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フィアット 1100B イタリア 1948年
1937年に登場したフィアット 508Cは1939年にフロントグリルがアメリカ車風に変えられ名前が1100となりました。1100は戦後の1948年に1100Bとなり、1949年にはトランクが追加されるなどして1100Eとなりました。1100Eはエンジンが少しだけパワーアップしていましたが、ボディはリアにトランクが追加されただけで、見た目はほとんど同じでした。1100シリーズのボディ形式は2ドア/4ドアセダンとコンバーチブル、2ドアクーペ/スパイダー、ロングホイールベースのバリアント、商用バンなどなんでもありでした。508Cから始まった1100シリーズは1953年に新型の1100が登場するまで、外観は変更されましたが、中身はほぼ同じまま生産されました。
以下は1940-1950年代のフィアットの車種構成です。(Wikipediaなどを参照して作成しました)
前述した小型車500の上級車として1100シリーズがあり、その上には戦前に登場した1500の戦後型1500Eと1950年に登場した1400がありました。
ミニカーは1984年に発売されたブルム製です。1948年式の1100Bをモデル化しています。ブルムは前述したように戦前の508C(1100)をモデル化していますので、これはその型を流用したバリエーションでフロントグリルの造形が変更されています。地味な実用車のミニカーですが、実車の雰囲気が良く再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ブルムはボディにトランクが追加された1100Eもモデル化していて、1100Eの商用車のバリエーションもたくさんあります。これ以外の1100シリーズのミニカーはスターラインがスポーツ仕様の2ドアクーペ 1100Sをモデル化しています。自動車の歴史を作ってきたのは派手な高級車だけではなくこのような地味な大衆車でもあるのです。したがって自動車の歴史を知るためにはこの類の実用車を知ることにも大きな意味があります。そのような観点から地味な実用車をミニカーにしてくれるブルムのようなブランドはありがたい存在なのです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 500C イタリア 1949年
第2次大戦の敗戦とその後のインフレでイタリア経済は壊滅状態でした。したがって戦後のイタリアは一般大衆が車を買えるような状況ではなく、スクーターなどの2輪車に需要が移っていました。当時の映画「ローマの休日」(1953年)には劇中車として2輪車のべスパや戦前型の500A(トポリーノ)がたくさん出てきますが、当時のイタリアの世相をよく反映していました。そんな訳で安価な小型車500Aは、戦後もそのまま生産されていました。
1948年にはエンジンを16HPにパワーアップした500Bとなり、同時に派生車として4シーター ワゴンのジャルディニエラ(GIARDINIERA)が追加され、それをベースにした商用バンのフルゴンチーノも追加されました。1949年にはボディを一新した500Cとなりました。500Cはライトをフェンダーに埋め込み、スペアタイヤを内蔵しバンパーを追加して現代的なスタイルに変わりました。この変更でトポリーノのユーモラスなイメージは薄くなり、ビジネスライクな小型車といった感じが強くなりました。1951年にジャルディニエラは側面の木製パネルを金属製に変更したベルヴェデーレ(BELVEDERE)に変わりました。500Cは1955年まで生産され、後継車の600にモデルチェンジしました。500シリーズの総生産台数は約65万台でした。
ミニカーは1978年に発売されたブルム製で、1970年代に作られたブルム初期のミニカーです。前述した同じブルム製の500Aと同様に、実車の雰囲気が良く再現され当時のミニカーとしては良く出来ていました。少し古くさい作風ですが、この車のイメージにはうまくマッチしています。ブルムは500Cのワゴンのジャルディニエラやベルヴェデーレ、商用バンなどのバリーエーションもたくさん作っています。ブルム以外の500Cのミニカーはマーキュリーの当時物、イクソ、リーツェの1/87、ノレブのジャルディニエラなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 8V イタリア 1952年
戦後のフィアットが一度だけ、スーパーカー的な高性能車を手がけたことがありました。それは1952年のジュネーブショーで発表した高性能スポーツカーの8Vでした。フィアット 1400の高性能版に搭載する予定で開発されたV型8気筒エンジンが、コストの問題などで1400には搭載できなくなり、このエンジンを活用するべく開発された高性能車が8Vでした。フィアット車のチューナーであったシアタ(SIATA)社の協力を得て新しくシャーシ/ボディが開発されました。エンジンは総アルミ製のV型8気筒2L (105-127HP)を搭載し、サスペンションは全輪独立懸架、4段変速で最高速195km/hと当時のフェラーリ並の高性能でした。
8Vにはフィアット自社製ボディの他にザガート、ベルトーネ、ピニンファリーナなどのカロッツェリアが個性的なボディを架装しました。1954年までに114台が製作されました。またV8エンジンはシアタにも供給されシアタ 208Sに搭載されました。8Vはレースを目的として開発されたわけではなく、このようなスポーツカーにフィアット経営陣が乗り気ではなかったので、ファクトリーチームとして国際レースに出ることはありませんでした。ただイタリア国内のGTクラスのレースでは圧倒的に強かったようです。(実車画像→ シアタ 208S 1953)
ミニカーはマニアックな車種選択が多いビザール製(レジン製)で2006年に発売されました。フィアットがデザインした初期型の8Vをモデル化しています。迫力のある実車のデザインがうまく再現され、フロントグリルや室内の細部もリアルで良く出来ています。ビザールはフロントのデザインが変更された後期型もモデル化しています。ビザール以外のフィアット 8Vのミニカーはノレブ、スターライン、マトリックス(レジン製)などがあります。なお当方のミニカーはレジン製ミニカーに起こる経年変化で、リアウィンドーのクロームモールが剥がれています。少し凝った造りのレジン製ミニカーはこの類の経年変化による不具合がほぼ例外なく起こり、それを直そうとして下手に触るとさらに症状が悪化してしまいます。(高価な上にこのような不具合が多いので、私はレジン製ミニカーをほとんど買いません) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 682N フルトレーラー カートランスポーター イタリア 1952?年
フィアット初期のトラックに関しては、エドワード期のフィアット 18BLの欄に記載しました。その後のフィアット商用車の歴史を簡単に記載します。1925年代に4気筒2.3Lエンジンを搭載する小型トラック 603が登場しました。6で始まる3桁の型式で表記される600シリーズは、トラック/バスの型式として長く続きました。代表的なモデルとして小型トラックでは615、625、大型トラックでは619、640、670、680、690などがあり、Nが付くのはディーゼルエンジン仕様でした。1955年からバスの型式として300/400シリーズが登場しました。
フィアットは1938年にイタリアの商用車メーカー OMを買収し、1966年にフランスのユニック(UNIC)を傘下に収めました。1975年にフィアットの大型商用車を中心にして、ランチアの商用車、ドイツのマギラスが合併してイベコ(IVECO) グループが設立されました。現在イベコは小型商用バンから大型トラック/バス、産業用車両、鉄道車両などを製造しています。
1952年に登場した大型トラック682は1988年まで生産されたロングセラーのトラックでした。エンジンは6気筒11.5L(180HP)ディーゼルで、積載量は16-40t、トラック、トラクター(T)、バス(RN)などがありました。1970年に最終仕様682N4が登場し、1970年代後半以降はアフリカ諸国への輸出が主力となり、アフリカのナイジェリアで製造されたアフリカ仕様の682N4は「King of Africa」と呼ばれていたようです。
データーベースでイベコのミニカー検索
ミニカーはマーキュリー製で、約60年も前の1957年頃に発売されています。(入手したのは1969年で私はまだ学生でした) 当時のフィアット社で実際に使われていたと思われる682N カートランスポーターをモデル化しています。フルトレーラーとして連結すると全長約45㎝となり、同時期のフィアット車をフル積載すると見ばえがします。マーキュリーは自動車部品を製造するメーカーで、ミニカーは本業ではなかったのですが、自動車関連会社らしいマニアックな造りのミニカーを発売していました。このカートランスポーターも当時のミニカーとしてはリアルな作風でかなり良い出来ばえでした。トラック本体、底板、枠柱などはダイキャスト製ですが、トレーラーの車を乗せる床は板金加工品で枠柱とリベット止めで組立てられています。トラックとトレーラーの連結は、トラック後部のフックにトレーラーの連結レバーを引っかけるようになっています。トレーラーのリアにあるリフトは手が込んでいて、実際にハンドル操作で上下動するように出来ていましす。 以下はフィアット 500(ブルム製)を積載した状態、トラックとトレーラーの連結部、トレーラー後部のリフト準備動作をお見せします。(画像のマウスオーバーやタップで動画がスタートします)
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フィアット 600 1a イタリア 1955年
戦前に登場したフィアット 500(トポリーノ)は、20年を経過した1950年代でもベストセラー車でしたが、さすがに設計の古さが目立ってきました。そこでダンテ ジアコーサ率いるフィアットの技術陣が500の後継車として1955年に登場させたのが600でした。500とほとんど同じサイズの愛嬌のあるデザインながらも、リアエンジン方式を採用したことで4人が乗車でき軽量故に省燃費の経済車でした。水冷4気筒633cc(22HP)エンジンは後車軸の後ろにオーバーハングされて搭載され、4段変速で最高速100km/hの性能でした。1960年頃にはイタリア国内生産台数の4割を占めるほどの大ヒットとなりました。
1956年にソフトトップ仕様が設定され、3列シートで6人乗りの1ボックス車600 ムルティプラが追加されました。1960年にエンジンを767cc(28HP)に拡大し最高速110km/hに性能アップした600Dに発展しました。1964年にドアが前開きから一般的な後ろ開きになり、1965年にフロントノーズの3本ラインが1本に意匠変更されました。1969年まで生産され総生産台数は約270万台でした。600はスペインのセアト、西ドイツ(当時)のネッカーなどボディやエンジンを代えて世界各国でライセンス生産されました。また600をベースにしたレーシングカーがアバルトやジャンニーニなどで製作されて活躍しました。(実車画像→ フィアット 600D 1965)
ミニカーは1997年に発売されたブルム製です。ドアが前開き式の初期型の600 1aをモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、室内などの細部も良く再現してあり良く出来ています。またエンジンカバーを外すとエンジンルームが結構リアルに再現されています。バリエーションとしてソフトトップ仕様のトップが開いた物と閉じた物があり、それぞれに色違いが9種類あるので全部で3X9=27種類もあります。(このバリエーション展開の多さはブルムの特徴です) ブルムは後期型の600D、600 ムルティプラもモデル化しています。 ブルム以外の600の当時物ミニカーはディンキー、ポリトーイ、マーキュリー、ノレブ初期のプラスチック製、ジク(SIKU)初期のプラスチック製、オートピレンのセアトなどがありました。当時物以外ではディテールカー、イクソ、ソリド、ヴェーキングの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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