FERRARI 312 F1 1967 ITALY
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
フェラーリ 312 F1 イタリア 1967年
1966年からF1の排気量が3L(過給1.5L)に変わりました。それに対応したフェラーリ 312 F1が1966年に登場しました。エンジンはプロトタイプスポーツー カー 275P2用のV型12気筒3.3Lを3Lに変更したもので、シャーシはエンジンを構造部材としないセミモノコックを採用していました。1966年シーズンはベルギー GPとイタリア GPで優勝し、コンストラクタータイトルは2位(1位はブラバム)でした。
1967年シーズンは後半にエンジンを3バルブ化して390HPにパワーアップしましたが、ドライバーの事故が相継いだこともあり、1勝もできませんでした。 1968年シーズンにはリアウィングを装着したロータス 49Bが登場し、312 F1もエンジンの上にウィングを装着するようになりました。(実車画像→ロータス 49B) その後ウィングは角度可変/サスペンション連動など複雑化していきました。この年もフェラーリはフランスGPで1勝しただけで、成績はふるいませんでした。
1969年シーズンでフェラーリはエンジンをさらにパワーアップしましたが、エンジンの信頼性が低くトラブルが多発しました。この年はフェラーリはリタイヤが多くオランダ GPの3位が最高の成績でした。ウィングについては大型化し高い位置に設定するハイマウント式となりました。しかし第2戦のスペイン GPでロータス 49Bがウィングの支柱が壊れたことでコントロールを失う事故を起こし、安全性の問題から次のモナコ GPからは高さの低い固定式に規制されました。
1967年にロータスが初採用した小型軽量で信頼性の高いフォード コスワース DFVエンジン(V型8気筒3L)はF1用エンジンとして多くのコンストラクターに採用されました。このエンジンに対抗してフェラーリはVバンク角を180度にした新開発のV型12気筒エンジン(450HP)を開発し、それを搭載した312B F1が1970年に登場しました。Vバンク角を広げたことで重心が下がりマシンの操縦性が向上した312B F1はシーズン後半で4勝し、コンストラクタータイトルでロータスに次ぐ2位となりフェラーリは復活を遂げました。その後312B F1は312B2、312B3と改良され、1975年に312T F1に発展しました。(実車画像→フェラーリ 312T F1 1975)
ミニカーはブルム製で1996年に発売されました。1967年のイタリア GPに出場して7位となった#2号車(ドライバー C.エイモン)をモデル化しています。ホイールやエンジンなどがそこそこリアルで、当時のミニカーとしては標準的な出来ばえでした。ブルムは312 F1関係のミニカーとして最初のウィング付、ハイマウント式ウィング付、前後にウィングを付けたテスト車、高さ規制後の低いウィング付の312に加えて、312Bから312 T5まで約50種類をモデル化しています。(バリエーション展開が多いのはブルムの特徴です) 当時物ミニカーとしてはソリド、ポリトーイ、ディンキーなどがありました。当時物以外では、カルツォ、ミニチャンプス、マテル、イクソなどたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 1](postwar/image/italy2/ferrari_312_67ff.jpg)
![FERRARI 312 F1 2](postwar/image/italy2/ferrari_312_67rr.jpg)
以下は1988年に発売された同じブルム製の フェラーリ 312 F1 1968年 (1/43 型番R171)の画像です。第6戦のフランス GPで優勝した#26号車(ドライバー J.イクス)をモデル化しています。312 F1のウィングは第4戦のベルギー GPで初めて採用されました。このマシンに装着されたウィングは角度を可変させることができたようです。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 3](postwar/image/italy2/ferrari_312_68.jpg)
![FERRARI 312 F1 4](postwar/image/italy2/ferrari_312_68s.jpg)
以下は1992年に発売されたソリド製の フェラーリ 312 F1 1968年 (1/43 型番7123)の画像です。ソリドの312 F1は1968年に型番167で当時物ミニカーとして作られました。それはウィングの付いていないタイプでしたが、1969年に型番167Bでウィングの付いたタイプに変更されました。この型番7123の312 F1は1992年にフェラーリのミニカーをまとめた12台セットの中の1台として再販売されたものです。ホイールが金属製からプラスチック製に変更されていますが、それ以外はほとんど当時物のままです。(貼っていませんがデカールが添付されています) 1960年代のビンテージミニカーながらブルムの物と比べてもあまり見劣りしないので、当時のソリドの出来ばえが素晴らしかったことが良くわかると思います。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 5](postwar/image/italy2/ferrari_312_68solido.jpg)
![FERRARI 312 F1 6](postwar/image/italy2/ferrari_312_68solidos.jpg)
以下は1999年に発売された同じブルム製のフェラーリ 312 F1 モデナ テスト車 ダブル ウィング仕様 1969年 (1/43 型番R294)の画像です。これはテスト車で、ボディの前後にハイマウント式のウィングを装着しています。このようなダブル ウィング仕様は1969年のマクラーレン M7Cやロータス 49Bなどで実際に採用されました。(実車画像→
マクラーレン M7C) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 9](postwar/image/italy2/ferrari_312_69b.jpg)
![FERRARI 312 F1 10](postwar/image/italy2/ferrari_312_69bs.jpg)
以下は2000年に発売された同じブルム製の312 F1 1969年 (1/43 型番R301)の画像です。第2戦のスペイン GPでリタイアした#15号車(ドライバー C.エイモン)をモデル化しています。初期のウィングより高い位置に設定されたハイマウント式のウィングを装着しています。エンジン後部に追加された黒い箱は冷却系の補機だと思われます。エンジンの排気管と吸気管の取り回しが変更されて、フロントノーズにもウィングが装着されています。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 7](postwar/image/italy2/ferrari_312_69a.jpg)
![FERRARI 312 F1 8](postwar/image/italy2/ferrari_312_69as.jpg)
以下は2000年に発売された同じブルム製のフェラーリ 312 F1 1969年 (1/43 型番R303)の画像です。第3戦のモナコ GPでリタイアした#11号車(ドライバー C.エイモン)をモデル化しています。このモナコ GPからハイマウント式ウィングが禁止されたので、ウィングが暫定的な処置をされた整流板的な物に変わっています。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 15](postwar/image/italy2/ferrari_312_69e.jpg)
![FERRARI 312 F1 16](postwar/image/italy2/ferrari_312_69es.jpg)
以下は2000年に発売された同じブルム製のフェラーリ 312 F1 1969年 (1/43 型番R302)の画像です。第4戦のフランス GPでリタイアした#6号車(ドライバー C.エイモン)をモデル化しています。ウィング規制に対応した高さを抑えたウィングが装着されています。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 13](postwar/image/italy2/ferrari_312_69d.jpg)
![FERRARI 312 F1 14](postwar/image/italy2/ferrari_312_69ds.jpg)
以下は2000年に発売された同じブルム製のフェラーリ 312 F1 1969年 (1/43 型番R256)の画像です。第8戦のイタリア GPで6位となった#10号車(ドライバー P.ロドリゲス)をモデル化しています。ウィングの取り付け位置がエンジン後方からエンジン前方に変更され、エンジンの排気管と吸気管の取り回しが再度変更されて最初の312 F1と同じ状態に戻っています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312 F1 11](postwar/image/italy2/ferrari_312_69c.jpg)
![FERRARI 312 F1 12](postwar/image/italy2/ferrari_312_69cs.jpg)
以下は2000年に発売された同じブルム製のフェラーリ 312B F1 1970年 (1/43 型番R312B)の画像です。第9戦のオーストリア GPで2位となった#27号車(ドライバー C.レガツォーニ)をモデル化しています。エンジンが180°V型12気筒に変更されたので、エンジン搭載位置が下がっています。ウィングはロールバー上部から後方に延ばされたステーに付いています。ウィング後方の白い箱はオイルクーラーを収容したダクトです。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 312B F1 1](postwar/image/italy2/ferrari_312b_70.jpg)
![FERRARI 312B F1 2](postwar/image/italy2/ferrari_312b_70s.jpg)
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FERRARI 330 P4 SPIDER 1967 ITALY
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
フェラーリ 330 P4 スパイダー イタリア 1967年
1966年ルマンでのファラーリ 330 P3の全車リタイアの雪辱を果たすため、330 P4が開発されました。外観は330 P3とほとんど同じですが、ルマンで問題があったブレーキの冷却性向上、ZF製ギヤボックスを自社製に変更、エンジンのパワーアップなどの改良が行われました。ワークスの330 P4のバックアップとして、プライベーター向けに330 P3の改良版である412P(当初は330P3/4と呼ばれた)も製作されました。
このように万全の態勢で臨んだフェラーリの1967年シーズンは、まずデイトナで330 P4(412Pも含む)が1-2-3フィニッシュで優勝し、その後のモンザでも勝利しました。この状況に脅威を感じたフォードはルマン用にGT40 MK IVを準備しました。ルマンではフォードが序盤を優勢にすすめ、後半にフェラーリが食い下がりましたが、結局GT40 MK IVが優勝し330 P4は2、3位となりました。なおこの年のプロトタイプ スポーツカー選手権はフェラーリが獲得しました。今と違って当時のフェラーリは中小企業レベルでしたから、大企業のフォードを相手によく善戦していました。
ミニカーは1992年頃に発売されたジョエフ製の精密さを売りものにしたシリーズの1台で、フェラーリ 330 P4 スパイダーをモデル化しています。330 P4のダイナミックなボディがうまく再現されていて素晴らしい出来ばえです。ドアとリアカウルが開閉し、室内やエンジンが再現されています。エンジン/サスペンションは1/43とは思えないほどリアルでとても良く出来ています。330 P4のミニカーは当時物ではポリトーイ、マーキュリー、メーベトイなどがありました。最近の物ではバン(BANG)、ブルム、イクソ、京商の1/64などがあります。なお330 P4のシャーシを使ったピニンファリーナのスタイリング実験車 250 P5をポリトーイとディンキーがモデル化しています。 以下はジョエフの330 P4のフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 1](postwar/image/italy2/ferrari_330p4ff.jpg)
![FERRARI 330 P4 2](postwar/image/italy2/ferrari_330p4rr.jpg)
以下は室内部分とエンジン部分の拡大画像です。室内はシートベルトがリアルに再現されていて、エンジンも赤いハイテンションコードなどかなりリアルでリアのディスクブレーキを冷却するダクトまで再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 3](postwar/image/italy2/ferrari_330p4ic1.jpg)
![FERRARI 330 P4 4](postwar/image/italy2/ferrari_330p4en.jpg)
以下は1988年頃に発売されたブルム製のフェラーリ 330 P4 スパイダー #20 ルマン 1967年 (1/43 型番R160)の画像です。1967年ルマンでリタイアした#20をモデル化しています。ブルムは同レースで2位、3位となった#21と#24も限定品のルマン シリーズの型番S029とS030でモデル化しています。この#20だけがオープンのスパイダー仕様だったので、リタイアした#20もあえてモデル化したのかもしれません。出来ばえは前述した330 P3と同様で今見ると今一つのところもありますが、1980年代当時としては良い出来ばえでした。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 lE MANS 1](postwar/image/italy2/ferrari_330p3_lemans.jpg)
![FERRARI 330 P4 LE MANS 2](postwar/image/italy2/ferrari_330p3_lemanss.jpg)
以下は1995年頃(記憶があいまいですが)に発売されたブルム製のフェラーリ 330 P3/4 ジオラマ ビクトリー デイトナ 1967年 (1/43 型番LE/12)の画像です。1967年のデイトナ 24hで1.2.3 フィニッシュで優勝した3台をジオラマ仕立てでモデル化しています。この1.2.3 フィニッシュは有名なシーンで当時の写真もあります。(当時の写真→
デイトナ 1967 1.2.3 フィニッシュ) このジオラマはデイトナのバンクコースを再現してあり、観客席との間のファンスも付いています。壁に描かれたTONA★USAはDAYTONA★USAの一部です。横275㎜X奥行190mmX高さ130㎜の大きなサイズでバンクコースは塗装した木製でけっこう重いです。3台の330 P4にはドライバーのフィギュアが乗っていて、ボディはレースで汚れた状態を再現した汚し塗装がノーズ周りに施されているなどかなり凝った出来ばえです。限定生産品で箱にはシリアルナンバー(47/500 (500台製作した47番))と表示されています。これと同じ3台セットが2014年に型番AS55で販売されましたが、それにはこの立派なバンクコースは付いておらず、ボディの汚し塗装もされていません。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 DAYTONA 1967 1](postwar/image/italy2/ferrari_330p_daytona1967.jpg)
![FERRARI 330 P4 DAYTONA 1967 2](postwar/image/italy2/ferrari_330p_daytona1967ff.jpg)
以下は全体俯瞰と個々の拡大画像です。#23が優勝車の330 P4のスパイダーで、#24が2位の330 P4、#26が3位の412Pです。それぞれにドライバーが乗っていてボディには汚し塗装が施されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 DAYTONA 1967 3](postwar/image/italy2/ferrari_330p_daytona1967be.jpg)
![FERRARI 330 P4 DAYTONA 1967 4](postwar/image/italy2/ferrari_330p_daytona1967-24.jpg)
以下は同じブルム製で、フェラーリ 330 P3/4 デイトナ 1967年 参戦車3台(型番S026.S027.S028)をまとめたセット物とフェラーリ 330 P3/4 ルマン 1967年 参戦車3台(型番S029.S030.S031)をまとめたセット物の画像で、どちらも1994年に発売されました。3台の箱は透明なフィルムで包装されて一体化してあり、セットで「DAYTONA '67」「LE MANS '67」が表示されるようになっています。この3台セットはどちらも5000セットが発売されたようで、セットをばらした単体は発売されなかったようです。(箱の裏側の右下にシリアルNo.のラベルが貼ってあります) なおドライバー フィギュアは乗っていません。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 DAYTONA 1967 SET](postwar/image/italy2/ferrari_330p_daytona1967set.jpg)
![FERRARI 330 P4 LEMANS 1967 SET](postwar/image/italy2/ferrari_330p_lemans1967set.jpg)
以下は1960年代に発売されたポリトーイ製の当時物フェラーリ 330 P4 (1/43 型番574)の画像です。ポリトーイ Mシリーズの廉価版であったエキスポート シリーズの1台です。初期のエキスポート シリーズなので、まだホイールがメタル製で後期のフリーホイール仕様のように安っぽくないです。全体的な造形もポリトーイらしいかっこいいもので、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ドアが開閉しリアウィンドーの下にはエンジン/スぺタイヤも再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 3](postwar/image/italy2/ferrari_330p4_poli.jpg)
![FERRARI 330 P4 4](postwar/image/italy2/ferrari_330p4_polis.jpg)
以下は1960年代に発売されたメーベトイの当時物フェラーリ 330 P4 (1/43 型番A27)の画像です。ゼッケンが#24ですから、 1967年ルマン又はデイトナの#24を想定しているのでしょう。ポリトーイ同様にこれも当時としては良い出来ばえでした。フロントパネル/ドア/リアカウルが開閉するフルギミック仕様となっています。エンジンルーム内もそこそこ再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI 330 P4 5](postwar/image/italy2/ferrari_330p4_mebe.jpg)
![FERRARI 330 P4 6](postwar/image/italy2/ferrari_330p4_mebeff.jpg)
フェラーリ 412Pのミニカー→
データーベースでフェラーリ 412Pのミニカー検索"
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FERRARI DINO 206 GT 1967 ITALY
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フェラーリ ディノ (ディーノ) 206 GT イタリア 1967年
1968年に登場したディノ(ディーノ)はフェラーリの市販車としてエンジンを初めてミドシップ搭載した車でした。ただフェラーリは12気筒エンジンが基本であったので、V型6気筒エンジンを搭載するこの車にはディノという新しいブランド名(フェラーリ ディノでは無く単にディノ)を与えました。このディノという名前は創業者エンツォ フェラーリの長男で24歳の若さで亡くなったアルフレード フェラーリの愛称であり、彼がアイデアを出したこのV型6気筒エンジンに付けられた通称でもありました。
初期に製作されたディノ 206 GTのボディは総アルミ製で車重900kgと軽く、排気量2Lながら185HPのハイパワー、5段変速で最高速235km/hと高性能でした。またミドシップ エンジン方式でしたので、その操縦性は市販車としては並外れたものだったそうです。性能もさることながら、ピニンファリーナがデザインした一度見たら忘れられない個性的で美しいスタイルもこの車の魅力です。
フェラーリはフォーミュラー 2 レースのホモロゲーションをとるために、ディノの6気筒エンジンを量産する必要がありました。そこで提携関係にあったフィアットにエンジンを提供したことで、そのエンジンを搭載した フィアット ディノが生まれました。フォーミュラー 2の規定生産台数(500台以上)が達成された後、役目を終えた206 GTは150台ほどで生産中止となり、1969年に2.4L(195HP)エンジンを搭載したディノ 246 GTに切り替わりました。 246 GTは206 GTに比べるとホイールベースと全長が少し大きくなり、ボディは量産しやすいスチール製となっていました。車重が重くなりましたが、パワーアップで動力性能はほぼ同じでした。1971年にタルガトップの246 GTSが追加されました。1974年まで約3600台が生産されました。
ディノの当時物ミニカーはノレブのJET CARシリーズ、トミカ ダンディ、サクラのスーパーカーシリーズなどがありました。その後ビテス、マッチボックス、バン(BANG)などでもモデル化されました。最近では京商、イクソ、マテル、レジン製ではアイドロンなどでモデル化されています。このイタリアのバン製のディノ 206 GTは1996年頃に発売されましたが、1/43量産ミニカーでは現在でも最高の出来ばえといって間違いないでしょう。この種のかっこいいイタリア車のミニカーはイタリアのメーカーが一番うまく作ります。(芸術的なセンスが違うのでしょう) 特徴的なノーズの造形、ホイール/ライト類のリアルさなどとても気に入っています。またディノ 206 ストリート仕様の1/43量産ミニカーはバンしかモデル化していないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI DINO 206 1](postwar/image/italy2/ferraridino206ff.jpg)
![FERRARI DINO 206 2](postwar/image/italy2/ferraridino206rr.jpg)
以下は1991年頃に発売されたビテス製のフェラーリ ディノ 246(1/43 型番540)の画像です。1990年代初めのミニカーとしては、かなり良い出来ばえです。プロポーション的には上記のバンとほぼ同等ですが ホイール、ボディ開口部、バンパー、灯火類、ワイパーなどの仕上げの丁寧さの点でバンにかないません。リアルなホイールときちんと開口した開口部はミニカーがしまって見えます。バンのエッチングパーツのワイパーや室内のリアルなステアリングホイールなどの細かいパーツはコストがかかるので、これは値段相応(ビテスの約1.5倍)になります。ただし約30年前のミニカーとしては、ビテスもかなり良く出来ていると言うことを付け加えておきます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI DINO 246 1](postwar/image/italy2/ferraridino246.jpg)
![FERRARI DINO 246 2](postwar/image/italy2/ferraridino246s.jpg)
以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI DINO 246 3](postwar/image/italy2/ferraridino246ff.jpg)
![FERRARI DINO 246 4](postwar/image/italy2/ferraridino246rr.jpg)
以下は1978年に発売されたトミカ ダンディ製のフェラーリ ディノ 246 (1/45 型番DF05)の画像です。縮尺が中途半端な1/45なので1/43よりも少し小さめで、キャビンが大きめなのが今一つです。それ以外はまずまずの造形で、当時の国産ミニカーとしては良い出来ばえでした。ドアとトランクが開閉するギミック付きです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI DINO 246 5](postwar/image/italy2/ferrari_dino_dandy.jpg)
![FERRARI DINO 246 6](postwar/image/italy2/ferrari_dino_dandys.jpg)
以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI DINO 246 7](postwar/image/italy2/ferrari_dino_dandyff.jpg)
![FERRARI DINO 246 8](postwar/image/italy2/ferrari_dino_dandyrr.jpg)
以下は1977年に発売されたサクラ製スーパーカーシリーズのフェラーリ ディノ 246 (1/43 型番8)の画像です。1/43と底板に明記してありますが、サイズが少し大きめです。多分どこかの既存ミニカーをお手本にしてモデル化したと思います。プロポーション的にはまずまずの出来ばえですが、正面から見たフロントは横幅があり過ぎてやや不自然です。またタイヤ径が小さめでボディに対してアンバランスです。さらに透明プラスチックをフロントウィンドーと共用していてリアライトが青いのも、スーパーカーブームでとりあえずつくったという感じです。フロントパネル/ドア/リアパネルが開閉するギミック付きです。(ただしリアパネルはこのように開くのではなく、トランクとリアパネル(エンジンカバー)は別々に開くのですが) これは好ましくない例ですが、当時の国産ミニカーのレベルはこんなものだったということで見てください。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI DINO 246 9](postwar/image/italy2/ferrari_dino_sakura.jpg)
![FERRARI DINO 246 10](postwar/image/italy2/ferrari_dino_sakuras.jpg)
以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![FERRARI DINO 246 11](postwar/image/italy2/ferrari_dino_sakuraff.jpg)
![FERRARI DINO 246 12](postwar/image/italy2/ferrari_dino_sakurarr.jpg)
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LAMBORGHINI MARZAL BERTONE 1967 ITALY
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ランボルギーニ マルツァル ベルトーネ イタリア 1967年
ランボルギーニ マルツァルは1967年ジュネーブ ショーで公開されたコンセプトカーです。ベルトーネのマルチェロ ガンディーニのデザインで、広いガラス面積のガルウイング式ドアが大きく開くのが特徴です。ベースとなっているのはミウラで、シャーシを延長して完全な4座の室内を確保しています。エンジンはミウラのV型12気筒の片バンクだけを使った6気筒2Lで、後輪車軸を跨ぐ位置に横置き搭載されています。低いノーズ先端の小さなフロントグリルには6連式角形ヘッドライトが付いています。ルーフはガラスサンルーフで、リアカウルにはハニカム形状の開口部を持つルーバーが付いています。
ドア形状、メーターパネル、シートの座面などに6角形のハニカム形状のモチーフが繰り返して使われているのはショーカーとしてのお遊びです。大きなガルウイング式ドアはショーカーとしてはインパクトがあるのですが、丸見えの室内はプライバシーが全くなく夏場はとても暑くなるでしょうから、実用的ではありません。この車のコンセプトを引き継いで実用的に仕立てたのが、1968年に登場した4座のエスパーダ(エンジンはフロント搭載) でした。
ミニカーはポリトーイ製で、1970年に発売されました。廉価版として作られたEXPORTシリーズで、ヘッドライトやテールライトなどの仕上げは簡素ですが、プロポーションはまずまずでホイールはリアルなメタル製です。最大の特徴である大きなドアが可動し、6角形をモチーフにした室内もある程度再現されています。これ以外の当時物としては、同じポリトーイのペニー(1/66)、ディンキー(英)、エディルトイ、サブロン(同じ型でナコラルもあり)、マッチボックスなどがありました。最近の物では、プロバンス ムラージュ(レジン製キット)やホワイトボックスがあります。 以下はポリトーイのマルツァルの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![LAMBORGHINI MARZAL BERTONE 1](postwar/image/italy2/lamborghini_marzaldoor.gif)
![LAMBORGHINI MARZAL BERTONE 2](postwar/image/italy2/lamborghini_marzalbe.jpg)
以下は1971年に発売されたサブロンのマルツァル(型番06)の画像です。サブロンのミニカーはゴム タイヤに使われた有機溶剤がホイールを溶かすという問題があり、これも物の見事にホイール全てが溶解しています。ただこの問題さえ除けば、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ドアとフロント/リアパネルが開閉し、室内やエンジンがそこそこ再現されています。特に6連式角形ヘッドライトが並ぶフロントグリルはポリトーイの物よりも実車の雰囲気をうまく再現しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![LAMBORGHINI MARZAL BERTONE 3](postwar/image/italy2/lamborghini_marzal_sablon.jpg)
![LAMBORGHINI MARZAL BERTONE 4](postwar/image/italy2/lamborghini_marzal_sablons.gif)
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DE TOMASO MANGUSTA 1967 ITALY
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デ トマソ マングスタ イタリア 1967年
デ トマソ アウトモビリ社はレーシングドライバーであったアルゼンチン出身のアレハンドロ デ トマソ(Alejandro de Tomaso)が1959年にイタリアのモデナに設立しました。当初はF1マシンのシャーシ製作を行っていましたが、1963年に2座の市販スポーツカー ヴァレルンガ 1500を発表しました。鋼管バックボーンフレームにチューンしたフォードの4気筒1.5L(102HP)エンジンをミドシップ搭載し、FRP製ボディを載せるというレーシングカー技術を盛り込んだ車で、最高速208km/hの性能でした。この車は50台ほど製作されました。(実車画像→ デ トマソ ヴァレルンガ 1500)
1967年にはフォードと共同開発した2台目の市販車マングスタが登場しました。シャーシはヴァレルンガをベースにして強化した物で、フォー ド製V型8気筒4.7L(305HP)エンジンを搭載し、全輪独立懸架、5段変速で最高速は250km/hでした。(ただ構造的にテールヘビーで操縦性には難があったようです) ボディはG.ジウジアーロのデザインによる低い車高の迫力あるスタイルで、カロッツェリア ギアが製作しました。ランボルギーニやフェラーリなどより安価なスーパーカーとして人気を博し、1971年までに約400台が生産されました。後継車はマングスタをベースにしてフォードのスポーツカープロジェクトで開発されたパンテーラでした。
ミニカーは1969年に発売されたソリド製の当時物です。ヘッドライトやリアフードの形状(後部にスリットが付いていない)などから量産型ではなく、1966年にモーターショーで公開されたプロトタイプをモデル化しているようです。(実車画像→ デ トマソ マングスタ プロトタイプ 1966) 当時のソリドの特徴であったシャープな造形で、迫力のあるスタイルが見事に再現されていてかなり良く出来ています。特筆すべきは最大の特徴であるリアフードのガルウイング式開閉ギミックを緻密な鋳造技術でリアルに実現していることです。これ以外のマングスタの当時物ミニカーはこのソリド製をコピーしたオートピレン、ポリトーイの1/25、ディンキー、コーギー、ナコラル(コーギーのコピー?)などがありました。当時物以外ではミニチャンプス、TECNO MODEL(レジン製)の1/18などがあります。これらのミニカーのなかでも実車のイメージを再現するという観点からは現在でもソリド製当時物がベストだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアフードの開閉ギミックの画像です。開閉できるリアフードはボディとの段差がほとんどなくソリドの鋳造技術が優れていたことが分かります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![DE TOMASO MANGUSTA 1](postwar/image/italy2/mangustaff.jpg)
![DE TOMASO MANGUSTA 2](postwar/image/italy2/mangustarc.jpg)
以下はエンジンルームと室内の画像です。フードが大きく開く割にはエンジンはあまり見えませんので、エンジンの細部はあまり再現されていません、(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![DE TOMASO MANGUSTA 3](postwar/image/italy2/mangustasc.gif)
![DE TOMASO MANGUSTA 4](postwar/image/italy2/mangustasc5.jpg)
以下は1970年代に発売されたオートピレン製の当時物 デ トマソ マングスタ (1/43 型番313)の画像です。これはヘッドライト形状などから量産型のマングスタをモデル化しているようです。フロントフード/リアフード/ドアの開閉ギミック付です。オートピレンは他社のミニカーをコピーした物が多いのですが、これはボディの基本的な造形は上記ソリド製、フロント/リアフードの開閉ギミックとガラスサンルーフ部分はディンキー製をコピーしてオートピレン オリジナルの型を起こしているようです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![DE TOMASO MANGUSTA 5](postwar/image/italy2/mangusta_pilen.jpg)
![DE TOMASO MANGUSTA 6](postwar/image/italy2/mangusta_pilens.jpg)
以下はフロント/フロントパネル開閉ギミックの画像とリアフード開閉ギミックの画像です。リアフードの開閉ギミックは上記ソリド製のような緻密な鋳造ができなかったようで、ディンキー製のリアフードの開閉機構をコピーしていますが、実車とは異なる形状になっています。またスペアタイヤも省略されています。ソリド製と比べると開閉ギミック部分の造りが稚拙なのが分かります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![DE TOMASO MANGUSTA 7](postwar/image/italy2/mangusta_pilenff.jpg)
![DE TOMASO MANGUSTA 8](postwar/image/italy2/mangusta_pilenrr.jpg)
以下は2004年に発売されたミニチャンプス製のデ トマソ マングスタ (1/43 型番436127120)の画像です。ヘッドライト造形などから量産型をモデル化していることは明らかです。ミニチャンプスらしいそつのない良い出来ばえで、室内などの細部もリアルに再現されています。ミニチャンプスとしては珍しいことですが、リアフードの開閉ギミックが付いています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
![DE TOMASO MANGUSTA 9](postwar/image/italy2/mangusta_pma.jpg)
![DE TOMASO MANGUSTA 10](postwar/image/italy2/mangusta_pmas.jpg)
以下はフロントの拡大画像とリアフード開閉ギミック/床下部分のエンジンの画像です。ソリド同様のリアフード開閉ギミックが付いていますが、リアフードをダイキャストで鋳造するのが難しかったようでリアフード部分はプラスチック製となっています。ただそれでもソリドほど立て付けが良くなくて、閉じた状態で完全にボディと一体化せず少し浮いています。(ミニチャンプスは経験不足の為ギミックを付けるのが下手なのです) リアフードを開いてもエンジンが見えにくいのは実車に即しているのですが、ボディ下から見るとそこにはエンジンがかなりリアルに再現されていて、この点ではさすがミニチャンプスといったところです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
以下は1969年に発売されたコーギー製の当時物 デ トマソ マングスタ ギア 5000 (1/44 型番271)の画像です。ヘッドライトの形状などからこれもプロトタイプをモデル化しているようです。マングスタの当時物ミニカーとしてなかなかの良い出来ばえですが、このミニカーにはボディからバックボーンフレームを外すことができるという特別なギミックが付いています。このバックボーンフレームを外すことができるギミックはコーギーのオリジナルで、これ以外にも同じギミックを採用したロータス エランがありました。(参照ページ→
ロータス エランのギミック) なおこのミニカーはルーフにアンテナが付いていたのですが、折れてしまって行方不明です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
以下はシャーシとボディとバックボーンフレームを分解するギミックの画像と取り外したバックボーンフレームの拡大画像です。このバックボーンフレームは結構実車に忠実に出来ていて、ラジエーター、エンジン、サスペンションなどの実車の構造が良くわかり大人でも楽しめる面白いギミックです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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