ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

FERRARI 553 F1 1954 ITALY

FERRARI 553 F1
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FERRARI 553 F1


BRUMM R197 1/43 91㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4m 全幅約1.43m エンジン 変速機: DOHC 4気筒 2.5L 260HP 5段変速
性能: 最高速280km/h  データーベースでフェラーリ 553/555/625のミニカー検索

フェラーリ 553 F1 イタリア 1954年

 

 1953年のGPレース F2時代の最終戦には排気量を2Lに上げた553 F2(500 F2の1953年版の意)がテストされました。1954年からチャンピオンシップが再び2.5L F1に戻り、排気量を2.5Lに上げたエンジンを、500 F2のシャーシに載せた625 F1と新開発のシャーシに載せた553 F1が登場しました。(参考画像→フェラーリ 625 F1) 新設計されたシャーシは燃料タンクを両側面に配置しており、そのボディ形状から鮫(スクアーロ)と呼ばれました。1954年のの成績は、強力なメルセデス ベンツ W196の後塵を拝し、625 F1によるイギリスGP優勝と553 F1によるスペインGPの優勝のみと芳しくありませんでした。

 

 1955年に操縦性を改善した555 F1(スーパー スクアーロ)が登場しましたが、やはりメルセデス ベンツ W196には勝つことができませんでした。1955年の成績は625 F1によるモナコGPの優勝だけでした。このシーズン中に財政上の問題でF1から撤退したランチアからランチア D50を譲り受けることになったので、フェラーリの4気筒エンジンはこの年限りとなりました。この件で4気筒エンジンを設計したアウレリア ランプレディはフェラーリを去り、フィアットに移籍しました。

 

 

 ミニカーはブルム製で、1992年頃発売されました。1954年のスペイン GP で優勝した車(#38 ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。ブルムのビンテージ GPマシンの出来ばえは1980年代前半に作られた初期物と比べると、この553 F1はスポークホイールの出来ばえやタイヤへのホワイトレター表示など仕上げがレベルアップしています。555 F1はマテル、ブルムなどがモデル化しています。625 F1はマテル、カルツォなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FERRARI 553 F1 1
FERRARI 553 F1 2

 以下は1989年に発売されたブルム製のフェラーリ 555 F1 1955 (1/43 型番R196)の画像です。1955年のオランダ GPで7位となった車(#2 ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。553 F1と見た目はほとんど同じですが、張り出したボディ側面の前面に整流版が追加されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FERRARI 553 F1 1
FERRARI 553 F1 2

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FIAT 642RN2 BARTOLETTI RACING CAR TRANSPORTER ’FERRARI’ 1956 ITALY

FIAT 642RN2 BARTOLETTI RACING CAR TRANSPORTER ’FERRARI’
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FIAT 642RN2 BARTOLETTI RACING CAR TRANSPORTER ’FERRARI’


OLD CARS 56000 1/43 212mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約9.2m 全幅約2.5m エンジン 変速機: 6気筒 6.6L ディーゼル 92HP 4X2段変速
性能: 最高速 不詳   データーベースでフィアット 商用車 600シリーズのミニカー検索

フィアット 642RN2 バルトレッティ レーシングカー トランスポーター ’フェラーリ’ イタリア 1956年

 

 前述したフィアットの大型トラック フィアット 682は1967年に683に、1970年には684になり、さらに1975年に設立されたイベコ(IVECO)社に併合されイベコ 160となりました。640/670は682よりも小型のトラックで1949年に登場し、6気筒6L(72HP)エンジンを搭載していました。640は1952年に642、1963年に643、1970年に673、1975年にイベコ 160となりました。642の派生車の642RNは主にバスに使われたシャーシで、Rはトラック用よりシャーシ高が低いという意味で、Nはディーゼルエンジンを意味します。642RNには多くのコーチビルダーがバス車体を架装していました。(実車画像→ フィアット 642RN)

 

 バルトレッティ(BARTOLETTI)社はバス/トラック/救急車などのボディ製造会社でしたが、当時のフェラーリ、マセラティ、フォードなどのレーシングカー トランスポーターも作っていました。画像はフェラーリが使っていたレーシングカー トランスポーターで、642RN2をベースにしていました。車体前半分はバスでサポートチームが乗るスペースがあり、後半分と屋根にレーシングカーの積載スペースが3台分ありました。中央部分には工具や備品が積載され、レースカーのサポート作業が出来たようです。

 

 

 ミニカーは1993年に発売されたイタリアのオールドカー製です。オールドカーは1970年代後半に登場した老舗ブランドで、他のメーカーがあまり作らないフィアット/イベコ グループの農機/建機/バス/トラックなどをダイキャスト製でモデル化しています。1/43なので結構大きなサイズで、フロント周りの雰囲気や積載スペースの構造など非常に良く出来ています。やや暗い赤のボディカラー、フェラーリのロゴや関連会社のデカールなども実車に忠実にできています。オールドカーは同じ642RN2のマセラティ版や、170/190のセミトレーラー、OM 160のボックストラックのトランスポーターも作っていました。またブルムがそれらのオールドカー製のトランスポーターとブルム製のレーシングカーをセットにしたトランスポーター セットを数種類発売しています。当時のレーシングカー フェラーリ 250 テスタロッサ(ブルム製)を積載する様子を以下の簡易動画にしてみました。(画像のマウスオーバー又はタップでスタートします)

fiat 642 car transporterff
fiat 642 car transporter2

 余談ですが超精密ミニカーで知られるEXOTOもバルトレッティのトランスポーターを1/43で数種類モデル化しています。同じ1/43でもEXOTOが作るととんでもなく精密に仕上げられています。(ただし値段も約8万円とミニカーとはいいがたい金額ですが) どんな物かは以下のリンク先のサイトでみることができます、特にリアの積載用スロープの出来ばえは一見の価値があります。(1/18ではなく1/43ですよ→ EXOTO製バルトレッティ トランスポーター)
データーベースでフィアット トランスポーターのミニカー検索

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LANCIA FERRARI D50 1956 ITALY

LANCIA FERRARI D50
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
LANCIA FERRARI D50


BRUMM R076 1/43 91㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.85m 全幅約1.45m エンジン 変速機: DOHC V型8気筒 2.5L 285HP 5段変速
性能: 最高速280km/h  データーベースでランチア フェラーリ D50のミニカー検索

ランチア フェラーリ D50 イタリア 1956年

 

 ランチアはF1に進出することを計画し、1954年にGPカー D50が登場しました。開発はアルファ ロメオでP2/P3を設計し、1937年にランチアに移籍したヴィットリオ ヤーノが担当し、彼らしい先進的な設計を行っていました。ドライブシャフトがドライバーの左側を通るように、エンジン(DOHC V型8気筒2.5L)を斜めに配置することで、ボディ全高を下げて空気抵抗を下げていました。またエンジンをシャーシと一体化しボディ剛性を上げていました。燃料タンクはボディ左右に張り出したポンツーン内に収め、このポンツーンは空力的な効果もありました。そんな訳でD50は当時のF1としてはユニークなスタイルをしていました。

 

 ランチア D50のデビュー戦は1954年スペインGPで、メルセデス ベンツ W196が勝利したレースでしたが、A.アスカリのドライブでポールポジションと最速ラップタイムを記録しD50は能力の高さを示しました。1955年モンザ サーキットのテスト中にA.アスカリが事故死しました。エースドライバーを失ったことと資金難からランチアはF1を撤退することになりました。D50についてランチア、フィアット、フェラーリで交渉が行われ、D50がフェラーリに移譲され、フィアットがフェラーリに資金援助することとなりました。そんな訳でD50は フェラーリ (ランチア) D50となり、V.ヤーノら技術陣はフェラーリに移籍しました。

 

 

 ミニカーは1982年頃発売されたブルム製です。1956年のイギリスGP 優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。1956年式ですからフェラーリに移譲された後のランチア D50です。サイドポンツーンを持つユニークなスタイルが良く再現されていました。ブルムのD50にはノーズの形状が異なる2タイプがあり、バリエーションが数種類ありました。(このイギリスGP 優勝車はノーズコーン的なものが付いていてノーズがやや長いタイプです) これ以外ではマーキュリーの当時物、マテル、イクソなどがあり、移譲される前の1955年式D50 モナコGP仕様をノレブがモデル化しています。  以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

LANCIA FERRARI D50 1
LANCIA FERRARI D50 2

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FERRARI 410 SUPER AMERICA 'SUPERFAIRST' 1956 ITALY

FERRARI 410 SUPER AMERICA 'SUPERFAIRST'
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FERRARI 410 SUPER AMERICA 'SUPERFAIRST'


IDEA3 101 1/43 111mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.8m エンジン 変速機: V型12気筒 5L 340HP 4段変速
性能: 最高速260km/h  データーベースでフェラーリ 410のミニカー検索

フェラーリ 410 スーパー アメリカ 'スーパーファースト' イタリア 1956年

 

 前述したフェラーリ 375 アメリカの後を引き継ぎ、410 スーパー アメリカ(SA)が1955年に登場しました。410 スーパーアメリカはV型12気筒5L(340HP)エンジンを搭載した高性能GTカーで、4段変速で最高速260km/hの性能でした。410 スーパーアメリカのほとんどにはピニンファリーナがデザインしたクーペやロードスターの特注ボディが架装されていました。当時高価であった高性能スポーツカー メルセデス ベンツ 300SLの2倍以上の価格の非常に高価な車でしたので、生産台数はわずかに35台でした。

 

 410 スーパーアメリカの中で最も有名なモデルとして「スーパーファースト(SUPERFAST) 」という名前が付けられたピニンファリーナ製のクーペがありました。この車は派手なテールフィンが付いていることが最大の特徴でした。このテールフィンやクロムメッキされたフロントグリル/バンパーとボディ側面を一周するクロームモールが実にアメリカ車的なデザインですが、ピニンファリーナのデザインと聞くとなにやら品良く見えます。

 

 

 ミニカーは1984年頃に購入したアイデア3製です。410 スーパーアメリカ スーパーファーストをモデル化しています。アイデア3はイタリアのマルコ ボッシ(Marco Bossi)氏が1970年代に設立したブランドで、ホワイトメタル製のハンドメイドの完成品でした。フロントの雰囲気とリアの特徴的なテールフィンが良く再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。1980年代に他にも2台ほどアイデア3製のホワイトメタル製のフェラーリをf購入したのですが、今その1台はボディがバラバラに崩壊してしまいました。(参照ページ→ミニカーの材質/劣化 ホワイトメタル素材の変形) 私はこの経験に懲りてホワイトメタル製のミニカーはほとんど買わないようになりました。ただこのスーパーファーストは問題がないので、この問題はホワイトメタル製だから起こるということではありません。これ以外の410 スーパーアメリカのミニカーはマテルの1/18、ルックスマート(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FERRARI 410 SUPER AMERICA 1
FERRARI 410 SUPER AMERICA 2

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FERRARI D50 1956 ITALY

FERRARI D50
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FERRARI D50


BRUMM R127 1/43 89㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.85m 全幅約1.45m エンジン 変速機: DOHC V型8気筒 2.5L 285HP 5段変速
性能: 最高速280m/h  データーベースでフェラーリ/ランチア D50のミニカー検索

フェラーリ D50 イタリア 1956年

 

 フェラーリは1955年F1 GPシーズン中に財政上の問題でF1から撤退したランチアからランチア D50を譲り受けることになりました。ランチア D50はサイドポンツーン内の燃料タンクをコクピット後方に移すなどの変更が行われてフェラーリ D50となりました。1956年にメルセデス ベンツからドライバーのJ.M.ファンジオが移籍してきました。彼はアルゼンチン、イギリス、ドイツ GPで優勝し、チャンピオンドライバーとなりました。フェラーリ D50はベルギー、フランス GPでも優勝し1956年のGPシーズンを席巻しました。

 

 1957年にはD50を大幅に変更した801 F1が登場しました。(実車画像→フェラーリ 801 F1) 801 F1は新設計のシャーシ、新設計のV型8気筒2.5L(275HP)エンジン、改良されたサスペンション、ポンツーンをなくしたボディなどD50とは全くの別物になりました。1957年にJ.M.ファンジオはフェラーリを去りマセラティに移籍しました。彼がドライブしたマセラティ 250Fは大活躍し、マセラティは初のワールドチャンピオンシップを獲得しました。そのせいもあって1957年シーズンにフェラーリは1勝もできませんでした。

 

 

 ミニカーはブルム製で1985年頃に発売されました。1956年のモナコ GP 出場車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ランチア D50のページに載せた型番R076のランチア D50とはノーズの形状が異なっており、この型番R127のD50のほうがタイヤのホワイトレター表示など仕上げが少しレベルアップしています。これ以外ではマーキュリーの当時物、マテル、イクソなどがあり、フェラーリに移譲される前のランチア D50 モナコGP仕様をノレブがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

FERRARI D50 1
FERRARI D50 2

 以下は1985年に発売されたブルム製のフェラーリ 801 F1 1957 (1/43 型番122)の画像です。1957年のイギリス GPで5位となった車(ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。801 F1はブルムとイクソがモデル化しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
FERRARI 801 F1 1
FERRARI 801 F1 2

フェラーリ 801 F1のミニカー→データーベースでフェラーリ 801 F1のミニカー検索

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