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ロールス ロイス カマルグ イギリス 1975年
ロールス ロイスのパーソナルカー(2ドアクーペ) カマルグが1975年に登場しました。ロールス ロイスのパーソナルカーとしてはコーニッシュがありましたが、カマルグはシルバー シャドウのイメージを引きずるコーニッシュと差別化し、さらにスペシャルなパーソナルカーとして開発されました。ボディは2ドアクーペのみでオープンカー仕様はありませんでした。デザインはピニンファリーナ、コーチワークはH.J.マリナー パーク ウォードが担当しました。ピニンファリーナ流のシンプルながら絶妙なバランスがとれた美しいデザインで、直線的なボディラインが従来のロールス ロイスと明らかに違っていました。
コーニッシュをベースにしていましたが、全長は少し大きく幅は90mm広く高さは20mm低くなっていました。ボディの大型化で車重が重くなりましたが、エンジン(V型8気筒6.8L)はツイン エグゾーストでパワーアップされ、最高速はコーニッシュと同じ190km/hのままでした。価格はシルバー シャドウの約2倍で、注文生産されるファントム VIを除くとロールス ロイスの最高級車で、当時としては世界で最も高価な車でした。(1985年の日本での販売価格は4800万円でした) 1986年までの11年間で約500台が生産されました。なおカマルグという名前はフランス南部の地域名に由来しています。
ミニカーは1977年に発売されたイタリアのBブラゴー製の当時物ミニカーです。Bブラゴーは前身のマートイ(MARTOYS)が1976年に名称変更した大スケールミニカーのパイオニア的なブランドで、これはBブラゴーの初期物でした。1970年代当時の大スケールミニカーの縮尺は1/24や1/25が一般的でしたが、これはそれより少し大きい1/22を採用しており、ブラゴーとしてかなり意欲的な取組みをしたミニカーでした。(この1/22サイズはダイヤモンド シリーズと称していました) プロポーションが良く、実車の美しいスタイルがうまく再現されていました。フロントグリルや灯火類、メッキパーツを使った凝った作りのメーターパネルなど当時のミニカーとしてはかなり良く仕上げてありました。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。これ以外のカマルグの当時物ミニカーはウエスタンモデル(ホワイトメタル製)と朝日通商のシグマ143(SIGMA143)があり、シグマ 143と同じ物がカドーからも販売されました。最近のミニカーではNEO(レジン製)とBOS MODEL(レジン製)の1/18があります。以下はフロント(良く出来たマスコット(Flying Ladyy)の拡大画像)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。「ROLLS ROYCE」のロゴが付いたエンジンは結構リアルに再現されています。以下はフロント(マスコット拡大)/画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジャガー XJ12C シリーズ II イギリス 1975年
ジャガー XJシリーズは1973年のマイナーチェンジで、シリーズ IIとなりました。外観上の違いはフロントのウインカーがバンパー下に移動しました。1975年のマイナーチェンジでXJ6は2.8Lエンジンが廃止されて、3.5L(163HP)エンジンに切り替わりました。それと同時にピラーレスハードトップの2ドアクーペ XJ6C/12Cが追加されました。優雅で美しいスタイルのクーペボディには、セダンのXJシリーズにはない魅力がありました。エンジンはXJ6Cが6気筒4.2L、XJ12CがV型12気筒5.3Lを搭載していました。
ジャガー XJシリーズのディムラー版にもクーペが追加され、そちらは6気筒がソブリン クーペ、12気筒がソブリン ダブルシックス クーペでした。1975年にスポーティなジャガー XJ-Sが発売されたことで、XJ クーペは1977年に早々と生産中止となりました。ディムラー版も含めて約1万台しか生産されていないXJ クーペは希少な車でした。なおXJ クーペはすべてレザートップ風のビニールレザー処理がされていたそうです。これはBピラーがないXJクーペの大きな屋根が変形しやすく、当時の塗装だけではクラックが発生したからだそうです。またこの屋根は水漏れや風切り音の問題もあったそうです。(なお1970年代の国産車にもルーフをビニールレザー処理するのが流行ったことがありました)
ミニカーは2005年に発売されたミニチャンプス製です。実車の独特の丸形4灯式ヘッドライトのフロントと美しいクーペスタイルがうまく再現されていました。室内などの細部もミニチャンプスらしいリアルな造形で、かなり良い出来ばえとなっていました。ただしこれはビニールレザートップ仕様になっていないのでそこが今一つです。なお色違い(赤)の型番400130461はレザートップ仕様でした。このXJ12Cなど2005年頃のミニチャンプスの1/43ミニカーは実に丁寧な仕上げがされた第一級品でしたが、2018年頃以降の1/43の室内は仕上げレベルが簡素化されました。(中国での製造コストが上がったので、価格維持の為仕上げレベルを落としたようです) ミニチャンプスはセダンのXJ12もモデル化していました。XJ クーペの当時物ミニカーはコーギーの1/36とディンキーの1/36がありました。当時物以外ではイクソ、ネオ(レジン製)のXJ6C 1/18とスパーク(レジン製)のXJ12C レース仕様などがありますが、セダンよりミニカーが少ないです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランドローバー シリーズ III 109 イギリス 1975年
ランドローバーは1971年にシリーズ IIIにモデルチェンジしました。外観はほとんど同じですが、金属製のフロントグリルがプラスチック製に変わりました。エンジンはシリーズ IIと同じ4気筒2.3L(73HP)、6気筒2.6L(86HP)、4気筒2.3L(62HP)ディーゼルで少しパワーアップし、変速機がフルシンクロになりました。内装もプラスチックパネルの採用など時代に見合った物に変更され、その後も高級なオプション仕様が設定されていきました。
1979年には軍専用車(101インチ フォワードコントロール 実車画像→ 軍専用車)に使われていたV型8気筒3.5L(91HP)エンジンを搭載したステージ 1が追加されました。(実車画像→ ランドローバー シリーズ III ステージ 1) ステージ 1のフロントグリルは従来の奥まった位置から前に移動して近代的なデザインになりました。シリーズ IIIは1983年まで生産され、シリーズ IV(1990年からはディフェンダーに改名)に変わりました。なおランドローバーは生産された車の2/3がまだ現役で使われているそうで、類い希な信頼性の高さを証明しています。
シリーズ IIIが登場した前年の1970年には、従来の4WD車の概念を変えた画期的な高級車レンジローバーが登場しました。オフロード性能はランドローバー並みで、オンロードでも快適に使えるレンジローバーは、発売されるとすぐに高い評価を得ました。1975?にローバー社はBLグループに組み込まれ、国営企業となりました。その後BLの民営化に伴い1978年には独?採算のグループ企業ランドローバー社が設?されました。
ミニカーはデルプラド製の世界の名車シリーズで、2002年に発売されました。メーカーはユニバーサルホビーで、EAGLE'S RACE 型番1523を流用しています。名車シリーズの雑誌にはミニカーがディフェンダーである旨の記載がありますが、正しくはシリーズ IIIのモデル化だと考えます。(名車シリーズにはこの類の誤記が結構あります) プロポーションが良く、床下にはサスペンションやドライブトレーンがそこそこ良く再現されていて、世界の名車シリーズのなかでも良い出来ばえの部類でした。これ以外のシリーズ IIIのミニカーとしては、ソリド、コーギーの1/36、ポリスティルの1/43と1/25、メーベトイの1/25などがありました。最近の物では、ホンウェル(カララマ)の1/72、ユニバーサルホビー、オックスフォードなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トライアンフ TR7 イギリス 1975年
1960年代にはトライアンフやMGなどイギリスのスポーツカーが主流であったアメリカのスポーツカー市場は、1969年に登場した日産のフェアレディ 240Zにシェアを奪われていきました。トライアンフ TR7はこの状況に対応すべく1975年に登場しました。伝統のオープンカーではなくクーペボディを採用したのは、安全基準の強化でオープンカーが禁止されるという噂があったからでした。(居住性を重視した240Zの影響も大きかったようです)
大胆なウエッジ シェイプを採用したデザインは斬新でしたが、ややアクが強すぎて好き嫌いが分かれました。4気筒2L(92HP)エンジンを搭載し、4/5段変速で最高速172km/hの性能でした。(ちなみに240Zの最高速は190km/hでしたので、負けていました) パワー不足を解消する為に1978年にはローバー SDI用のV型8気筒3.5L(135HP)エンジンを搭載したTR8が追加されました。1979年にはオープン仕様のドロップヘッド クーペが追加されました。TR7/8は1981年までに約11万台(TR8は約2800台)が生産され、商業的にはそこそこ成功しました。(ちなみに240Zは約55万台生産されました)
ミニカーは1975年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。フリーホイール化されているホイールの見た目が悪いですが、プロポーションは良くTR7の独特なデザインがうまく再現されていました。ドアが開閉するギミックと前後バンパーが実車の安全基準対応バンパーさながらに前後に伸縮するといった変わったギミックも付いていました。(ギミックとして面白い物ではありませんが) ディンキー(英)のミニカーはこの時期まではまだ私のコレクション対象でしたが、この後から発売された1/36サイズの廉価版ミニカーはコレクション対象から外れていきました。(今となっては貴重な物も一部ありましたが) TR7の当時物ミニカーはこれしかないようです。当時物以外ではトロフューのラリー仕様、イクソのラリー仕様、バンガーズ、オックスフォードなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。前後バンパーには後退するスペースがあります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード エスコート MK II L イギリス 1975年
イギリス フォードとドイツ フォードが共同で開発したフォード エスコート 2代目のMK IIが1975年に登場しました。基本構成はエスコート MK Iを踏襲し、個性的であったフロントグリル周辺が平凡なデザインになり、ボディ全体が直線的なデザインに変わりました。ボディ形式は2/4ドアセダンと3ドアワゴン/2ドアバンがありました。当初のエンジンはMK Iと同じ4気筒1.1L(48HP)/1.3L(54HP)とスポーツ仕様のRSメキシコ用の4気筒1.6L(84HP)があり、4段変速/3段自動変速で最高速162km/h(1.6L)の性能でした。
1976年に4気筒2L(110HP)エンジンを搭載しフロントをスラントノーズ化して4灯式ヘッドライトを装備した高性能版のRS2000が追加されました。またコスワース製DOHC4気筒1.8L(115HP)エンジンを搭載したレース仕様のRS1800はラリーで大活躍し、RACラリーでは1975年から1979年まで連続優勝しました。1978年のマイナーチェンジで上級仕様に使われていた角型ヘッドライトがほとんどのグレードに採用されました。エスコート MK IIはMK I同様に人気が高く商業的に成功し、1980年まで生産されました。1980年に3代目のエスコート MK IIIにモデルチェンジしました。
ミニカーは1976年に発売されたソリド製の当時物です。2ドアセダンで標準より高級なL仕様をモデル化しています。プロポーションは良いのですが、メッキ処理で表現したヘッドライトが小さすぎるのでフロント部分があまり似てません。またコストダウンでテールライトの塗装処理が省略され、室内のインパネの造形も簡素化されているなど今一つな出来ばえでした。ソリドはRAC ラリー仕様もモデル化していますが、ソリドはこの頃からレース仕様のミニカーに注力するようになり、このエスコート MK IIもラリー仕様の方が本命だったような感じです。これ以外のエスコート MK IIのミニカーはマッチボックスの当時物 RS2000、シュコーの当時物 1/66、Bブラーゴの当時物 1/24、トロフューのラリー仕様、ビテスのラリー仕様、イクソのラリー仕様、ミニチャンプス、バンガーズなどラリー仕様車が多いですがたくさんモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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