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ファセル ヴェガ FV フランス 1955年
ファセル社は第2次大戦前の1939年に実業家ジャン ダニノによって家具や工作機械のメーカーとして設立され、戦後は自動車 メーカーからの委託でボディ製造を行っていました。特にパナール向けのアルミボディ製造はファセルの収入源でしたが、パナールがボディを内製化したので、ファセルは1954年からその製造設備で自社ブランドの高級車ファセル ヴェガの製造を始めました。ファセル ヴェガの主たる市場は北米で、戦前の超高級車ブガッティやドラージュの伝統を背景にした華麗なデザインのボディに、当時最強であったクライスラーのV型8気筒(4.5L 180HP)エンジンを搭載していました。
元々家具メーカーだったので、内装などの仕上げは高級で、高性能エンジン搭載で動力性能も高かったようです。ただ操縦性やブレーキ性能に関してはあまり期待できなかったようです。1954年に最初に作られたFVは、全長が4.6mほどの大型の2ドアクーペでした。当時の高級スポーツカー メルセデス ベンツ 300SLあたりを彷彿させるデザインになっていましたが、クロームモールの使い方などがフランス風の感じになっていました。1958年にはエクセレンスと称する4ドア仕様が追加されました。FVは1959年にV型8気筒5.8L(335HP)エンジンを搭載したファセル ヴェガ HK500に発展し、1962年にはV型8気筒6.3L(355HP)エンジンを搭載したファセル ヴェガ ファセル II (ヴェガ II)に発展しました。
ミニカーは2005年に発売されたイクソ製です。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Nos cheres voitures d'antan」(英訳:Our dear Cars of Yesteryear)シリーズのNo.16として作られたようで、これはそれをイクソのカタログ仕様としたものです。元の雑誌付きミニカーよりフロントグリルや灯火類の仕上げレベルが上げられていて、高級な雰囲気がするカラーリングも綺麗で、かなり良い出来ばえとなっています。ファセル ヴェガ FVの量産ミニカーはこれが初めてだと思います。これ以外のFVのミニカーはネオ(レジン製少量生産)があります。HK500のミニカーはイクソ系のノスタルジーとホワイトボックス、サンスターの1/18など、エクセレンスはイクソ、ヴェガ IIはノレブがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ペガソ Z102 クーペ スペイン 1955年
スペインの高級車メーカーイスパノ スイザは航空エンジン製造に専念する為に自動車生産から撤退し、その設備を1946年にトラックのメーカーであったENASA(エナサ)社に売却しました。またイスパノ スイザが1940年にスペインの企業グループと共同で設立したSIAT社が現在のフォルクスワーゲン傘下(1980年まではフィアット系列)の自動車会社SEAT(セアト)社の前身となりました。
ENASA社はアルファ ロメオの技術者であったウィルフレード リカルトが設計を担当し、ペガソの名前でスポーツカーを生産しました。1951年に登場したペガソ Z102は、DOHC V型8気筒2.5L(170HP)エンジンを搭載する豪華なスポーツカーでした。ボディは有名なコーチビルダーのソーチックやツーリングが架装し、クーペとスパイダーがありました。3.2L(360HP)エンジンを搭載する高性能版は最高速249km/hと当時最速の量産車(?)でした。その後Z102B、Z102SS、Z103などが登場しましたが、1958年に生産中止となりました。総生産台数は100数十台だったそうです。ENASA社は現在フィアットの商用車部門IVEO(イベコ)傘下になっています。
Z102の量産ミニカーは最近までありませんでした。画像は最近になってモデル化されたNEO製です。(これも量産ミニカーとは言えないレベルしか生産してません 画像はNEOのWEBサイトから借用しました。) Z102のボディはコーチビルダーによって異なるのですが、これはツーリング製をモデル化しているようです。これ以外ではヨーロッパのデアゴスチーニが「DeAgostini Supercars」というミニカー付雑誌(イクソ製)でモデル化しているようです。
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フィアット 600 1a イタリア 1955年
戦前に登場したフィアット 500(トポリーノ)は、20年を経過した1950年代でもベストセラー車でしたが、さすがに設計の古さが目立ってきました。そこでダンテ ジアコーサ率いるフィアットの技術陣が500の後継車として1955年に登場させたのが600でした。500とほとんど同じサイズの愛嬌のあるデザインながらも、リアエンジン方式を採用したことで4人が乗車でき軽量故に省燃費の経済車でした。水冷4気筒633cc(22HP)エンジンは後車軸の後ろにオーバーハングされて搭載され、4段変速で最高速100km/hの性能でした。1960年頃にはイタリア国内生産台数の4割を占めるほどの大ヒットとなりました。
1956年にソフトトップ仕様が設定され、3列シートで6人乗りの1ボックス車600 ムルティプラが追加されました。1960年にエンジンを767cc(28HP)に拡大し最高速110km/hに性能アップした600Dに発展しました。1964年にドアが前開きから一般的な後ろ開きになり、1965年にフロントノーズの3本ラインが1本に意匠変更されました。1969年まで生産され総生産台数は約270万台でした。600はスペインのセアト、西ドイツ(当時)のネッカーなどボディやエンジンを代えて世界各国でライセンス生産されました。また600をベースにしたレーシングカーがアバルトやジャンニーニなどで製作されて活躍しました。(実車画像→ フィアット 600D 1965)
ミニカーは1997年に発売されたブルム製です。ドアが前開き式の初期型の600 1aをモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、室内などの細部も良く再現してあり良く出来ています。またエンジンカバーを外すとエンジンルームが結構リアルに再現されています。バリエーションとしてソフトトップ仕様のトップが開いた物と閉じた物があり、それぞれに色違いが9種類あるので全部で3X9=27種類もあります。(このバリエーション展開の多さはブルムの特徴です) ブルムは後期型の600D、600 ムルティプラもモデル化しています。 ブルム以外の600の当時物ミニカーはディンキー、ポリトーイ、マーキュリー、ノレブ初期のプラスチック製、ジク(SIKU)初期のプラスチック製、オートピレンのセアトなどがありました。当時物以外ではディテールカー、イクソ、ソリド、ヴェーキングの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア フェラーリ D50 イタリア 1955年
ランチアはF1に進出することを計画し、1954年にD50が登場します。開発はアルファ ロメオでP2/P3を設計し、1937年にランチアに移籍したヴィットリオ ヤーノが担当、彼らしい先進的な設計を行っています。ドライブシャフトがドライバーの左側を通るように、エンジン(DOHC V型8気筒2.5L)を斜めに配置することで、ボディ全高を下げて空気抵抗を下げています。またエンジンをシャーシと一体化しボディ剛性を上げています。燃料タンクはボディ左右に張り出したポンツーン内に収め、このポンツーンは空力的な効果もありました。そんな訳でD50は当時のF1としてはユニークなスタイルをしています。
D50のデビュー戦は1954年スペインGPで、メルセデス ベンツ W196が勝利したレースでしたが、A.アスカリのドライブでポールポジションと最速ラップタイムを記録しD50は能力の高さを示しました。1955年モンツァ サーキットのテスト中にA.アスカリが事故死しました。エースドライバーを失ったことと資金難からランチアはF1を撤退することになりました。D50についてランチア、フィアット、フェラーリで交渉が行われ、D50がフェラーリに移譲され、フィアットがフェラーリに資金援助することとなりました。そんな訳でD50は フェラーリ (ランチア) D50となり、V.ヤーノら技術陣はフェラーリに移籍しました。
ミニカーはブルム製で、1982年頃発売されました。1956年のイギリスGP 優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。1956年式ですからフェラーリに移譲された後のランチア D50です。サイドポンツーンを持つユニークなスタイルが良く再現されています。ブルムのD50にはノーズの形状が異なる2タイプがあり、バリエーションが数種類あります。(画像はノーズコーン的なものが付いたノーズがやや長いタイプです) これ以外ではマーキュリーの当時物、マテル、イクソなどがあり、移譲される前の1955年式D50 モナコGP仕様をノレブがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ハインケル トロージャン バブルカー イギリス 1955年
1920年代にオートバイ用の単気筒や2気筒エンジン、タイヤ、ホイールを流用した簡素な4輪車/3輪車が作られました。(代表的な車種はモーガンなど) これらはサイクルカーと呼ばれ、そのほとんどは第2次大戦後には消滅しました。ただイギリスにおいては大戦後も3輪車に対する免許制度や税制上の優遇が残されていたので、3輪車に対する需要が残りました。
ドイツの航空機メーカーであったハインケル社は、戦後民生用のスクータを生産するようになり、その発展型として3輪車も作っていました。この3輪車はBMWのイセッタを露骨に真似た車で、BMW社から訴訟を起こされてドイツ国内では販売できなくなりました。困ったハインケル社が目をつけたのが、イギリス市場でした。ただロンドンを攻撃した戦闘機でもあったハインケルの名前をそのまま使うわけにもいかず、トロージャン バブルカーという名前で売り出したようです。4サイクル空冷単気筒204cc(10HP)エンジンをリアに搭載し、最高速90km/hほどの性能でした。(後輪はイセッタのようなダブルタイヤではないので普通の3輪車です) 約2万台程が生産されました。
ミニカーはコーギーの当時物で、1962年に発売されました。ビンテージ物のミニカーなので素朴な作りですが、実車の雰囲気をうまく再現した良い出来ばえです。ミニカーになっているくらいなので、実車にはある程度の人気があったのでしょう。BMW イセッタと非常に良く似ていますが、ヘッドライトの取付やリアのエンジンカバー部分の形状が少し違っています。なおミニカーの底板にはTROJANではなくHEINKELと書かれていますので、正体はばれていたようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と俯瞰/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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