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トヨタ ウィンダム VCV10型 日本 1991年
トヨタが北米でメルセデス ベンツなどに代表される高級車市場に進出する為に開発したのがレクサスで、1989年に初代LSが登場しました。そのレクサス ブランドのエントリーモデルとしてLSと同時にレクサス ES 初代(V20)も登場しました。(実車画像→トヨタ レクサス ES 1989) レクサス ESは国内で発売されていたカムリ プロミネントをベースにして開発された兄弟車で、基本的なデザインはカムリのままながら、フロントグリルなどを変更して高級車に仕立てたものでした。カムリと同じV型6気筒2.5L(156HP)エンジンを搭載する前輪駆動方式の4ドアセダンで、5段/4段自動変速で最高速214㎞/hの性能でした。LSに比べるとあまりぱっとしない外観だったのであまり売れなかったようです。
1991年にレクサス ESは2代目にモデルチェンジしました。先代同様にカムリがベースでしたが、カムリとは異なるレクサス LSに通じるデザインとなりました。V型6気筒エンジンは3L(185HP)に拡大され、サスペンションの設定もカムリとは変えられました。このレクサス ES 2代目の日本仕様がウィンダム 初代で1991年に国内に登場しました。ボディデザインやエンジンはレクサス ESとほとんど同じで、当時のトヨタ国内車とは違った雰囲気がある車でした。1993年に2.5Lエンジンが追加され、1994年のマイナーチェンジで前後の意匠が変更されました。レクサス ES 2代目は北米では大ヒットし、国内版のウィンダムもそれなりに売れたようです。1996年にレクサス ES 3代目/ウィンダム 2代目(MCV20)にモデルチェンジしました。2005年に国内にもレクサス ブランドが展開されたので、2006年にウィンダムは生産中止となりました。
ミニカーは2011年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製です。メーカー名は公表されていないのですがイクソです。プロポーションが良くフロント周りの顔つき、フロント/リアの灯火類、室内などがリアルに再現されていて、雑誌付きミニカーながらかなりレベルの高い出来ばえとなっています。実車に即したツートンカラーの塗装も綺麗です。同じ型をつかってFIRST43でも色違いが発売されています。なおウィンダムの量産ミニカーは2022年現在でもこれしかないので、車種的に貴重なミニカーです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ アンフィニ RX-7 タイプ R FD3S型 日本 1991年
1991年にマツダ サバンナ RX-7(FC3S型)はRX-7 3代目(FD3S型)にモデルチェンジしました。名前からサバンナが外され当時の販売店名アンフィニを冠してアンフィニ RX-7となり、先代(FC3S型)よりもさらに本格的なスポーツカーとなりました。先代はポルシェ 924に似ていると言われましたが、3代目はリアの造形などRX-7独自のデザインになりました。車幅が広くなりましたが、室内はかえってレースカーのようにタイトになりました。(室内が狭くなったのはドアが厚くなったからです) エンジンは13B型 2ローター シーケンシャル ツインターボ 654X2cc(255HP)で、軽量化されたボディとあいまって国産車では第一級の高性能スポーツカーでした。
アンフィニ RX-7 3代目はマイナーチェンジを重ねて1型から6型まであり、1996年登場の4型ではリアライトが3連丸形になり、名前が単にRX-7となりました。1999年の5型ではフロントのバンパーとスモールライトの形状が変わり、エンジンが280HPにパワーアップしました。RX-7 3代目は1980年代後半のバブル絶頂期に企画されたので、全アルミ製のダブルウイッシュボーン サスペンションなど実に贅沢な設計がされていました。ただしその分高価だったのとバブルがはじけてスポーツカーが売れなくなったので、先代のようには売れませんでした。2002年に生産中止となりました。
ミニカーは京商製のハウザック シリーズのもので、2004年に発売されました。発売当初の1型 タイプ R(中級グレード)をモデル化しています。プロポーションが良く実車のボディがうまく再現され、かなり良い出来ばえです。1型の少し変わった形状のリアスポイラーや室内のインパネなどの細部も良く再現されています。京商は1/64の1型、1/43の1型/4型/6型と1/18の1型(2型?)/3型などたくさんモデル化しています。RX-7(FD)の当時物ミニカーはダイヤペット、Mテック、トミカなどがありました。当時物以外のミニカーはオートアートの1/18、エブロのレース仕様、トミカ リミッテドの1/64、HI-STORY(レジン製)、ホビージャパンの1/43(レジン製)と1/64、MARK43(レジン製)などでモデル化され、最近でも新製品が発売されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マツダ 787B ルマン 日本 1991年
ロータリーエンジンを実用化したマツダは、エンジンの性能/耐久性を実証する為に国内外のレースに参戦します。国内レースではサバンナ(RX-3)が日産 GT-Rの49連勝を1971年に阻止し、その後1978年までRX-3が通算で100勝しています。海外レースでは1968年から1970年にかけて、コスモ スポーツとファミリア ロータリー クーペでニュルブルクリングやスパに参戦し上位入賞しています。またサバンナ RX-7(SA)は1979年デイトナでクラス優勝、1981年スパで日本車初の総合優勝するなど好成績を残しています。
マツダがルマンに参戦したのは国産メーカーでは一番最初でした。マツダオート東京(マツダスピードの前身)が1974年にシグマ オートモーティブ(現在のサード)のマシンに12Aロータリーを搭載したシグマ MC74をエントリーして参戦し、規定周回不足ながら完走しています。1979年には13Bエンジンを搭載したRX-7(SA) 252iがマツダ車として初参戦しましたが予選で敗退、1980年にはプライベーターがエントリーしたRX-7(SA)が日本車として初完走しています。1981年にはRX-7(SA) 253で参戦しリタイア、1982年にはRX-7(SA) 254で参戦し14位で完走しています。
1983年以降は13Bエンジンを搭載したプロトタイプスポーツカーでルマン挑戦を続けました。1983年は717Cで完走 12位、1984年は727Cで完走 15位、1985年は737Cで完走 19位、1986年は757でリタイア、1987年は757で7位 GTPクラス優勝、1988年は767で17位と757で15位 GTPクラス優勝、1989年は767Bで7位 GTPクラス優勝、1990年は787がリタイアと767Bで20位 GTPクラス優勝、そして1979年から数えて13回目の挑戦となる1991年に787Bが日本車初の総合優勝を果たしました。
787Bは1990年にリタイアした787の改良型で、カーボンモノコック製シャシにR26B型4ローターロータリーエンジン(700HP)を搭載したグループCカーでした。グループCのレギュレーション変更でロータリーエンジンは1991年までしか使えなくなっていたので、その最後のチェンスを掴んだことになります。(ただ1993年からロータリーエンジンはまた使えるようになりましたが) 私はこのルマンカー開発初期に少しだけ仕事で関与していたこともあって、この優勝は本当に嬉しかったです。(真夜中のTV中継を見ていました)
ミニカーはフランスのレジン組立キットメーカー スターター(STARTER)製の完成品で、2000年に購入しました。787Bが優勝した当時はあまりレースカーのミニカーが作られていなかったので、787Bのミニカーはなかなか発売されませんでした。(トミカの当時物で1/64がありましたが) 2000年になってスターターの完成品が発売されたので、高価でしたが思い切って買いました。当時のミニカーとしては良い出来ばえで、カラーリングも綺麗で気にいっています。スターター製が出たすぐ後にカルツォ(QUARTZO)からも787Bがモデル化されました。その後の数年でイクソ、オートアート、京商、hpi racingなどから次々とモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ プレリュード 日本 1991年
1991年にホンダ プレリュード 4代目が登場しました。大ヒットした先代のノッチバックスタイルから細長いヘッドライトを持つダイナミックなファーストバックのクーペスタイルに変わりました。ボディは車幅が70㎜広くなりましたが全長は短くなり、エンジン排気量が2Lを超えて3ナンバー車となり、性格的にはスペシャリティカーからスポーティカーに変わりました。可変バルブタイミングリフト機構(VTEC)付DOHC4気筒2.2L(200HP)/VTECなしDOHC4気筒2.2L(160HP)エンジンを横置き搭載する前輪駆動車でした。サスペンションは全輪ダブルウィッシュボーン式の独立懸架で、変速機は5段変速/4段自動変速でした。更に先代で世界初採用された4WS(4輪操舵)は電子制御式に進歩しました。
1993年のマイナーチェンジで、ヘッドライト回りの意匠が変更され、運転席/助手席エアバッグやABSなど安全装備がオプション設定されました。本格的なスポーツカーになったのですが、日本ではバブル崩壊によりスポーツカーの需要が衰退したことなどから、先代のようには売れませんでした。1996年にプレリュード 5代目にモデルチェンジしました。その5代目も2001年に生産中止となり、プレリュードはインテグラに統合されて名前が消えました。(実車画像→ ホンダ プレリュード 1996)
ミニカーは1992年に発売されたダイヤペット製の当時物です。ダイヤペットの協力工場の11番工場製でやや車高が高いのが今一つですが、プロポーションが良く特徴的なヘッドライト/リアライトなど細部もリアルで、当時のダイヤペット製ミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネットとドアが開閉するギミック付きです。当時物のミニカーはこのダイヤペットしかありません。当時物以外ではミニチャンプスの輸出仕様、MARK43(レジン製)、ネオ(レジン製)の輸出仕様などがあります。なおプレリュード 5代目のミニカーは、実車の人気がなかったことを反映してか? 2022年現在でもTOPMARQUES(レジン製)とホットホイールの輸出仕様ぐらいしかありません。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ホンダ ビート 日本 1991年
エンジンをミッドシップ配置した軽自動車のフルオープン スポーツカー ホンダ ビートが1991年に登場しました。小さいながらセンスの良いボディデザインはピニンファリーナの元デザイナーが関与していたといわれています。エンジンはトゥデイ用をチューンした3気筒656ccでターボ過給なしで自主規制上限の64HP(高回転域)を達成していました。サスペンションは4輪独立懸架、4輪ディスクブレーキ、前後輪で異なるサイズのタイヤ採用など足回りも拘っていました。長めに設定されたホイールベースや実用回転域でのアンダーパワーで、比較的安定した操縦性だったようです。
当時の軽スポーツカーにはマツダ AZ-1やスズキ カプチーノがありました。いずれも2シーターで居住性はミニマム、性能に多少の違いはありましたが似たようなものでした。それらの価格は約140万円と軽としては高価でしたので、約170万円で買えた普通車のオープンカー マツダ ロードスターに客を取られ、軽スポーツカーはあまり売れませんでした。ビートは1996年まで生産され総生産台数は約34000台で、一番実用的(まとも?)だったのか、軽スポーツカーでは最も多く売れていました。マツダ AZ-1の総生産台数は約4000台、スズキ カプチーノは約26000台でした。
ミニカーはエブロ製で、2005年に発売されました。エブロらしいリアルな造形で全体的な雰囲気がうまく再現されていて、とても良く出来ています。実車同様に前後ホイールのサイズが変えてあるなど細部にもこだわっています。幌は取り外し可能で、室内もそこそこ良く再現されてます。当時物ミニカーとしてはダイヤペットとトミカがありました。当時物以外では、京商のJ-コレクション、国産名車コレクション、インターアライド(HOTWORKS)、MAKEUP(ホワイトメタル製)、MARK43(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と幌を開いた室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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