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シトロエン タイプ A フランス 1919年
シトロエン社の創立者であったアンドレ シトロエンはパリの生まれで、国立理工科大学を卒業したエンジニアでした。彼はV字型にカットされた歯車(ダブル シェブロン ギヤ)の有効性に注目し、このギヤの製造工場を設立して成功しました。その後不振だった他の自動車メーカーを立ち直らせるなど自動車業界にも関与しました。1914年に第1次世界大戦が勃発すると、フランス軍の砲弾不足を補うため軍需工場(弾丸工場)を造り、フォード流の流れ作業を採用することで大量の弾丸を生産しました。なおシトロエン車のエンブレムは(エンブレム画像)はアンドレが製造したダブル シェブロン ギヤをモチーフにしています。
1919年にシトロエン自動車会社が設立され、最初の自動車 タイプ Aが登場しました。タイプ Aは「アメリカのフォード T型の様に普及させて社会の生活レベルを向上させよう」というアンドレの理想のもとに造られたので、大量生産が可能なオーソドックスな構造でした。4気筒1.4L(18HP)エンジンを搭載する後輪駆動車で、セダンは3段変速で最高速65km/hの性能でした。ホイールベースの異なる2つのシャーシがあり、幌付4人乗りセダン、密閉式4人乗りセダン、3人乗りセダン、トラック、バンなどがあったようです。1921年まで生産され、B2にモデルチェンジしました。タイプ Aは1年間に約2万台が生産され、シトロエンは欧州初の量産自動車メーカーとなりました。
ミニカーは2019年に発売されたノレブ製です。最近のノレブはフランス車を中心にして堅実な商品展開をしていて、ダイキャスト製で一級品の良い出来ばえです。このシトロエン モデル Aもノレブらしいそつのない良い出来ばえです。フロントグリルやホイールなどの細部の仕上げもリアルで、特にワイパーがウィンドーを挟んで2重になっているのは凝っています。なぜ2重なのかというと、このワイパーは内側を手で持って手動で操作する方式なのでした。このような地味なクラシックカー(歴史的には重要なモデルですが)をモデル化するのは老舗ノレブならではのことで、最新の派手なスポーツカーばかりをモデル化する新興ブランドには期待できないことです。なおタイプ Aの量産ミニカーはこれが初めてでもありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ H6 スペイン/フランス 1919年
高級車メーカーとして知られるようになったイスパノ スイザ社は第1次大戦前にフランスに主力工場を建設しました。同社が開発した高信頼性の戦闘機用V型12気筒エンジンは第1次大戦中に広く採用され、航空機用エンジン製造メーカーとしても成功しました。イスパノ スイザ車のマスコットは飛翔するコウノトリですが、これは同社エンジンを積むフランス空軍戦隊のエンブレムをベースにしたものでした。第1次大戦後の1919年に登場したイスパノ スイザ H6はこの戦闘機用V型12気筒エンジンの片バンクを流用したアルミニウム合金製SOHC6気筒6.6L(120HP)エンジンを搭載していました。(参照画像→ イスパノ スイザのマスコット)
イスパノ スイザ H6の特筆すべき先進機能として世界初のサーボ機能付き4輪ブレーキ(減速時にギヤボックスの回転力を使って制動力を機械的にアシストする)がありました。この技術はライバルのロールス ロイスなどにライセンス供与されました。H6は当時のコーチビルダーがセダンやトルペードなどの豪華なボディを架装しました。全長約5mの大型車で3段変速で最高速130km/hの性能でした。1922年にエンジンが少しパワーアップされてH6Bとなり、1924年にはエンジンが8L(145HP)に拡大されたH6Cに発展しました。ホイールベースを短縮し200HPまでパワーアップしたエンジンを搭載したレース仕様のH6Cもありました。H6は1933年まで生産され、総生産台数は約2350台でした。この車の成功でイスパノ スイザは世界的な最高級車として評価されるようになりました。後継車はV型12気筒エンジンを搭載したJ12でした。
ミニカーは1966年頃に発売されたソリド製です。キャビン部分を小型ボートのデッキ風にしたしゃれたデザインのH6B トルペードをモデル化しています。1960年代のソリドのクラシックカーは当時の一級品でとても良く出来ていました。このH6Bもカラーリングが綺麗で、特徴的なキャビンの造形や有名なマスコット(飛翔するコウノトリ)が見事に再現されています。フロント/リアのナンバープレートは箱に添付されていた紙製のシールを貼り付けたものです。これ以外のH6のミニカーは、ソリドのH6B、フランクリン ミントのH6B 1/24と1/43、イクソのH6Cなどがあります。 以下はフロント(エンブレム拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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レイヤ エリカ (プロペラ推進自動車) フランス 1921年
レイヤ社はフランスの自動車メーカーで、フランス人のマルセル レイヤ(Marcel Leyat)が1919年に創立しました。マルセル レイヤは航空機の技術者で、1921年のパリ モーターショーで公開された同社初の4輪自動車ヘリカ(HELICA フランス語でプロペラの意)は「翼のない飛行機」として知られていました。「翼のない飛行機」と呼ばれるだけあって、翼を付けると航空機そのものといった外観をしていました。なおレイヤ社はヘリカ以前にも同じような構造の3輪車のプロトタイプ(ヘリコサイクル)も開発していました。
ヘリカは前後2列シートの3人乗り(前列はドライバーのみ)で、後席背後には荷物を置くスペースがありました。水平対向2気筒(8HP)エンジンで駆動するプロペラで推進し、前輪にブレーキがあり操舵は後輪で行いました。車体全体がアルミパネルで出来ていて重量はわずか250kgでした。この車は資金不足で量産出来ませんでしたが、1926年頃までに約30台が生産されたそうです。生産車は画像のようなセダンだけではなく、屋根のないカブリオレもありました。マルセル レイヤはヘリカの改良/実験を続け、1927年には18HPエンジンを搭載したヘリカの実験車がモンテリ サーキットで170km/hの速度記録を達成しました。その後マルセル レイヤは第2次世界大戦までに約30種類の航空機の設計/製造を行いました。彼は当時の航空機創世期ののパイオニアでもありました。
ミニカーは1978年頃に発売されたリオ製です。1921年に公開されたエリカをモデル化しているようです。(実車は様々なボディが架装されていたようですが) 飛行機のような特徴的なボディ、空冷2気筒エンジン、プロペラ、簡素な車輪など実車がリアルに再現されています。(プロペラは回転できます) ミニカーではボディは頑丈そうに見えますが、実車はアルミパネル製の簡素なボディでした。(実車動画→ レイヤ エリカ 1921) リオは自動車初期の変わった形状のレーシングカー ジェネラル グランプリをモデル化していますが、このレイヤ エリカも自動車初期にはこんな車があったのだという歴史的な事実を知らしめるミニカーです。(ただ見た目の面白さからモデル化されたということでもありますが) リオはこのミニカーのカラーリングを変更したリファイン版を2013年と2021年に再販しています。なおレイヤ エリカの量産ミニカーはこのリオ製しか無いようです。 以下はフロント(プロペラ回転 エンジン部拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ ブレシア (T13) フランス 1921年
1881年にイタリアのミラノで芸術家の家系に生まれたエットーレ ブガッティは美術学校で教育を受けましたが、10代から自動車技術に関心を持つようになりました。彼は芸術的な才能を自動車設計に生かし、1898年に最初の自動車(T1と呼ばれる)を開発しました。その後も自主的に自動車開発を続け、1902年に設計したT2は自動車博覧会で評価され自動車メーカーから注目されました。1909年にフランスのアルザス地方に工場を構えブガッティ社を設立しました。会社設立後の最初のモデルは小型のスポーツカー T13で、当初は4気筒1327㏄(15HP)エンジンを搭載していました
1914年以降にT13のエンジンは1368cc 16バルブ(30HP)に改良されました。当時の高性能車は大排気量エンジンが主流でしたが、小型車ながら高性能小型エンジンを搭載し操縦性が優れたT13は評判となり大ヒットしました。その後T13のボディを拡大したT15(後にT22)、ツーリングカー仕様のT17(後にT23)など改良版が登場しました。第1次世界大戦の影響で一時的に販売中止となり、1921年に販売が再開されました。1921年のイタリアのブレシアで行われた小型車レースではT22が1-4位を独占しその後もレースで活躍しました。それ以後T13とそのシリーズはブレシアと呼ばれるようになりました。T13は1925年まで生産されました。
ミニカーは1981年に発売されたブルム製です。ブレシアのレース仕様をモデル化していていますが、具体的にどのレースの車をモデル化しているかは分かりません。ブガッティの特徴である独特の楕円形のラジエータグリルなど、実車の雰囲気がうまく再現されていて当時のミニカーとしては良く出来ていました。(なお初期のT13のラジエータグリルは6角形だったそうです) ブルムはブレシアのミニカーを数種類ほどモデル化しています。なおブルム以外のブレシアの量産ミニカーは2023年現在でも見当たりません。(少量生産品ならホワイトメタル製などいくつかあるようです) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン B2 キャディ フランス 1923年
シトロエン社初期のシトロエン B2にはたくさんのボディバリエーションがありました。その中で一番毛色の変わったモデルが、B2 キャディでした。B2 キャディはスポーティなボートテール型ボディを持つ、2座オープンカー(補助席付で3人乗り)で、見た目は当時の軽快なスポーツカーのようでした。標準のエンジン(20HP)を22HPに軽くチューンしてあり、最高速はセダンの70㎞/hに対して90㎞/hと高性能になっていました。さらにエンジンをパワーアップした仕様もあったそうです。
ただしB2は基本的には実用車で、このようなスポーティな仕様のモデルはシトロエンのユーザー層には必要とされませんでした。その為、生産されたのはごく少数だったとのことです。B2 キャディはスポーティなパーソナルカーの先駆者のような車でしたが、この車でシトロエンにスポーティなイメージを植え付けるのは無理でした。その後1930年代にシトロエン ロザリーが速度記録に挑戦したことがありましたが、基本的に戦前のシトロエンにはスポーティなイメージはありませんでした。
ミニカーは2019年に発売されたノレブ製です。最近のノレブはフランス車を中心にして堅実なミニカー開発を行っていて、ダイキャスト製で一級品の良い出来ばえです。このシトロエン B2 キャディも特徴的なボートテール型ボディがうまく再現され、細かい金具類やインパネのメーター類もリアルで、ノレブらしい良い出来ばえです。なおB2 キャディの量産ミニカーはこれが初めてでしたので、同時期に発売された同じノレブ製のモデル Aともども、うれしいモデル化でした。シトロエンのファンでクラシックカーが好きな私はなんの迷いもなく即購入してしまいました。(ただしシトロエンでも高価なレジン製であれば買いませんが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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