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アルファ ロメオ ジュニア Z (ザガート) イタリア 1969年
アルファ ロメオ ジュニアはジュリアに1.3Lエンジンを搭載したモデルでしたが、そのスペシャルモデルとして1969年にジュニア Z (ザガート)が登場しました。ザガートのデザインによる従来のジュリエッタ SZやジュリア TZはアルミ製の軽量ボディを持つレース用のスペシャルモデルでしたが、このジュニア ザガートは実用的な2シーター スポーツカーとして設計され、ボディはスチール製でした。
ウエッジシェイプを基調にしたボディ、4灯式ライトを透明カバーで覆ったユニークなフロントグリルなど、先進的で魅力的なスタイルで人気がありました。リアのハッチバックはベンチレーション用に電動モーターで僅かに開ける機能がありました。DOHC 4気筒1.3L(103HP)エンジンを搭載し、最高速175km/hの性能でした。1972年にはエンジンを1.6L(109HP)に拡大し、1600 ジュニア Z (ザガート)となりました。(1600 ジュニア Zはテールが100㎜ほど長くなるなど外観が少し変更されました) 1975年まで限定生産され、総生産台数は約1500台(1600 ジュニア Zが約400台)でした。
ミニカーはソリド製の当時物で1971年に発売されましたプロポーションが良く、最大の特徴である独創的なフロントグリルが非常にリアルに再現されていて、購入した際にさすがはソリドと感心したものでした。(ソリドのミニカーは当時の一級品でした) 昔のミニカーに多いダイヤカットのラインストーンを使ったヘッドライトが妙にリアルに見えて、この造形は現在のミニカーとしても通用する良い出来ばえだと思います。ドアが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物ミニカーとしてはメーベトイがありましたが、そちらはフロントグリルの透明カバーを再現していない点でやや見劣りします。 当時物以外ではミニチャンプス、京商(サークルK)の1/64、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。室内にはセンターコンソール中央から水平に突き出したシフトレバーが再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 512S ベルリネッタ ピニンファリーナ イタリア 1969年
フェラーリ 512S ベルリネッタは1969年のトリノ ショーで公開されたコンセプトカーでした。ベースはレースカーの512Sで、ミドシップのスポーツカーの未来像を提案したものでした。当時はこのようなウェッジシェイプのコンセプトカーが多かったのですが、フロントのフェンダーラインの抑揚などにピニンファリーナ流が感じられます。
またキャビン横にあるインテークの形状やそれにつながるリアカウルには当時のカンナム(CAN-AM)マシンの影響が感じられます。なお512Sを使ったコンセプトカーとしては翌年に発表された512S モデューロもありました。512Sよりもモデューロのほうが圧倒的に未来的なデザインだったので、512Sのコンセプトはかすんでしまいました。
ミニカーはメーベトイ製の当時物で1976年頃に発売されました。全体的にややシャープさが足りないような気もしますが、当時のミニカーとしては上出来だったと思います。トラクタブルヘッドライトが可動し、キャノピー式のドアも開閉します。リアカウルを開くとあまりリアルじゃないですが、派手な色合いでエンジンが再現されています。(メーベトイは1969年にマテル傘下となったので、この色合いはマテルの影響かも?) テールライト部分は紙シールで表現されていて、リアカウルのスリット越しにエンジンが見えるのは結構リアルです。これ以外の当時物ミニカーはポリトーイとマーキューリー、ポリトーイをコピーしたジョアル、メーベトイをコピーしたオートピレンがありました。当時物以外ではTOPMARQUES(レジン製)があります。 以下はフロント(ヘッドライト開閉)とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ シグマ グランプリ ピニンファリーナ イタリア 1969年
フェラーリ シグマ グランプリは1969年のジュネーブショーで公開されたコンセプトカーでした。1960年代後半のF1は排気量拡大でコーナリング性能が向上したことなどで、ドライバーが負傷する事故が増えました。例えば1967年のフェラーリ 312の車両火災によるL.バンディーニの死亡事故や1968年のロータス 48で車外に放り出されたことによるJ.クラークの死亡事故などがありました。そこでエンツォ フェラーリなどのF1関係者のサポートをうけて、ピニンファリーナが安全な構造のF1の具体例を提案したのが、このシグマ グランプリでした。
提案された具体例は主に以下のようなものでした。
1.車幅を拡大しコクピット周辺の強度向上
2.前後輪間にクラシャブルゾーンとなるサイドポンツーン追加
3.コクピット背後にロールバーを兼ねたウイング追加
4.ボディ先端にバンパー機能を持つフェンダー追加
5.リアタイヤ後ろにバンパー追加
6.6点式シートベルト、自己消火機能のある燃料タンクの採用
など 現在に通じるアイデアが盛り込まれていました。
1970年代以降に安全な燃料タンクや複合材モノコック構造によるコクピット周りの強度向上など、安全基準が強化されていきました。それでも1982年のG.ビルヌーブ(フェラーリ 126C2)や、1994年のA.セナ(ウィリアムズ FW16)などの死亡事故が発生し、そのたびに安全対策が追加されていきました。
ミニカーは1971年に発売されたマーキュリー製の当時物です。全体のプロポーションは悪くないのですが、ウインドスクリーン、ホイール、エンジン部形状などの細部が大雑把な作りで現在的な感覚で見るとあまり良い出来ではありません。(当時物としては標準的な出来ばえでしたが) ただこの車で具体化されたアイデアは、ミニカーでも良くわかると思います。シグマ グランプリの量産ミニカーは、マーキュリーの小スケール版のSPEEDY(1/66)とマーキュリーをコピーしたナコラル製ぐらいしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ インディ イタリア 1969年
マセラティ メキシコ/ギブリの上級車としてインディが1969年に登場しました。ギブリのようなクーペ スタイルで大人4人が乗れるというのがインディの特徴でした。名前のインディはマセラティがインディ 500を1939年から2連覇したことにちなんだものでした。大容量のラゲッジスペース、パワーステアリング、総革張りの豪華な内装など、居住性に配慮した高級なGTカーに仕上げられていました。ギブリに似たクーペ スタイルながら落ちついた雰囲気も感じられるのは、当時カロッツェリア ヴィニャーレに所属していたミケロッティのデザインだからでしょうか。
当初はDOHC V型8気筒4.2L(260HP)エンジンを搭載し、5段変速で最高速250km/hの性能でした。1970年にV型8気筒4.7L(290HP)エンジンが追加されました。1973年にはV型8気筒4.9L(330HP)エンジンに変わり最高速は280km/hに向上しました。同時に内装などが変更され、当時の親会社であったシトロエンの油圧制御式ブレーキシステムが採用されました。1975年まで生産され総生産台数は約1100台でした。
ミニカーは1971年に発売されたソリド製の当時物です。ソリドらしいシャープな造形で実車のイメージが良く再現され、当時のミニカーとしては素晴らしい出来ばえでした。現在のミニカーに比べるとワイパーやミラーなど細かなパーツが付いていないですが、そのような細かいパーツがないシンプルな作りも悪くないと思います。ドアとハッチバックの開閉ギミック付です。これ以外のインディのミニカーはガマの当時物、ミニチャンプス、イクソ(廉価版のホワイト ボックス)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とハッチバック開閉/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ビッザリーニ マンタ イタリア 1969年
アルファ ロメオやフェラーリの技術者であったジオット ビッザリーニ(Giotto Bizzarrini)は1962年に独立し、ランボルギーニの初期のV型12気筒エンジンやイソ グリフォなどの開発を行いました。1964年にイソ グリフォをベースにしたレーシングカー イソ グリフォ A3Cを開発しビッザリーニ社(Societa Prototipi Bizzarrini)を興しました。その後グリフォ A3Cの市販車仕様のビッザリーニ 5300GTやオペル GTをベースにしたビッザリーニ 1900GT ヨーロッパなどを少量生産しました。ビッザリーニ社は財政的な問題で1969年に自動車生産を止めましたが、その後もランボルギーニなどの開発に携わったようです。(実車画像→ ビッザリーニ 5300GT)
ビッザリーニ マンタは1968年のトリノ ショーで公開されたコンセプトカーで、G.ジウジアーロが興したイタルデザインの最初の作品でした。ノーズ先端からリアエンドまで滑らかな曲線でつながった斬新なデザインが特徴で、G.ジウジアーロ流の美しさがありました。ベースはビッザリーニが設計したミドシップエンジン搭載のレーシングカーP538でした。大きく傾斜したフロントウインド下にあるシートは3人掛けで、ドライバーが中央に座るのでハンドルは中央にありました。上部をカバーしたヘッドライトや3人掛けシートなど、後の量産車デザインに影響を与えたコンセプトカーでした。(実車画像→ ビッザリーニ P538)
ミニカーは1971年に発売されたマーキュリー製の当時物です。マーキュリーとしては後期のモデルでプロポーションは悪くないのですが、コストを下げる為に細部が簡略化されたやや残念な出来ばえになっています。(ただ当時の量販ミニカーはほとんどがこのような出来ばえでした) それでもハンドルが中央にある室内やリアカウル下に見えるエンジンはそれなりに仕上げてありました。これ以外のマンタの当時物ミニカーとしては、コーギー ジュニア(1/55)とこのマーキュリーをコピーしたナコラルがありました。当時物以外では最近スパークがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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