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フェラーリ 375 プラス イタリア 1954年
1950年代のフェラーリのV型12気筒エンジンには、前述した125Sに使われたジョアッキーノ コロンボが設計した小排気量タイプと、アウレリオ ランプレディが設計した大排気量タイプがありました。125 F1に搭載されたスーパーチャージャー付V型12気筒エンジンは燃費が悪かったので、後継車用として燃費の良い自然吸気エンジンで大排気量タイプのV型12気筒エンジンが開発されました。最初に排気量3.3Lの275が開発され、その後4.1Lの340、4.5Lの375が開発されました。(数字は1気筒当たりの排気量を示しています) それぞれのエンジンは275 F1、340 F1、375 F1に搭載されました。
これらのV型12気筒エンジンはF1マシンだけではなく、レース用スポーツカーや市販GTカーにも搭載されました。4.1Lの340は340 MMや340 メキシコ、4.5Lの375(340HP)は375 MMや375 アメリカなどがありました。1953年に登場した375 MMはMMという名前が示すようにミッレ ミリア レースを目的としていました。ただ実際にはミッレ ミリアでは良い成績を残していなくて、カレラパナメリカーナなどで活躍していました。1954年には排気量を5L(345HP)に拡大し、サスペンションを改良した375 プラスが登場しました。375 プラスは1954年のルマンとカレラパナメリカーナで優勝するなど活躍しました。
ミニカーは1994年に発売されたトップモデル製です。トップモデル(TOP MODEL COLLECTION)はイタリアのメーカーで、主にイタリアのレースカーを主にレジン製でモデル化していました。(2011年以降は新製品を出していないようですが) 375 プラスのピニンファリーナ製のスパイダーで、ルマンで優勝した車とほとんど同じ車をモデル化しています。これはダイキャスト製で実車のフロント周りのダイナミックな造形がうまく再現されていて、良く出来ています。またワイヤスポークホイールやボンネットの固定金具などの細部もリアルに再現されています。これ以外の340/375 スポーツカーのミニカーはアートモデル、イクソの375 アメリカ、ジョリー モデル(JOLLY MODEL)の340などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 375 MM イングリッド バーグマン 仕様 イタリア 1954年
フェラーリのスポーツカーにはアメリカやカリフォルニアという名前が付けられたモデルがあります。これはフェラーリが富裕層の多いアメリカ市場を重視して命名したものでした。最初にアメリカという名前が付いたモデルは1950年の340 アメリカでした。(実車画像→フェラーリ 340 アメリカ) 340 アメリカはレース用のV型12気筒4.1Lエンジンを220HPにディチューンして搭載したGTカーで、5段変速で最高速240㎞/hの性能でした。ボディはツーリング、ギア、ヴィニャーレなどのコーチビルダーがオープンやクーペなどの特注ボディを架装していました。
1952年にはアメリカ市場の要求でホイールベースを伸ばして居住性を高め、より豪華な仕様とした342 アメリカが登場しました。340/342 アメリカは約30台ほど生産されました。1953年に375 アメリカが登場しました。(実車画像→フェラーリ 375 アメリカ) 375 アメリカはV型12気筒4.5L(300HP)エンジンを搭載したGTカーで、5段変速で最高速250㎞/hの性能でした。375 アメリカは約10台が生産されました。1955年にはさらに高価な410 スーパーアメリカが登場しました。
375 アメリカの派生モデルで良く知られている車として、映画監督のロベルト ロッセリーニが妻の女優イングリット バーグマンの為に特別に注文した375 MM イングリッド バーグマン仕様がありました。ピニンファリーナ製のクーペで、当時としては珍しい格納式のヘッドライトを採用したフロント、前輪からドアまでのボディ側面のへこみ、リアフェンダー上の峰状の突起など独特のスタイルをしていました。ただしこの車にバーグマンはほとんど乗らなかったそうですから、彼女の好みでは無かったようです。
ミニカーは1986年に購入したアイデア3製で、375 MM イングリッド バーグマン仕様をモデル化しています。アイデア3はイタリアのマルコ ボッシ(Marco Bossi)氏が1970年代に設立したブランドで、ホワイトメタル製のハンドメイドの完成品でした。私はホワイトメタル製ミニカーはほとんど購入しないのですが、当時の定価は3800円でそれほど高価ではなく、個性的なデザインが気に入って購入しました。リトラクタブルヘッドライトを採用したフロントとフェンダーの峰が立ったリアの特徴的な部分が良く再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。イングリッド バーグマン仕様の375 MMのミニカーは、レジン製でルックスマートとトップモデルもモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 750 モンザ (モンツァ) イタリア 1954年
アウレリオ ランプレディが設計したフェラーリ 553 F1用の4気筒エンジンが軽量で信頼性が高かったことから、フェラーリはスポーツカーレース用エンジンを従来のV型12気筒から4気筒へ移行させることになりました。最初に登場したのは4気筒2.5L(220HP)エンジンを搭載した1953年の625 TFでした。その後、1954年に4気筒2L(160HP)エンジンを搭載した500 モンディアルと4気筒3L(240HP)エンジンを搭載した750 モンザ(モンツァ)が登場しました。これらの4気筒レースカーはモンザ シリーズと呼ばれ、1954年にワールド スポーツカー チャンピオンシップを獲得しました。1955年は300 SLRを有するメルセデス ベンツに次ぐ2位でした。
500 モンディアルは、改良されて500 TR(テスタロッサ)に変わりました。このエンジンのヘッドカバーが赤く塗装されていたことで、テスタロッサ(赤い頭)と命名されました。500 TRはサスペンションがコイル式になり、エンジンは180HPにパワーアップしていました。なおテスタロッサという名前を付けた車はこれが最初でした。1957年に500 TRは500 TRCに発展しました。1955年に750 モンザはメルセデス ベンツ 300SLRに対抗する為に排気量を3.4L(280HP)に拡大した857Sに変わり、1956年にはコイル式サスペンションを採用した860 モンザに発展しました。1958年には860 モンザの後継車として250 テスタロッサが登場しました。
ミニカーは1992年に発売されたベスト モデル製です。ベスト モデルはボックス モデルから分離したブランドで、現在はM4社のブランドです。主に1950-70年代のスポーツカー/レースカーをモデル化していて、特にイタリア車は出来の良い物が多いです。この750 モンザはセンスの良い造形で実車がうまく再現され、かなり良い出来ばえです。ワイヤースポークホイール、ボンネットを固定する細かな金具などもリアルに再現されています。ベスト モデルは750/860 モンザを約30車種ほどモデル化しています。ベスト モデル以外のモンザ シリーズのミニカーは、アートモデルが約80車種、トップモデルが約10車種などイタリアのメーカーが主にモデル化しています。なお当時物ミニカーとしてはテクノが750 モンザ、ガマとソリドが500 TRCをモデル化していました。 以下はベスト モデルのフロント/リアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 553 F1 イタリア 1954年
1953年のGPレース F2時代の最終戦には排気量を2Lに上げた553 F2(500 F2の1953年版の意)がテストされました。1954年からチャンピオンシップが再び2.5L F1に戻り、排気量を2.5Lに上げたエンジンを、500 F2のシャーシに載せた625 F1と新開発のシャーシに載せた553 F1が登場しました。(参考画像→フェラーリ 625 F1) 新設計されたシャーシは燃料タンクを両側面に配置しており、そのボディ形状から鮫(スクアーロ)と呼ばれました。1954年のの成績は、強力なメルセデス ベンツ W196の後塵を拝し、625 F1によるイギリスGP優勝と553 F1によるスペインGPの優勝のみと芳しくありませんでした。
1955年に操縦性を改善した555 F1(スーパー スクアーロ)が登場しましたが、やはりメルセデス ベンツ W196には勝つことができませんでした。1955年の成績は625 F1によるモナコGPの優勝だけでした。このシーズン中に財政上の問題でF1から撤退したランチアからランチア D50を譲り受けることになったので、フェラーリの4気筒エンジンはこの年限りとなりました。この件で4気筒エンジンを設計したアウレリア ランプレディはフェラーリを去り、フィアットに移籍しました。
ミニカーはブルム製で、1992年頃発売されました。1954年のスペイン GP で優勝した車(#38 ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。ブルムのビンテージ GPマシンの出来ばえは1980年代前半に作られた初期物と比べると、この553 F1はスポークホイールの出来ばえやタイヤへのホワイトレター表示など仕上げがレベルアップしています。555 F1はマテル、ブルムなどがモデル化しています。625 F1はマテル、カルツォなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM シボレー ベルエア アメリカ 1955年
GM シボレー セダン 1950年の解説に記載したように、1953年にシボレーは210(Two-Ten)/150(One-Fifty)と呼ばれる世代にモデルチェンジしました。デザイン的には先代のデラックス世代と同じようなデザインでしたが、それまではの4ドアセダン、2ドアクーペに加えてコンバーチブル、ステーションワゴンなどボディ形式が増えました。エンジンは6気筒3.5L/3.9Lが搭載され、3段変速/2段自動変速で最高速137km/h(3.9L)の性能でした。なお先代では上級グレードの2ドアハードトップ ベルエアが1950年に設定されました。
1953年には210/150のフロント/リアの意匠が変更され、ベルエアは210/150よりも上級な車という設定になり、4ドアセダン/ハードトップや2ドアクーペ/コンバーチブルも設定されました。1955年にベルエア/210/150は外観が一新され、ベルエアは2代目となりました。リアフェンダーが完全にボディと一体化しその後流行となるテールフィンがまだ控え目ですが採用されていました。エンジンはV型8気筒4.3Lが追加され、1957年にはコルベットと同じ高性能なV型8気筒4.6L(185HP-燃料噴射270HP)が追加されました。1958年にベルエアは3代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ シボレー ベルエア 1958)
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリンミント製です。1950年代の著名なアメリカ車を1/43でモデルした1950年代シリーズの1台で、ベル エアの2ドアコンバーチブルをモデル化してます。メッキパーツによるヘッドライトやクロームモールなどはこのシリーズ独特のレトロな作風ですが、この作風は1950年代のクラシックカーの雰囲気に良くマッチしていて、全体的に良く出来ていました。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、V型8気筒エンジンとベルト/補器類がリアルに再現されています。室内も紙シールながらメータなどがそこそこ再現されています。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)