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フィアット 124 イタリア 1966年
1966年にフィアット 1300の後継車としてフィアット 124が登場しました。従来の排気量を表す名前の付け方を変えたのは、新世代の車であることを示していました。見た目はシンプルな箱型デザインの後輪駆動車ながら、新設計の高性能エンジンや4輪ディスクブレーキの採用など居住性、操縦性、経済性がバランスした優れた設計でした。フィアットとして初めてEU カー オブ ザ イヤー(1967年)を獲得しています。4気筒1.2L(65HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速145km/hの性能でした。
当初はセダンとファミリアーレ(5ドアワゴン)の構成でした。1967年にホイールベースを短縮してDOHC 4気筒1.4L(90HP)エンジンを搭載したピニンファリーナ デザインの2+2シーターのスポルト スパイダーが追加されました。5段変速機で最高速174km/hと高性能でした。同年にスパイダーと同じエンジンを搭載した2ドアのスポルト クーペも追加されました。セダンには1968年に1.4L(70HP)エンジンを搭載し4灯式ヘッドライトを採用したスペシャルが追加されました。1970年のマイナーチェンジでフロントグリルが意匠変更され、スペシャルはDOHC 1.4L(80HP)エンジン搭載のスペシャルTになりました。1972年にはスペシャルTのエンジンが1.6L(95HP)に変更されました。1974年まで生産され後継車は131でした。124はロシア(ラーダ)、スペイン(セアト)、インドなどでライセンス生産され、それらも含めると総生産台数は約1500万台にもなりました。
ミニカーは1967年に発売されたメーベトイ製の当時物です。発売当初の124をモデル化しています。メーベトイ流の柔らかい感じの造形で実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミック付です。これ以外の124 セダンの当時物ミニカーはマーキュリー、エディルトイ、ポリトーイの初期物のプラスチック製、ノレブ初期のプラスチック製などがあります。当時物以外ではブレキナの1/87、EDISON GIOCATTOLIなどがあります。124のクーペやスパイダーの当時物ミニカーはポリトーイのスパイダー、マーキュリーのクーペなどがあり、当時物以外ではビテスのスパイダー、スターラインのクーペ、イクソのクーペ、オートアートのスパイダー 1/18などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット ディノ スパイダー イタリア 1966年
フェラーリはフォーミュラ 2 レースのホモロゲーションを取得する為にV型6気筒エンジンを量産する必要に迫られ、提携関係であったフィアットにそのエンジンを搭載した車を提案して生まれたのがフィアット ディノでした。(ディーノと表記されることが多いようですが、当サイトではディノと表記します) このディノとはエンツォ フェラーリの息子のアルフレード フェラーリの愛称で、彼の24歳での早すぎる死を悼んで、彼がアイデアを出したといわれるV型6気筒エンジンにディノの通称が与えられていました。
フィアット ディノは最初にスパイダーが1966年のトリノショーで登場しました。ピニンファリーナが設計/製造するダイナミックなスタイルのスパイダーにはDOHC V型6気筒2L(160HP)エンジンが搭載され、5段変速で最高速は210km/hと高性能でした。翌年の1967年にベルトーネが設計/製造する2+2シーターのクーペが追加されました。クーペはスパイダーより大きく重い為、動力性能(最高速200km/h)はやや劣りましたが、4人乗れる居住性が売りでした。1969年にはエンジンがフェラーリ ディノ 246と同じ2.4L(180HP)に変更されました。価格は同じエンジンを搭載するフェラーリ ディノ 246の2/3ぐらいでした。1973年まで生産され、総生産台数は約7800台でクーペが多くスパイダーは1/4ほどでした。(実車画像→ フィアット ディノ クーペ)
ミニカーは1996年に発売されたプロゲットK製です。プロゲットKは1970年代から最近まで存続していたイタリアのミニカーブランドで、1950-1980年代のイタリア車を主にモデル化していました。ミニカーの出来ばえは当時の平均的なレベルをやや下回るレベルでした。このフィアット ディノは全体的な雰囲気はまずまずの出来ばえなのですが、フロントグリル周りの造形が今ひとつなので実車の美しいスタイルがうまく伝わりません。これ以外のフィアット ディノ スパイダーのミニカーはシュコー(ジュニアライン)、ミニチャンプス、京商(1/64)などがあります。フィアット ディノ クーペのミニカーはマーキュリー、メーベトイ、ダイヤペットの1/50、ノレブの初期のプラスチック製などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 124 スポルト スパイダー イタリア 1967年
1967年にフィアット 124にピニンファリーナのデザインによる2+2シーターのオープンカーのスポルト スパイダーが追加されました。124のホイールベースを短縮して、フェラーリ並みのかっこいいデザインのボディが架装されていました。高性能なDOHC 4気筒1.4L(90HP)エンジンが搭載され5段変速で最高速174km/hと高性能で、4輪ディスクブレーキが採用されていました。スポルト スパイダーはライバルのアルファ ロメオのデュエット スパイダーを意識した設計でしたが、スポルト スパイダーは+2の後部座席があるなどより実用的でした。
1970年のマイナーチェンジでフロントグリルの意匠が変更され、エンジンが1.6L(110HP)に拡大されました。1974年には1.85L(118HP)エンジンが追加されました。1979年のマイナーチェンジでは北米の安全基準対応で大型の衝撃吸収バンパーを装着しました。また排ガス規制対応でエンジン出力が低下したので、燃料噴射を採用した2L(100HP)エンジンに変更されました。北米で人気が高く1982年以降はフィアットからボディを製造するピニンファリーナのブランドに変わって1985年まで生産されました。総生産台数は約15万台でした。
ミニカーは1996年に発売されたビテス製です。当時のビテスは倒産する少し前の絶頂期で当時としては一級品のミニカーを製作していました。(あまりに多くのバリエーションを出したことで在庫過多で倒産したらしいです) この124 スパイダーもプロポーションが良くピニンファリーナ製の美しい実車がよく再現されています。灯火類や室内などの細部も結構リアルに仕上げられています。ビテスには幌を閉じた仕様やアバルト ラリー仕様などのバリエーションが30種類ほどあります。これ以外の124 スパイダーのミニカーはポリトーイの当時物、サンスターの1/18、オートアートの1/18、スターラインなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 125 イタリア 1967年
1967年にフィアット 1300/1500の後継車としてフィアット 125が登場しました。125は124の上級車として登場したのですが、シャーシは先代の1500を改良したもので、そこに124のホイールベースを延長したボディを載せ、124のスポーツ仕様のDOHC 4気筒1.6L(90HP)エンジンを搭載していました。外観では角形4灯式ヘッドライトを採用したスタイルで124との差別化を図っていました。4段変速で最高速は160km/h、4輪ディスクブレーキを標準装備し優れたハンドリングのスポーティな中級車でした。
1968年にはエンジンを100HPにパワーアップし5段変速で最高速170km/hに向上した高性能な125スぺシャルとなりました。1970年のマイナーチェンジでフロントグリルとリアライトなどが意匠変更され、内外装に豪華な設定がされた125スぺシャル シリーズIIとなりました。1972年まで生産され、総生産台数は約60万台でした。後継車はフィアット 132でした。
ミニカーは1969年に発売されたマーキュリー製の当時物です。1960年代のマーキュリーのミニカーは実車の雰囲気をうまく再現した物が多く、この125もボクシーなスタイルがよく再現されています。ただしヘッドライトに丸型のライン ストーンを使っているので、丸形4灯式ヘッドライトに見えてしまうのがやや惜しいところです。ボンネット/ドア/トランクが開閉するフルギミック付です。これ以外の125の当時物ミニカーはポリトーイの廉価版EXPORTシリーズがありました。当時物以外ではスターラインの125スペシャルがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 500 アバルト レコード モンザ イタリア 1968年
アバルトは量販車のチューニングやパーツ開発を行っていた会社で、フィアット車のチューニングで有名でした。1971年にフィアットに買収され、現在はフィアットグループの一員となっています。フィアット 500をベースにしたアバルトのモデルとしては
排気量479ccの500 アバルト (20HP) 1957年登場
排気量594ccの595/595 SS アバルト (32HP) 最高速130m 1963/1964年登場
排気量689cc)の695/695 SS アバルト (30-38HP) 最高速140m/h 1964年登場
などがありました。SSは高性能版でグループ2のレース仕様です。
アバルトはフィアットから未完成車を受け取り、アバルト製パーツを組み付けてアバルト仕様車に仕上げました。組み付けるアバルト製パーツはエンブレム、ダッシュボードのスピードメーター/タコメーター/油圧メーター、ステアリングホイール、キャブレターやマフラーなど吸排気系パーツ、エンジンのバルブ、ピストン、オイルパンなど非常に多岐にわたっていました。フィアット 500のレース仕様車はエンジン冷却を良くする為、リアフードを開いた状態に固定したものもありました。595/695の最終仕様は1971年まで生産されました。
ミニカーは2004年に発売されたブルム製です。1958年にモンザ サーキットでの1週間連続耐久走行で総走行距離18186.440km 平均時速108.252km/hの世界記録を達成した500 アバルトをモデル化しています。ボディカラー、フロントとサイドに表示された「500 ABARTH」のロゴなど実車がリアルに再現されていて良く出来ています。ブルムはこれ以外にも500ベースのアバルトをレース仕様車を含めて10数種類ほどモデル化しています。ブルム以外の500系 アバルトのミニカーはメーベトイの当時物 695SS アバルト、マーキュリーの当時物 595SS アバルト、ポリトーイの当時物 595 アバルト 1/25、ビテスの595/695 アバルト、ピンコ(レジン製)の500 レース仕様車などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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