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三菱 A型 日本 1917年
ドイツでダイムラーが世界初のガソリンエンジン自動車を製作したのは1886年(明治19年)のことでした。1898年にフランスのガソリンエンジン自動車 パナール ルバッソールが初めて輸入され、その後ガソリンエンジン自動車を輸入して販売する会社が設立されました。1907年(明治40年)にはそのような会社の技術者であった内山駒之助氏が国産ガソリンエンジン自動車の第1号「タクリー号」(2気筒1.8Lエンジン搭載) を完成させました。この車はフランスのダラックを参考にして製作したそうで、ガタクリと走ることから「タクリー号」と呼ばれました。(実車画像→ タクリー号)
その後も明治末期から大正にかけて自動車の国産化が試みられましたが、当時の日本の工業技術が未熟であった為、国産化は成功しませんでした。その試みの一つとして1917年(大正6年)に三菱造船神戸造船所でイタリアのフィアット タイプ 3を参考にして三菱 A型が製作されました。三菱 A型は4気筒2.8L(35HP)エンジンを搭載する7人乗りの大型セダンでした。1921年(大正10年)までに約30台が製作され、国産初の量産?乗用車とされています。なお三菱は軍関係の航空機製造を優先したので、民間用の三菱 A型の自動車製造から撤退したとのことです。
ミニカーは1976年に発売されたダイヤペット製です。ダイヤペット10周年記念として初期の国産車が3車種(トヨタ AA型、ダットサン 14型、三菱 A型)モデル化されたのですが、これはその1つで三菱 A型をモデル化しています。一般的なミニカーではなく、ブロンズ仕上げの置物といった感じの物に仕立てあります。ホイール/タイヤも金属製でブロンズ仕上げになっていますが、固定式ではなく回転します。置物的なミニカーですが、一応実車に基づいてモデル化しているので、実車が大体どんな感じの車だったかはわかります。これ以外の三菱 A型の量産ミニカーは2023年現在でもありません。ただし三菱自工が1985年頃に販促用に作った特注ミニカー(1/32ぐらいのサイズ)がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ダットサン (日産) 11型 日本 1932年
三菱 A型の解説に記載したように明治時代の自動車国産化は当時の日本の工業技術が未熟であった為成功しませんでした。その後の自動車国産化に影響を与えた会社として白楊(はくよう)社と快進社がありました。白楊社は1912年(大正元年)に創業された会社で、創業者豊川順彌氏が米国に滞在した経験から自動車開発に着手しました。1924年に国産技術で独自設計/製作した小型車オートモ号が完成しました。オートモ号は空冷4気筒943㏄(9HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速60㎞/hの小型車でした。4人乗りセダン/フェートン、2人乗りロードスターがあり1928年までに約250台が生産されましたが、採算が取れず会社は解散しました。(実車画像→ オートモ号 1924)
快進社は1911年に創業された日本初の自動車会社でした。1914年(大正3年)にV型2気筒(10HP)エンジンを搭載した小型車 脱兎(ダット)号を開発しました。ダット(DAT)とは同社の田、青山、竹内氏3名のイニシャルの組合せで、早く走るという意味の脱兎という意味もありました。 この会社を現在の日産自動車の前身であった戸畑鋳物株式会社自動車部が買取り小型大衆車として市販したのがダットサンでした。当初はダットの息子ということでダットソン(DATSON)と名付けられましたが、ソンは損に通じることからダットサン(DATSUN)となりました。1931(昭和6年)年にダットサン 10型が10台、1932年にはダットサン 11型(ダットサン 1号車)が150台製作されました。ダットサン 10型は4気筒495cc(10HP)エンジンを搭載し、ダットサン 11型は4気筒747cc(12HP)エンジンを搭載し3段変速機で最高速度65km/hの性能でした。
ミニカーは1978年に発売されたトミカ ダンディ製です。ダットサン 11型(ダットサン 1号車)のフェートン(セダンの幌仕様)をモデル化しています。当時の国産ミニカーとしては珍しい本格的なクラシックカーのミニカーでした。実車に忠実にモデル化してあり、ヘッドライト、フロントウィンドー横の腕木式方向指示器、室内などの細部もそこそこ良く仕上げてあります。ただし縮尺が1/36と中途半端で、メタリック塗装のボディカラー、メッキされたフリーホイールが実車のイメージに合わないのが今一つです。これ以外のダットサン 11型のミニカーはトミカの1/49、ダイヤペットの1/35、ミクロペットの1/35などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ AA型 日本 1936年
1930年代の日本では道路は舗装されておらず、自動車もあまり普及していないなど、自動車産業は欧米に比べて遅れをとっていました。当時の自動車の主たるユーザーはタクシー業者で、使用されていた自動車は日本でノックダウン生産をしていたアメリカのフォードやシボレーがほとんどでした。(当時は日本フォードと日本GMが日本市場を独占していました) 欧米の自動車産業の現状を知った豊田自動織機製作所の豊田喜一郎氏は社内に自動車製作部門(1937年にトヨタ自動車工業として独立した)を新設し、自動車製造に乗り出しました。
自動車製作部門は、当時の米国車を参考にして1935年に試作車A1型を完成させました。これを改良して1936年に発売を開始したのがトヨダ AA型でした。当初の車名はトヨタではなくトヨダでしたが、1937年にトヨタ自動車工業が創立されたことでトヨタに変わりました。トヨタ AA型は6気筒3.4L(65HP)エンジンを搭載する5人乗りセダンで、3段変速で約100km/hの性能でした。ボディは当時最先端の流線型ボディといわれたクライスラー エアフローを真似た斬新なデザインになっていました。戦時中の1943年まで生産され、総生産台数は約1400台でした。
ミニカーは1999年に発売された京商製ですが、このボディカラーが黒の物は愛知県のトヨタ自動車博物館にてTAM (TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM)ブランドで発売された特注品です。トヨタ自動車博物館に現存する実車を忠実に再現してあり、かなり良い出来ばえです。特にフロントグリル上に付いたマスコット(豊田の文字がデザインされている)や室内の造形などが良く出来ています。これ以外のトヨタ AA型のミニカーは京商の通常品、トミカ、トミカ リミッテド、ダイヤペットの10周年記念品などがあります。 以下はフロント/マスコット拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 (ダットサン) 70型 日本 1937年
1923年(大正12年)9月に関東大震災が発生し、当時の主要な輸送手段であった鉄道が壊滅的な被害を受けました。その為震災の復興では自動車(主にトラック)が活躍しました。この自動車需要の急増に対応したのはアメリカの自動車メーカーでした。その状況で今後も日本での需要が伸びることを予想したアメリカの自動車メーカーは、1925年にフォード日本、1927年に日本GMを設立し日本でライセンス生産を開始しました。(フォードは横浜、GMは大阪に組立工場がありました) 日本の自動車製造はまだ緒に就いたばかりでしたので、自動車の国内市場(トラック/大型車)はこの2社で独占されることになりました。
この状況に対応して、外資系のメーカーを排除して国産自動車を育成する為に1936年に「自動車製造事業法」が制定されました。この法律に後押しされて、日産がアメリカのグラハム ペイジ(Graham-Paige)社と提携し同社の生産設備を導入して製造したのが日産 70型でした。日産 70型は6気筒3.7Lエンジンを搭載する大型車でした。グラハム ペイジの図面で製造したので、外観はグラハム ペイジそのままでした。セダン以外にフェートン(幌付きのオープンカー 主に軍用)があり、約5500台が生産され国産初の量産大型車となりました。(実車画像→ グラハム ペイジ 1936)
ミニカーは1976年に発売されたリーンレプリカ製です。リーンレプリカは個人コレクターが起ち上げたブランドで、ホワイトメタル製の1/43で初期の国産車を6車種ほどモデル化していました。個人が製作していたのでコストがかけられず、ウィンドーや室内の造形が省略された簡素な作りになっています。素朴な作りですが、プロポーションが良く実車の雰囲気をうまく再現していました。カラーリングも当時の車らしい感じになっていました。日産 70型はこれしかミニカーがないので、初期の日本車のミニカーとして非常に貴重な存在です。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 (ダットサン) 17型 日本 1938年
現在の日産自動車の前身であった戸畑鋳物株式会社自動車部が1932年(昭和7年)に製作したダットサン 11型は、1933年にエンジンが748cc(12HP)に拡大されダットサン 12型になり、1934年にダットサン 13型になりました。1934年(昭和9年)に会社名が日産自動車に改められ、1935年に本格的に量産されたのがダットサン 14型でした。14型は全長2.79mの小型車で4気筒722㏄(15HP)エンジンを搭載していました。ボディは幌付きのオープンカー(フェートン)とセダンがあり、デザインが近代的になりました。縦長のハート型デザインのフロントグリルが特徴で、その上には脱兎(駆けているうさぎ)のマスコットが付いていました。(実車画像→ ダットサン 14型)
その後1936年にダットサン 15型が登場し、1937年にダットサン 16型が登場しました。ダットサン 16型にはセダン、クーペ、フェートン、ロードスターなどがありました。1938年に戦前最後のモデルとなったダットサン 17型が登場しました。15型から17型のエンジンは14型と同じ4気筒722㏄で16HPに少しパワーアップしていました。17型は全長3.13mで少し大きくなりましたが、外観は14型と同じようなデザインでした。1937年には約8000台が生産され、当時の国産小型車の代表でした。なお当時の大型車はほとんどはアメリカのGMやフォードの車をノックダウン生産した車でした。
ミニカーは2011年に発売されたエブロ製です。ダットサン 17型のフェートンをモデル化しています。エブロらしいリアルな造形で、実車が良く再現されています。17型の特徴である中央に縦ラインがあるフロントグリルとその上の脱兎のマスコット、灯火類、室内などの細部も良く再現されています。カラーリングもセンスが良いです。エブロはバリエーションでセダン、ロードスター、ピックアップトラックもモデル化しています。これ以外のダットサン 15-17型のミニカーは、リーンレプリカの14型、ダイヤペットのDX セダン (14型)があります。 以下はフロント(マスコット部拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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