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タルボ (タルボット) パシフィック リムジン イギリス(フランス) 1930年
フランスのクレメント-バイヤード(Cl?ment-Bayard)社は1920年代まで存在したフランスの自動車メーカーでした。イギリスのタルボ卿が1902年に設立した輸入会社クレメント タルボ(Cl?ment-Talbot)社がクレメント-バイヤード社の完成車を輸入して、「クレメント-タルボ」ブランドで販売するとともに、部品を輸入してロンドンの工場で組立ててタルボ ブランドで販売しました。これがタルボ ブランドの始まりでした。1906年に登場したイギリス製のタルボ 一号車は4気筒3.7Lエンジンを搭載した中型車で、この車はモータースポーツで活躍しました。(実車画像→ タルボ 20/24HP 1906)
1919年にクレメント タルボ社はダラック社に買収され、ダラック社はサンビーム社も買収し1920年にSTD(SUNBEAM TALBOT DARRACQ) モーター社と改名しました。(代表ブランドはタルボでした) 1926年頃に登場した6気筒1.7Lエンジンを搭載したタルボ 14/45HP(後にタイプ 65)は技術的に優れた低価格の中級車で、この車は大ヒットしました。その後この車は改良されて2.3Lエンジン搭載のタイプ 70/75、その高性能版タイプ 90に発展し1935年まで生産されました。またエンジンを3Lに拡張したタイプ 105はレーシングカーとして活躍しました。STDモーター社は財政難から1935年にイギリスのルーツグループに吸収され、1938年に「サンビーム-タルボ」ブランドができましたが第2次大戦後に消滅しました。タルボのフランス工場は起業家のアンソニー ラーゴ(Anthony Lago)が買い取り、後に「タルボ-ラーゴ」ブランドの車を製造しました。
ミニカーは1981年に発売されたエリゴール製です。上述したタルボ 14/45HPの高性能型で6気筒2.3Lエンジンを搭載したパシフィック(タイプ 90) リムジンをモデル化しています。実車と見比べるとフロントグリル形状とヘッドライトはそれらしく再現されていますが、それより後ろのボディ全体は同じエリゴール製のロールス ロイス 20/25HP(型番1030)の型をそのまま流用しています。(ホイールは変えてありますが) 当時の高級なリムジンは同じようなボディスタイルをしていたので、この方法でも違和感なくそれらしく見えます。したがってキャビン部分はサイズが大きめで窓の配置なども違いますが、当時のタルボ セダンのミニカーはこれぐらいしかありませんので、細かいところは気にしないことにしましょう。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メルセデス ベンツ SSKL (W06) ドイツ 1931年
メルセデス ベンツ Sシリーズは市販スポーツカーでしたので、レーシングカーとしては車重が重いという弱点がありました。SSKLは前述したSSKの純粋なレーシング仕様で、ファクトリーチーム用に数台が製作されました。SSKLのLはドイツ語のLeicht(軽いの意)で、徹底的な軽量化をするためにフレーム各部に軽減穴が開けられていました。スーパーチャージャーを大型化して過給圧を上げベンゾール系燃料を使い最高出力300HPで最高速235km/hと極めて高性能で、各種レースに勝ち続けました。こんな細いタイヤの車で300HPもあったのですから、とてもすさまじい操縦性であったと思います。
1929年に始まった世界恐慌の影響で、ダイムラー ベンツ社は1931年に経営難に陥りました。その為1931年にワークスとしてのレース活動は終了しました。翌年の1932年はプライベーター向けにSSKなどを販売するのみとなりました。その後ヒトラーを首相とするナチス政権が成立し、ダイムラー ベンツ社にはドイツ政府からの航空機エンジンや軍用トラックの発注が大幅に増加され、同社の経営状況が改善されました。さらに自動車レースでのドイツ車の活躍をナチス政権が後押ししたことで、1934年にダイムラー ベンツ社はレース活動に復帰し、レーシングカー W25が開発されました。
ミニカーはイタリアのリオ(RIO)製で、1983年頃に発売されました。リオのクラシックカーはほとんどが1990年以前に作られていますが、いずれも当時のミニカーとしては非常に出来が良いものでした。このSSKLは前述したリオ製のSSKをベースにしてSSKLに仕立てたもので、SSKLの特徴である軽減穴がボディ下部シャーシに追加されています。リオ製のSSKはボンネットの高さが少し大きめにデフォルメされているので、このSSKLも同じ高めの車高になっています。また1/43よりも少し大きめにできているので、1/43のミニカーと並べた場合に少し違和感があるのが唯一の難点です。型番SL001でミッレ ミリア仕様があり、最近でもSSK/SSKLのバリエーションが作られていますが、国内には輸入されていないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します
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メルセデス ベンツ 460 ニュルブルク プルマン (W08) ドイツ 1931年
1926年にダイムラー社とベンツ社が合併して、ダイムラー ベンツ社となりました。メルセデスはダイムラー社のブランド名で、この時点でメルセデス ベンツというブランドが出来ました。合併直後にダイムラーの技術部長であったF.ポルシェ博士の下で、新しいツーリングカーが作られました。6気筒2Lエンジンを搭載するシュトゥットガルトと6気筒3.1Lエンジンを搭載するマンハイムで、それぞれの名前はダイムラー社とベンツ社の本拠地に因んでいました。
その両車の上級車としてベンツ初の8気筒エンジン(4.6L 80HP)を搭載した、460 ニュルブルク (W08)が1928年に登場しました。全長約4.9mの大型リムジーンで、1930年に770K グロッサー メルセデスが登場するまではメルセデス ベンツの最上級車でした。460は1931年に5L(100HP)エンジンが搭載できるようホイールベースが拡大されて500 ニュルブルクとなりました。460/500には当時の最先端の技術が採用されており、ローマ教皇用に特別に製作された特注車もありました。最終的には500の名前で1939年までに約4000台が生産されました。
ミニカーは2009年に発売されたイクソ製です。ロングホイールベース版の460 1931年式をモデル化しています。元々このミニカーはミニカー付き雑誌「MERCEDES-BENZ COLLECTION」のNo.38用に作られたモデルでした。これはそれをイクソのカタログモデルとして発売したもので、オリジナルの雑誌付きミニカーより細部の仕上げがレベルアップされていました。フロント グリルのNurburgのロゴとスリーポインテッドスターのマスコット、、ひさしの付いたフロントウインドー、リアのトランク、室内の造形などがリアルに再現されています。またベージュと茶のツートンカラーもメルセデス ベンツ博物館の実車に即したカラーリングになっています。ただしフェンダー部分がプラスチック製なので、このサイズのミニカーとしては軽いのが個人的にはいまひとつの感じがします。(ロートルのコレクターの古臭い感覚なのですが) イクソは別ブランドのホワイトボックスでも460を発売しています。イクソ以外の460のミニカーはエリゴールがありました。 以下はフロント(マスコットの拡大画像)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41121 (3号車) フランス 1931年
ブガッティ T41 3号車はドイツの医師ヨーゼフ フックス博士が購入し、ミュンヘンのコーチビルダーがドイツ式の分厚い幌が付いた4シーターのカブリオレ ボディを架装し1931年に納入されました。ドイツの政情不安でフックス博士は1937年にアメリカに移住し、T41 3号車もアメリカのロングアイランドに移動しました。その後寒さでエンジンが凍結して破損し、修理不能ということでスクラップ同然で放置されていました。
このスクラップ状態のT41 3号車は1946年にGMの副社長であったチャールス チェイン氏が購入して、一部を改造してレストアを行いました。チェイン氏はこの車を使用した後、ミシガン州ディアボーンにあるフォード社を創立したヘンリー フォードが建設したヘンリー フォード ミュージアムに1957年に寄贈しました。現在もそのヘンリーフォード ミュージアムに展示されているようです。
ミニカーは1972年に発売されたリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで、灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツからシャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。これはリオのブガッティ T41のミニカーとしては最初にモデル化された物でした。実車が大きいのでミニカーも全長145㎜と大きなサイズで、ドイツ流の分厚いカブリオレを持つT41 3号車が再現されています。製作された年代を考えるとリオはチェイン氏がレストアしたT41 3号車をモデル化していると思われます。ミニカーはヘンリーフォード ミュージアムに展示されている実車とは幌周りの造形やフロントグリルの上にあるマスコットなどが異なっていますが、これはヘンリーフォード ミュージアムで改修されたのではないかと考えます。ボンネットを外すとエンジン、床下部分のシャーシやサスペンションも表現されていますが、その部分は前述したリオ製のT41 1号車と同じですので、そちらを参照してください。同じボディで幌を畳んだ状態の色違い(緑と青)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 201 フランス 1931年
前述したプジョーの小型車クアドリレット(5CV)の後継車としてプジョー 190が1928年に登場しました。190はプジョーとしては伝統的な木製フレームを採用した最後の車で、5CVと同じ4気筒695㏄(14HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速60km/hの性能でした。190は1931年まで生産され総生産台数約33000台と、先代以上に成功しました。なお190という名前はプジョーが190番目に開発した車という意味でした。(実車画像→ プジョー 190 1928)
プジョー 190の上級車として1929年に新型の小型車プジョー 201が登場しました。プジョーが最近まで続けていた0を挟む3桁の数字によるネーミングはこの201から始まりました。201は4気筒1.1L(23HP)エンジンを搭載し3段変速で80km/hの性能でした。1931年のマイナーチェンジで前輪独立懸架式サスペンションを採用した201Cとなり、この方式のサスペンションを採用した世界初の量産車となりました。201はセダン以外にもクーペや商用車があり、排気量拡大(1.5L 35HP)やボディの流線化などの改良を行い1937年まで生産され202にモデルチェンジしました。総生産台数は約14万台で世界大恐慌による不況化で安価な車として大ヒットしました。
ミニカーは1979年頃に発売されたエリゴール製です。1931年にマイナーチェンジした201Cをモデル化しているようです。シンプルで実用的な箱型ボディがうまく再現され当時のミニカーとして良く出来ていました。初期のエリゴールは同時期のノレブのプラスチック製ミニカーをベースにしているものが多いのですが、これもノレブの出来の良い201の型を流用したダイキャスト製でした。これ以外の201のミニカーは2007年にノレブがクーペをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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