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パッカード シングル エイト ロードスター アメリカ 1930年
前述したようにパッカードは量産車として初めてV型12気筒6.9L(88HP)エンジンを搭載した高級車ツイン シックスを1915年に発表しました。この車は世界初の12気筒エンジンなど技術/品質の高さでライバル車を圧倒し、富豪や著名人に愛用され大成功をおさめました。顧客にはロシア皇帝のニコライ II世や有名なアメリカのギャング王 アル カポネなどがいました。ツイン シックスは1922年まで生産され、総生産台数は約3万台でした。当時のパッカードはキャディラック、ロールス ロイス、ディムラー、メルセデス ベンツなどと並ぶ高級車メーカーで、「Ask the Man Who Owns One.(その価値は持ち主に訊け)」というキャッチコピーを広告に使い、自社の高品質をアピールしていました。
パッカードは航空用エンジンの生産でも有名で、第1次大戦中はV型12気筒航空機エンジンを量産していました。第1次大戦後の1924年に8気筒5.9L(84HP)エンジンを搭載するシングル エイトを発表し、この車はツイン シックスの後継車として成功し、生産台数でキャディラックを追い抜きアメリカの高級車No.1の地位をかためました。1930年代になると、世界大恐慌によって高級車が売れなくなりました。そこでパッカードは1935年に8気筒エンジン搭載の中級車120を発売、1937年には6気筒エンジン搭載の110/115を発売しました。それらの車は一時的にパッカードの業績を上げましたが、パッカードのブランドイメージを下げることにもなりました。
ミニカーはアメリカ車のクラシックカーをモデル化していたシグネチュアー製で、2000年頃に発売されました。パッカード シングル エイト系のロードスターを少し大きめの縮尺1/32でモデル化しています。この1/32のシリーズは当時の定価が約3500円ほどの比較的安価なミニカーでしたが、マニア向けの本格的な出来ばえに仕上げてありました。このシングル エイトもパッカード独特の上部の角に段の付いたフロントグリルとその上のマスコットがきちんと再現されているなど、実車の雰囲気がうまく再現されていました。ドア/ボンネットが開閉するギミック付きでエンジンも再現されていました。(ただホイールのワイヤースポークなどの細かいところはあまりリアルではありませんでしたが) これ以外のシングル エイト系のミニカーは、マッチボックスのYシリーズ、NEO(レジン製)などがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。パッカードのマスコットは、差し出した両手で車輪を掲げている女神の姿で「Goddess of Speed(スピードの女神)」と呼ばれていますが、このマスコットは大きめに作ってあるのでかなりリアルにできていました。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック 452 V16 インペリアル セダン アメリカ 1930年
1930年に登場したV型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 452は初年度に約3000台が生産されました。コーチビルダーのフリートウッドがリムジーンやコンバーチブルなどのボディを架装し、価格は最低でも5000ドル(現在の2000万円ぐらい)と非常に高価でした。1929年に世界大恐慌が起こりアメリカは不況の真っ只中でしたので、452のような高級車を購入できたのはごく限られた富裕層だけでした。その中には有名なシカゴのギャング 'アル カポネ'が特注した防弾仕様車もありました。その車はカポネが1931年に収監された後は、アメリカ政府に接収されたとのことです。(実車画像→ GM キャディラック 452 防弾仕様車)
キャディラック 452 V16は初年度に購入できる人のほとんどが購入してしまったので、翌年はほんの300台ほどしか売れませんでした。また当時のライバルであったパッカード、ピアース アロー、フォード リンカーン コンチネンタルが次々とV型12気筒エンジン搭載車を登場させたことも影響して、452 V16の販売は低調になっていきました。452 V16は1940年まで生産されましたが、総生産台数は約4000台でした。なおその後V型16気筒エンジンを搭載したキャディラックの量産車はありません。
ミニカーはフランスのミニカー付雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNO.12でメーカーはイクソ(ALTAYA)です。フロントグリルとその上のマスコットなどよく出来ていますが、1/43よりやや小ぶりに仕上がっています。イクソではほぼ同じものがMUS012として発売され、それはアル カポネの車とされています。ただアル カポネの実車と見比べるとフロントの灯火類などが違っていますので、アル カポネの車と同じ車種といった程度のものです。 なおアル カポネの車はフランクリンミントの1/24でもモデル化されています。このミニカーは後部ドアガラスに開けられた丸い穴(銃眼)などが実車に忠実に再現してあり、アル カポネが愛用していた白い帽子やマシンガンまで付属しているといった凝ったものでした。(WEB掲載ページ→ GM キャディラック 452 アル カポネ仕様) 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。フロントグリル中央に付いている赤いVのエンブレムがV型16気筒搭載車の証です。またその上に付いているマスコットは女神像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ハドソン グレート エイト アメリカ 1930年
ハドソン モーター社はデトロイトの事業家が共同して1909年に設立しました。ハドソンというブランド名は出資者でデパートを経営していたジョセフ L ハドソンに因んだ名前でした。1909年に発売した一号車モデル 20(TWENTY)は4気筒3.3L(20HP)エンジンを搭載した小型のロードスター/ツーリングカーでした。この車は平均的な性能とスタイルながら低価格であったので、初年度に4000台以上が売れて大成功を収めました。この販売台数は当時の大ヒット車フォード T型と同じくらいの人気があったことを示しています。(実車画像→ ハドソン モデル 20 ロードスター 1909)
ハドソン社はその後も手堅い車作りで事業を拡大し、1912年には6気筒エンジン搭載車が登場しました。1916年に登場したスーパーシックスには静粛性に優れたバランスド クランクシャフトを採用した6気筒エンジンが搭載されていました。1919年に低価格な大衆車としてエセックスが別ブランドとして登場し、さらに1932年にテラプレーン ブランドも追加されました。エセックスの追加で1929年にはハドソンの生産台数がフォード、シボレーに次ぐ第3位となりました。しかし1930年代からBIG3(フォード、GM、クライスラー)に押され業績が悪化し、1930年代にエセックス、テラプレーンが消滅しました。戦後の1954年にナッシュと合併してAMC(アメリカン モータース)となりハドソンは消滅しました。
ミニカーは2006年頃に発売されたシグネチャー製です。1930年に登場した8気筒車(3.5L)エンジンを搭載したグレート エイトの2ドアクーペをモデル化しています。シグネチャーの1/32は1920-1950年代の代表的なアメリカ車をモデル化していました。縮尺が1/32と中途半端なのですが、定価1800円ほどの安価ながら1/43より大き目のサイズを生かして結構細かいところまで仕上げてありました。このハドソン グレート エイトも実車を忠実にモデル化してあります。実車に即したカラーリングで、ボンネット/ドア/ランブルシート開閉と前輪操舵のギミックが付き、エンジンや室内などの細部も良く再現してあります。あまり際立った特長がなく端正な感じのするハドソン車の雰囲気もうまく再現されていると思います。 以下はフロント/前輪操舵の画像とリア/ランブルシート(補助席)開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ピアス アロー モデル B ロードスター アメリカ 1930年
ピアス アロー社の前身は家庭用品(鳥籠が有名)を製造する会社で、1890年代から自転車/バイクの製造を始め、1901年からは自動車製造にも進出しました。最初の自動車はド ディオン ブートン製の単気筒エンジンを搭載した2シーターの小型車でした。1903年に2気筒エンジン搭載のアローを発表し、1904年には自社開発した4気筒エンジンを搭載した高級車グレートアローを発表しました。グレートアローはアメリカで開催された耐久イベントに優勝し信頼性の高さが知られるようになり、同社は高級車製造に専念することになりました。
1908年にピアス アロー社と改名し、1910年以降は6気筒エンジン搭載車だけを製造するようになりました。ピアス アローは当時の最高級車としてウィリアム タフト第27代アメリカ大統領の公用車に使われるなど富裕層に愛用されました。しかし1920年代になるとモデルの旧態化で採算が悪化しました。そこで1924年に廉価版の80シリーズを発売して挽回を図りましたが、結局1928年にスチュードベーカー社に吸収合併されました。1929年にそれまでの6気筒エンジンを止めて8気筒3LエンジンとV型12気筒6.5L/7Lエンジンを搭載したモデルが登場し、スチュードベーカーのディーラー網が使えるようになったことで売上げは改善されました。その後世界恐慌の影響でスチュードベーカーの業績が悪化し、1933年にスチュードベーカーはピアス アローを売却しました。
ミニカーはシグネチャー製で2006年に発売されました。シグネチュアーの1/32のクラシックカーのシリーズの1台で、当時の定価は約3500円ほどと比較的安価ながら、マニア向けの本格的な出来ばえに仕上げてありました。1930年に登場したタイプA/B/Cという3タイプのモデルのタイプ B ロードスターをモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。フロントグリル、灯火類、室内などの細部も結構リアルに再現されていて、特にフロントグリル上にあるマスコット(車名にちなんだ弓矢を構えた人物像)と、同社がその配置を特許化し外観上の最大の特徴としていたフロントフェンダー上に配置したヘッドライトもリアルです。またボンネットが開閉できエンジンや床下部分のドライブトレーンも再現され前輪は操舵可能になっています。ピアス アローは1930年代の有名な高級車メーカーでしたが、同社で一番よく知られているシルバー アロー以外でミニカーとしてモデル化されたのはこのシグネチャー製のタイプ Bとブルックリン(ホワイトメタル製)の1601 1936年ぐらいしかないようです。(なお最近の新興ブランドでESVAL MODELS(レジン製)が数種類をモデル化していますが) その為このミニカーはピアス アローのミニカーとして貴重な存在です。 以下はフロント(マスコットの拡大)/リア(折畳み補助席の開閉動作)の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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タルボ (タルボット) パシフィック リムジン イギリス(フランス) 1930年
フランスのクレメント-バイヤード(Cl?ment-Bayard)社は1920年代まで存在したフランスの自動車メーカーでした。イギリスのタルボ卿が1902年に設立した輸入会社クレメント タルボ(Cl?ment-Talbot)社がクレメント-バイヤード社の完成車を輸入して、「クレメント-タルボ」ブランドで販売するとともに、部品を輸入してロンドンの工場で組立ててタルボ ブランドで販売しました。これがタルボ ブランドの始まりでした。1906年に登場したイギリス製のタルボ 一号車は4気筒3.7Lエンジンを搭載した中型車で、この車はモータースポーツで活躍しました。(実車画像→ タルボ 20/24HP 1906)
1919年にクレメント タルボ社はダラック社に買収され、ダラック社はサンビーム社も買収し1920年にSTD(SUNBEAM TALBOT DARRACQ) モーター社と改名しました。(代表ブランドはタルボでした) 1926年頃に登場した6気筒1.7Lエンジンを搭載したタルボ 14/45HP(後にタイプ 65)は技術的に優れた低価格の中級車で、この車は大ヒットしました。その後この車は改良されて2.3Lエンジン搭載のタイプ 70/75、その高性能版タイプ 90に発展し1935年まで生産されました。またエンジンを3Lに拡張したタイプ 105はレーシングカーとして活躍しました。STDモーター社は財政難から1935年にイギリスのルーツグループに吸収され、1938年に「サンビーム-タルボ」ブランドができましたが第2次大戦後に消滅しました。タルボのフランス工場は起業家のアンソニー ラーゴ(Anthony Lago)が買い取り、後に「タルボ-ラーゴ」ブランドの車を製造しました。
ミニカーは1981年に発売されたエリゴール製です。上述したタルボ 14/45HPの高性能型で6気筒2.3Lエンジンを搭載したパシフィック(タイプ 90) リムジンをモデル化しています。実車と見比べるとフロントグリル形状とヘッドライトはそれらしく再現されていますが、それより後ろのボディ全体は同じエリゴール製のロールス ロイス 20/25HP(型番1030)の型をそのまま流用しています。(ホイールは変えてありますが) 当時の高級なリムジンは同じようなボディスタイルをしていたので、この方法でも違和感なくそれらしく見えます。したがってキャビン部分はサイズが大きめで窓の配置なども違いますが、当時のタルボ セダンのミニカーはこれぐらいしかありませんので、細かいところは気にしないことにしましょう。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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