HISPANO SUIZA H6 1926 SPAIN/FRANCE
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イスパノ スイザ H6 スペイン/フランス 1926年
1904年にスペインで設立されたイスパノ スイザ社は高級車メーカーとして知られるようになり、第1次大戦前にフランスに主力工場を建設しました。同社が開発した高信頼性の戦闘機用V型12気筒エンジンは第1次大戦中に広く採用され、航空機用エンジン製造メーカーとしても成功しました。イスパノ スイザ車のマスコットは飛翔するコウノトリですが、これは同社エンジンを積むフランス空軍戦隊のエンブレムをベースにしたものでした。第1次大戦後の1919年に登場したイスパノ スイザ H6はこの戦闘機用V型12気筒エンジンの片バンクを流用したアルミニウム合金製SOHC6気筒6.6L(120HP)エンジンを搭載していました。(参照画像→ イスパノ スイザのマスコット)
イスパノ スイザ H6の特筆すべき先進機能として世界初のサーボ機能付き4輪ブレーキ(減速時にギヤボックスの回転力を使って制動力を機械的にアシストする)がありました。この技術はライバルのロールス ロイスなどにライセンス供与されました。H6は当時のコーチビルダーがセダンやトルペードなどの豪華なボディを架装しました。全長約5mの大型車で3段変速で最高速130km/hの性能でした。1922年にエンジンが少しパワーアップされてH6Bとなり、1924年にはエンジンが8L(145HP)に拡大されたH6Cに発展しました。ホイールベースを短縮し200HPまでパワーアップしたエンジンを搭載したレース仕様のH6Cもありました。H6は1933年まで生産され、総生産台数は約2350台でした。この車の成功でイスパノ スイザは世界的な最高級車として評価されるようになりました。後継車はV型12気筒エンジンを搭載したJ12でした。
ミニカーは1966年に発売されたソリド製です。キャビン部分を小型ボートのデッキ風にしたしゃれたデザインのH6B トルペードをモデル化しています。1960年代のソリドのクラシックカーは当時の一級品でとても良く出来ていました。このH6Bもプロポーションが良くカラーリングが綺麗で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。小型ボートのデッキ風のキャビン造形や有名なマスコット(飛翔するコウノトリ)も見事に再現されていました。フロント/リアのナンバープレートは箱に添付されていた紙製のシールを貼り付けたものです。これ以外のH6のミニカーは、ソリドのH6B、フランクリン ミントのH6B 1/24と1/43、イクソのH6Cなどがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は1977年に発売された同じソリド製のイスパノ スイザ H6B フェートン 1926 (1/43 型番62)の画像です。これは上記の型番145のバリエーションでキャビン全体に幌を被せたフェートン(4ドア オープン)をモデル化しています。カラーリングと幌以外は上記の型番145と同じです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は2005年に発売された同じソリド製のイスパノ スイザ H6B トルペード 1926 (1/43 型番4162)の画像です。これも上記の型番145のバリエーションで幌を閉じた物です。基本的には型番145と同じものですが、フロントウィンドー枠が異なっているなど多少のコストダウンがされていました。インパネのメーターの意匠(紙のシール)も変わっていました。このH6Bは約40年間も継続して生産された老舗ブランドらしい息の長いミニカーでした。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は2005年頃に発売されたフランスの
ミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUESシリーズ」のNo.02 イスパノ スイザ H6C (1/43)の画像です。(国内で一般市販されていなかったので、WEBオークションで入手しました) メーカーはイクソで1934年式となっているのでH6Cの最終仕様をモデルしています。このシリーズの標準的な出来ばえで、雑誌付の安価なミニカーながらかなり良く出来ていました。赤と黒のカラーリングが綺麗で、フロントのマスコットとその下のエンブレムもそこそこリアルに再現してあり室内もメーターパネルなどが再現されていました。イクソはほぼ同じ物を型番MUS005で2007年に発売しましたが、ボディカラーを黒に変えていたのでこの赤の方が魅力的だと思います。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。ラジエーターグリル下の丸い物は電動スターターのモーターでしょう。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は1960年代に発売されたスペインのエコー(EKO)製のイスパノ スイザ (1/43 型番6008)の画像です。ミニカーの底板には「HISPANO SUIZA 30HP 1919」と表示されていますので、H6をモデル化しているものと思われます。エコーのミニカーの材質はプラスチックで、1/87サイズの乗用車/商用車や1/43サイズのクラシックカーをモデル化していました。前述したエコー製の
イスパノ スイザ アルフォンゾ XIIIはなかなかの良い出来ばえでしたが、同じようなプラスチック製の作風が高級セダンには合っていないこともあり、このH6は安っぽく見える出来ばえになっていました。エコーはこのセダン以外にもトルペードなど数種類を作っていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は1960年代に発売された同じエコー製のイスパノ スイザ トルペード (1/43 型番6007)の画像です。上記のバリエーションでオープンカー仕様のトルペードをモデル化しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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ROLLS ROYCE PHANTOM I 1926 UK
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MATCHBOX Y36 1/45 全長116mm
ロールス ロイス ファントム I イギリス 1926年
ロールス ロイスは1907年からシルバー ゴーストだけを作り続け、1925年までに6000台以上を販売し、その高い信頼性で「The Best Car of the World」の名声を確立しました。シルバー ゴーストは高価なため顧客は王侯貴族がほとんどで日本の皇室も1920年に2台を購入しています。そのシルバー ゴーストもさすがに性能的に時代遅れになり、1925年に後継車として登場したのがファントムでした。(なお1929年にファントム IIが登場してからはファントム Iと呼ばれるようになりましたが、これは公式の名前ではありません)
旧型のサイドバルブ式エンジンは新型のOHV6気筒 7668cc(90-100HP)エンジンに変更されました。技術的な特徴としてはギヤボックスの回転力を使った精巧なメカニカル サーボのついた4輪ドラムブレーキが採用されていることで有名でした。ファントム Iはイギリスとアメリカに製造工場があり、イギリスでは1929年まで約2200台が生産され、アメリカの工場では1931年まで約1200台が生産されました。なおイギリス版とアメリカ版ではステアリングホイールの位置、ホイールベース、変速機の仕様などが少し異なっていました。
ミニカーは1990年に発売されたマッチボックスのYシリーズです。コーチビルダー フーパー(HOOPER)が架装した4ドア リムジンをモデル化しています。マッチボックスのYシリーズの初期物はカラーリングや造形にやや玩具的なところがあったのですが、1980年代後期になるとスケールモデル的な造形がされるようになりました。このファントム Iも縮尺1/45と標準的な縮尺の1/43より少し小振りなのがいまいちでしたが、プロポーションが良くなかなかうまく出来ていました。赤茶と黒のツートンのカラーリングもロールス ロイスの雰囲気によく似合っていました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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BENTLEY 3L 1926 UK
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ベントレー 3L イギリス 1926年
ベントレー社は第1次大戦中に航空機エンジン設計を手がけたウォルター オーエン ベントレー (Walter Owen Bentley)が1919年に設立しました。1921年に発売された最初のモデル 3Lは、当時のレーシングカー並のOHC 4バルブ4気筒3L(70HP)エンジンを搭載し4輪ブレーキを備えた高性能車でした。1923年に80HPにパワーアップしたスピード、1925年に85HPにパワーアップしたスーパースポーツが追加されました。1929年まで生産され、総生産台数は約1600台でした。
ベントレーは1923年から始まったルマン 24hレースに参戦し、1924年のルマンで3Lが初優勝しました。当時の自動車レースではベンツ、プジョーなどが活躍していてイギリス車は不振でした。そんな訳でベントレーがルマンで初優勝したことはずいぶん画期的なことだったようです。当時のベントレーのレース活動を資金援助やアマチュアドライバーとしてサポートしたファクトリーチームは「ベントレー ボーイズ」と称されました。このベントレーボーイズの活躍で、ベントレーは1927年からルマンで4連勝してイギリスのスポーツカーとして有名になりました。なお1931年にベントレー社はロールス ロイス社に買収されレース活動から撤退しました。
ミニカーは2002年に発売されたイクソ製です。イクソが作るクラシックカーはいずれも出来が良いのですが、このベントレーも実車のスパルタンな雰囲気がうまく再現されていて、ホイールや泥よけフェンダーなどの細部もリアルで良い出来ばえでした。フロントスクリーンの横についたクラクションが時代を感じさせます。イクソは同じ型で1924年と1927年のルマン優勝車もモデル化しています。イクソ以外のベントレー 3Lのミニカーは1960年代のコーギーがストリート仕様と1927年のルマン優勝車をモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。ヘッドライトがやや下を向いていますが、これは取り付け部に多少のガタがあって撮影時に少し傾いたものです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は同時期に発売された上記のバリエーションでベントレー 3L 1924年 ルマン 優勝車 (1/43 型番LMC012)の画像です。ルマン仕様車といってもヘッドライトのストーンガードとゼッケンがついているぐらいしか外観の違いはありません。当時はストリート仕様車をパワーアップしただけの車がルマンで優勝できたのです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は1964年に発売されたコーギーのベントレー 3L 1927年 ルマン優勝車 (1/43 型番9001)の画像です。1960年代のコーギーのクラシックカーのミニカーは数種類しかありませんが、いずれもマニア向けで当時としてはかなり出来の良いミニカーでした。このベントレーもホイール内側のドラムブレーキや床下の真鍮パイプ製の排気管など凝った作りで、当時のミニカーとしては実に良く出来ていました。コーギーお得意のドライバーフィギュアが付いています。市販車仕様やTVドラマ「The World Of Wooster」のフィギュア付きもありました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。フロントグリルのゼッケンのデカールが少し剥がれています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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AUSTIN SEVEN AD TOURER 1926 UK
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VITESSE VCC092 1/43 全長67㎜
オースチン セブン AD ツアラー イギリス 1926年
ウーズレー社の技術者であったハーバート オースチン(Herbert Austin)はウーズレー社を退社して1905年にオースチン モーター社を設立しました。最初のオースチン車は4気筒5Lエンジンを搭載した高級車でした。その後エンジンの種類を増やしレースに参加するなどして企業規模を拡大し乗用車ベースの商用車やトラック/軍用車なども手がけました。第1次大戦中は装甲車などの軍需品を生産し業績を伸ばしました。
第1次大戦後は1919年に4気筒3.6Lエンジンを搭載する大型車トゥエンティ(20)を大量生産する方針を立てましたが、これはうまくいかず資金難に陥りました。そこで方針を変更して1921年に投入した4気筒1.7Lエンジン搭載の中型車トゥエルブ(12)はある程度成功し、この車はロンドンタクシーとして良く知られています。(実車画像→ オースチン トゥエルブ)
1922年に4気筒747(10HP)㏄エンジンを搭載した小型車セブン(7)が登場しました。発売当初は専門家に「まるでおもちゃだ」と評価されましたが、簡素ながらも普通車と同じ本格的な構造で大量生産による低価格で人気を博しました。セブンは同じようなコンセプトのフランスのシトロエン 5CVと同様に、当時の低価格車であったサイクルカーを駆逐して大ヒットしました。当社はオープンカーだけでしたが、密閉型ボディのセダンや商用バンも追加され、1939年までに約29万台が生産されました。この成功でオースチンはイギリスを代表する自動車会社に成長しました。
セブンの2シーター ロードスターのスポーツ仕様はモータースポーツで活躍しました。1931年にはスーパーチャージャー付きの750ccエンジン搭載車がこのクラスとして初の最高速100マイル/h(160km/h)オーバーの記録を達成しています。セブンは小型車のお手本としてドイツのBMW ディキシーなどとしてライセンス生産されました。オースチンはその後モーリス、ウーズレー、ライレーと合併しBMCとなり、セブンという名前は戦後のオースチン セブン(ミニ)に使われました。
ミニカーは2000年に発売されたビテス製です。セブン初期のAD ツアラー(オープンカー)をモデル化しています。実車が小さいのでミニカーも全長67㎜ほどと小さなサイズながら、実車の雰囲気がうまく再現されていました。初期型の特徴である黒い枠のラジエータグリルとドア前の両脇につけられたヘッドライト、リアルなワイヤースポークホイール、そこそこ良く再現された室内など細部も良く出来ていました。ビテスはセダンのRK サルーンもモデル化していました。これ以外のオースチン セブンのミニカーはイクソのセダンとバン、マッチボックスのバン、オックスフォードのセダンとバン 1/43と1/76などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は俯瞰/床下部分の画像です。床下部分にはセブンが採用した特殊な三角形のフレーム構造やリアサスペンション構造などが簡単な表現ながら再現されていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

以下は2002年に発売されたイクソ製のオースチン セブン RK サルーン 1927 (1/43 型番CLC014)の画像です。密閉式キャビンを持つRK サルーンをモデル化しています。イクソは倒産したビテスの業務を引き継いだので、これはビテスのセブン RK サルーン (型番VCC102)をそのまま流用したものでした。授記のツアラーのキャビン部分が変更されてドアが大きくなり、ラジエータグリルの枠がメッキされ、ヘッドライトがラジエータグリルの横に付いていることなど細部まできちんと変更されていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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BUGATTI T41 ROYALE No.41100 (PROTOTYPE) TORPEDO 1927 FRANCE
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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41100 (プロトタイプ) トルペード フランス 1927年
1881年にイタリアのミラノで芸術家の家系に生まれたエットーレ ブガッティは美術学校で教育を受けましたが、10代から自動車技術に関心を持つようになりました。エットーレ ブガッティがその芸術的な才能をいかして設計した自動車が独特の個性をもったブガッティでした。ブガッティとしては1920年代のレーシングカー T35が有名ですが、それについで有名なのが史上最大の車といわれたT41 ロワイヤルです。
この車は王侯貴族の為の超豪華車として開発されましたが、6台しか製作されず売れたのはたったの3台でした。T41 ロワイヤルが売れなかった原因は当時のロールス ロイスの3倍もの高価格であったことと、1929年に始まった世界大恐慌による不景気でした。T41 ロワイヤルは1920年代から1930年代に咲いた最高級のあだ花として非常に興味深い車でした。T41 ロワイヤルは私の好きな車であり、多彩なボディタイプがありますので1号車から6号車までを以下に詳しく紹介します。
以下は1号車から6号車の解説記事へのリンクです。
- 1号車 シャーシNo.41100 プロトタイプ トルペード → クーペ フィアクル → ダブル ブルーアム → ウェイマン(事故で破損)
- 1号車 シャーシNo.41100 クーペ ナポレオン
- 2号車 シャーシNo.41111 エズデール → クーペ デビル
- 3号車 シャーシNo.41121 カブリオレ
- 4号車 シャーシNo.41131 リムジン パークウォード
- 5号車 シャーシNo.41141 コーチ ケルネル
- 6号車 シャーシNo.41150 ベルリーヌ ド ヴォワヤージュ
まずは1号車(プロトタイプ)を解説します。1927年に完成した1号車はプロトタイプで、ホイールベースは約4.5mで全長は約6.4m、直列8気筒SOHC 14.7L(300HP?)の巨大なエンジンを搭載していました。なお2号車以降のホイールベースは約4.3mで直列8気筒SOHC 12.7L(290HP?)エンジンを搭載していたので、1号車(プロトタイプ)は一回りサイズが大きかったようです。自動車のサイズとしては
メルセデス ベンツ 600のストレッチド リムジーンぐらいの大きさでした。ホイールは直径600mmのアルミニウム製でブレーキドラムと一体で鋳造され、ブレーキを冷却するための換気ブレードがありました。このホイールに合わせた非標準サイズの特注タイヤは、イギリスのダンロップ製でした。3段変速で最高速は180km/hとされていますが、実際にそんな高速で走行したことがあるのかどうかは不明です。1号車はブガッティ家の自家用車として長い間使われていて、ボディは5種類が載せ替えられました。最初のボディは当時のアメリカのパッカードのオープンタイプ(トルペード)を流用したとのことです。したがって長いボンネットから後ろの部分は当時の一般的なトルペードセダンのスタイルでした。
ミニカーはリオ製で1992年に発売されました。リオのクラシックカーはマニア向けで、灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツからシャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されています。リオは1970年代に型番36と37でT41 3号車をモデル化していて、それをベースにしたバリエーションが約20種類ほどあります。この1号車もそのバリエーションですが、リオのクラシックカーとしては比較的新しいものとなります。実車が大きいのでミニカーも全長145㎜と大きなサイズで、実車がかなり忠実に再現されています。ボンネットを外すとエンジンが再現されていて、床下部分のシャーシやサスペンションも表現されています。同じボディで幌を畳んだバリエーションがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下はボンネットを開いたエンジンルームの画像と床下部分のシャーシ/サスペンションの画像です。エンジンの造形は実車に忠実なようですが、ギヤボックスや後輪を駆動するリアアクスル部の構造は実車とは全く違っているようです。たぶんリオが最初にモデル化した時には駆動部の詳細がほとんどわからなかったので一般的な構造にしたのだと思いますが、実際のT41の変速機(ギヤボックス)はリアアクスルと一体化されている特殊な構造(トランスアクスル)でした。後述するフランクリン ミント製の1/24
T41 1号車 クーペ ナポレオンではこの特殊な構造が再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は1992年に発売されたリオ製のブガッティ T41 ロワイヤル トルペード (プロトタイプ) 1927 (1/43 型番95)の画像です。上記のバリエーションで幌を畳んだ状態です。カラーリングと幌以外は上記と同じで、幌を畳んでいるので室内がよく分かります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は1983年に発売されたリオ製のブガッティ T41 ロワイヤル クーペ フィアクル (1号車) 1927 (1/43 型番74)の画像です。この車に関しては、実車の画像や情報がほとんどなくミステリアスなモデルでしたが、最近のWikipedia(フランス)の情報などから上記のパッカード ボディの1号車に短期間だけ架装されたクーペ ボディのようです。(仏語FIACREとは馬車の意) リアには大きなトランクが積んであり、この次に架装された以下のダブル ブルーアムと共通するデザインとカラーリングでエットーレ ブガッティのデザインであることがわかります。この車はリオのカタログでは1929年式となっていますが、当サイトでは1927年式としています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


以下は1972年に発売されたリオ製のブガッティ T41 ロワイヤル ダブル ブルーアム (1号車) 1927 (1/43 型番54)の画像です。上記のフィアクルのボディはまもなく取り外されて、次にダブル ブルーアムという形式のボディとなります。(ブルーアムとは馬車の形式で本来は運転台が外にあるタイプのこと) フロントウィンドード上のカーブしたルーフの張り出しとリアサイドの楕円形の窓が特徴です。このような黄色と黒の塗り分けは他のロワイヤルにも有りますので、エットーレ ブガッティの好みだったのでしょうが、かなり人目を引く大胆な色使いです。なおこれも当サイトでは1927年式としています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
以下は1992年に発売されたリオ製のブガッティ T41 ロワイヤル ウェイマン (1号車) 1929 (1/43 型番96)の画像です。1929年に載せ替えられたボディはコーチビルダー(ボディ製造業者) C.T.ウェイマン製の2ドアセダンで、リアに革製のトランクを取り付けてありました。屋根が低くてスタイリッシュなデザインでした。この車は製作された年にパリのデザイン コンクールで優勝しています。その後1930年頃にこの車はエットーレ本人が運転中に事故を起こして大破し解体されたものと長らく思われていたそうです。ただし実際には修復されて、T41 ロワイヤルのなかでも一番よく知られている
クーペ ナポレオンと呼ばれるボディが架装されました。(実車画像→
ウェイマン(1号車)の事故の画像) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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