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マツダ ファミリア ロータリークーペ 日本 1968年
1967年にマツダ ファミリアは2代目にモデルチェンジしました。丸みを帯びたボディに角型ヘッドライトの外観はフォード タウナスのような感じで、なかなか斬新なデザインでした。当初は4ドアセダンに4気筒1L(58HP)エンジンで、4段変速で最高速135km/hの性能でした。翌年には1.2Lエンジンが追加され、さらに10A型ロータリーエンジン(100HP)を搭載した2ドアクーペが、コスモ スポーツに次ぐロータリーエンジン搭載車の第2弾として登場しました。このロータリークーペは最高速180km/hと俊足で、加速性能もスポーツカー並みでした。
1970年のマイナーチェンジで1.3L(87HP)エンジンが追加されて、レシプロエンジン搭載車にはプレストのサブネームが追加されました。1971年にファミリア プレストの上級車としてグランド ファミリア(サバンナの姉妹車でレシプロエンジン仕様)が追加されました。1973年に3代目のファミリア プレストにモデルチェンジしました。ファミリアはマツダの大衆車の基礎を固めた車でした。(実車画像→ マツダ ファミリア プレスト)
1969年に追加されたロータリーエンジン搭載の4ドアセダン ファミリア ロータリー TSSが我家の最初の自家用車でしたので、ファミリア ロータリー車には特別な思い入れがあります。私が免許を取って最初に運転したのもこの車で、速い車でしたが、加速するとノーズが持ち上がりハンドルが軽くなったことを覚えています。(当時の国産車は操縦安定性以前のレベルでしたので)
ミニカーは1968年の実車発売とほぼ同時期に発売されたダイヤペット製の当時物です。このミニカーは実車発売前に販促用ノベルティとしてディーラーで使われることが決定していたので、事前に実車の図面などが米澤玩具(ダイヤペットを製作していた会社)に渡されて金型製作が行われたそうです。メーカー承認の販促品と言うことで、プロポーションやフロントグリル造形などは当時物としては良くできていました。またトランク内のスペアタイヤや半開きのサイドウィンドーなど凝った作りになっていました。(何故か? テールライトの塗り分けは実車と異なりますが) ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。当時物のミニカーはこれだけでしたが、当時物以外ではコナミのクーペ 1/64、エブロのクーペとそのレース仕様車、国産名車コレクションのクーペ、国産名車コレクションの型を流用したFIRST43、スパークのレース仕様などがあります。 以下はフロント/ボンエットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。ボンエットとトランクは経年変化で塗装が少し黄ばんでいます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ ルーチェ ロータリー クーペ 日本 1969年
3台目のロータリーエンジン搭載車としてルーチェ ロータリークーペが1969年に登場しました。この車は1967年の東京モーターショーで展示されたプロトタイプ マツダ RX87をベースにした市販車でした。(実車画像→ マツダ RX87) ルーチェ 初代のイメージを踏襲していますが、中身は全くの別物でした。この車のために新設計された13A型ロータリーエンジン(655ccX2 126HP)を搭載し、サスペンションは4輪独立で、マツダとして初めて前輪駆動方式を採用した特別設計の高性能スペシャルティーカーでした。4段変速で最高速190km/hの性能でした。
エアコン、パワステ、レザートップといった豪華装備を備えたスーパーデラックスは175万円とコスモ スポーツ (ロータリー)を凌ぐ高価格でした。(同時期のトヨタ クラウン ハードトップは約120万円でした) 高価格であった上にマツダ初の前輪駆動/パワステなどに熟成不足による問題があったので販売は芳しくなく、1972年には生産中止となりました。3年間で約1000台ほどしか生産されていませんので、実車は数回ほどしか見たことがありません。当時のマツダのイメージリーダーカーとして実に上品でかっこいい車でした。
ミニカーは2007年に発売された国産名車コレクション製でメーカーはノレブです。少し車高が高いところが今一つですが、実車の雰囲気がうまく再現されてます。フロントグリル、フェンダーミラー、ホイールなどの細部もリアルに仕上げられていて非常に良い出来ばえです。ノレブは自社ブランドでもほぼ同じ物を発売しています。当時物ミニカーはダイヤペットが異なる協力工場が製作した2種類を発売していました。当時物以外ではでは2005年頃にコナミの絶版名車コレクション(1/64)でモデル化され、トミカではまずメーカー特注非売品として作られ、その後2006年にトミカ リミッテドでも発売されました。2020年にはENIF(レジン製)でもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ T1500 3輪トラック TUB85型 日本 1970年
瓶のコルク栓を作るメーカーとして戦前の1920年に設立された東洋コルク工業は、掘削機や工作機械を作るメーカーとなり、1927年に東洋工業と改名しました。1931年に3輪トラック「マツダ号」を発売し、その後は3輪車メーカーとして発展しました。このマツダという名前は古代ペルシャのゾロアスター教の神の名前にちなんだものでした。なお戦前の3輪トラックのブランドとしてはマツダ以外にはダイハツ、クロガネなどがありました。
3輪トラックは戦後の復興に寄与し、1950年代前半の国産トラックの7割は3輪トラック(オート3輪)でしたが、次第に安定性や居住性の良い4輪トラックに需要が移っていきました。東洋工業も1958年には4輪トラック D1500(ロンパー)を発売して、4輪車市場に進出しています。1950年代の後半には、軽自動車規格のオート3輪(マツダ K360やダイハツ ミゼットなど)が登場しますが、3輪トラックは4輪トラックに切り替わっていき、1970年代の前半に消えていきました。T1500は1962年頃に登場したマツダの3輪トラックのほぼ最終型で、水冷4気筒1.5L(60HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速95km/hの性能でした。トラックの最大積載量は1.5トンで、3人掛けシートで乗車定員は3名でした。上級車として2Lエンジンを搭載するもう少し大きいT2000もありました。
ミニカーはユニークな車種が多いサピ(SAPI)製で2003年に発売されました。フロントの面構えなどの雰囲気がうまく再現されていて、懐かしい感じがします。(私が小学生の頃はまだ3輪車が現役で走っていましたから) やや塗装が厚ぼったい感じがありますが、シャーシ部分もある程度きちんと再現してあって実に良く出来ています。このサピの3輪トラックのミニカーが発売されてから、同じような3輪トラックのミニカーがトミカ、トミカ リミッテド、エブロなどからたくさん発売されました。マツダの3輪トラックとしてはこれより古い三輪車(CT/1200)や上級車のT2000をエブロがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内と車体底シャーシ部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ カペラ ロータリークーペ (RX-2) 日本 1970年
マツダ ルーチェとファミリアの間を埋める車として、カペラが1970年に登場しました。カペラ用に新設された12A型(573ccX2 120HP)ロータリーエンジン搭載車と、4気筒1.6L(100HP)レシプロエンジン搭載車がありました。4ドアセダンと2ドアクーペがあり、流行のコークボトル ラインを取り入れたセンスの良いデザインでした。「風のカペラ」というキャッチフレーズどおりの高性能な車で、ロータリーエンジン搭載車は4段変速で 最高速は190km/h(当時は180㎞/h速度制限はなかった)で、加速性能はコスモ スポーツと同等でした。
1971年のマイナーチェンジで、ロータリーエンジン車初の自動変速機仕様であるREマチックが追加されました。その際に角形2灯式ヘッドライトのクーペもセダンと同じ丸形4灯式ヘッドライトに変更されました。この1971年頃がマツダのロータリーエンジン車の全盛期で、年間6万台ほどが生産されていました。(1973年のオイルショックでガソリンが急騰し、燃費の良くないロータリーエンジン車は売れなくなりました) カペラのロータリーエンジン搭載車はRX-2という名前で輸出されました。1974年に内外装を少し変更して、カペラ ロータリー APにモデルチェンジしました。(APはAnti Pollusion(低公害)の略) (実車画像→ マツダ カペラ ロータリー AP)
ミニカーは1971年に発売されたダイヤペット製の当時物です。角形2灯式ヘッドライトの初期型クーペをモデル化しています。キャビン部分がやや大きめながら、カペラの美しいラインがそこそこうまく再現されていて、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミック付きで、エンジンや室内なども結構良く再現されています。カペラの当時物ミニカーはこれとトミカの1/59だけしかなく、どちらもクーペのモデル化でした。2011年に国産名車コレクションでモデル化されその型を流用してFIRST43からも発売され、2022年に国産名車プレミアムコレクションでもモデル化されました。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ RX-500 日本 1970年
RX-500は1970年の東京モーターショーに出品されたロータリーエンジンをミッドシップ搭載したコンセプトカーでした。RX-500の500はマツダ創立50周年を意味し、当初はコスモ スポーツの次期型プロトタイプとして作られたそうです。デザインは前年に発表されたベンツ C111の影響がフロントの造形などに感じられ、ドアはランボルギーニ カウンタックのようなガルウイング式、デ トマソ マングスタのようなガルウイング式に開くリアカウルなど当時の流行が取り入れていました。リアエンドのウインドーとそれを囲むリアライトの配置はユニークで先進性が感じられます。エンジンはファミリア ロータリー クーペのレーシングカー仕様の10A(247HP)で、ルーチェ ロータリークーペの前輪駆動車用変速機を流用してミドシップ配置していました。
製作されたのは1台で最初は緑色に塗装され、東京モーターショー用に黄色に塗り替えられ、1978年にRX-7 初代のプロモーション用に銀色に塗り替えられたそうです。またヘッドライトは当初は付いていなくて、銀色に塗り替えられた時に埋め込み式のライトが取り付けられたそうです。この車は結局は量産化に至らず、そのまま保存されていました。その後2008年に実車がレストアされ、広島市交通科学館で公開されました。
ミニカーはスパーク製(レジン製)で、2009年に発売されました。型番のKBはスパークと国際貿易のコラボで企画されたミニカーであることを示し、2008年にRX-500がレストアされたのがきっかけになってモデル化されたようです。特徴的なリアの造形やエンジン/スペアタイヤが見えるリアのエンジンカバーなどの細部がリアルに再現されていて、スパークらしい良い出来ばえです。スパークは東京モーターショーの緑色とプロモーション用の銀色、さらに黄色でヘッドライトの付いた1971年ニューイヤーモデルの4種類をモデル化しています。スパーク以外ではトミカ(No.34)とマッチボックス(SF66とJ19)の当時物、京商 サークルKサンクスの1/64があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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