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タルボ ラーゴ T26C F1 フランス 1948年
戦前の1920年代にSTDグループ(サンビーム、タルボ、ダラック)は、速度記録やGPレースに挑戦していました。速度記録車ではサンビーム 1000HP (1927年 327.97 km/h)、レースカーでは1926年のタルボ ダラック 1500などが代表的なマシンでした。1935年にSTDグループのフランス工場をアンソニー ラーゴが買い取ってタルボ ラーゴとなってからも、タルボ ラーゴ T150などがレースで活躍していました。(実車画像→ サンビーム 1000HP)
(実車画像→ タルボ ダラック 1500)
戦後にタルボ ラーゴは戦前に開発していたT26でレースに復活しました。1948年にT26を改良したT26Cが登場しました。当時はスーパーチャージャーで過給したアルファ ロメオ 158やマセラティ 4CLTが強かったのですが、タルボ ラーゴは1949年のベルギーGPとフランスGPで優勝するなど活躍しました。1950年に始まったF1選手権でも1951年まで参戦し、マイナーなレースでは優勝していました。またT26Cの2座仕様のT26 GSが1950年ルマンで総合優勝(ドライバー ロジェ親子)しています。
ミニカーはブルム製で、1982年頃に発売されました。1948年式でとくにどのレースのモデルというわけではないようです。(ブルム初期のモデルにはこのような考証がアバウトなものがあります) 後に作られた型番R113のT26Cは1951年ドイツGPの出場車(ドライバー J.クレス)をモデル化しています。今見ると少し物足りない部分もありますが、1980年代当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。これ以外のT26Cのミニカーは老舗ディンキー(英)の当時物がありました。また1950年ルマン優勝車のT26 GSをイクソやスパーク(レジン製)がモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像とコクピット周りの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 159 イタリア 1951年
戦前のグランプリレースで大活躍したアルファ ロメオ P3の後継車として1936年にティーポ C(12C)、1938年に3Lフォーミュラの308/312/316が登場しましたが、ナチス政権がバックアップする強いドイツ勢には対抗できませんでした。(実車画像→ アルファ ロメオ ティーポ C) 1937年に1.5Lフォーミュラ用としてDOHC 8気筒1.5L スーパーチャージャー(195HP)エンジンを搭載する158(アルフェッタ)が開発されました。 この車は1.5Lフォーミュラで行われた1939年のトリポリ GPでドイツ勢に勝つことを期待されていたのですが、結局3位で終わりました。ただこの車はこのクラスのレースでは活躍し、1940年のトリポリGPでは1-3位を独占しました。
第2次大戦後の1947年に新しいフォーミュラ(過給1.5L 無過給4.5L)が施行されました。アルファ ロメオは戦時中密かに動態保存されていた158を改良して参戦し好成績をあげました。1949年はレースに参加しませんでしたが、1950年から始まったF1世界選手権に350HPにパワーアップした158で参戦しました。158は戦前のドイツ勢をも上回る圧倒的な強さを誇り、1950年には出場した11レース全てで勝利し、初代ドライバーチャンピオンをG.ファリーナが獲得しました。またレースの平均速度も戦前のドイツ勢より早くなっていました。
1951年にはリアサスペンションをド ディオンアクスルに変更し、スーパーチャージャーの過給圧を上げて425HPにパワーアップした159が登場しました。1951年にはフェラーリ 375がライバルとして登場しましたが、159が6勝をあげて世界選手権を獲得しました。残念なことにアルファ ロメオは資金難のため1951年を最後にF1から撤退しました。燃費が悪く大量の燃料を消費するスーパーチャージャー式エンジンの時代は159とともに終わり、その後は1970年代まで自然吸気式エンジンの時代が続きました。
ミニカーは2007年に発売されたミニチャンプス製です。1951年のスイス GP 優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ミニチャンプス最盛期に作られたミニカーなので、とても良く出来ていました。ボンネットのルーバー(墨入れ処理)、ワイヤースポークホイール、サスペンションのアーム、コクピット内部などが非常にリアルに再現されています。ミニチャンプスはこれ以外にもイギリス GP仕様など数種類をモデル化しています。ミニチャンプス以外のミニカーでは、メーベトイやマーキュリーの158、ブルムの158と159などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 375 F1 イタリア 1951年
前述したようにフェラーリ初のF1マシンは1.5L スーパーチャージャー付エンジン搭載の125 F1でした。125 F1の過給エンジンはハイパワーながら燃費が悪かったので、燃料補給のピットインが多いというデメリットがありました。そこでエンジン設計者 アウレリオ ランプレディが新しい自然吸気エンジンの開発を行い、まず1気筒の排気量が275ccであることから275エンジンと呼ばれるV型12気筒3.3L(300HP)エンジンが完成しました。このエンジンを125 F1のシャーシに搭載した275 F1が1950年に登場しました。
エンジン排気量はすぐに拡大され、シャーシを新しくした4.1Lの340 F1、4.5Lの375 F1が1950年に登場しました。1950年のF1 レースではアルファ ロメオ 159が圧倒的に強く、340/375 F1はほとんど活躍していません。1951年に375は380HPにパワーアップし、アルファ ロメオに迫りました。イギリス GPで375 F1(ドライバー F.ゴンザレス)はアルファ ロメオを制してフェラーリに初勝利をもたらしました。その後はフェラーリが勢いを増し、続くドイツGP、イタリアGPでも勝利しました。1952年にはチャンピオンシップをフォーミュラ2(F2)マシンで行うことになった為、375 F1はインディ 500などのF2以外のレースで使われました。375エンジンは市販スポーツカーにも使われました。
ミニカーは1993年に発売されたブルム製です。1951年のイタリア GP 優勝車(ドライバー A.アスカリ)をモデル化しています。1950年代のレースカー(F1)の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。なお1980年代のブルム初期のレースカーのミニカーと比べると、タイヤのホワイトレター印刷やデカール処理など仕上げがレベルアップしていました。(ただミニチャンプスほどリアルな仕上げではなく、ブルム流ではありましたが) ブルムはイギリスのプライベーターが使ったシンウォール スペシャル仕様やインディ 500仕様もモデル化しています。これ以外の375 F1のミニカーではカルツォ、イクソ、マテルなどがあります。 以下はフロントの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジャガー C タイプ イギリス 1951年
前述したようにジャガー XK120はその優れた性能と魅力的なデザインで、アメリカ市場など世界中で大ヒットし、ジャガーの名声を確立しました。ジャガーは自社のスポーティなイメージをさらに高める為、XK120をベースにしたレーシングカーでルマンに参戦することにしました。その目的で開発されたのがC タイプ(XK120C)で、1951年に完成しました。 XK120がベースとはいうものの、シャーシはラダーフレーム構造から鋼管スペースフレーム構造にかわり、リアサスペンションも変更されていました。総アルミ製ボディも別物ですが、フロントグリルとヘッドライトあたりにXK120のイメージをもたせたデザインになっていました。
この時代のルマン出場車は公道走行できたので、C タイプはルマンのサルト サーキットまで自走していったそうです。ジャガーの思惑通りに1951年ルマンでC タイプは初優勝しました。1952年ルマンでは空力を改善するために小型化したフロントグリルが冷却性を低下させ、オーバーヒートで全車リタイアしました。1953年ルマンでは、フロントグリルをもとに戻しエアスクープを追加してオーバーヒートを回避し、レーシングカー初のディスクブレーキを前輪に装着するなどしたC タイプ改良型が優勝しました。(実車画像→ ジャガー C タイプ 1953)
ミニカーは2003年に発売されたブルム製です。C タイプのストリート仕様車をモデル化しています。この頃のブルムは初期の物(前述したXK120など)に比べるとホイールやコクピットなど細部の仕上げレベルが上がり、かなり良い出来ばえになっていました。ブルムは1951年と1953年のルマン出場車など20種類ほどのバリエーションを作っていました。ブルム以外のC タイプのミニカーはトップモデル、オートアートの1/43と1/18、イクソ、CMCの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ C52 ディスコ ボランテ スパイダー イタリア 1952年
アルファ ロメオの戦前のGPカー 158(アルフェッタ)は、戦時中密かに動態保存されていました。戦後その158を改造してアルファ ロメオは1946年にGPレースに復帰しました。戦前の強敵であったドイツ勢の不在などもあって、アルファ ロメオは圧倒的な強さを示し、158とそれを発展させた159で1951年まで勝利を重ねました。しかしながら資金難のため、アルファ ロメオは1951年を最後にGPレースから撤退しました。
GPレースから撤退したものの、スポーツカーレースに未練が残るアルファ ロメオは新しいレーシングカー 1900 C52を試作しました。前述した1900をベースにして、エンジンを2L(158HP)までチューンし最高速は220km/hでした。当時としては驚異的に低い空気抵抗だったボディは、コーチビルダー トゥーリングのデザインでした。横風の影響を下げる為に側面が張り出したボディは、正面から見ると当時世間を騒がしていたUFOを思わせることから、「ディスコ ボランテ(空飛ぶ円盤)」と呼ばれました。オープンのスパイダーだけではなく、クーペも試作されたようです。ただこの車は競争力不足ということで試作だけで終わりました。
ミニカーは速度記録車など一風変わった車種をモデル化するビザール製(レジン製)で、2007年頃に発売されました。この車の特徴である横に膨らんだボディがうまく再現されていました。ビザールはクーペもモデル化していました。この車は最近まで量産ミニカーではモデル化されていませんでしたので、このビザールのモデルは車種的には貴重な物となります。ただ最近になってイタリアのミニカー付雑誌やテクノモデル(レジン製)でモデル化されました。最近ではこの手のマニアックな車もレジン製の少量生産でモデル化されるようになりましたが、レジン製は高価格なので個人の財布には厳しくなりました。(私は特別に気に入った車種しかレジン製ミニカーを買いませんが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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