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シムカ 1500 フランス 1963年
シムカは大衆車市場にてシムカ 1000で成功し、その上のクラスを狙ってアリアーヌの後継車として1300/1500を1963年に登場させました。ボディは極めてオーソドックスな3ボックスデザインで、構造的にも常識的なFR方式の中型車でした。1300はアロンドの1.3L(52HP)エンジン、1500は新設計の4気筒1.5L(69HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速150km/h(1.5L)の性能でした。当初は4ドアセダンのみで、1964年に5ドアブレーク(ワゴン)が追加されました。ブレークのテールゲートはアメリカ車に良くみられる下半分が手前に倒れる方式で、荷物フロアにはピクニック テーブルが組み込まれていました。
1967年に全長を4.46mに拡大した1301/1501となりました。基本的なデザインは同じでしたがフロントグリルが変更され、トランク部分が拡大されて容量が増えました。エンジンも同じでしたが、改良されて1.3L(57HP)/1.5L(73HP)にパワーアップしました。1975年まで生産され、後継車の1307/1308/1309にモデルチェンジしました。何の特徴もない平凡な車でしたが、長期間生産されていたことが成功したことを証明していました。どこの国でもこの類の地味な車が結構売れるものです。(実車画像→ シムカ 1301/1501 1967)
ミニカーは1963年に発売されたディンキー(仏)の当時物です。ディンキー(仏)らしいスケールモデル的な良い出来ばえで、ヘッドライト/テールライトにラインストーンが使われているので少し豪華に見えます。ドアとトランクが開閉するギミック付きで、トランクの中にはスーツケースが3ヶ収まっています。上述した1301/1501もそうですが、フランス車の改良ではトランク容量が拡大されることが多く、フランスでは車の評価でトランク容量が重視されるようです。フランス車のミニカーにスーツケースが付いていることが多いのは、このフランス人の嗜好が関係しているように思います。ディンキー(仏)はこのセダン以外に、ブレーク(ワゴン)も作っていました。国産車のミニカーではセダンとワゴンが両方ともモデル化されることはあまりないのですが、欧州製ミニカーではセダンと合わせてワゴンもモデル化されることが多かったです。これは欧州ではワゴン車がバカンスシーズンのレジャーに欠かせない重要な車であるからだと思います。これ以外のシムカ 1300/1500の当時物ミニカーとしてはノレブ初期のプラスチック製やポリトーイがあり、当時物以外ではノレブの最近の物があります。シムカ 1301/1501のミニカーはノレブ初期のプラスチック製とノレブの最近の物などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とトランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 600 ギア ジョリー (ビーチカー) イタリア 1963年
地中海やアメリカ西海岸カリフォルニアなどの高級な避暑地で、ビーチ周辺の移動に使用する水着で乗れる遊び車がビーチカー(Beach Car)です。基本的にドアがない開放的なオープンカーで、市販小型車を改造したものが多いです。ビーチカーとしては誰もが使えるタクシー的なものから、セレブと呼ばれる方々が使うカロツェリアに特注した専用車まで様々な車があります。
フィアット 600 ギア ジョリーはフィアット 600をベースにして、カロツェリア ギアが仕立てた高級なビーチカーでした。当時の大富豪アリストテレス ソクラテスやフィアットの会長ジャンニ アニエリなどが使用したとのことで、当時のビーチカーとしては有名な車でした。フィット 500やムルティプラをベースにした一般向けのビーチカー 500 ジョリーもありました。フィアット以外でも、ルノー 4CV、フォルクスワーゲン ビートルをベースにしたビーチカーのジョリーもありました。(実車画像→ フィット 500 ジョリー)
ミニカーは1963年に発売されたコーギー製の当時物です。600の後期型600Dをベースにしたギア ジョリーをモデル化しています。(大富豪が使ったとされるギア ジョリーとは側面のデザインなどが少し違っています) フリルのついた屋根とサイドのメッキされた飾りパイプにコーギー得意のフィギュアを付けて、いかにもそれらしい雰囲気に仕上げています。型番242で屋根がなくコーギー犬を乗せたバリエーションもありました。600 ギア ジョリーの当時物ミニカーはこれだけですが、最近になってイクソ、モンドモータス、スパークなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 2300S カブリオレ イタリア 1963年
前述した6気筒エンジン搭載の高級車フィアット 2100をベースにして、ギヤがデザインした2+2座クーペのコンセプトカーが1960年のトリノショーで発表されました。この車はその美しいスタイルが好評で、翌年にフィアット 2100S クーペとして登場しました。ボディの製造はギアがボディ量産を行うために設立したコーチビルダーのOSI(Officine Stampaggi Industriali)社が行いました。2100の6気筒2.1Lエンジンは105HPに強化され、4段変速で最高速は175km/hと高性能で4輪ディスクブレーキを備えていました。
1961年にベースの2100が2300に変更されたので、2100S クーペも2.3Lエンジン搭載の2300S クーペとなりました。エンジンは136HPにパワーアップされ、最高速は195km/hに向上しました。2300S クーペは当時は珍しかったパワーウィンドーを装備するなど豪華な内装で、かなり高価な車だったようです。1968年まで生産され総生産台数は約7000台でした。2300S クーペのカブリオレ仕様が1962年に発表されましたが、量産化はされなかったようです。(実車画像→ フィアット 2300S クーペ)
ミニカーは1964年に発売されたソリドの当時物です。2300S クーペではなく幌を立てたカブリオレをモデル化しています。このカブリオレはプロトタイプが数台作られただけで、量産化はされなかったようです。何故ソリドがこのプロトタイプをモデル化したのかは分かりませんが、クーペよりも希少でかっこいい車であったからでしょう。1960年代当時のソリドのミニカーは一級品でしたから、この2300S カブリオレも実車のデザインがうまく再現されていて、当時のミニカーとして良く出来ていました。ドアが開閉するギミック付です。これ以外の2300S クーペの当時物ミニカーはマーキュリー、ノレブ初期のプラスチック製、ポリトーイ初期のプラスチック製がありました。当時物以外ではブレキナの1/87、スターラインのクーペとカブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イノチェンティ IM3 イタリア 1963年
前述したようにスクーターを製造していたイノチェンティ社は、1960年にイギリスのBMCのライセンス生産を行うことで自動車製造に進出しました。1963年に登場したイノチェンティ IM3はBMCのADO16シリーズ(1962年のモーリス 1100など)のライセンス生産でした。(IMとはINNOCENTI MORRISの意) ADO16シリーズはミニの上級車でミニと同じイシゴニス方式の前輪駆動車で、ラバー(ゴム)スプリ ングと液体によるハイドロラスティック サスペンションを採用していました。
イノチェンティ IM3が搭載する4気筒1.1L(58HP)エンジンはMG 1100(55HP)よりも高性能なチューンがされ、4段変速で最高速145km/hの性能でした。またオリジナルのADO16のデザインを行ったピニンファリーナにより、フロントのライトまわりがスポーティなイタリア風デザインに変更されていました。1964年にエンジンや外装をモーリス1100と同じにした廉価版のオースチン I4が設定されました。オースチン I4は本家のADO16シリーズがMK IIに発展したのに合わせてI5にマイナーチェンジしました。(I4 I5はJ4 J5と呼ばれることもあります) IM3は1970年まで、I5は1972年まで生産され、シリーズの総生産台数は約6.5万台でした。(実車画像→ イノチェンティ オースチン I5 1971)
ミニカーは1965年に発売されたポリトーイの当時物です。イノチェンティ IM3の初期型をモデル化しています。IM3で変更されたフロント周りの造形がうまく再現され、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミック付きで、ボンネット内の造形はポリトーイらしいリアルな出来ばえです。ポリトーイにはイノチェンティやアウトビアンキのモデルが結構ありました。これらの車はフィアットの大衆車より少し豪華で人気があったのでしょう。ポリトーイはIM3をファイバーグラス製(1/41)でもモデル化していました。ポリトーイ以外のIM3の量産ミニカーは2020年現在でもないようです。(ポリトーイをコピーしたUSSR製がありますが) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ ジュリア スプリント GT イタリア 1963年
1962年にアルファ ロメオ ジュリエッタを後継するジュリア TI (セダン)が登場しました。ジュリエッタ シリーズのクーペ ジュリエッタ スプリントとSS、オープンカーのスパイダーは外観をほとんど変えないまま、ジュリア TIの1.6L(92HP)エンジンを搭載してマイナーチェンジされ、車名がジュリアに変更されました。ジュリア シリーズで一番人気のあったスプリント GTが1963年に登場しました。人気の理由はG.ジウジアーロがデザインした美しいベルトーネ製のクーペボディで、4人が無理なく乗ることができました。エンジンは106HPにパワーアップされ、軽量化された車体の最高速は180km/hでした。
1964年にオープンカーのジュリア スプリント GTC、1965年に高性能版(109HP)のジュリア スプリント GTV(ヴェローチェ)とレース用にアルミ製ボディで軽量化したジュリア スプリント GTA(115HP)が追加されました。スプリント GTVはその後1750 GTV/2000 GTVと発展し、4灯式ヘッドライトが採用されました。GTAは1966年から1969年まで4年連続でヨーロッパ ツーリングカー選手権のチャンピオンになるなど活躍しました。また1965年に1.3L(88HP)エンジンを搭載した廉価版のGT 1300 ジュニアが追加され、1968年にはレース仕様のGTA 1300 ジュニアが追加されました。(実車画像→ アルファ ロメオ GT 1300 ジュニア 1971)
ミニカーはポリトーイ初期のMシリーズの第1作目で、1965年に発売されました。Mシリーズ最初のモデルに選ばれたことが、スプリント GTの人気を物語っていると思います。あまりデフォルメせず、素直にモデル化されていて当時のミニカーとしては良く出来ていました。 (タイヤが少し大きめな気がしますが) ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きですが、Mシリーズの1作目で経験不足だったのか可動部の建付けがあまり良くありません。これ以外のスプリント GTの当時物ミニカーはマーキュリーとエディルトイがありました。当時物以外では、ディテールカー、プロゲットK、ミニチャンプス、ソリド、M4などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)