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日産 シーマ FY32型 日本 1991年
1991年にセドリック/グロリア 8代目(Y32型)が登場し、シーマも2代目(FY32型)にモデルチェンジしました。この2代目から車名はセドリック/グロリアが外されてシーマとなりました。デザイン的には初代を継承していますが、ピラーレスハードトップからセンターピラー付のセダンとなりました。セドリック/グロリアより上級となるDOHC V型8気筒4.1L(270HP)エンジンが搭載され、ノンターボながら初代の売りであった力強い加速性能は確保していました。初代のエアサスペンションに代わって、インフィニティ Q45と同じ油圧式アクティブサスペンションが採用されました。
バブル時代の高級車でしたので、本革の内装をはじめとしてイタリア高級車風のアナログ時計、多数の車内照明が点灯するトータルコーディネート照明など至れり尽くせりの豪華な内装/装備でした。1993年のマイナーチェンジで、フロントグリル/バンパーの意匠が変更され、先代と同じDOHC V型6気筒3Lターボを搭載する「ツーリング」が追加されました。1996年にシーマ 3代目(FY33型)にモデルチェンジしました。(実車画像→ 日産 シーマ 1996)
ミニカーは1992年に発売されたダイヤペット製の当時物です。前述したセドリック/グロリア(Y32型)と同じ11番工場製が製造していますので、全体的に丸みが付いた作風になっています。セドリック/グロリアよりは多少ましな造形ですが、これも寸詰まりの感じで良い出来ばえではありません。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。シーマ Y32型はY31型と見た目があまり変わらなかったからなのか、最近までミニカーはこれしかありませんでしたが、2021年にハイストーリー(レジン製)がモデル化しました。 以下はフロント/ボンエットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。エンジンには「NISSAN V8」のロゴが付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 マキシマ J30型 日本 1992年
北米市場向けの日産の最上級車としてダットサン 810 マキシマ (G910型)が1981年に登場しました。ブルーバード 6代目(910)がベースで、エンジンルームを延長して6気筒2.4Lエンジンと6気筒2.8Lディーゼルエンジンを搭載していました。フロントグリルが変更され北米仕様の大型バンパーを装備し、エアコンやカーステレオを標準装備しサンルーフなどのオプション装備も揃っていました。1984年からはダットサン マキシマから日産 マキシマに名前が変更されました。(実車画像→ ダットサン マキシマ 1981)
1984年に日産 マキシマ 2代目 (U11)が登場し、この車は国内市場でもブルーバード マキシマとして販売されました。ブルーバード 7代目(U11)をベースとしていたので前輪駆動車となり、延長されたエンジンルームにはV型6気筒2Lターボ(北米向けはV型6気筒3L)エンジンが搭載されました。1986年のマイナーチェンジで前後の意匠が変更されました。1987年に北米仕様にもワゴンが追加され、国内の車名がブルーバード マキシマからマキシマに変更されました。1987年にブルーバードは8代目(U12)にモデルチェンジしましたが、マキシマはそのまま生産されました。
1988年にマキシマ 3代目(J30)が北米と日本で登場しました。基本スタイルは先代を踏襲しつつも、大型化して3ナンバー規格の幅広ボディに変わりました。エンジンはV型6気筒3L(160HP)を搭載していました。1989年にスポーティ仕様のSEが設定されました。1991年のマイナーチェンジでエンジンがDOHC化(195HP)されました。1994年に北米向けマキシマは4代目(A32)にモデルチェンジし、国内向けマキシマはセフィーロ(A32)に統合されて販売中止となりました。(実車画像→ 日産 マキシマ 1995)
日産 ブルーバード 9代目(U13)が1991年に登場しました。ボディは先代を踏襲しつつ全体に丸みが付いたデザインに一新され、セダンのSSS/EEXとピラー付のハードトップのARXがありました。セダンは車高が高めで室内が広く、ハードトップはデザイン重視で車高が低めで国内では売れ筋でした。エンジンは4気筒1.6L/1.8L/2Lと4気筒2Lディーゼルがあり、駆動方式はFFと4WD(アテーサ)でした。1993年のマイナーチェンジでフロントの意匠が変更され、4気筒2.4Lエンジン(ブルーバード初の3ナンバー車)が追加されました。1996年にブルーバードとしては最終型の10代目(U14)にモデルチェンジしました。(実車画像→ 日産 ブルーバード 1991) (実車画像→ 日産 ブルーバード 1996)
ミニカーは1993年頃に発売されたAHC(DOORKEY)製です。マキシマ 3代目(J30)の欧州仕様をモデル化しているようです。AHC(DOORKEY)とはオランダのメーカーであるAHC MODEL社(又はAR-GEE社)のブランド名DOORKEY(ドアキー)という意味です。1980年代後半に登場したDOORKEYブランドのミニカーは50種類ほどあり、日本車もトヨタや日産など10種類ほどがモデル化されていました。このマキシマは全体的なプロポーションは悪くないのですが、肝心のフロントグリル/ヘッドライト周りの造形が実車にあまり似ていないので今一つの出来ばえです。ドア開閉ギミック付きで、室内はそこそこ良く再現されています。これ以外のマキシマのミニカーは2022年現在でもこのAHC(DOORKEY)製とホットホイールの1/64しかないようですので、車種的には貴重なミニカーといえるでしょう。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 マイクラ (マーチ) 日本 1992年
日産の小型車マーチ 初代は1982年に登場しました。ボディは当時の流行りだったイタルデザイン系の直線的なデザインでした。エンジンを横置きする前輪駆動車で、当初のエンジンは4気筒1L(54HP)、最高速147km/hの性能でした。1985年にターボ、1989年にターボ+スーパーチャージャー(110HP)の高性能版スーパーターボが追加されました。当初は3ドアハッチバックのみで、1983年に5ドアが追加されました。マーチ 初代をベースにした派生車としてレトロな雰囲気でパイクカーと呼ばれたBe-1、パオ、フィガロが1980年代後半-1990年代に登場しました。マーチはマイクラという名前で北米/ヨーロッパに輸出されました。(実車画像→ 日産 マーチ 1982)
1992年にマーチ 2代目が登場しました。初代とは打って変わった丸っこいデザインは、前述したパイクカーの人気が高かったことを反映したようです。横置きするエンジンはDOHC 4気筒1L/1.3Lで、従来の変速機に加えてスバル製の電子制御CVTが設定されました。当初は3/5ドアハッチバックだけでしたが、1997年に電動ソフトトップのカブリオレが追加され、1999年のマイナーチェンジでワゴンのマーチBOXが追加されました。ヨーロッパの小型車に対抗できる世界戦略車として開発され、基本的な性能や居住性は従来の国産小型車とは一線を画する出来ばえで、日本とヨーロッパのカー オブ ザ イヤーを受賞しています。高性能に加えて当時このクラスにライバルがいなかったこともあって、1998年に追加された派生車のキューブともども大ヒットしました。2002年にマーチ 3代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは1994年に発売されたオランダのAHC社のドアキー(DOORKEY)製の当時物です。輸出仕様のマイクラ 2代目をモデル化しています。ドアキーは1980年代後半から1990年代前半に1/43のダイキャスト製で主に欧州車(欧州に輸出された日本車もある)をモデル化していました。このマイクラは実車の丸っこいデザインがうまく再現され、細部の仕上げもまずまずで、当時のミニカーとしてはそこそこ良い出来ばえでした。ドア開閉ギミック付きです。ドアキーは3ドアもモデル化していました。これ以外のマーチ 2代目のミニカーはMテックのカブリオレがありましたが、セダンはこのドアキーのマイクラしかないようです。なおマーチ 初代のミニカーはハイストーリー(レジン製)のターボ、WIT'S(レジン製)のスーパーターボがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ラシーン タイプ II 日本 1994年
前述したBe-1などのパイクカーシリーズの流れを引き継ぐフルタイム4WDのSUVとしてラシーンが1994年に登場しました。この車も1993年の東京モーターショーに参考出品した試作車が好評だったことで市販化されました。当時の車は曲面的なデザインが主流でしたので、その流れとは逆の真四角の個性的なデザインが最大の特徴でした。1990年発売のサニー(B13)の4WD仕様をベースにしていたので、本格的な悪路走破性はなかったものの、全モデルがビスカスカップリングを用いたフルタイム4WDシステムを採用していました。なお名前のラシーンとは羅針盤からの造語だそうです。
室内にスペアタイヤを収納するタイプ I、上下2分割のバックドアの後方にスチールパイプ製スぺアタイヤ キャリアを装着するタイプ II、さらにフロントにフォグランプとグリルガードパイプが付くタイプ IIIがありました。1997年のマイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更され、タイプ IIIがタイプ Sとなりタイプ Aが追加されました。同時にDOHC 4気筒1.8L(125HP)エンジンを搭載しセンターデフを追加したフルタイム4WDシステムのアテーサ(ATTESA)を搭載するラシーン ftが追加されました。1998年に丸形4灯式ヘッドライトを採用しボディを3ナンバー規格に拡大し(全長4.15m 全幅1.72m)、DOHC 4気筒2L(150HP)エンジンを搭載した高性能版のラシーン フォルザが追加されました。2000年に生産中止となり、総生産台数は約7.3万台でした。個性的なデザインで専門店があるほど今でも人気があるようです。
ミニカーは2012年に発売された国産名車コレクション製です。ラシーン タイプ IIの初期型をモデル化しています。メーカーはノレブで、ノレブらしい上手い造形で個性的なデザインが良く再現されています。安価な雑誌付きミニカーながら、フロントグリルや灯火類、室内などの細部も良く再現されています。ノレブは自社ブランドのルミノ シリーズでは内装の仕上げレベルを上げて、タイプ I、タイプ II、マイナーチェンジ後のタイプ S、タイプ Aを発売しています。それ以外のラシーンのミニカーはハイストーリー(レジン製)のタイプ IIとフォルザがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 スカイライン GT-R R33型 日本 1995年
1993年に日産 スカイライン 9代目(R33)が登場しました。スリム化された先代から一転してボディが大型化され、全モデルが3ナンバー規格車となり居住性が向上しました。ボディの基本的なデザインは継承されましたが、全体的に丸みがついたデザインとなりました。先代同様にシャーシをローレル(C34型)と共用し、4ドアセダンと2ドアクーペの構成でした。エンジンは6気筒2L(125HP)、DOHC 6気筒2.5L(180HP)/2.5Lターボ(250HP)が搭載されました。1996年のマイナーチェンジで、フロントグリルやバンパーの意匠が変更されました。
スカイライン R33型が登場した2年後の1995年に先代と同じDOHC 6気筒2.6Lターボ(280HP)エンジンを搭載したGT-R R33型が追加されました。4輪駆動システム(アテーサE-TS PROに進化)など基本的な構造は先代と同じで、大型化したボディは補強され剛性が向上しました。1998年には4ドアセダンのGT-R「スカイライン GT-R オーテック バージョン 40th ANNIVERSARY」が発売されました。レース活動ではGT-R R32に続いて全日本GT選手権に参戦して活躍しました。ルマンの参戦用にニスモ GT-R LM(正式名称にはスカイラインが付かない)が開発され、1995年のルマンで総合10位、1996年のルマンで総合15位の成績を上げています。1998年にスカイライン 10代目 R34型にモデルチェンジしました。
ミニカーは2009年に発売されたアシェット 日産名車コレクション製でメーカーはノレブです。プロポーションが少し違う感じがして、さらにヘッドライトが大きすぎてフロント周辺の雰囲気があまり似ていないので、今一つの出来ばえです。同じ物の色違い(赤紫)がアシェット 国産名車コレクションのNo.141で発売されています。スカイライン R33の当時物ミニカーはほとんどがGT-Rですが、ダイヤペット セガ、トミカ、Mテックなどがありました。当時物以外ではオートアートの1/18、エブロ、 京商の1/43と1/64、トミカ、トミカ リミッテド、国産名車コレクション、hpiレーシング(レジン製)、イグニションモデル(レジン製)、ハイストーリー(レジン製)のGTSなど非常にたくさんあります。レース仕様ではエブロ、Mテック、京商などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)