが独立していないような感じになっているので、その点が今一つです。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付です。当時のポリトーイはエンジンなどのメカをリアルに再現していましたが、このフルビア クーペもエンジンがそこそこリアルに再現されています。フルビア クーペの当時物ミニカーとしてはマーキューリー、メーベトイ、国産のダイヤペットなどがありました。最近の中国製の似たような出来ばえのミニカーとは違って、昔のミニカーにはそれぞれのメーカーの作風に違いがあり、同じ車種でも少し違った感じの出来ばえとなっていました。このフルビア クーペのミニカーではポリトーイ製があっさりとした造形で、初期のフルビア クーペのイメージに一番近いのではないかと思います。 当時物ミニカー以外ではリオ、PROGETTO K、ビテス、ベストモデル、スターライン、イクソ、ミニチャンプス、オートアートの1/18などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とトランク開閉/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア ストラトス 1600HF ベルトーネ (ストラトス ゼロ) イタリア 1970年
ランチア ストラトス 1600HF (ストラトス ゼロ)は1970年のトリノ ショーで公開されたコンセプトカーでした。ランチアの依頼でベルトーネが「新しい概念のスポーツカー」を提案したもので、確かに従来の概念からは理解できないデザインでした。ストラトスという名前はSTRATOSFERA(イタリア語で成層圏の意)からの造語で、この車が宇宙船をイメージしたものであることを示していました。
ランチア フルビア クーペをベースにしていましたが、極端なウエッジシェイプを実現するためにエンジンはミドシップ搭載に変えられました。運転席がかなり前方の低い位置に配置されているので、サイドウインドーは側面についた「のぞき穴」のようになっています。通常のドアが使えないので、乗り降りはフロントウインドーを開いて行うようになっていました。またリアのエンジンカバーも3角形で横に開くなど、奇抜なデザインがてんこ盛りになっていました。なおヘッドライトらしきものは見当たりません。
コンセプトカーを量産化したいベルトーネは、WRCラリーで勝てる車を模索していたランチアに対して、ストラトスがミドシップエンジン搭載であることを生かしてラリー専用車に仕立てることを提案しました。この提案でラリー専用車ストラトスのプロトタイプが1971年に登場しました。なおコンセプトカーのストラトス ゼロという名前は後からつけた名前で、公開当時はストラトス 1600HFでした。
ミニカーは1971年に発売されたポリトーイ製の当時物です。実車はもっとシャープな造形ですが、実車の奇抜な雰囲気はこのミニカーでも十分再現されていました。フロントウィンドーとリアのエンジンカバーが開閉し、エンジン部分と室内もかなりリアルに再現されていました。特に室内はステアリングホイールを両足の間に挟むF1カーのコクピットのような乗車姿勢となっていることが良くわかります。これ以外の当時物ミニカーは、マーキュリー、メーベトイ、オートピレン(メーベトイのコピー?)がありました。当時物以外では、MIRAGE(hpiレーシング レジン製)や京商(ポリストーン製)などがあります。 以下はフロント/フロントウィンドー開閉の画像とリア/エンジンカバーを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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