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ランボルギーニ カウンタック LP400 イタリア 1974年
ランボルギーニ ミウラの後継車として計画されたカウンタックのプロトタイプ LP500は1971年に発表されました。ベルトーネ(マルチェロ ガンディーニ)によるウェッジシェイプの未来的なデザインはセンセーショナルな評判を呼びました。またV型12気筒5L(440HP)エンジンを変速機側を前方に向けてミドシップで縦置きに配置した構造も特異なものでした。
このような特異な構造にはやはり無理があり、エンジンの冷却などに問題が生じそのままでは量産化できませんでした。3年後の1974年に市販されたLP400は冷却用のエアインテークなどが追加され、エンジンはミウラ用のV型12気筒3.9L(375HP)に変更されていました。当時のライバルであったフェラーリ BBと張り合って最高速300km/hを公称していました。 LP400は1978年に改良型のLP400S、1982年に4.7Lエンジン搭載のLP500S、1985年に4バルブ化した5.2L(455HP)エンジンを搭載したLP500QV(QUATTRO VALVOLE)に発展しました。1990年まで生産され、総生産台数は約2000台でした。 カウンタックという名前は本来は「クンタッチ」のような発音で、イタリア語でびっくりしたときに発する感嘆詞だそうです。確かに走行中のこの車を見るとこのような言葉がでます。私は路上でこの車と高速ですれ違ったことがありますが、近づいてくる幅の広い異様な車にびっくりしました。(すれ違った時点でカウンタックであると気づきましたが、実物はどちらかというとかっこいいというよりも変わった車です)
なお当時のランボルギーニ社はウラッコの失敗などで経営不振となり、1978年に一度倒産しています。その後イタリア政府の管理下となり、クライスラー傘下などを経て現在はVWグループのアウディ傘下となっています。 アウディ傘下で2021年にカウンタックの50周年を記念して、V型12気筒エンジンと4電気モーターを搭載したハイブリッド仕様のカウンタック LPI 800-4が発表され、112台が限定生産されました。(実車画像→ ランボルギーニ カウンタック LPI 800-4)
ミニカーは2002年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプスらしいリアルな造形で、とてもよく出来ていました。1/43のダイキャスト製ミニカーとしてはプロポーションや灯火類などの細部の仕上げがベストに近い出来ばえだと思います。ただサイドウィンドーの透明度が低いのでそこから室内がほとんど見えないのが今一つです。(室内はサイドウィンドーからの撮影ができませんでしたので、フロントウィンドー越しに撮影しました) カウンタックのミニカーは非常にたくさんあります。プロトタイプ LP500のミニカーはポリスティル(ポリトーイ)の1/25、京商の1/18などがあります。LP400の当時物ミニカーは、ダイヤペット、トミカ、トミカ ダンディ、サクラのスーパーカーシリーズ、シンセイ、ポリスティル(ポリトーイ)の1/25などがありました。当時物以外では京商の1/43と1/18、オートアートの1/18、アイドロン(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 チェリー F-II クーペ F10型 日本 1974年
日産 チェリー 2代目はチェリー F-IIという名前で、1974年に登場しました。横置きエンジンによる前輪駆動のパワートレーンは初代を踏襲し、ボディは大型化されました。2/4ドアセダンと3ドアハッチバック クーペがあり、初代は個性的なデザインでしたが、2代目はサニー 3代目と良く似たデザインとなりました。エンジンは4気筒1.2L(70HP)/1.4L(80HP)のA型で、5/4段MT変速で最高速160Km/h(1.4L)の性能でした。
1976年に初代の高性能版X-1を後継する 4気筒1.4Lツインキャブレター(92HP)エンジンを搭載する高性能版1400GX ツインが追加されました。1977年のマイナーチェンジで内外装が変更されました。1978年には後継車のパルサーが登場し、チェリーという名前は消えました。チェリー F-IIの総生産台数は約30万台でした。(実車画像→ 日産 パルサー 1978)
ミニカーは1976年に発売されたダイヤペット製の当時物です。ダイヤペットの協力工場製のなかでも個性的かつリアルな作風でコレクターに人気の高かった12番工場製です。プロポーションが良く黒塗りグリルやテールライトなど凝った作りで、実車の雰囲気が良く再現されています。またナンバープレートが付いているのも当時のミニカーでは珍しく、番号が実際にありそうな「品川」ナンバーなのも面白いです。ボンネット/ドア/テールゲート開閉のフルギミック付きです。ダイヤペットはマイナーチェンジ後の1400GX ツインもモデル化しています。これ以外のチェリー F-IIの当時物ミニカーはトミカのクーペがありました。当時物以外のミニカーは、ハイストーリー(レジン製)のクーペがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/テールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ クラウン ロイヤルサルーン MS80型 日本 1974年
1974年にトヨタ クラウン 5代目が登場しました。先代が丸みを帯びたデザインで失敗したことによほど懲りたらしく、思いっきり角ばったデザインに変わりました。この頃からクラウンだけではなく、トヨタ車全体が徐々にスクエアなデザインに移行していました。4ドアセダン、2/4ドアハードトップ、ワゴン(バン)の設定がありました。エンジンは6気筒2L(125HP/135HP EFI)/2.6L(140HP)のM型で、3段AT、5/4段MT変速で、最高速175km/h(2.6L)の性能でした。クラウンとして初の電子制御式燃料噴射装置(トヨタではEFIと呼ぶ)を採用したM-E型エンジンが搭載され、この頃から電子制御式燃料噴射装置が実用化されていきました。
最上級グレードに「ロイヤルサルーン」という名前が付けられ、4輪ディスクブレーキや世界初のオーバードライブ付き4速ATなどの先進技術が採用されました。 1976年のマイナーチェンジで、フロントグリルが独立したデザインとなった後期型に変わりました。また同年に4気筒2.2Lのディーゼルエンジンが追加されました。(実車画像→ トヨタ クラウン 1976) 1979年にクラウン 6代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1974年に発売されたダイヤペット製の当時物です。最上級グレードのロイヤルサルーンをモデル化しています。ダイヤペットの協力工場の9番工場が製作していますが、実車の角ばったデザインがうまく再現されていて、当時物ミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ダイヤペットは前期型バンと後期型ロイヤルサルーンもモデル化していました。これ以外の当時物ではトミカとトミカ ダンディのロイヤルサルーンがありました。当時物以外ではトミカ リミッテドの前期型ロイヤルサルーン、後期型2ドアハードトップ、川端企画J-43(アンチモニー製)のセダンなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ カローラ 1600GSL KE30型 日本 1974年
1974年にトヨタ カローラ 3代目(E30 サンマル)が登場しました。当時期のクラウンやコロナがスクエアなデザインを採用していた流れで、カローラも同じような大人しいスタイルになりました。2/4ドアセダン、2ドアハードトップ(センターピラーが無いクーペ)、ワゴン/バンの設定がありました。姉妹車のスプリンターは4ドアセダン、2ドアクーペの設定でした。1976年に3ドアでスポーティなワゴン形式のリフトバックが追加されました。
4気筒1.2L(71HP)K型/1.4L(78HP)/1.6L(100HP)T型エンジンを搭載し3段AT/5/4段MT変速で、最高速160km/h(1.6L)の性能でした。1977年のマイナーチェンジで外観を小変更した後期型にかわり、1.2Lエンジンが1.3Lに拡大されました。排ガス対策で一時的に消えていた高性能車レビンが1977年にEFI仕様のDOHC4気筒1.6L(110HP)2T-Gエンジンで復活しました。カローラ 30系はその膨大なバリエーション展開故に、カローラ史上で一番生産台数が多かったそうです。1979年にカローラ 4代目(E70)にモデルチェンジしました。
ミニカーは1976年に発売されたダイヤペット製の当時物で、4ドアセダンをモデル化しています。ダイヤペットの協力工場の9番工場が製作していますが、全体的なプロポーションが良く、フロント周りの雰囲気もうまく再現されています。室内などの細部も良く再現されていて当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。2022年現在でカローラ 3代目 セダンのミニカーはこれしかないので、その点でも貴重なミニカーです。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物ミニカーはトミカのレビン、トミカ ダンディのリフトバックがありました。当時物以外ではトミカ リミッテドのレビン(1/64)、トミーテックのバン(1/150)、HI-STORY(レジン製)のレビン後期型(E51)などがあります。なおスプリンター 3代目はカローラ レビンとは異なるボディを持つクーペ系のスプリンター トレノ(TE47)をHI-STORY(レジン製)がモデル化しています。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ ロードペーサー 日本 1974年
トヨタ センチュリーや日産 プレジデントといった最高級車市場にマツダはロードぺーサーで1975年に参入しました。ただ一から自社開発するのは当時のマツダ(東洋工業)には荷が重く、この車はオーストラリアのGM ホールデン社から輸入した1974年式の右ハンドルの大型車プレミア (PREMIER 実車画像)を改造した物でした。内外装を高級に仕上げ、13B型エンジン(135HP)にジャトコ(日本自動変速機)製の3段自動変速機を組み合わせて、最高速は165km/hでした。
低回転域でのトルクに難があるロータリーエンジンはこの手の高級車には不向きなこともあって、この車はあまり出来が良くなかったようです。1979年の生産中止までに約800台ほどしか生産されていません。結局国内の最高級車市場の牙城(センチュリやプレジデントの市場)は崩せなかった訳です。なお同時期にいすゞ自動車も同じホールデン プレミアを輸入してステーツマン デビルの名前で販売していましたが、これもほとんど売れませんでした。
1970年代にマツダはロータリーエンジン搭載車でのフルラインナップを計画しており、このロードペーサーもその計画の一環でした。また軽自動車でもシャンテに搭載する予定でしたが、さまざまな事情で実現しませんでした。1973年のオイルショックが起こるまでは、ロータリーエンジン車は輝いていたのですが。。。
ミニカーは2010年に発売された国産名車コレクション製です。メーカーは不明ですが、おそらくイクソではないかと思います。このロードぺーサーは国産名車コレクションシリーズの中でも、かなり出来の良い部類だと思います。ただ実車がほとんど知られていないので、あまり欲しい人はいないでしょう。これの型を流用してFIRST43からもロードぺーサーが発売されました。当時物ミニカーとしてはトミカ ダンディ製がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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