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アルファ ロメオ OSI スカラベオ イタリア 1966年
OSI(Officine Stampaggi Industri)は、カロッツェリア ギアの社長であったルイジ セグレ(Luigi Segre)が1960年にトリノに設立したカロッツェリア(コーチビルダー)でした。主にフィアットから委託された量産車のボディを製造していました。OSIが製造していた車としては、フィアット 2300S クーペ、フィアット 1300/1500 ファミリアーレ、フィアット OSI 1200、フォード タウヌス 20M TSなどがありました。後にギヤから独立して独自デザインの車も製造しましたが、1967年に自動車生産から撤退しました。
量産車以外でOSIがデザインしたプロトタイプとしては、フォード マスタング、アルファ ロメオ OSI スカラベオ、DAF シティカーなどがありました。特に1966年に発表されたスカラベオはその独創的なデザインで有名でした。ジュリア GTAのエンジンを使ったスポーツカーのプロトタイプで、ドライバーの着座位置を車体中央に置き、操作性/操縦性に優れたコクピットを提案したものでした。このデザインを実現するためにエンジンを横置きミドシップ搭載していましたが、これは当時としては珍しいエンジン搭載方式でした。(現在のミドシップカーのデザインの先取りといえます) スカラベオはこのクーペ以外に、通常の横開きドアを持つ一般的なデザインのクーペとオープンのスパイダーがありました。(実車画像→ アルファ ロメオ OSI スカラベオ クーペ)
ミニカーは1969年に発売されたポリトーイ製の当時物です。私の知る限りでは、1/25サイズの量産ミニカーはこれが最初の物でした。エンジン等のメカを再現したことで人気のあったポリトーイの1/43のMシリーズを発展させ、サイズを大きくしてよりリアルにメカを再現したポリトーイの意欲作でした。独創的なボディがうまく再現され、大きく開くキャノピーとリアルに再現されたコクピット、リアルに再現された横置き4気筒エンジン/変速機/サスペンション、ステアリングホイールと連動した前輪操舵など素晴らしい出来ばえでした。コクピット内はペダルやレバーが再現され、インパネのメーターはカバーガラスが透明プラ材で再現されていました。このミニカーを入手した当時(50年以上も昔です)はそのリアルな出来ばえに驚きました。ただこのポリトーイの1/25シリーズは最初の数車種はレベルの高い出来ばえでしたが、その後は単に1/43を大きくしただけの並みの出来ばえになってしまいました。これ以外のOSI スカラベオのミニカーはディンキー(英)の当時物がありました。最近の物ではフランスのALEZANのレジン製組立キット完成品があるようです。以下はフロント/フロントトランクを開いた画像とリア/リアフードを開いたエンジンルームの画像です。エンジンルームには横置きされた4気筒エンジンがリアルに再現され、実車に即した構造のコイルスプリング式サスペンションは実際に可動します。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 1600 スパイダー (デュエット) イタリア 1966年
アルファ ロメオ 1600 スパイダー (デュエット)にはジュリアという名前が付いていませんが、ジュリアの派生モデルで、1966年に発表されました。デュエットというサブネームは一般公募で決められた愛称で、正式の名前ではありませんでした。ピニンファリーナ製の個性的なスタイルの2シータースパイダーボディにスプリント GTV(ヴェローチェ)用の109HPエンジンを搭載し、最高速は187km/hと高性能でした。
前述したスプリント GTより高価でしたが、ピニンファリーナ製ボディの魅力でこの車も人気がありました。エンジンは1967年に1.8L(118HP)、1971年に2L(133HP)と大きくなっていきました。1969年にリアオーバーハングを切り落として少しモダンなスタイルとなりました。(実車画像 → アルファ ロメオ 2000 スパイダーのリア このようなテール処理をコーダ トロンカ(CODATRONCA)と呼びます) 1983年には前後のバンパーが安全規制対応で大型化され、テールライトも大型化されました。1990年の最終型ではノーズとテールのデザインが変更されエンジンが燃料噴射式となりました。スパイダーは北米市場で根強い人気があり、1993年まで生産され、27年間の総生産台数は約12万台でした。
ミニカーは1960年代に発売されたメーベトイ製の当時物です。1600 スパイダーの初期型をモデル化しています。初期のメーベトイ流の柔らかな感じのデフォルメがされていていますが、実車の雰囲気は良く再現されていました。(テールがやや下がりすぎていますが) ボンネット/ドア/トランクの開閉ギミック付で、脱着出来るハードトップも付属していました。 アルファ ロメオ スパイダーの当時物ミニカーはこれしかないようです。当時物以外ではビテス、オートアートの1/18、ミニチャンプス、ブレキナの1/87、ARS モデル、ジョエフの1/18などたくさんあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とトランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 330 P3 イタリア 1966年
前述したフェラーリ 275P/330Pは改良され、1965年に275/330 P2となりました。(275と330 P2は排気量以外はほとんど同じ) エンジンはDOHC化によりパワーアップし、F1で採用したアエロと呼ぶセミモノコック構造シャーシを採用、標準でスパイダー形式のボディは低くなり前後のフェンダーが大きく膨らむスタイルとなりました。275/330 P2は1965年のモンザ、タルガフローリオで優勝しますが、ルマンでは250 LMが優勝したものの330 P2は全車リタイアしました。(実車画像→ フェラーリ 330 P2)
1966年に330 P2は改良されて、330 P3となりました。改良点はエンジンのパワーアップ、FRP樹脂製ドアやアルミ合金ボディによる軽量化、ヘッドライトの2灯化などです。ボディはより低くなりフェンダーの起伏も大きくなり、ダイナミックで美しい330 P3のスタイルが完成しました。1966年はモンザとスパで優勝しますが、ルマンではフォード GT40が優勝しフェラーリは全車リタイアしました。1967年には改良型の330 P4が登場しました。
ミニカーはブルム製で、1988年頃に発売されました。1966年スパの優勝車をモデル化しています。ノーズ先端位置が高くヘッドライト形状が異なるなどフロントの造形があまり似てないので、出来ばえは今一つです。ブルムには330 P4も含めてバリエーションが数種類あります。330 P3の当時物ミニカーとしてソリドがありました。最近のものではバン(BANG)などがあります。330Pのミニカーはアートモデル、330 P2のミニカーはボックスモデル、ベストモデルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 330 GTC イタリア 1966年
フェラーリ 250シリーズの2+2シーター仕様の250 GTEの後継として、4L(300HP)エンジンを搭載した330 GT 2+2が1964年に登場しました。デザインはピニンファリーナによるもので、当初この車は4灯式ヘッドライト(実車画像)を採用していましたが、フェラーリらしくないとのことで翌年には2灯式に戻しています。330 GT 2+2は約1000台が生産されて、1967年にノーズのデザインを変えて排気量を4.4Lに拡大した365 GT 2+2にモデルチェンジしました。
この330 GTの2シータ クーペ仕様が330 GTC(Cはクーペの意)で、1966年に登場しました。前述した275 GTBのシャーシに4Lエンジンを搭載していましたが、330 GTより車重が30%程重く最高速は245km/hと、性格的にはGT的な要素が強かったようです。ボディはピニンファリーナ製で、オープン仕様の330 GTSも同時に登場しました。1968年に4.4Lエンジン搭載の365 GTC/GTSと365 GTB/4 デイトナにモデルチェンジしました。
ミニカーはベストモデル製で、1996年頃に発売されました。1980年代に登場したボックスモデルは1991年にバン(BANG)とベストモデル(BEST MODEL)の2ブランドに分裂しました。これらのブランドはイタリアのスポーツカーを主にモデル化しており、ベストモデルはエッチングパーツなどを採用するなどして、ボックスモデルの時代より精密な仕上げのミニカーを作っていました。なおバンは既に廃業し、ベストモデルは現在はM4の傘下です。このベストモデルの330 GTCはプロポーションが良く、ホイールや室内などの細部もリアルでかなり良い出来ばえです。前フェンダーのグリル下にはピニンファリーナのタグがしっかりと付いています。(大き目で垂れ下がった排気管がやや目立ち過ぎですが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ ミウラ P400 イタリア 1966年
1965年のトリノ ショーにランボルギーニ ミウラ プロトタイプのシャーシだけが展示されました。V型12気筒エンジンを横置きでミドシップ搭載したその構造はレーシングカーそのもので、大きな注目を集めました。翌年のジュネーブ ショーでベルトーネ製(マルチェロ ガンディーニのデザイン)の華麗なボディを載せたミウラが披露されると、注文が殺到しました。この車はショーカーで完成度が低かったのですが、バックオーダーを解消すべくとりあえず改良しながらミウラ P400の生産が始まりました。なおミウラという名前は有名な闘牛飼育農場にちなんだものでした。(ランボルギーニのエンブレムは闘牛です)
ミウラ P400の改良は1971年に発表されたSVまで続けられたそうです。(それまでに既に600台以上が生産されていましたが) SVはエンジンが385HPにパワーアップされ最高速283km/hの性能でした。ミウラは1972年末までに約750台が生産されP400、P400S、P400SVの3タイプがありました。また1968年にオープンタイプのロードスターが特注で1台だけ製作されました。2022年現在でもランボルギーニ ミウラは人気がありミニカーが最近でも発売されています。
ミウラを改良する為にレース仕様実験車のランボルギーニ イオタ(JOTA)が1969年に開発されました。外観はミウラに似ていますが、中身はほとんどが独自設計の別物でした。エンジンはミウラと同じV型12気筒DOHC3929ccで、440HPにパワーアップされていました。この車は走行試験が行われた後に個人コレクターに売却されましたが、その車は高速道路で事故を起こして廃車となりました。ランボルギーニ社を訪れてイオタを見た顧客の要望で、ランボルギーニ社はミウラをベースにしたイオタのレプリカをSVJという名前で数台生産しました。それらはランボルギーニ社純正のレプリカでしたが、それ以外にも個人オーナーが自分のミウラをランボルギーニ社に依頼してイオタに改造させたものも数台あったそうです。(実車画像→ ランボルギーニ イオタ)
人気の高いミウラはミニカーもたくさん(約300種類以上)作られています。当サイトにはミウラ/イオタのミニカーの一部をまとめたページもありますので、よろしければご覧ください→ ランボルギーニ ミウラのページ、ランボルギーニ イオタのページ
ここではミウラの代表的なミニカーとして、当時物として最高と評価されているソリド製とそのソリドに次ぐ人気のあるポリトーイ製、当時物以外ではミニチャンプス製とイクソ製を紹介します。まずは1968年に発売されたソリド製の当時物 ランボルギーニ ミウラ P400 (1/43 型番161)です。側面から見たフェンダーラインの抑揚が大きめにデフォルメされていて、実車よりダイナミックなボディに造形されたソリドのミウラは昔のミニカーながら現在でも十分に魅了的です。ヘッドライト周りのミウラの独特な顔つきもセンスの良いデフォルメでうまく再現しています。また前後カウルが開閉できてエンジン等の内部構造を見ることができる点で、昔のミニカーには最近のミニカーにはない楽しみがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)