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ヴォアザン C23 (17CV) フランス 1934年
ブガッティの創設者エットール ブガッティと並び称される鬼才ガブリエル ヴォアザン(Gabriel Voisin)は弟のシャルルとともに初期の航空機の開発を行いました。1907年に複葉機の初飛行を行い、その後ヴォアザン飛行機会社を設立し、第1次大戦中にはフランス軍向けに軍用機を生産しました。戦後は軍事産業からの転換を図り、まずは現在のツーバイフォー工法のようなプレハブ住宅の開発を行いましたが、既存の建築業界の反対にあって断念しました。そこで次に自動車の製作を行うことになりました。(ヴォアザンの航空機の画像→ ヴォワザン III 1911)
最初に開発されたC1は1920年に登場しました。この車は4気筒4L(80HP)のスリーブバルブエンジンを搭載した高級車で、シトロエン社の創立者であったアンドレ シトロエンから製造権を購入したプロトタイプをベースにしていました。C1は洗練されたパワフルな車で富裕層に愛用されました。その後C1はC3となり1922年にC3のレース仕様車がストラスブール ツーリングカーレースで優勝しヴォアザンの名声が高まりました。(実車画像→ ヴォワザン C1 1920) その後1927年に6気筒2.4Lエンジン搭載のC11、1929年にフランス初のV型12気筒3.8L/4.8Lエンジン搭載のC17/C18、1931年に6気筒3Lエンジン搭載のC23など独創的な高級車が登場しました。1939年にヴォアザンは経営状態の悪化で自動車生産から撤退し航空機エンジン生産に転じました。
当時ガブリエル ヴォアザンの下で働いていた技術者アンドレ ルフェーブルは後にシトロエンに入社し、第2次大戦後に偉大な名車シトロエン 2CVやDSの開発にかかわっています。シトロエン 2CVがなんとなく以下で説明しているC25 アエロディーヌに似ているのは、シトロエンのユニークなデザインにガブリエル ヴォアザンが影響していたと考えると納得できます。
ミニカーは1966年に発売されたソリド製のヴォアザン C23(17CV)です。モデル化しているC23はスリーブバルブ式6気筒3L(85HP)エンジンを搭載したヴォアザンとしては後期のモデルでした。1960年代のソリドのクラシックカーのミニカーは20車種ほどありましたが、いずれもかなり良い出来ばえで当時の一級品でした。このミニカーも角ばったボディが良く再現されていて、ヴォアザン車に共通する特徴である独特のフロントグリルとその上のマスコット(鳥)も実に忠実に再現されています。前フェンダー上にある箱は据付式のトランクです。ドア開閉のギミック付で、室内もそこそこ良く再現されています。ヴォアザンのミニカーは最近までこのC23しかなかったのですが、2010年以降にミニチャンプスのC25とC27、スパーク(レジン製)のC25とC27、イクソのC25とC28などがモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 508S バリッラ コッパ ド オーロ イタリア 1934年
この当時のフィアット車には必ずスポーツ仕様がありましたが、大衆車 508 バリッラにも2シーター スパイダーの508Sが1934年に追加されました。カロッツエリア ギアのデザインで、リアのトランクに付いた小さなテールフィンが特徴でした。4気筒1Lエンジンはサイドバルブからオーバーヘッドバルブに変更されて36HPにパワーアップされ、790kgと軽量なボディゆえに4段変速で最高速110km/hの性能でした。操縦性も優れていて、当時の軽量スポーツカーとしては抜群の性能でした。508Sには様々なバリエーションがありましたが、高性能版はコッパ ド オーロ(伊語で金杯の意)とも呼ばれました。
フィアット 508Sのレース仕様はミッレ ミリアなどのレースで活躍し、イギリスのブルックランズ マウンティン サーキットでは平均速度89km/hで1000マイルを走破しており、軽量ながら耐久性にも優れていたようです。1935年にレースでの空力特性を改善する為に流線形のクーペボディを載せた508CS ベルリネッタ ミッレ ミリア クーペが開発されましたが、ボディが重くなり競争力が低下しました。508 バリッラはドイツのNSUやフランスのシムカでも生産され、シムカ版の508S スパイダー(シムカ フィアット 6CV)が1937年ルマンの1.1Lクラスで優勝しています。508Sはわずか1000台ほどしか生産されませんでしたが、高く評価されています。(実車画像→ フィアット 508CS ベルリネッタ ミッレ ミリア クーペ)
ミニカーはマーキュリー製で1960年代に発売されました。実際に製作したのはZISS-MODELL(チィス モデル)のブランドで知られるMINI-AUTO社で、マーキュリーにOEMしていたようです。実車の雰囲気がうまく再現され、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット取外しとドア/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンやトランク内のスペアタイヤも再現されています。これ以外の508Sのミニカーはドゥグー、ポリスティルの1/16、スターラインの508CSなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを外したエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア アスツゥーラ カブリオレ ピニンファリーナ イタリア 1934年
ビンテージ期の傑作車ランチア ラムダの後継車として1931年にアルテナ(ARTENA)が登場しました。アルテナのセダンはランチアが自社製標準ボディを設定していましたが、それ以外のボディ(クーペ、コンバーチブルなど)は従来通りカロッツェリアが特注ボディを架装していました。その為ボディはラムダの特徴であったモノコック構造ではなくフレーム構造を採用していました。V型2L(55HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速115km/hの性能でした。1942年まで生産され総生産台数は約5500台でした。(実車画像→ ランチア アルテナ 1931)
1931年にランチアの最上級車ディラムダの後継者としてアスツゥーラが登場しました。アスツゥーラはアルテナと同じプラットフォームでしたが、ホイールベースが延長されV型8気筒2.6L(72HP)エンジンを搭載していました。エンジンは1933年には3L(82HP)に拡大され、短いホイールベース版が追加されました。アスツゥーラはV型8気筒エンジンながら排気量は3Lと控えめで、スポーティな高級車として名だたるカロッツェリアが豪華なボディを架装していました。1939年まで生産され、総生産台数は約2900台でした。ランチアは車名にギリシャ文字を使っていましたが、この頃からアルテナとアスツゥーラなどローマ帝国時代の地名を使うようになりました。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.16として作られた物でイクソ製です。ピニンファリーナがデザインしたコンバーチブルをモデル化しています。品の良いスポーティなデザインに青/空色のツートンカラーが良く似合っています。プロポーションが良く、室内もそこそこ良く再現されていて雑誌付きミニカーの標準的なレベル以上の良い出来ばえでした。これはオークションで入手した物ですが、2010年に色違いがイクソの型番MUS029(黄/金 ツートンカラー)でも発売されました。これ以外のアスツゥーラのミニカーはソリド、ミニチャンプス、スターラインなどがあります。アルテナのミニカーはKESS MODEL(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パッカード トゥエルブ ルバロン アメリカ 1934年
前述したパッカード ツイン シックス(量産車初のV型12気筒6.9Lエンジン搭載)の後継車として、V型12気筒エンジンの排気量を7.3L(160HP)に拡大したトゥエルブが1933年に登場しました。パッカードの最上級車トゥエルブは極めて高価な車で、この当時はまだコーチビルダーがボディを架装していました。標準のホイールベース仕様には2ドアロードスター/クーペ、4ドアセダン/フェートンなど、ロングホイールベース仕様にはリムジーンなど様々な特注ボディが架装されました。
このパッカード トゥエルブ ルバロンはコーチビルダー ルバロン(LE BARON)社が架装した豪華な二人乗りのボートテール型ロードスターで、このタイプは僅か数台しか作られなかったそうです。この車の初代のオーナーは有名な映画スターのクラーク ゲーブルだったそうです。(実車画像→ パッカード トゥエルブ ルバロン クラーク ゲーブル パーソナルカー) 1935年にエンジンが7.7Lに拡大され175HPにパワーアップし、ギヤボックスはシンクロ付になり、1937年にブレーキが油圧式となりました。トゥエルブは1940年に生産中止となり、総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.28でイクソ製です。ほとんど同じで色違いの青がイクソのカタログモデルでは型番MUS043で2012年に発売されました。実車諸元の画像参照リンク先に載っている実車を忠実にモデル化しています。出来ばえはこのシリーズのイクソ製の標準的なものですが、特にこのパッカードはフロントグリルまわりの造形が良くできています。グリルの外枠とセンターラインが車体と同じカラーに塗られたフロントグリルがきちんと再現され、グリルの上に付いているマスコットもはっきりと形が分かるように再現されています。(かなりオーバースケールですが) このパッカードのマスコットは差し出した両手で車輪を掲げている女神の姿で「Goddess of Speed(スピードの女神)」と呼ばれている有名な物です。これ以外のパッカード トゥエルブのミニカーはフランクリンミントの1/24と1/43、アンソンの1/18や1/24、GREAT LIGHTNING(レジン製)などがあります。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パッカード トゥエルブ コンバーチブル アメリカ 1934年
1920-1930年代のパッカードはGM キャディラックと双璧をなす高級車ブランドでした。前述したツイン シックス(量産車初のV型12気筒6.9Lエンジン搭載)の後継車として、V型12気筒エンジンの排気量を7.3L(160HP)に拡大したトゥエルブが1933年に登場しました。パッカードの最上級車トゥエルブは極めて高価な車で、この当時はまだコーチビルダーがボディを架装していました。標準のホイールベース仕様には2ドアロードスター/クーペ、4ドアセダン/フェートンなど、ロングホイールベース仕様にはリムジーンなど様々な特注ボディが架装されました。なお一番人気があって高価だったのは、前述したルバロン ロードスターだったそうです。
こちらは4ドアのコンバーチブルで、正式にはデュアル カウル フェートン(前席/後席にスクリーンが付いた4座オープン)と呼ばれる形式です。室内の前席背後のパーティション部分に後席用ウインドーを上下させるハンドルが付いているのがその証です。当時の高級車の最新機器として、1934年のパッカードにはダッシュボード組込み式ラジオがオプション設定されていました。1935年にエンジンが7.7Lに拡大され175HPにパワーアップし、ギヤボックスはシンクロ付になり、1937年にブレーキは油圧式となりました。トゥエルブは1940年に生産中止となり、総生産台数は約5000台でした。
ミニカーはフランクリン ミント製で、1990年頃に発売されました。同社の1/43サイズの1920-1930年代のクラシックカーは約十数種類あり、キャディラックやパッカードなどの高級車をモデル化していました。いずれもドアが開閉しボンネットを外すとエンジンが再現され、シャーシなどの下回りもそこそこ再現されていました。このパッカードもヘッドライトなどが少しレトロな作風ですが、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。4ドアが開閉しボンネット内にはエンジンが再現されています。フランクリン ミントは1/24でも同じ車をモデル化していました。これ以外のパッカード トゥエルブのミニカーは前述したイクソのルバロン、アンソンの1/18や1/24、GREAT LIGHTNING(レジン製)などがあります。以下はフロント(マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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