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フェラーリ D50 イタリア 1956年
フェラーリは1955年F1 GPシーズン中に財政上の問題でF1から撤退したランチアからランチア D50を譲り受けることになりました。ランチア D50はサイドポンツーン内の燃料タンクをコクピット後方に移すなどの変更が行われてフェラーリ D50となりました。1956年にメルセデス ベンツからドライバーのJ.M.ファンジオが移籍してきました。彼はアルゼンチン、イギリス、ドイツ GPで優勝し、チャンピオンドライバーとなりました。フェラーリ D50はベルギー、フランス GPでも優勝し1956年のGPシーズンを席巻しました。
1957年にはD50を大幅に変更した801 F1が登場しました。(実車画像→フェラーリ 801 F1) 801 F1は新設計のシャーシ、新設計のV型8気筒2.5L(275HP)エンジン、改良されたサスペンション、ポンツーンをなくしたボディなどD50とは全くの別物になりました。1957年にJ.M.ファンジオはフェラーリを去りマセラティに移籍しました。彼がドライブしたマセラティ 250Fは大活躍し、マセラティは初のワールドチャンピオンシップを獲得しました。そのせいもあって1957年シーズンにフェラーリは1勝もできませんでした。
ミニカーはブルム製で1985年頃に発売されました。1956年のモナコ GP 出場車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ランチア D50のページに載せた型番R076のランチア D50とはノーズの形状が異なっており、この型番R127のD50のほうがタイヤのホワイトレター表示など仕上げが少しレベルアップしています。これ以外ではマーキュリーの当時物、マテル、イクソなどがあり、フェラーリに移譲される前のランチア D50 モナコGP仕様をノレブがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マセラティ 250F イタリア 1957年
前述したスポーツカー マセラティ A6をベースにしたレーシングカー A6GCMが1951年に登場しました。1952年と1953年のワールドチャンピオンシップはエンジン排気量2Lのフォーミュラ2(F2)で行われており、DOHC 6気筒2L(160HP)エンジンを搭載したA6GCMはこのF2用のマシンでした。(実車画像→ マセラティ A6GCM)
1953年にG.コロンボ(後のフェラーリの設計者)がA6GCMを大幅に改良し、A6SSGに発展させました。A6SSGはエンジンを200HPにパワーアップし、サスペンションが改良され、外観も変わっていました。F2時代にはフェラーリ 500F2が圧倒的に強かったのですが、A6SSGはJ.M.ファンジオがドライブして1953年のイタリアGPで優勝するなど善戦しています。(実車画像→ マセラティ A6SSG)
1954年に2.5Lエンジンのフォーミュラ1(F1)が施行され、それに対応した250Fが登場しました。250FはA6SSGをベースにしたマシンで、デビュー戦の1954年アルゼンチンGP(ドライバー J.M.ファンジオ)で優勝しています。1955年から1957年にかけて250Fは大活躍し、1957年にはマセラティ初のワールドチャンピオンシップを獲得しました。ただ1957年をもってマセラティはF1から撤退しました。250Fはエンジンをフロント搭載したF1の最高傑作とされています。
ミニカーはブルム製で、1983年頃に発売されました。1957年のドイツ GP優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ノーズが少し尖りすぎのような気がしますが、当時のミニカーとしては良くできていました。ブルムはV型12気筒エンジンのテスト車など10種類ほどのバリエーションを出しています。それ以外ではソリドの1/43、ポリスティルの1/43と1/16、CMCの超精密1/18などがあります。 以下はフロントの拡大画像と俯瞰/コクピット周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロータス イレブン イギリス 1957年
ロータスはマーク VIの成功を受けて、ルマンに出場する本格的なレーシングカーの開発に着手します。1954年にマーク VIIIが完成し、シルバーストーンでクラス優勝しています。この車はマーク IX、マーク Xと発展し、1956年にXI(イレブン このモデルから「マーク」が付かない)が登場します。イレブンの最大の特徴はアルミパネルを補強材とした航空機のようなスペースフレーム構造で、車重は約400kgと非常に軽量でした。フランク コスティンのデザインした流線形ボディで、コベントリー クライマックス製4気筒1.1L(76HP)エンジンを搭載しています。
1955年にマーク IXでルマンに初参戦しますが、リバースギアを使ったことで失格となりました。1956年ルマンにはイレブンで出場し、総合7位(クラス優勝)、1957年ルマンでは総合9(クラス優勝)-14-16位となっています。イレブンにはフォード製4気筒1.2Lエンジンも搭載され、ボディもドライバー後方の大きなテールフィンがあるものとないものがあります。1957年にフロントサスペンションなどを改良してシリーズ 2となり、1958年まで生産され総生産台数は約270台でした。
ミニカーはカルツォ製で、2000年頃発売されました。1957年ルマンで14位となった車(750ccエンジン搭載)をモデル化しています。(画像はWEBサイトから借用しました)カルツォは旧ビテスグループのブランドで、画像で見る限りではなかなか良い出来ばえです。これ以外では老舗コーギーの当時物、最近のものではスパークやBOSモデルなどがあります。
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バンウォール F1 イギリス 1957年
ベアリング会社バンダーベル(VANDERVELL)社の創業者トニー バンダーベル(Tony Vandervell)はレースマニアでBRM(British Racing Motors)を支援していました。彼はフェラーリのレースカーを購入して改良し、自社のベアリングの商標であるシンウォール(THINWALL)を冠した「Thinwall Special」の名前でレースに参加するようになりました。1954年にレースカー製作に乗り出し、バンダーベルとシンウォールを合成したバンウォールという名前をレースカーに付けました。
最初のバンウォールは、バイクで有名なノートン社の4気筒2Lエンジンをクーパーのシャーシに搭載したもので、1954年に登場しました。当初は勝てませんでしたが、シャーシをロータス社のコーリン チャップマンの協力で改良し、エンジンを2.5Lに拡大するなどして競争力を上げていきました。1956年のベルギー GPでは4位となり、結果を出しました。(実車画像→ バンウォール F1 1954)
1957年にスターリング モスがドライバーに加わり、イギリス GPで初勝利を挙げました。その後のペスカーラ(イタリア) GP、イタリア GPでも優勝し、フェラーリやマセラティを脅かす存在となりました。1958年にはスターリング モスとトニー ブルックスが共に3勝して、シリーズ11戦中6勝の成績でコンストラクターズ チャンピオンとなりました。ただこの頃に創業者トニー バンダーベルが健康を害したことで、レース活動は1958年限りとなりました。バンウォールの活躍はクーパー、BRM、ロータスなどのイギリス勢のF1マシンが台頭する先駆けとなりました。
ミニカーは1993年頃に発売されたブルム製です。1957年のイタリア ペスカーラ GPの優勝車 #26(ドライバー S.モス)をモデル化しています。実車参照画像(1958年イタリアGP)と見比べると、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。ブルムはこれ以外にもバンウォール F1のミニカーを数車種モデル化しています。バンウォール F1のミニカーはディンキー(英)の当時物、コーギーの当時物、ソリドの当時物、ポリトーイの当時物などがあり、当時の老舗ブランドが揃ってモデル化していることから、当時のバンウォール F1の人気が高かったことがわかります。最近の物ではスパーク(レジン製)とTECNO MODEL(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピットの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 246 F1 (ディノ 246) イタリア 1958年
創業者エンツォ フェラーリの長男アルフレード (愛称 ディノ)は1956年に若くして亡くなりました。彼のアイデアだったといわれるV型6気筒エンジンを搭載した車(ディノ 246など)にはディノのブランド名がつけられました。このエンジンを搭載したF2マシン(1957年 156 F2)をベースにして、排気量を2.4Lに拡大した246 F1が1958年に登場しました。1958年シーズン終盤には排気量を2.5Lに拡大しディスクブレーキを採用した256 F1が登場しました。
1958年シーズンはバンウォールやクーパーなど強いイギリス勢に対抗して、フランスGP(ドライバー M.ホーソン)とイギリスGP(ドライバー P.コリンズ)で優勝しています。M.ホーソンは優勝1回ながら2位5回でポイントを稼いでドライバーズチャンピオンを獲得しました。
1959年シーズンは、T.ブルックスのドライブでフランスGPとドイツGPで優勝していますが、軽量でエンジンをミドシップ搭載した操縦性の良いクーパーに苦戦するようになりました。1970年にはほとんど勝てなくなり、イギリス勢が参加しなかったイタリアGPでは優勝していますが、これはエンジンをフロントに搭載した古典的なF1マシンの最後の勝利となりました。1961年に後継車の156 F1が登場しました。
ミニカーは1982年に発売されたブルム製です。1958年のイギリス GPの優勝車(ドライバー P.コリンズ)をモデル化しています。ホイールのドラムブレーキやコクピット周りなどそこそこ再現されていて、当時のミニカーとしては良く出来ていました。ブルムは型番R058でイギリスGP 2位の#2もモデル化しています。これ以外の246 F1のミニカーはマッチボックス、イクソ、カルツォなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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