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パナール ディナ X フランス 1950年
第2次大戦前は高級車メーカーであったパナールも、戦後は特権階級がいなくなった社会構造の変化に対応する必要があり、小型大衆車を量産することになりました。戦後のパナールのベースとなったディナ Xが1946年に登場しました。ディナ Xはアルミ軽合金のフレームとアルミ製ボディによるセミモノコック構造で、アルミ軽合金製の空冷水平対向2気筒600cc(22HP)エンジンを車軸の前にオーバーハングさせて搭載した前輪駆動方式という極めて革新的な車でした。中身は革新的だったのですが、外観は見てのとおり古くさくユーモラスな感じもします。
外形寸法はルノー 4CVとほとんど同じで最高速100km/hの性能も同じでした。ただしアルミ製ボディなどでコストが数割高いディナはルノー 4CVの1/10ぐらいしか売れませんでした。1954年に外観を大幅に変更したディナ Zにモデルチェンジしました。総生産台数は約4.7万台でした。ディナ Xをベースにした小型2ドアスポーツカー(ロードスター/カブリオレ) ディナ ジュニア(JUNIOR 仏語式に読むとジュニオル)が1952年に登場し、1956年までに約4500台が生産されました。なお優れたサスペンションなどシャーシ性能が高かったディナは、改造されてレースで活躍しました。レースカーではルマンに出場したDB パナールが有名でした。
(実車画像→ パナール ディナ ジュニア 1952)
(実車画像→ DB パナール 1955)
ミニカーはイクソの別ブランドであるノスタルジー製で2010年頃に入手した物です。1949年式フォードを思わせる丸いグリルがフロントに追加された1950年式をモデル化しています。ディナのユーモラスな感じがする面構えがよく再現されていて、灯火類や室内などの細部も結構リアルで良く出来ていました。これ以外のディナ XのミニカーはCIJの当時物、エリゴールの商用車、イクソ、ノレブのカブリオレなどがあります。ディナ ジュニアのミニカーはCIJの当時物、ビザール(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール ディナ Z フランス 1954年
パナール ディナ Xの後継車としてディナ Zが1954年に登場しました。総アルミ製のボディは全長4.57m(6人乗り)と大きくなり、デザインも空力的で近代的なものに変わりました。エンジンは850cc(42HP)に拡大され、わずか650kgの軽量ボディは最高速130km/hが可能で、しかも極めて低燃費でした。このサイズと性能は当時のルノーの2Lクラスのフレガト並みと優れていましたが、お値段もフレガト並みとやはり製造コストが高いことがネックでした。
独創的で高性能ながら価格が高いことでディナ Zはあまり売れずパナールは経営不振となり、1955年にはシトロエンの傘下となりました。シトロエンの強力な販売網で扱われることになりパナールの販売は上向きました。耐久性向上とコスト低減の為、1955年から最大の特徴であった総アルミ製ボディが徐々にスチール製に切り替わっていきました。1957年にはディナ ジュニア(ジュニオル)の後継車として2ドアのカブリオレが追加されました。1959年に全面的にスチール製ボディに変更されたPL17に名前が変わりました。総生産台数は約14万台でした。
ミニカーは2006年に発売されたイクソ製です。1/43としては少し大きめに出来ていますが、実車の雰囲気がうまく再現され良い出来ばえでした。バンパーをメッキ処理でなく塗装処理していることで、レトロな感じを出しています。なおフロントグリル中央にある一つ目小僧のようなライトはフォグライトです。同じ物がイクソの別ブランドのノスタルジーでも発売されましたが、そちらはバンパーをメッキ処理していて細部の仕上げが違っていました。これ以外のディナ ZのミニカーはCIJの当時物、ノレブ初期のプラスチック製、ビテスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール PL17 フランス 1960年
パナール ディナ Zは総アルミ製のボディでしたが、1960年にスチール製ボディを採用してデザインを一部変更したPL17に改名されました。このPLとは自動車黎明期に名声を博した「パナール ルバッソール」のイニシャルで、17とは2気筒、4段変速、5ドア(トランクリッド含む)、6人乗りの数字を足したものということらしい?です。 (これ以外にも17になるこじつけがあります) PL17の登場と同時に50HPに強化したエンジンを搭載し最高速145km/hの高性能版ティグル(TIGRE:虎の意)も追加されました。 4ドアセダンと4ドアブレーク(ワゴン)、2ドアカブリオレがありました。
この車のヘッドライト上のひさしのような飾りは当時の流行で、シトロエン アミ 6にも同様の飾りがついていました。1963年のマイナーチェンジでこのひさしはなくなり、テールライトが横長に変わりました。1964年から名前のPLが外されて単に17となりました。1965年にパナールの自動車部門がシトロエンに完全に吸収されたことで17は生産中止となり、後継車の24にモデルチェンジしました。総生産台数は約16万台でした。PL17 ティグルは1961年のモンテ カルロ ラリーで1-2-3フィニッシュで優勝していますので、PL17は総合的に優れた性能だったようです。
ミニカーは1960年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。1960年代のビンテージミニカーなので素朴な作りですが、ディンキー(仏)らしいうまい造形で実車の雰囲気が良く再現されていました。(経年変化で若干塗装が荒れてます) これ以外のPL17の当時物ミニカーはノレブ初期のプラスチック製のセダン/ブレークがあり、当時物以外ではエリゴールのブレーク、ソリドのセダン/カブリオレ、イクソのラリー仕様、ノレブのセダン/ブレーク/カブリオレなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パナール 24BT フランス 1966年
1964年にパナール 17の後継車としてパナール 24が登場しました。パナール ディナ Xから使われてきた空冷水平対向2気筒850㏄(50HP)エンジンを搭載する前輪駆動車という基本構造は17のままでしたが、ホイールベースを短縮し全く新しい2ドアボディを載せたものでした。ボディのデザインはPL17のイメージを継承していましたが、フロントの造形などに明らかにシトロエンの影響が感じられました。最初に登場したのはクーペボディで4座(2+2座)の24Cで、それに60HPにパワーアップしたエンジンを搭載した高性能版24CT(Tはティグルの意)が追加されました。
1965年にホイールベースを延長した5座セダンの24B(Bはベルリンの意)とその高性能版の24BTが追加されました。パナール 24はシトロエン グループ内ではアミ 6とID 19の間を埋めるスペシャリティーカーという扱いで、4ドア仕様が計画されましたが実現しませんでした。パナール 24は自動車創生期の名門がシトロエン傘下で最後に咲かせた高性能ツーリングカーでしたが、1967年に生産中止となりパナールの名前も消えました。総生産台数は約2.9万台でした。
ミニカーは1966年に発売されたソリド製の当時物です。ロングホイールベース仕様で高性能版の24BTをモデル化しています。ソリドらしいシャープな造形で実車の雰囲気がうまく再現され、室内などの細部も良く再現され素晴らしい出来ばえでした。ソリド初期の傑作品の一つだと思います。ボンネット、ドア、トランクの開閉ギミック付で、トランク内にはスーツケースが備えてあり、エンジンルーム内にはエンジンが結構リアルに再現されていました。(ただし残念なことに金属製のエンジン部分は錆びてしまっていますが) これ以外のパナール 24の当時物ミニカーはディンキー(仏)の24CT、ノレブ初期のプラスチック製の24CT/24BCTがありました。当時物以外ではソリドの新製品の24CT、ノレブの新製品の24CTなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)