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アウトビアンキ ビアンキーナ イタリア 1957年
アウトビアンキ社の前身はビアンキ社で、フィアットと同じ頃に創業したイタリアの老舗自動車メーカでした。当初は主に小型車を作っていました。1930年に8気筒3Lエンジンを搭載するティーポ S8が登場しましたが、あまり売れませんでした。乗用車の販売が不振となり、ビアンキはトラックなどの大型商用車生産に注力しました。第2次大戦後に経営不振となり、1955年に自動車部門はフィアットの資本参加でアウトビアンキ社として独立しました。アウトビアンキはフィアット傘下でプリムラ、パノラミカなどの小型車を生産していましたが、最終的にフィアットに吸収されました。
アウトビアンキが最初に生産した車は1957年に登場したビアンキーナ(小さなビアンキという意)でした。フィアット 500のエンジンとシャーシを使っていましたが、一見しただけではリアエンジンのフィアット 500をベースにしているようには見えませんでした。内外装が豪華に仕立てられフィアット 500の上級版といった位置づけでした。従って最初は高級なオープンカーだけでしたが、後にルーフを拡大した4人乗りセダンのベルリーナ、ステーションワゴンのパノラミカ、ライトバンのフルゴンチーノが追加されました。1964年に後継車のプリムラにモデルチェンジしました。
ミニカーは1998年に発売されたピンコ製です。ビアンキーナで最初に生産されたトランスフォーマビーレ(Trasformabile)と呼ばれるキャンバストップ方式の2座コンバーチブルをモデル化しています。ピンコはイタリアのメーカーで、主にアバルトやMG MGBなどの1950-1960年代のレーシングカーをレジン製の1/43サイズでモデル化していました。このビアンキーナもレジン製の小さなミニカーですが、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ていました。エッチングメタル製のフロントのエンブレム、小さなフェンダーミラー、室内などの細部も良く仕上げてありました。これ以外のビアンキーナのミニカーはマーキュリーの当時物でトランスフォーマビーレとパノラミカ(どちらも超レア物)、ポリトーイの当時物パノラミカ、最近の物ではプロゲット K、エジソンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ ジュリエッタ ベルリーナ TI イタリア 1957年
アルファ ロメオ ジュリエッタのベルリーナ(セダン 750型)は1955年に発表されました。ホイールベースはジュリエッタ スプリントと同じですが、全長と全高を大きくして5人乗りのキャビンを作り出していました。エンジンは53HPにディチューンされ、最高速は135km/hとなっていました。1957年には65HPにパワーアップした高性能版のベルリーナ TIが追加されました。
1959年にエンジンの改良や外観の変更(フロントグリル意匠変更とテールライトのTI型への統一)が行われ、シリーズ 2(101型)となりました。1961年にもフロントグリルが意匠変更されエンジンがパワーアップ(62HP/74HP)されました。1962年に後継車のジュリアが登場しましたが、ジュリエッタ シリーズは1965年まで生産され、総生産台数は約18万台でした。このジュリエッタ シリーズの大ヒットで、アルファ ロメオはイタリア第2位のメーカーに成長していきました。
ミニカーはリオ製で、1995年頃に発売されました。兄弟会社であったブルム製の1900とよく似た雰囲気の作風で、プロポーションが良く細部もそこそこ良く再現されていました。これはTI仕様をモデル化しているのでリアに「GIULIETTA TI」のロゴが付き、テールライトの位置が通常のベルリーナとは少し異なっています。リオはレース仕様やポリス仕様など約40種類のバリエーションを作っています。リオ以外では、ポリトーイのプラスチック製当時物、マーキュリーの当時物、当時物以外では国産名車コレクション(イクソ製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア フラミニア ベルリーナ イタリア 1957年
ランチア アウレリアの後継車として1957年にフラミニアが登場しました。アウレリアと同じV型6気筒エンジンは排気量を2.5L(102HP)に拡大し、高度なトランスアクスル方式を踏襲していました。長く続けられたスライディングピラー式前輪サスペンションはダブルウイッシュボーン方式に変わりました。ボディは全長4.85mとかなり大きくなり、ピニンファリーナ デザインの美しいスタイルとなりました。イタリアの最高級車として1970年までに約12000台が生産されました。
1961年にはこの車をベースにしたイタリア大統領専用車が製作されました。全長5.46mとオリジナルより60cmも長い堂々たるサイズで、中央の2人分の補助席を使って7人が乗車できるランドレー形式(後部座席部分が幌で開閉できる)のリムジンでした。エンジンはオリジナルのV型6気筒2.5L(102HP)のままでしたが、パレードで長時間徐行できるようにギヤ比が変えられていたので、最高速は120km/hとなっていました。公用車としては明るめの紺色のボディカラーに黒いコノリーレザーの内装というイタリアらしいしゃれた仕上げは、ピニンファリーナのデザインでした。
ミニカーは2008年頃に発売されたイタリアのミニカー付雑誌「LANCIA COLLECTION」のNo24で、メーカーはスターラインです。雑誌付きの廉価版ミニカーですので、あまり細かい仕上げはされていませんがまずまずの良い出来ばえでした。最近までフラミニア セダンのミニカーはマーキュリーとノレブ(プラ製)の当時物ぐらいしか無かったので、このフラミニア セダンのミニカーは車種的には貴重でした。またスターラインではこれをベースにした大統領専用車も数種類がモデル化されていました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ 250F イタリア 1957年
前述したスポーツカー マセラティ A6をベースにしたレーシングカー A6GCMが1951年に登場しました。1952年と1953年のワールドチャンピオンシップはエンジン排気量2Lのフォーミュラ2(F2)で行われており、DOHC 6気筒2L(160HP)エンジンを搭載したA6GCMはこのF2用のマシンでした。(実車画像→ マセラティ A6GCM)
1953年にG.コロンボ(後のフェラーリの設計者)がA6GCMを大幅に改良し、A6SSGに発展させました。A6SSGはエンジンを200HPにパワーアップし、サスペンションが改良され、外観も変わっていました。F2時代にはフェラーリ 500F2が圧倒的に強かったのですが、A6SSGはJ.M.ファンジオがドライブして1953年のイタリアGPで優勝するなど善戦しています。(実車画像→ マセラティ A6SSG)
1954年に2.5Lエンジンのフォーミュラ1(F1)が施行され、それに対応した250Fが登場しました。250FはA6SSGをベースにしたマシンで、デビュー戦の1954年アルゼンチンGP(ドライバー J.M.ファンジオ)で優勝しています。1955年から1957年にかけて250Fは大活躍し、1957年にはマセラティ初のワールドチャンピオンシップを獲得しました。ただ1957年をもってマセラティはF1から撤退しました。250Fはエンジンをフロント搭載したF1の最高傑作とされています。
ミニカーは1983年頃に発売されたブルム製です。1957年のドイツ GP優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ノーズが少し尖りすぎのような気がしますが、当時のミニカーとしては良くできていました。ブルムはV型12気筒エンジンのテスト車など10種類ほどのバリエーションを出しています。ブルム以外の250Fのミニカーはソリドの当時物 1/43、ポリスティルの1/43と1/16、CMCの超精密モデル 1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ 3500GT イタリア 1957年
1957年にマセラティ 250FでGPレースのタイトルを獲得したマセラティは財政難からワークス活動から撤退し、量産車の販売に本腰をいれました。その年に発表された3500GTはカロッツェリア トゥーリング製の2+2座クーペ ボディにGPカー譲りのDOHC 6気筒3.5L(225HP)エンジンを搭載した高級車で、4段変速で最高速230km/hの性能でした。1960年にフロント ディスクブレーキが採用され、1961年にルーカス製の燃料噴射装置で235HPにパワーアップし5段変速を採用した3500GTIとなり、1962年にフロントグリルなどの外観が少し変更されました。3500GTは1964年までに約2000台が生産されて大成功し、マセラティの財政状況を回復させました。
1959年にミケロッティのデザインでカロッツェリア ヴィニャーレがボディを架装した3500GT スパイダー ヴィニャーレが登場しました。ホイールベースがクーペよりも100mm短く、ボンネットやトランクリッドはアルミ製で軽量化されていました。最高速はクーペと同じ230km/hでしたが、加速性能が向上していました。1961年に上述のクーペと同じ燃料噴射式エンジンに変更され、1964年までに約250台が生産されました。 (実車画像→ マセラティ 3500GT スパイダー ヴィニャーレ 1963)
ミニカーは1963年に発売されたマーキュリー製の当時物です。マーキュリーは実車パーツ製作が本業でしたが、1960-1970年代にはミニカーも手掛けていて、当時としてはレベルの高いミニカーを作っていました。この3500GTもダイナミックな造形で実車の持つ迫力をうまく再現していました。厳密なことをいうとキャビン部分がやや小さめにデフォルメされているのでプロポーション的には少し外れているのですが、そんなことは気にならないぐらいのビンテージ物の傑作ミニカーでした。ボンネット/トランクが開閉するギミック付きで、トランクにはおまけで荷物ケースが積まれています。当時物ミニカはこれしかなく当時物以外ではミニチャンプスのスパイダー、ネオ(レジン製)のクーペがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)